***
二分の一成人式……
もう10歳。半成人。あと2か月で高学年になる、という自覚からか、司会も生徒たちでしていたけれど、感心するほど、皆、しっかりしていた。
運動チームの陽太は、8段の跳び箱も軽々と飛んでいた。8段に挑戦した子は3人しかいなかったので、学年でもトップクラスの『運動が出来る子』の部類に入るのだろう。その後のマット運動でも、バク転を披露して歓声と拍手を浴びていた。
(これは、見にきてほしいっていうわけだ……)
バク転が出来ることは知っていたけれど、こんなに綺麗にきまったところは見たことがなかった。拍手を浴びて得意そうにしている息子の姿は、胸を打つものがあり………
(……ちゃんと撮れたかな?)
後ろを振り返ってみたら、椅子の上に立ってビデオを撮っている溝部の姿が目に入った。跳び箱もマットも舞台上ではなく、舞台前のスペースで行われたので、三脚では高さ的に観客が邪魔になって撮れなかったらしい。他にも何人か椅子の上に立っている人達がいる。
(わ……大変だったな……)
一人で来ていたら、ビデオをまわすことに必死で、こんな風に肉眼でみて感動する、ということができなかったかもしれない。
(来てもらって良かった……)
今回初めて、純粋にそう思えた。自分でも現金だという自覚はある……
プログラムの最後は、『10歳の誓い』と全体合唱。
合唱の隊形に並んだ子供達が、私達世代にとって懐かしい曲を2曲歌ってくれたあと、ピアノの生演奏にのせて、一人ずつ、将来の夢を発表しはじめた。
「わたしは、ケーキ屋さんになって、みんなが喜んでくれるケーキを作ります!」
「ぼくは、サッカー選手になって、ヨーロッパで活躍します!」
「わたしは、ピアニストになって、世界中の人たちを感動させます!」
頬を紅潮させながら発表していく子供達。
みんな、具体的にどうしたい、と言うことになっているらしい。「プロ野球選手になります」と言うと言っていた陽太。大丈夫かな……
「ぼくは、本屋さんになって、みんなに本の面白さを伝えます!」
(……ああ、そうだったな……)
1人の男の子の言葉に、自分が10歳の時のことを思い出す。
私も10歳の時は、本屋さんになりたかった。それが、中学高校と進む中で「雑誌を作る人になりたい」に変化したのは、バレーボールの雑誌を買って読むようになったからかもしれない。高校の卒業文集には「雑誌記者になりたい」と書いている。いつかスポーツ専門誌で書きたい、という目標はありつつも、充分に夢を叶えた、と言っていい将来を得た。でも……
『今の仕事続けるのは厳しいんじゃない?』
つい先日、母にあらためて言われた言葉が頭の中をよぎる。
『これから子供はどんどんお金かかるよ。5年生だと、塾に行く子も多いでしょ?』
『引っ越しもしないといけないし……学校に提出する書類のこと考えたら、春休みに引っ越すのが一番じゃない?』
分かってる。分かってる……
実家を出たら、家賃が発生する。
養育費の減額も受け入れなくてはならない。
(夢は、もう………)
好きな仕事をして食べていける人なんて、ほんの一握りだ。私は今まで運が良かった。
(幸せだったな……)
初めて自分の書いた記事が紙面に載った時の感動。取材先のおばあちゃん達の笑顔……
でも、すべてを手に入れるなんて、無理な話なんだ。前にも一度、子供を作るために手放した。今度手放したら、もう二度と戻ってこられないだろう。
「ぼくは警察官になって……」
「わたしは美容師に……」
子供達の夢の数々が眩しい。
泣きたくなるような思いで聞いていたところ、とうとう陽太のいる列の順番が回ってきた。
(陽太……)
ここ一年でぐんと背が伸びた陽太。クラスでも高い方なので一番後ろの段にいる。
親の離婚にも転校にも引っ越しにも、何も興味がないかのように無言だった陽太。本当は言いたいこともあっただろう……
(陽太……ごめんね……)
陽太の「プロ野球選手になる」って夢に一歩でも近づけるように、お母さん頑張るよ。これからは二人で生きていこうね。
そんなことを思いながら、まっすぐ陽太を見上げる。
陽太は緊張した面持ちで、視線を天井あたりに向けたまま………順番を迎えた。
野球チームで鍛えている大声が、体育館中に響き渡る。
「ぼくは、プロ野球選手になって……っ」
意思のこもった瞳が、告げた。
「お母さんに、特集記事を書いてもらいます!」
……………………え?
そのセリフが脳に行き渡るまで、少し時間がかかった。
陽太、今……
ステージにいる陽太は、真剣な表情のまま天井を見続けている。
(お母さんに特集記事を………?)
うそ。そんなこと思ってくれてたなんて………。
全員の夢の発表の後、再びはじまった歌が流れてきても、私の頭の中には陽太の言った言葉がこだまし続けていた。
***
「鈴木?」
「!」
溝部に声をかけられ、はっと我に返った。いつの間に式は終わり、子供達がステージや椅子の片付けをはじめている。
「どうした? 大丈夫か?」
「あ……うん」
「とりあえず出ようぜ? 片付けの邪魔になる」
促され立ち上がる。並んで歩きながら、溝部に問いかけた。
「ねえ……もしかして、知ってた? 陽太が何を言うか」
「いや? 知らなかったけど……、でも、予想通りじゃね?」
「野球選手の方はね。でも……」
「その後も予想通りじゃん。前、言ってたし」
「は!?」
言ってた!? そんなの知らない……
「聞いたことない……」
「そうなのか? あいつさんざん自慢してたぞ? お母さんは夢を叶えてるって。だから自分は記事書いてもらえるって」
「…………」
「で、それに比べて溝部はかわいそうだなって、さんざんオレのことディスってたけど?」
「…………」
溝部の夢………『息子と全力でキャッチボール』……。ぼんやりと卒業アルバムの文字を思い出す。
「スリッパ、サンキュー」
「あ…………うん」
体育館の出口でスリッパを渡され、しまいながら歩き……立ち止まった。
「溝部………どうしよう。私……」
「ん?」
振り返った溝部に、思わず本音がこぼれる。
「私………仕事は今期いっぱいって思ってたの。就職活動はじめないとって……」
それなのに、陽太にあんなこと言われたら……
子供達のはしゃいだ声がBGMのように流れている中、溝部が首をかしげた。
「なんでやめるんだよ?」
「だから、前にも言ったでしょ? お金が……」
「それ、オレも前に言っただろ?」
優しい、と言えるような落ち着いた声。
「オレと結婚すれば問題解決するぞ?」
「…………っ」
前に言われた時と違って、心がぐらついてしまった自分に驚く。
でも、違う。それは、違う。とすぐに否定する。
そんなことで結婚するなんて、間違ってる。
私は溝部のこと、好きでもなんでもない。ただ、遠慮なくなんでも言えるから一緒にいると楽で、楽しくて、ただ、都合が良いだけで……
「で、悪い」
「え?」
溝部にヒラヒラと手を振られ、再び我に返った。溝部は片手を「ごめん」の形にすると、
「一気に口説き落としたいところなんだけど、42分の電車に乗んねーと会議に間に合わねえんだよ」
「え、あ! ごめん!」
そうだった。溝部、会社を抜け出してくれてたんだった。
「ビデオ重いでしょ? 預かろうか?」
「お、さすが。気がきく」
溝部はにっと笑うと、カバンから長細い袋だけ取り出した。
「3脚だけ頼んでいいか? 暇見つけて編集したいから、ビデオは持って帰る」
「ん……ありがと」
「期待して待っとけ」
じゃあな、と軽く手をあげると、早歩きで門に向かっていってしまった。
その背中を見送りながら、額を押さえてしまう。
ホントに何なんだろう、あいつ……。断っても、冷たくしても、全然マイペースで……。こうして都合が良いときだけ呼び出したことにも、文句も言わないで……
でも、私の結婚は、陽太との関係も絡んでくる。だから、再婚なんてとても考えられない。陽太と溝部は今は友達みたいに仲良しだけど、でも……
なんてありもしない結婚話に想像がいきそうになった、その時だった。
「溝部ーーー!!!」
体育館の扉から聞こえてきた大声にビックリして振り返ると、陽太と、あと数人の男の子が扉のところに立って、叫んでいた。
(な…………なに?)
溝部も気がついたようで、体育館の方を振り返っている。まだ残っていた保護者の方々も「なになに?」と注目している、そんな中……
「オレ、溝部の夢、叶えてやってもいいぞーーー!」
「!」
バカでかい陽太の声に目を剥いた。陽太は楽しげに叫び続けている。
「オレが息子になって、キャッチボールしてやるーーー!」
む、息子って………っ
「だから頑張って、お母さんに好きになってもらえーーー!!」
「好………っ」
何を言って………っ
「お母さんと結婚しろーー!」
「…………っ」
自分でも顔面蒼白になったのがわかった。
でも、陽太とその友達の男の子達は、「頑張れー!」「結婚しろー!」と騒いでいて、先生が慌ててみんなを止めにきて………
「わーなになに? 鈴木さん、再婚するの!?」
「あの人あの人!?」
「え、いや、その……っ」
野球チームのママ達と同じクラスのママ達に取り囲まれる中、溝部は大きく拳を振り上げてから、走って門から出ていってしまい…………
(陽太ーーー!!)
さっきまでの、陽太に対する感動とか、謝罪の気持ちとか、全部ぶっ飛んだ。
この状況、どうしてくれるんだー!!
------------------
お読みくださりありがとうございました!
本当は、2月8日当日に書きたかった「溝部の夢、叶えてやってもいいぞーーー!」。やっと書けて満足です(*^-^)
陽太君がそう言ったことにはキッカケがあるのですが、それはまた今度の話で。
続きまして今日のオマケ☆
-------------------
☆今日のオマケ・慶視点
2月12日日曜日。
浩介と溝部と一緒に、高校の同級生の山崎の引っ越し祝いにいった。
山崎が、おれと同じ職場の戸田菜美子先生と結婚してから4か月。結婚式をしてからは2か月。はじめは山崎の1人暮らしのマンションに一緒に住もうとしたけれど、やはり手狭すぎて荷物が入りきらない……ということで、お互いの部屋をいったりきたりしながら新居を探していて、ようやく二人の納得いく家が見つかった、ということだ。
「でも、将来的には戸建てかな……とは思ってるんだよね」
「テラスハウスを選んだのは、その予行練習ってことか?」
溝部が興味深々に山崎に問いかけている。家に入る前も、このテラスハウスの造りに妙に関心を持っていた溝部……
「いや、そういうわけではないんだけど……」
「じゃあどうして?」
「ここらへん、駅近の賃貸ってワンルームが多くて………って、何でそんな食いついてるわけ?」
「え!?」
溝部は分かりやすく動揺して「いやいやいや……」なんて言っている。なんだその、ツッコンでください、と言いたげな態度は……
「何? 鈴木となんか進展でもあった?」
「あーいや、まあ………」
気の優しい山崎のツッコミに、溝部はニヤニヤしながら、
「鈴木とは進展ないんだけどな」
「ないのかよっ」
「いやー、鈴木とはないんだけど、陽太からは全面的に応援の言葉をもらえてさっ」
溝部のニヤニヤは止まらない。なんでも、「息子になってやる」「お母さんと結婚しろ」と言われたそうで……
「昨日の夜、久しぶりに陽太と通信したんだけどさー」
「通信?」
「ああ、ゲーム。最近忙しくて全然できてなかったから、ホント久しぶりにな」
思いだし笑いをしている溝部……気味が悪い……
「そしたらさー、陽太が、バレンタイン、チョコあげるように言っておくって、言ってくれてさー!」
パンっと手を打った溝部。
「これオレきたよな!? 今年のバレンタインは、人生を左右する超大事な日になるよな!?な!?」
「………………」
「………………」
「………………」
な、と言われても………。おれは思わず黙ってしまったのだけれども……
「うん……そうだね。きっと」
またしても、優しい山崎がうなずいてあげ、溝部が「だよな!だよな!」と調子にのり……、そこにエプロン姿の戸田先生が顔をだした。
「ご飯、運んでもいいですか?」
「あ、ごめん、菜美子さん、やらせっぱなしで……」
慌てて山崎が立ち上がり、戸田先生のところにいくと、溝部がますますはしゃいだ声をあげはじめた。
「うわーー!!山崎、いつの間に名前呼び!? 菜美子さんとか言ってる!」
「そりゃ夫婦なんだから……」
「でもこないだまで、戸田さんって言ってたじゃん! ねえねえ、菜美子ちゃんは山崎のことなんて呼んでんの!?」
わあわあ言いながら溝部もキッチンに行ってしまい……
「たく、しょうがねえなあ………、?」
二人に絡んでいる溝部の声に苦笑しながら、浩介を振り返ったのだけれども……
「浩介?」
「…………え?」
「…………」
なんだ? なんか浩介、今日様子がおかしいんだよな………
「どうかしたのか?」
「あ、ううん。なんでもない」
「…………?」
浩介はちょっと笑って首を振ると、
「名前で呼ぶのって特別な感じがしていいよね」
「あ? ああ……そうだな」
「ねえ……慶」
ふっと真面目な瞳をした浩介。
「慶のこと名前呼びつけで呼んでるのって、まだ、おれだけ?」
「え?」
「あ、海外では名前呼びだったから、日本人でって意味なんだけど……」
「?」
なんだ? 何をいまさら……
「?? あとは親と姉貴……だけだけど?」
「そう……」
浩介が安心したようにうなずいたのと同時に、溝部がまたわあわあ言いながら戻ってきた。
「やっぱり名前で呼ぶと俄然親密度が上がった感じするよな? オレも鈴木のこと名前で呼ぼうかな~」
「速攻で殴られる気がするけど……」
「いい。殴られてもいい。親密度上げるためならいくらでも殴られるっ」
「…………」
溝部、なんか変な方向に進もうとしてる……
「卓也さん、これも」
「あ、うん」
キッチンから聞こえてくる山崎と戸田先生の会話に心が温かくなってくる。
「まあ……親密度は上がるよな」
「だよな~だよな~」
溝部は一人「有希……有希。うーん……有希?」とニヤニヤしながら練習をはじめ……
「慶」
「あ?」
テーブルの下で浩介の膝がコツンとおれの膝にあたってきた。
「慶」
「うん」
「慶……」
「………」
ああ、いいな。お前に名前を呼ばれると、すごく幸せな気持ちになる。
「浩介?」
「……うん」
「浩介」
「うん」
そして、お前の名前を呼ぶと、愛しい気持ちがますます増えてくる。
見つめ合い、テーブルの下でそっと手を触れあ……
「……って、お前ら人前でイチャイチャすんなーーーー!!!」
溝部の怒鳴り声にハッと我にかえった。
「あ、ごめん」
「存在忘れてた」
「なんだとーーー!!」
溝部に怒られ、笑いだしてしまった。続きは帰ってからにしよう。
-------------------------------
お読みくださりありがとうございました!
浩介さんの様子がおかしい理由はこれ→→「秘密のショコラ(前編)」。
二人でお出かけした日曜日の朝、の行先は山崎新居なのでした。朝から出て、引っ越し祝い買って、お昼前に到着、でした。
毎週火曜日と金曜日の朝7時21分頃に更新する予定です。
次回は4月21日金曜日、どうぞよろしくお願いいたします!
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「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「現実的な話をします」目次 → こちら
二分の一成人式……
もう10歳。半成人。あと2か月で高学年になる、という自覚からか、司会も生徒たちでしていたけれど、感心するほど、皆、しっかりしていた。
運動チームの陽太は、8段の跳び箱も軽々と飛んでいた。8段に挑戦した子は3人しかいなかったので、学年でもトップクラスの『運動が出来る子』の部類に入るのだろう。その後のマット運動でも、バク転を披露して歓声と拍手を浴びていた。
(これは、見にきてほしいっていうわけだ……)
バク転が出来ることは知っていたけれど、こんなに綺麗にきまったところは見たことがなかった。拍手を浴びて得意そうにしている息子の姿は、胸を打つものがあり………
(……ちゃんと撮れたかな?)
後ろを振り返ってみたら、椅子の上に立ってビデオを撮っている溝部の姿が目に入った。跳び箱もマットも舞台上ではなく、舞台前のスペースで行われたので、三脚では高さ的に観客が邪魔になって撮れなかったらしい。他にも何人か椅子の上に立っている人達がいる。
(わ……大変だったな……)
一人で来ていたら、ビデオをまわすことに必死で、こんな風に肉眼でみて感動する、ということができなかったかもしれない。
(来てもらって良かった……)
今回初めて、純粋にそう思えた。自分でも現金だという自覚はある……
プログラムの最後は、『10歳の誓い』と全体合唱。
合唱の隊形に並んだ子供達が、私達世代にとって懐かしい曲を2曲歌ってくれたあと、ピアノの生演奏にのせて、一人ずつ、将来の夢を発表しはじめた。
「わたしは、ケーキ屋さんになって、みんなが喜んでくれるケーキを作ります!」
「ぼくは、サッカー選手になって、ヨーロッパで活躍します!」
「わたしは、ピアニストになって、世界中の人たちを感動させます!」
頬を紅潮させながら発表していく子供達。
みんな、具体的にどうしたい、と言うことになっているらしい。「プロ野球選手になります」と言うと言っていた陽太。大丈夫かな……
「ぼくは、本屋さんになって、みんなに本の面白さを伝えます!」
(……ああ、そうだったな……)
1人の男の子の言葉に、自分が10歳の時のことを思い出す。
私も10歳の時は、本屋さんになりたかった。それが、中学高校と進む中で「雑誌を作る人になりたい」に変化したのは、バレーボールの雑誌を買って読むようになったからかもしれない。高校の卒業文集には「雑誌記者になりたい」と書いている。いつかスポーツ専門誌で書きたい、という目標はありつつも、充分に夢を叶えた、と言っていい将来を得た。でも……
『今の仕事続けるのは厳しいんじゃない?』
つい先日、母にあらためて言われた言葉が頭の中をよぎる。
『これから子供はどんどんお金かかるよ。5年生だと、塾に行く子も多いでしょ?』
『引っ越しもしないといけないし……学校に提出する書類のこと考えたら、春休みに引っ越すのが一番じゃない?』
分かってる。分かってる……
実家を出たら、家賃が発生する。
養育費の減額も受け入れなくてはならない。
(夢は、もう………)
好きな仕事をして食べていける人なんて、ほんの一握りだ。私は今まで運が良かった。
(幸せだったな……)
初めて自分の書いた記事が紙面に載った時の感動。取材先のおばあちゃん達の笑顔……
でも、すべてを手に入れるなんて、無理な話なんだ。前にも一度、子供を作るために手放した。今度手放したら、もう二度と戻ってこられないだろう。
「ぼくは警察官になって……」
「わたしは美容師に……」
子供達の夢の数々が眩しい。
泣きたくなるような思いで聞いていたところ、とうとう陽太のいる列の順番が回ってきた。
(陽太……)
ここ一年でぐんと背が伸びた陽太。クラスでも高い方なので一番後ろの段にいる。
親の離婚にも転校にも引っ越しにも、何も興味がないかのように無言だった陽太。本当は言いたいこともあっただろう……
(陽太……ごめんね……)
陽太の「プロ野球選手になる」って夢に一歩でも近づけるように、お母さん頑張るよ。これからは二人で生きていこうね。
そんなことを思いながら、まっすぐ陽太を見上げる。
陽太は緊張した面持ちで、視線を天井あたりに向けたまま………順番を迎えた。
野球チームで鍛えている大声が、体育館中に響き渡る。
「ぼくは、プロ野球選手になって……っ」
意思のこもった瞳が、告げた。
「お母さんに、特集記事を書いてもらいます!」
……………………え?
そのセリフが脳に行き渡るまで、少し時間がかかった。
陽太、今……
ステージにいる陽太は、真剣な表情のまま天井を見続けている。
(お母さんに特集記事を………?)
うそ。そんなこと思ってくれてたなんて………。
全員の夢の発表の後、再びはじまった歌が流れてきても、私の頭の中には陽太の言った言葉がこだまし続けていた。
***
「鈴木?」
「!」
溝部に声をかけられ、はっと我に返った。いつの間に式は終わり、子供達がステージや椅子の片付けをはじめている。
「どうした? 大丈夫か?」
「あ……うん」
「とりあえず出ようぜ? 片付けの邪魔になる」
促され立ち上がる。並んで歩きながら、溝部に問いかけた。
「ねえ……もしかして、知ってた? 陽太が何を言うか」
「いや? 知らなかったけど……、でも、予想通りじゃね?」
「野球選手の方はね。でも……」
「その後も予想通りじゃん。前、言ってたし」
「は!?」
言ってた!? そんなの知らない……
「聞いたことない……」
「そうなのか? あいつさんざん自慢してたぞ? お母さんは夢を叶えてるって。だから自分は記事書いてもらえるって」
「…………」
「で、それに比べて溝部はかわいそうだなって、さんざんオレのことディスってたけど?」
「…………」
溝部の夢………『息子と全力でキャッチボール』……。ぼんやりと卒業アルバムの文字を思い出す。
「スリッパ、サンキュー」
「あ…………うん」
体育館の出口でスリッパを渡され、しまいながら歩き……立ち止まった。
「溝部………どうしよう。私……」
「ん?」
振り返った溝部に、思わず本音がこぼれる。
「私………仕事は今期いっぱいって思ってたの。就職活動はじめないとって……」
それなのに、陽太にあんなこと言われたら……
子供達のはしゃいだ声がBGMのように流れている中、溝部が首をかしげた。
「なんでやめるんだよ?」
「だから、前にも言ったでしょ? お金が……」
「それ、オレも前に言っただろ?」
優しい、と言えるような落ち着いた声。
「オレと結婚すれば問題解決するぞ?」
「…………っ」
前に言われた時と違って、心がぐらついてしまった自分に驚く。
でも、違う。それは、違う。とすぐに否定する。
そんなことで結婚するなんて、間違ってる。
私は溝部のこと、好きでもなんでもない。ただ、遠慮なくなんでも言えるから一緒にいると楽で、楽しくて、ただ、都合が良いだけで……
「で、悪い」
「え?」
溝部にヒラヒラと手を振られ、再び我に返った。溝部は片手を「ごめん」の形にすると、
「一気に口説き落としたいところなんだけど、42分の電車に乗んねーと会議に間に合わねえんだよ」
「え、あ! ごめん!」
そうだった。溝部、会社を抜け出してくれてたんだった。
「ビデオ重いでしょ? 預かろうか?」
「お、さすが。気がきく」
溝部はにっと笑うと、カバンから長細い袋だけ取り出した。
「3脚だけ頼んでいいか? 暇見つけて編集したいから、ビデオは持って帰る」
「ん……ありがと」
「期待して待っとけ」
じゃあな、と軽く手をあげると、早歩きで門に向かっていってしまった。
その背中を見送りながら、額を押さえてしまう。
ホントに何なんだろう、あいつ……。断っても、冷たくしても、全然マイペースで……。こうして都合が良いときだけ呼び出したことにも、文句も言わないで……
でも、私の結婚は、陽太との関係も絡んでくる。だから、再婚なんてとても考えられない。陽太と溝部は今は友達みたいに仲良しだけど、でも……
なんてありもしない結婚話に想像がいきそうになった、その時だった。
「溝部ーーー!!!」
体育館の扉から聞こえてきた大声にビックリして振り返ると、陽太と、あと数人の男の子が扉のところに立って、叫んでいた。
(な…………なに?)
溝部も気がついたようで、体育館の方を振り返っている。まだ残っていた保護者の方々も「なになに?」と注目している、そんな中……
「オレ、溝部の夢、叶えてやってもいいぞーーー!」
「!」
バカでかい陽太の声に目を剥いた。陽太は楽しげに叫び続けている。
「オレが息子になって、キャッチボールしてやるーーー!」
む、息子って………っ
「だから頑張って、お母さんに好きになってもらえーーー!!」
「好………っ」
何を言って………っ
「お母さんと結婚しろーー!」
「…………っ」
自分でも顔面蒼白になったのがわかった。
でも、陽太とその友達の男の子達は、「頑張れー!」「結婚しろー!」と騒いでいて、先生が慌ててみんなを止めにきて………
「わーなになに? 鈴木さん、再婚するの!?」
「あの人あの人!?」
「え、いや、その……っ」
野球チームのママ達と同じクラスのママ達に取り囲まれる中、溝部は大きく拳を振り上げてから、走って門から出ていってしまい…………
(陽太ーーー!!)
さっきまでの、陽太に対する感動とか、謝罪の気持ちとか、全部ぶっ飛んだ。
この状況、どうしてくれるんだー!!
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お読みくださりありがとうございました!
本当は、2月8日当日に書きたかった「溝部の夢、叶えてやってもいいぞーーー!」。やっと書けて満足です(*^-^)
陽太君がそう言ったことにはキッカケがあるのですが、それはまた今度の話で。
続きまして今日のオマケ☆
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☆今日のオマケ・慶視点
2月12日日曜日。
浩介と溝部と一緒に、高校の同級生の山崎の引っ越し祝いにいった。
山崎が、おれと同じ職場の戸田菜美子先生と結婚してから4か月。結婚式をしてからは2か月。はじめは山崎の1人暮らしのマンションに一緒に住もうとしたけれど、やはり手狭すぎて荷物が入りきらない……ということで、お互いの部屋をいったりきたりしながら新居を探していて、ようやく二人の納得いく家が見つかった、ということだ。
「でも、将来的には戸建てかな……とは思ってるんだよね」
「テラスハウスを選んだのは、その予行練習ってことか?」
溝部が興味深々に山崎に問いかけている。家に入る前も、このテラスハウスの造りに妙に関心を持っていた溝部……
「いや、そういうわけではないんだけど……」
「じゃあどうして?」
「ここらへん、駅近の賃貸ってワンルームが多くて………って、何でそんな食いついてるわけ?」
「え!?」
溝部は分かりやすく動揺して「いやいやいや……」なんて言っている。なんだその、ツッコンでください、と言いたげな態度は……
「何? 鈴木となんか進展でもあった?」
「あーいや、まあ………」
気の優しい山崎のツッコミに、溝部はニヤニヤしながら、
「鈴木とは進展ないんだけどな」
「ないのかよっ」
「いやー、鈴木とはないんだけど、陽太からは全面的に応援の言葉をもらえてさっ」
溝部のニヤニヤは止まらない。なんでも、「息子になってやる」「お母さんと結婚しろ」と言われたそうで……
「昨日の夜、久しぶりに陽太と通信したんだけどさー」
「通信?」
「ああ、ゲーム。最近忙しくて全然できてなかったから、ホント久しぶりにな」
思いだし笑いをしている溝部……気味が悪い……
「そしたらさー、陽太が、バレンタイン、チョコあげるように言っておくって、言ってくれてさー!」
パンっと手を打った溝部。
「これオレきたよな!? 今年のバレンタインは、人生を左右する超大事な日になるよな!?な!?」
「………………」
「………………」
「………………」
な、と言われても………。おれは思わず黙ってしまったのだけれども……
「うん……そうだね。きっと」
またしても、優しい山崎がうなずいてあげ、溝部が「だよな!だよな!」と調子にのり……、そこにエプロン姿の戸田先生が顔をだした。
「ご飯、運んでもいいですか?」
「あ、ごめん、菜美子さん、やらせっぱなしで……」
慌てて山崎が立ち上がり、戸田先生のところにいくと、溝部がますますはしゃいだ声をあげはじめた。
「うわーー!!山崎、いつの間に名前呼び!? 菜美子さんとか言ってる!」
「そりゃ夫婦なんだから……」
「でもこないだまで、戸田さんって言ってたじゃん! ねえねえ、菜美子ちゃんは山崎のことなんて呼んでんの!?」
わあわあ言いながら溝部もキッチンに行ってしまい……
「たく、しょうがねえなあ………、?」
二人に絡んでいる溝部の声に苦笑しながら、浩介を振り返ったのだけれども……
「浩介?」
「…………え?」
「…………」
なんだ? なんか浩介、今日様子がおかしいんだよな………
「どうかしたのか?」
「あ、ううん。なんでもない」
「…………?」
浩介はちょっと笑って首を振ると、
「名前で呼ぶのって特別な感じがしていいよね」
「あ? ああ……そうだな」
「ねえ……慶」
ふっと真面目な瞳をした浩介。
「慶のこと名前呼びつけで呼んでるのって、まだ、おれだけ?」
「え?」
「あ、海外では名前呼びだったから、日本人でって意味なんだけど……」
「?」
なんだ? 何をいまさら……
「?? あとは親と姉貴……だけだけど?」
「そう……」
浩介が安心したようにうなずいたのと同時に、溝部がまたわあわあ言いながら戻ってきた。
「やっぱり名前で呼ぶと俄然親密度が上がった感じするよな? オレも鈴木のこと名前で呼ぼうかな~」
「速攻で殴られる気がするけど……」
「いい。殴られてもいい。親密度上げるためならいくらでも殴られるっ」
「…………」
溝部、なんか変な方向に進もうとしてる……
「卓也さん、これも」
「あ、うん」
キッチンから聞こえてくる山崎と戸田先生の会話に心が温かくなってくる。
「まあ……親密度は上がるよな」
「だよな~だよな~」
溝部は一人「有希……有希。うーん……有希?」とニヤニヤしながら練習をはじめ……
「慶」
「あ?」
テーブルの下で浩介の膝がコツンとおれの膝にあたってきた。
「慶」
「うん」
「慶……」
「………」
ああ、いいな。お前に名前を呼ばれると、すごく幸せな気持ちになる。
「浩介?」
「……うん」
「浩介」
「うん」
そして、お前の名前を呼ぶと、愛しい気持ちがますます増えてくる。
見つめ合い、テーブルの下でそっと手を触れあ……
「……って、お前ら人前でイチャイチャすんなーーーー!!!」
溝部の怒鳴り声にハッと我にかえった。
「あ、ごめん」
「存在忘れてた」
「なんだとーーー!!」
溝部に怒られ、笑いだしてしまった。続きは帰ってからにしよう。
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お読みくださりありがとうございました!
浩介さんの様子がおかしい理由はこれ→→「秘密のショコラ(前編)」。
二人でお出かけした日曜日の朝、の行先は山崎新居なのでした。朝から出て、引っ越し祝い買って、お昼前に到着、でした。
毎週火曜日と金曜日の朝7時21分頃に更新する予定です。
次回は4月21日金曜日、どうぞよろしくお願いいたします!
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