【有希視点】
2017年2月18日(土)
お世話になっている出版社の担当の西嶋さんには、3月いっぱいでやめる……という方向で話をしていたのに、
「鈴木さん、これ引き受けなかったら一生後悔するよ?」
これは運命。だから引き受けなさい。と、強い口調で言い切られた。
ある写真家さんが、私を指名で連載を引き受けても良いと、言ってくれたというのだ。リレー旅行記という形で、その写真家さんと毎回違うタレントやモデルが日本各地を巡るという企画らしい。
「アリガ・ミズキって、最近、人気出てきた人ですよね? 私を指名ってどうしてですか?」
「15年くらい前に、鈴木さんと一緒に仕事したことがあるっておっしゃってたけど?」
「…………………………。え?」
15年ということは、まだ仕事を辞める前だ。
「その時の約束を果たしたいって」
「約束?」
「その時は彼女、まだアシスタントだったらしくて……それでいつか一人前になったら一緒に仕事しましょうって約束したって。覚えてない?」
「…………」
誰だろう……。申し訳ないけれど、そんな人は何人もいるから……
「桜の写真を鈴木さんがほめてくれたって。だからこの連載も桜から始めたいっておっしゃってて」
「桜………? え、あっ!」
思わず叫んでしまった。パアッと桜吹雪の映像が頭に浮かんできたのだ。思い出した。そうだ、「ミズキちゃん」って呼ばれてた女の子。桜の花びらが風にのってこちらまで飛んでくるような、そんな立体感のある写真を見せてくれた……
「思い出した?」
西嶋さんはニッと笑うと、
「企画を持っていったときに渡した雑誌が、偶然鈴木さんの書いたクリスマスの記事が載ってた号でね。本当は連載は断るつもりだったらしいんだけど、その記事をお読みになって、鈴木さんが書くなら引き受けるっておっしゃってくださって……」
これは運命。だから引き受けなさい。
西嶋さんが有無を言わさぬ口調で詰めよってくる。
「泊まりのことも増えるとは思うけど、鈴木さん、お母さんと同居してるのよね? だったらお子さんのことお願いできるでしょ?」
「あ…………」
「これ契約書。そんなに悪い条件じゃないと思うけど?」
「……………」
(引き受けたい……)
あの桜の写真を撮った若い女の子……15年たち、夢をかなえた今、一緒に仕事ができたらどんなに……
(でも……)
同居は解消しなくてはならないので、泊まりの仕事は難しい。それに、提示された金額だけでは、生活していくのは無理だ。なんとか他の仕事も……、なんて、そんな不安定な状態で、子供を育てていくのは………
(…………溝部)
現実に心が引き戻されたのと同時に……ふっと、溝部の顔が浮かんできた。
『オレと結婚すれば問題解決するぞ?』
溝部と結婚したら……泊まりの仕事も引き受けられる。お金のことも……
(ああ、違う違うっっ)
心の中で首を振る。そんなのは間違ってる。溝部の気持ちを利用して……
でも………
『いくらでもオレに頼れ』
よみがえるラインのメッセージ。
『困ったことがあった時に、一番に思い浮かぶ相手がオレでありたい』
「………………」
思い……浮かんじゃったじゃないのよ……
(バカ溝部……)
どうしよう…………
***
とりあえず、少し時間をください、といって即答は避けた。
「来週までに返事ちょうだい。ダメなら他あたるから」
西嶋さんはそう言いつつも、
「でも、鈴木さんが断ったらこの企画流れちゃうからね」
分かってるよね? と、脅しのような目をこちらに向けてから、席を立った。……こわいって。
(どうしよう………)
タイミング悪く、今日は溝部と会う約束をしている。預かっていた三脚を返すためだ。
(なんか………気まずい)
会いたくないので、帰りの電車の中から、
『ごめん。急用ができた。陽太に頼んでおいたから三脚受け取って』
嘘のラインを送った。一応、万が一仕事が延びたときのために、陽太に三脚を託しておいて正解だった。
とりあえず、駅でしばらく時間を潰してから帰路についた。のだけれども……
(まだいるのか……)
溝部の車が停まっている。でも一階の電気がついていないところをみると、おそらく川べりで陽太と一緒に野球の練習でもしているのだろう。
『オレが息子になって、キャッチボールしてやるーーー!』
『お母さんと結婚しろー!』
二分の一成人式のあと、溝部に向かってそう叫んだ陽太……。
その後も陽太は、溝部にバレンタインのチョコをあげろ、とか色々言ってくる。
「あげないよ。お母さん、溝部のこと好きじゃないもん」
バッサリと言うと、陽太は「えーなんでー」と口を尖らせた。
「でも、溝部といるときのお母さん、すごく楽しそうじゃん」
「…………。まあ、それはほら、溝部が変な奴だから楽しいっていうか……」
「だよね? オレも楽しい」
へへへ、と笑った陽太。
確かに陽太は溝部になついてる。けれど………
「………………あ」
そんなことを思い出しながら、ゆっくり歩いていたら、案の定、川べりに二人を発見した。あいかわらず、親子か兄弟に見える二人………容姿は全然似ていないのに不思議だ。
「……全然、タイプじゃないんだよなあ」
遠くに見える溝部の姿に、思わずつぶやいてしまう。
私は昔から、落ち着いた大人の男性に惹かれる傾向があった。そして、いわゆる「イケメン」が好きだ。
高校の時片想いしていた先生も、歴代の彼氏も、元旦那も、みんなイケメン俳優ばりの容姿をしている。背もスラッと高くてスタイルがいい。
でも、溝部と言えば……
高校の時から今も、やたらテンション高くて子供っぽい。
背は168センチの私とほぼ変わらないし、お世辞にもスラッとはしてないし……。顔も悪くはないんだけど、おちゃらけた性格が滲み出ていて、とてもイケメン枠に入る感じでは………
(考えれば考えるほど、タイプじゃない………)
「お母さーん」
「鈴木ー?」
二人の声に立ち止まる。
息子の野球の練習に付き合っているお父さん。迎えにきた母親に二人で手を振って……。そんな幸せ家族の象徴みたいな光景。
「すーずーきー?」
良く通るバカみたいに大きな声。溝部は昔から無駄に声が大きい。その横にいる陽太が、楽しそうに溝部の腕を叩きながら何か話している。
陽太……。もし、溝部が陽太の父親になったら………陽太は今みたいな笑顔でいられるのかな……
でも、陽太の父親になるということは、私と結婚するということで………。でも、あいにく本当に、タイプじゃないんだよなあ……
(………そんなこと言って)
ドストライクのタイプの男性と結婚して、それでさんざん後悔してきたのはどこのどいつだ。
(………私だよ)
あーああ………
と、あまり幸せでなかった結婚生活の記憶にとらわれそうになった………その時。
「有ー希ー!」
「!」
ドキッと心臓が跳ね上がった。
(は!?)
何!? なに溝部、なんで名前で呼んでんの!?
「有ー希ー!」
っていうか!!
なんで私、溝部ごときにドキッとしてんの?!
「あ……ありえない……っ」
「有希ー?」
「………………ああ、もうっ」
ダーッと駆け出す。ああ、もう、ありえない。ありえない……っ。
溝部にうっかりドキッとしてしまったのは2回目だ。前回も一生の不覚と思ったのにー!
「ばか溝部ー!」
二人のいる場所の真上にたどり着いてすぐ、大声で叫んでやる。
「名前呼びつけにすんなー!」
自分の声がこだました気がした。
こんな大声出すの久しぶり。ちょっと……スッキリした。
***
それから、陽太と溝部の希望で3人で回転寿司にいった。二分の一成人式のお祝い、といわれては拒否することもできず……
2時間待ちと言われ、順番がくるまで、スーパーで買い物をしていたのだけれども、陽太はずっとはしゃいでいて、普段クールなこの子にこんな一面があったのか、と驚くほどだった。
そして、お寿司屋さんでも、よく喋りよく笑いよく食べて……疲れたのか、帰りの車に乗って数分で寝てしまった。助手席で窓に頭をくっつけたまま寝息をたてている。
「『奥様にお渡ししましたよ』」
「………は?」
運転席の溝部がちょっと笑いながら言うので、「何それ?」と聞くと、
「さっき、スーパーのレジでさ、駐車券は?って聞いたら、奥様にお渡ししましたよって言われたんだよー」
「………で?」
「やっぱ、夫婦にみえるんだな~♪」
溝部、語尾に♪ついてる……
買い物の最後、溝部は自分の分だと言ってパンとジャムをうちの買い物カゴに入れ、会計は自分が全部払うと言い張った。結局、私は会員カードを出しただけで……
「あの……お寿司のお金はともかく、買い物のお金はやっぱり払うよ」
「いいって」
「でも、お米も買っちゃったし」
「だからいいって。男に恥かかすなよ」
「でも………」
正直助かるけど……でも……
「こんなことしてもらう理由ないし」
「いやいやいや」
溝部は赤信号のタイミングで後ろを振り返ると、ニッと笑った。
「オレには下心しかないからな?」
「は?」
「お礼にチョコくれ」
「…………」
またそれか……。
「…………。取材先で買ったチョコが余ってるからあとであげる」
「いえーい」
嬉しそうに笑って再び前を向いた溝部。……なんだかなあ……。
「ねえ……そんなんでいいの?」
「いいに決まってんじゃん」
溝部は前を向いたまま、ニコニコで言った。
「余りでもなんでも、チョコをもらうことに意義がある」
「…………」
「好きな女からもらえるチョコは、たとえチロルチョコ一個だって高級チョコだからな~」
「…………」
ほんとに……なんなんだろうこいつ……
そこまで、そんな風に言ってもらえる資格ないよ、私……。
「溝部ってさ……私のこと買い被ってるよね?」
「ん?」
「私のこと、相当、美化してるよね?」
「ん? そうか?」
うーん……と溝部は唸っている。
溝部とこうして会うようになってから4か月ちょっと……ずっとずっと引っかかっていた。
「溝部の知ってる私って、高校生の時の私でしょ?」
「そりゃまあ……」
「元気いっぱいで、前向きで、明るくて、みたいな」
「…………」
「そういう私を好きになってくれたんだったら、今の私、期待外れだよ?」
「…………」
「もう、あの頃の私じゃないよ?」
「…………」
「変わったんだよ」
あんたはちっとも変わってないけどね……
沈黙が車内を支配する。
(………溝部)
私はどんな言葉を期待しているんだろう。
そんなことないよ、変わらないよ、って言葉? それとも、変わったとしても、お前のことが好きだよって言葉? ……違う。そうじゃない。そんな恋愛の駆け引きをしたいわけじゃない。そうじゃなくて………ただ、手を差し伸べてくれているこの人に、全部を見せないのは違う気がするのだ。
沈黙のまま、もう少しでうちに着く……というところで、
「ちょっと、話してもいいか?」
溝部がふいに言って、川沿いの道路わきに車を停めた。
「陽太寝てるし、いいよな?」
「…………」
う……と心臓のあたりが痛くなる。でも嫌とも言えずにいると、溝部は「よいしょ」とかけ声とともに、後部座席に移ってきた。買い物袋を挟んで、隣。真隣に座らないところに気遣いを感じる。
「……あのさ」
また少しの沈黙のあと、溝部は大きくため息みたいな息をついた。
「確かに、高校の時のお前は、くそ生意気で、攻撃的で、うるさくて……」
「なによそれっ」
ぐーで腕を押すと、溝部はくくくと笑い、
「そうそう。そうやってすぐにやり返してきて……。そういうお前と絡むのスゲー楽しかったけど……でもさ」
「…………っ」
溝部にまっすぐ視線を向けられ、思わず息を飲む。溝部の真剣な瞳……
その瞳が告げた言葉は、意外なものだった。
「でもオレ、お前の泣き顔に一目惚れしたんだよなあ……」
***
「………………え?」
泣き顔…………?
なんのことか分からずポカンとすると、溝部は、ちょっと気まずそうに頬をかいた。
「高2の後夜祭の時……、お前、校歌の石のとこ一人で座って泣いてたの……覚えてねえ?」
「後夜祭……?」
全然覚えてない……。
というか、高校の時の記憶ってほんと断片的なんだよなあ……
「なんで泣いてたんだろ?」
「日本史の山元が結婚するって聞いたからじゃないのか?」
「あ~~………」
そんなことあったかも……。イケメン雅ちゃん先生、好きだったもんな~。
何となく思い出した気がしてうなずいていたら、溝部が、えええっと驚いた。
「お前、『あ~~』くらいの話なのか?!」
「うん……あんま覚えてない……」
「えーなんだよそれー」
なぜか溝部、ガッカリしている。
「え、なんでガッカリしてんの?」
「いや……オレはてっきり、お前は山元のことが忘れられなくて、それで陽太の父親と……ってことなのかと思ってて……。だって似てるんだろ?」
「あ~~~」
「だから、あ~~って……」
なんだ、なんだ? この溝部のガッカリぷり……。よく分からないけれど、質問に答える。
「えーと……ただ単に、好みの顔だから似てるのかも。今までの彼氏もみんなあんな感じだったし」
「まじか……」
うわ、まじか……まじか……とブツブツ言っている溝部。
「なんなのいったい?」
「いやーさー……」
半笑いで溝部が言う。
「オレ、あの時泣いてるお前見て好きになって……でも、お前は大人の男が好きだっていうから何にもできないで諦めて……」
「え………」
そんな話、したことも覚えてない……
溝部は淡々と続ける。
「でも、再会した今、オレももう大人なわけだし? 今度こそお前のこと幸せにしたいって思って……。元旦那が山元の亡霊だっていうなら、なおのこと、今度こそはって……」
「………………」
知らなかった………
呆然として溝部を見つめていたら、溝部がふいっと助手席の陽太に目をやった。
「その上、お前には陽太がいて。正直、ラッキーって思ったんだよ。オレ、陽太みたいな息子持つことにずっと憧れてたから」
「…………」
溝部の夢は『息子と全力でキャッチボール』。40代のうちに叶えないと、全力の球は投げられない。だから、お前が必要だ、と陽太に言ったらしい。その話をしたときの陽太の照れたような嬉しそうな顔………
「あー、話がそれた」
溝部はあらたまったように言うと、こちらを向き直った。
「で、お前、さっき、今のお前が期待外れ、とか意味のわかんねえこと言ってたけど」
「あ……」
そうだった。その話だった。
溝部が、真剣な顔をして言葉を続ける。
「オレにとっては期待以上だ。陽太もいるし、全然色気のカケラもなかった高校の時と違って、女の色気も出てきて……って痛っ」
ほめられてるのか貶されてるのか分からないセリフにゴッと頭をどついてやると、溝部は大袈裟に頭を押さえて………それから、ポツンとつけたした。
「その上、将来の夢をちゃんと叶えてライターやってる」
「…………それは」
それは………それは。
溝部も知ってるでしょ? 続けるのは難しいって……
そう言いかける前に、
「なあ、鈴木」
「……………」
溝部がすいっと視線をこちらに向けた。
「現実的な話をしよう」
「………………」
現実的な……話?
「今、お前が一番優先したいことはなんだ?」
「優先したいこと……」
それは当然、
「陽太のこと、だよ」
言うと、溝部はウンウンとうなずいた。
「その陽太が、お前がライターを続けることを望んでる」
「………でも」
「お前だって、ライターやめたいわけじゃないんだろ?」
「それは………」
桜の写真の女の子……彼女と一緒に作るページはどんなに……
「結局のところ、金の問題なんだろ? それをオレは解消してやれる」
「…………」
詰まってしまった私に、溝部が畳みかけるように言う。
「オレと結婚すれば、もし、陽太が野球の強い私立の高校にすすみたいって言ったって叶えてやれるぞ?」
「う………」
私立高校……。その前に中学だ。陽太の進む中学では、皆ほとんど塾に通っていて、塾代は月に3万はかかるという……
「オレは今日みたいにお前らと一緒に、買い物したり、野球の練習したり、時々は寿司食いにいったり……そんな日常を過ごしたい。オレ達の利害は一致している」
「利害一致……」
確かにそうなんだけど……
「幸い、陽太だって賛成してくれてるしさ。だから問題は、お前の気持ちってことだよな?」
「……………」
「お前がもし、オレのこと顔を見るのも嫌なくらい嫌いっていうんなら無理なんだけど……」
「そんなことは……」
ない、というと、溝部の顔がぱあっと明るくなった。
「だよな?! チョコやってもいいってくらいは好きだよな?!」
「…………」
必死に言う溝部がちょっと可愛くて、心の奥の方がくすぐったい。
「だからさ、オレのこと本当に好きになるのは、おいおいでいいからさ」
「おいおいって」
「とりあえず、結婚して!一緒に住んで! 形から入ろう、形から」
「…………」
そんなこと言われても……と詰まってしまっていると、「よし!」と溝部が明るく手を打った。
「結婚しても、お前がいいっていうまでは、手、出さない。これでどうだ!」
「え」
手出さないって……いいんだ、それで?
目をパシパシさせてしまうと、溝部は「うわー」っとこめかみのあたりに手をやった。
「お前、今、一番心動いただろー。そうか、やっぱりそれがネックだったのか……」
「え、いや、その……」
「あー、いい、いい……。オレがお前のタイプじゃないってことはさっきの話でよーく分かったし……」
「…………」
「まあ、おいおい……おいおいで……」
おいおいでって………。
「オレはいつでも準備オッケーだから。本気で考えてくれよ」
「…………」
陽太の将来。ライターの仕事。それを手放さなくてもよくなる……
「ちょっと……時間ちょうだい」
「おお。前向きなご検討を、よろしくお願いします」
ニッと笑った溝部は、なんだかとっても頼りがいがあるように見えた。……のは気のせいだろうか。
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長々とお読みくださりありがとうございました!
お疲れさまでございました……
二つに分けようかとも思ったのですが一気にいってしまいました。
ようやく言えた。「現実的な話をしよう」。
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