【真木視点】
「本当にいいの?」
と、二人きりの夕食の席で母に聞かれた。お見合いの話だ。もう何度目かの確認なので、またか、と思いつつ、「大丈夫だよ」と答えたところ、
「でも……『チヒロ』さんは、大丈夫?」
「!!」
母からの思わぬ言葉に、息が止まるかと思った。何かを飲んだり食べたりしている最中でなかったことが幸いした。止まりつつも、すぐに吹き返して、母を見つめ返す。と、母は申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめんなさいね。あなたの携帯に電話があった時に、画面に書いてあった名前見ちゃって……」
「………」
「しょっちゅう電話あるわよね?彼女じゃないの?」
「………」
ああ、そういうことか……。「チヒロ」は女性名でも男性名でもある。
母は、慌てたように言葉を並べた。
「修司もね、英明が毎週のように東京に行ってるのは、彼女がいるからなんじゃないかって言ってたの。それなのにお見合いするなんて……」
「…………」
「まさか、東京と大阪で離れてるからって、結婚することを隠してチヒロさんとも関係を続けようとしてる、なんてことはない……わよね?」
「………。大丈夫だよ」
にっこりと、笑顔を作ってみせる。
「ちょっと仕事の相談に乗ってるだけで……それも3月いっぱいで終わりだから。4月になったらもう会わないよ」
「そう……なの?」
「うん」
ごちそうさま、と声をかけて、食器を持って台所に移動する。背中に「本当に大丈夫なの?」と声をかけられ、再び、にっこりと、する。
「大丈夫だよ」
初めから、決めていたことだ。だから、3月末までは、チヒロとは『恋人』でいる。
***
「俺の恋人になる? 期間限定だけど」
そう提案したのは、バレンタインから一週間後のことだった。
チヒロと一緒にいると、自分の気持ちが分からなくなることが多い。
チヒロの気持ちも、よく分からなかった。
俺に対して性的な欲求はないらしく、以前2度ほど「そういう」雰囲気に持っていった際にも、まったく乗ってこなかった。でも、好かれている、とは思う。だから余計に、チヒロのその感情はなんなのだろう?と不思議でたまらない。
でも、それでいいのかな、と思っていた。このあやふやな感じが、癒しに繋がっているのかもしれない。
そもそも、俺はチヒロのことはタイプではないので、抱く気にもならない。
そう、思っていたのに……
『今晩、3人でしようよ。前できなかったしさ』
『ね? いいでしょ? チヒロ。ね?ね?ね? 僕、チヒロともしたい!』
という、チヒロの友人コータからの誘いに、『僕はいいけど……』と、チヒロがコクリと肯いたのを見て、驚くほど不快になった。
『俺も構わないよ』
と、すかさず肯いてしまったのは、コータに対する対抗心より、チヒロに対して見せつけてやるという気持ちが大きかったからだ。
(目の前で、俺が他の男を抱いても、そのビー玉みたいな瞳は、透明なままなのか?)
そんな意地悪な気持ちと、それでもチヒロが何も思わなかったら……、という不安みたいな気持ちが胸の中を渦巻いていた。
そんなゴチャゴチャな気持ちのまま、コータだけを抱こうとしたのだけれども……
チヒロの大きな瞳からポロポロと零れていく涙に、目を奪われた。
『僕以外の人をさわってほしくない。僕以外の人にさわらせたくない』
そう言ったチヒロの言葉に驚いて息をするのも忘れた。チヒロのいつもは何も写していない瞳に、情熱が灯っている……。
このまま、あやふやな関係のまま、終わりをつげてもいい、と思っていたのに。
すごく会いたくなる相手は俺一人だと言いきられて……
『真木さんにはいつもすごく会いたいです』
そう、当然のように言ったチヒロを、抱きたい、と思ってしまった。だから、
『俺の恋人になる?』
と、提案した。……でも、結局いまだに抱いていない。
「………2日、だな」
チヒロからの最後の電話から、丸2日経つ。『恋人になる?』からは一週間だ。
それまでは毎日電話やメールがあったというのに……何かあったのだろうか?
(………。こっちからかける?)
とも思うのに、どうもかける気になれない。
(この俺が電話をかけてやるほどの子か?)
全然タイプじゃないのに。
そんな変なプライドみたいなものが、邪魔をしている。
(チヒロが慶だったらいいのに)
そんな変なことも思う。
慶は、俺の恋人として、本当に申し分のない子なのだ。天使のような美貌と完璧な肢体。輝くオーラ。溢れ出る情熱。あの子ほど俺に似合う子はいない。
(チヒロが慶だったら、何の躊躇もなくこちらから連絡するのに……)
そんなありもしないことを思いながら、携帯を眺める。夜11時半だ。
以前、チヒロに「いつでも電話していい」と言ったところ、本当に「いつでも」かけてくるようになってしまったため、「急ぎの時以外は夜11時以降」と約束させたのだ。あの子は素直なので言葉を額面通りに受け取ってしまう。空気を読む、とかそういうことはない。嘘が一切ない。嘘ばかりの俺とは大違いだ。
(俺は嘘つきだからな……)
家族の誰も気が付かない。嘘ばかりの人間。
『なんで小児科希望なの? 子供好きだっけ?』
『うん、昔から小児科医に憧れてた』
昔、配属の希望を聞かれ、平気でそんなことを言っていた。本当の理由なんて誰にも言えない。
理由はただ一つ。ゲイ仲間に医者と患者という立場で会わないためだ。
成人男性患者のこない科といったら、産婦人科か小児科。この二つの科には、成人男性は付き添いでしかこない。ただ、それだけの理由だった。
ゲイ仲間には素性を明かしていない。それはひたすらに、家族に知られないためだ。
俺の家族は、みな優しくて、いい人達で、たくさんの愛をくれて。俺はそんな彼らが大好きで。
そんな家族の中で異端であることに耐えられず、中学を卒業してからは、一人でアメリカの高校に行かせてもらった。あのままずっとあちらに住めたらどんなに自由だっただろう……
4月には、本格的に結婚について動くことになる。それが家族の望みだ。息がつまるほど幸せな俺の家族……
ああ……また、暗闇に堕ちていく。
(チヒロ……)
チヒロに会いたい。あの子に淡々と体をさすっていてもらいたい。あの子を抱きしめて眠りたい。
(電話……しようか)
でも……
なんて、躊躇をしていた、その時。テーブルに置いた携帯が振動した。
(チヒロ?!)
さっと携帯を取り上げて、画面の表示を見て、
(……………なんだ)
ガッカリ、した。
「…………」
……………。
……………。
………………え?
ガッカリした自分に驚いた。
「何、ガッカリしてるんだ俺……」
画面の表示の名前は……
『渋谷慶』
そう。あの、慶だ。俺の愛しの天使。完璧な慶。
俺……何を考えてる?
せっかくの慶からの電話なのに、チヒロでなかったことに「ガッカリ」するなんて。
なんだそれは。なんなんだ……
ああ、本当に、自分の気持ちが分からない……
そう思いながら携帯を手にして、その振動を感じていたら…………笑いだしてしまった。
俺は滑稽だな。
「…………分かってるよ」
どう打ち消そうと、どう言い訳しようと、もう誤魔化せない。いい加減、認めなくてはならない。
待っていたのは、チヒロの電話。今、会いたくてたまらないのはチヒロ。
俺は、チヒロのことが『好き』なのだろう。
***
慶からの電話を切ったあと(当然のように慶からの電話は仕事の件だった。あいかわらず真面目な好青年だ)、チヒロに電話してみた。しかし、電波が届かない場所にいるか電源が入っていない、との無情な機械音声が……
(何かあったのだろうか……)
姉のアユミに聞いてみようか、とも思ったけれど、やめた。丸2日連絡が来ないだけで何を言ってるんだ、と自分でも思うからだ。
とりあえず「このメールを見たら何時でもいいからすぐに電話して」とだけ打って、ソファに沈んだ。
耳が痛くなるほど静かな中にいるせいか、嫌な思いが頭の中をグルグルと回ってきてしまう。
(まさか………)
誰か他の男と一緒にいるのだろうか……
あの子は少しズレているので、貞操観念もおかしなことになっていそうだ。
(………きちんと約束するべきだったな)
今は俺が『恋人』なのだから、他の男とは仕事以外で関わるな。
(………そんなこと言ったら、あの子はどうするだろう?)
なぜ?という顔をしながらも、「分かりました」とうなずきそうだ。でも、この独占欲を嫌がるだろうか?
(………。嫌がっても、約束させるだけだけどな)
今度会ったら……今度会ったら………
そんなことを考えながら、夢と現実を行ったり来たりしていたのだけれども………
チヒロからの電話で目か覚めた。朝6時前だ……。
『急なお仕事で長野に行っていて、今、深夜バスで帰ってきました』
いつものように淡々と言うチヒロに、全身の力が抜けてしまう。
仕事中は電源を切れ、バスの中では電源を切れ、という言いつけを守って、今の今まで、ずっと電源を切っていたらしい……
「そういうときは、行く前に言って? 連絡もないし、携帯も繋がらないから心配したよ」
『…………』
…………。
キョトンとしているチヒロの顔が見えるようだ……
『何かご用でしたか?』
「……………」
この子は、俺の気持ちを考えたことがあるのだろうか。………ないんだろうな。
「……………。用はないよ。ただ会いたかっただけ」
若干、投げやりに言ってやる。と、間髪をいれず、
『僕も会いたかったです』
と、チヒロが言った。
………………。
………………。
その嘘のない言葉だけで充分だ。
………なんてことを思うなんて、俺も相当おかしくなっている。
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お読みくださりありがとうございました!
ようやく認めた真木さんの図、でした。
次回火曜日更新予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
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おかげで今日の分も何とか無事に書きおわりました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
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