【有希視点】
2017年1月23日(月)
年末の飛び込みの仕事のおかげで、次の仕事がもらえることになった。実家を出るためには、収入の安定しないライターの仕事はやめなくてはならない、と思っていたけれど、これならば、貯金と養育費合わせて、当面はなんとかやっていける。そう思っていた矢先のことだった。
「今月末から養育費減らすから」
月曜日の夕方、突然、元夫が訪ねてきて、とんでもないことを言いだした。
「は!?」
こちらの驚きをものともせず、元夫は淡々と続ける。
「彼女に子供ができちゃってさ、結婚することになったんだ」
「……………」
…………。どの彼女だろう……
「それで状況が変わったら、養育費減額できるって、母さんに言われて」
「……………」
母さんに言われて、か。あいかわらずだな……
顔だけはあいかわらず超かっこいいけど、中身はあいかわらず、母親依存の自分中心のお坊っちゃまだ。
「でも母さんも、陽太に金出すのが嫌なんじゃなくて、有希ちゃんに払うのが嫌なだけらしくてさ」
「…………」
そりゃそうだ。あの人は私を嫌っていた。
「だからこっちで陽太引き取ればいいって言ってて」
「…………」
元義母は、口出しはするものの手出しはしたくない人なので、陽太を可愛がってくれてはいたけれど、面倒をみる気はなく、私が引き取ることに反対はしなかった。新しいお嫁さん、という面倒をみる人間がいるのなら、引き取っても良い、ということらしい。
「で、さっき陽太に、お父さんと新しいお母さんと一緒に暮らさないかって言ったんだけど」
「え?!」
さっき、二人で何かこそこそと話していたのはそのことだったのか。今は、聞かせたくない話もあるので、部屋から出ていってもらっている。庭で素振りをしているらしく、バットを振る音が部屋の中にまで聞こえてきている。
部屋を出ていったときの陽太は無表情で、そんな大事な話をしたなんてとても思えない感じだったのに……。
陽太はなんて答えたんだろう……、と緊張するよりも早く、夫はあっさりと言った。
「でも陽太、こないってさ」
「そう………」
そのセリフにホッとする。
離婚の時は陽太の意思を問うことはしなかった。夫側に引き取る気がなかったから、ということもあるけれど、何より、どんなに生意気な息子でも、それでもやはり、ずっと慈しみ育ててきた我が子を手放すなんて考えられなかったからだ。陽太自身が私を選んでくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
夫が苦笑気味に言葉を続ける。
「陽太さ、お父さんと彼女の邪魔しちゃ悪いからって言ってさ。なんかホント大人びてるよな」
「……………」
大人びさせてしまったのは私たちだ。冷たい空気の漂った両親、母親と不仲な祖母。そんな大人に囲まれていたら、嫌でも大人になってしまうだろう。
「まあ、陽太と彼女が上手くやっていけるかどうかも分かんないし、そう言われてホッとしたっていうのが正直なところだけどさ」
「……………」
でも一応声はかけて、引き取ろうとした、という事実を作ったということだ。母親の意思を優先させるところもあいかわらずだ。
「そういうわけで、養育費減らすから」
「…………。それは弁護士さんに……」
「弁護士費用、うちは出さないからな?」
「…………」
うちは、だって。オレは、ではなく、うちは。私はこの人の「うち」にはなれなかったんだな、とあらためて思う。
「有希ちゃんも次の相手探して養ってもらえばいいのに。まだまだ若いし美人なんだからいくらでも相手いるだろ」
「……………」
「誰か紹介しようか?」
「……………」
腹が立つというより、もう、身体中の力が抜けていく、というか………
養育費なんていらない! 陽太にももう会わないで!
……と言えたらスッキリするだろうけれど、現実問題そんなことは無理だ。
「養育費、今月はそのままにしてもらえませんか? 来月からのことはまたあらためて……」
下げたくない頭を下げて、自分の無力さを思い知る……。
***
元夫が帰ったあと、庭にいたはずの陽太がいなくなっていたので、探しに出たところ、近くの川べりで素振りをしているところを発見した。もう暗いのに、なんでこんなところで……と聞くと、
「叔母さんに、エリちゃんが素振りの音こわがってるからやめてって言われた」
「…………」
叔母さんというのは弟のお嫁さん。娘のエリちゃんは幼稚園の年長さん。二世帯住宅の2階に住んでいる。
確かに最近、陽太の素振りの音はずいぶんと大きくなってきた。それだけきちんと振れているということなんだろう。
(でも、二階だったら、そんなに聞こえなくない? しかもあの家、常にDVDかけてるのに……)
単なる嫌がらせとしか思えない……
養育費の減額、実家からの退去のプレッシャー……頭の痛い事ばかりだ。
土手の階段に腰かけて、ぼんやりと陽太の素振りの様子を眺めていたら、陽太がふっとこちらを振り返った。
「知ってた? 素振りもただ振ればいいんじゃないんだって。来る球をイメージしながら振るんだって」
「へえ。そうなんだ?」
「うん」
陽太は再びバットを構えると、何でもないことのように付け足した。
「溝部が教えてくれた」
「…………」
溝部……。なんなんだろう。あいつ……
冷めたところのある陽太の心の中にもすっと入り込んできた元同級生……。
「内角低め、内角低め、外角低め……」
ブツブツ言いながらバットを振る陽太。振りながら、ポツリ、といった。
「こないだ、溝部に『お母さんと結婚するのにオレ邪魔じゃね?』って言ったんだけどさ」
「は!?」
結婚なんて、そんなこと露ほども思ったことないのに!!
と言いかけた言葉を瞬時に飲み込んだ。
それ、今日、元夫に言ったという言葉と同じだ。「お父さんと彼女の邪魔しちゃ悪いから」って……。そんなこと、私に対しても思っていたなんて……
「陽太……あの……」
「そしたら、あいつなんて言ったと思う?」
陽太は素振りをやめ、こちらを振り返り、おかしそうに、言った。
「お前がいないと困る。オレの夢が叶えられないだろ、だって」
「へ?」
夢? なんの話だ?
「溝部、息子と全力でキャッチボールするのが夢なんだって」
「ああ……」
そういえば高校の卒業アルバムにそんなこと書いてあったかも……
陽太は思い出し笑いをしながら、言葉を続けた。
「だったら、自分の子供とすればいいじゃんって言ったらさ」
「………」
「今すぐ生まれたって、その子供が10歳になったときには、もうオレ50歳過ぎてるだろって。その時には今みたいな全力の球は投げられないだろって」
「…………」
「だから、オレがいないと困るんだって」
溝部………。
「高校生の時に結婚したいって思ってたお母さんに、オレっていう息子がいるってことは、絶対に結婚する運命に違いないって」
「…………」
「夢、叶えるために、オレが必要なんだって」
陽太……笑ってる……。
「溝部ってホント馬鹿っぽいよなー」
陽太は再びバットを構えると、また素振りをはじめた。
「内角高め、内角高め、内角高め……」
陽太のブツブツいう声と、バットを振る鋭い音と、川の流れる音と、少し離れたところの大通りの車の音とが、まざりあって頭の上の方で聞こえてくる。
陽太が元夫に聞いた、ということは、やはり、実父からも自分を求める言葉をきちんと聞きたかったからなのだろう。でも、おそらく夫は、陽太にそんな言葉をくれていない。うちにくるか、と誘いはしたものの、陽太の遠慮の言葉に、あっさりと諦めの言葉を口にしたのだろう。
(お前がいないと困る……か)
そんな直球の言葉を言ってくれた溝部に感謝したくなる。そうして自分を求めてくれる人間がいるということは心強いものだ。
(でも……)
それと、結婚云々とは別問題。あいつ何勝手なこといってんだ。まったくもう……
「陽太……」
「ん?」
素振りをやめてこちらを向いた陽太に、真剣に告げる。
「お母さん、結婚なんかしないよ?」
「そうなん? 溝部は?」
「しないよ」
そう。誰であろうと結婚なんかしない。だって……
「お母さんは、陽太がいてくれれば、それだけで幸せだから」
「………………………………は?」
せっかく愛の告白をしたというのに、陽太は盛大に眉を寄せて……
「……キモッ」
ボソッと呟いてから、また素振りに戻ってしまった。
「…………」
でも、口の端に笑いがこぼれているようにみえるのは、気のせいではないと思う。
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お読みくださりありがとうございました!
ダラダラと真面目な話でm(_ _)m
これでもかなり色々削ったんですけど、これが限界でした……(^_^;)
そんなことに時間がかかったため、オマケまで手が回りませんでした(涙)
よろしければまた次回、どうぞよろしくお願いいたします……
こんな真面目な話、お読みくださり本当に本当にありがとうございましたっ。
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次回は4月14日金曜日、どうぞよろしくお願いいたします!
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