【チヒロ視点】
僕の、アユミちゃんを大切に思う気持ちは、姉に対するものとしては行き過ぎている、と言われることがある。でも、真木さんは、
「チヒロ君の気持ち、何となく分かるよ」
と、言ってくれた。ふかふかのお布団の中で、腕枕をしてくれながら、頭を撫でてくれながら、優しく優しく言ってくれた。
「俺も、家族に対する依存度は普通の人より高いからね。転校ばかりで、家族が唯一って環境で育ったせいかなって自己分析はしてるんだけど」
「唯一………」
「チヒロ君も同じ感じなんじゃない?」
「………はい」
コックリと肯く。同じ、だと思う。
僕はお仕事で学校を休みがちで、友達もできなくて。だからアユミちゃんが唯一の友達だった。賢くて優しいアユミちゃんは、小さい頃からいつも、僕に勉強を教えてくれた。学校でイジワルしてくる子から守ってくれた。それなのに、僕はアユミちゃんの大好きなママを独り占めしていた。だから僕は、アユミちゃんの言うことは何でも聞かなくてはならない。
だから。
「チーちゃん、ママのお仕事手伝ってあげなよ」
アユミちゃんにそう言われたら、僕は肯くしかないんだ。
***
10年ぶりくらいに会ったママは、変わったような気もするし、全然変わっていないような気もした。
「チヒロ! 会いたかった!」
ぎゅうっと抱きついてこられて、匂いは変わったな、と思った。あと、背が低くなって(僕が高くなったのか)、ほんの少し太ったような気もする。
「萩原さんから聞いたわよ? 今月いっぱいで契約切れるんですってね? 久しぶりに連絡くれたから何かと思ったら、すごく謝られてね」
「…………」
萩原さん……事務所の社長さんのことだ。そういえばそんな苗字だった。
「でもね、ちょうど今、うちの店でスタッフ探しててね。チヒロなら可愛いし素直な良い子だから、花岡さんも絶対に気に入ると思うの」
「花岡さん?」
「そう。ママのお店の共同経営者よ」
「お店?」
「会員制バーでね、お客様はみんなお金持ちの素敵な方ばかりなの。チヒロ可愛いから、すぐに人気が出るわ。今日の夜、面接してもらいましょうね」
「……………」
10年ぶりだなんて思えないくらい、あの頃と同じように、僕の予定が勝手に決められていく。
でも、お仕事は、せっかく真木さんが考えてくれてるから断らないと。
「あの……僕、お仕事は……」
「いいじゃないの」
いいかけたところを、アユミちゃんに遮られた。
「チーちゃん、ママのお仕事手伝ってあげなよ。私も来月からはパパの歯科医院で働くし、ちょうどいいじゃない」
「でも」
「そうよねー?」
ママは鼻で笑う、みたいに笑って、アユミちゃんを見た。
「アユミ、本当に歯医者さんになるなんてね。相変わらず頭良いだけがウリなのね?」
「………頭良いだけじゃないし」
アユミちゃんはムッと口を尖らすと、
「これでも、キャバクラではそれなりに人気あったんだからね。辞めるときにはナンバー3だったし」
「へー。あんたがナンバー3って、ギャバ嬢3人しかいなかったの?」
「そんなわけないでしょっ」
こういう二人のやり取りを見るのも10年ぶり。だけど全然懐かしくない。つい昨日もこうしてたみたい………
「ホント、あんた変わってないわね。頭良いからって偉そうで生意気でホント可愛くない。顔だけはちょっと良くなったけど、その性格じゃ男も寄ってこないでしょ」
「何よっそっちこそ相変わらずケバ過ぎだよ。いくつだと思ってんの?」
アユミちゃん、目がキツネみたいになってる。
不思議なんだけど……アユミちゃんはこんな風にママと喧嘩するのに、本当はママのことが大好きだ。大好きなのに、どうしてこんな言い方するんだろう……
(………でも。とにかく、良かった)
ママは10年前に、僕がママに似てなくなったせいで、出ていってしまったので、ずっと、アユミちゃんに申し訳なく思ってきた。でも、これでアユミちゃんも喜んでくれる。
「さあ、チヒロ。行くわよ?」
「……………。はい」
ママの声にうなずく。本当は気が進まないけど……ここで行かないって言ったら、ママはまた出ていってしまうかもしれない。それはアユミちゃんが悲しむから。だから。
***
うちに帰ってきたのは、深夜2時を過ぎていた。
ママのお店は、そんなに大きくはないけれど、夜景の綺麗なお洒落なお店だった。共同経営者の花岡さんというオジサンもお洒落な髭のお洒落な人で、物腰の柔らかい親切な人だった。
「とりあえず、研修期間ってことで2週間働いてみて、本採用にするかどうかはそれから決めよう」
そう提案してくれたけど、他の従業員の人達は、男性も女性もみんなテキパキとしていて、僕なんかがいたら邪魔にしかならない気がする……と不安に思ってみていたら、
「心配しなくても、初めからあんなこと求めてないから大丈夫だよ」
と、笑われた。話しによると、初めのうちは、僕はただ、ニコニコと立っていればいい、らしい。………ホントかな。
自分の部屋に入ってからようやく携帯の電源を入れたら、真木さんからのメールが受信された。
『終わったら、何時になってもいいから電話して』
………。
もう2時過ぎてるけど、真木さん寝てないかな……。
心配になりながらも電話をしたところ、1回コールですぐに出てくれた真木さん。
「チヒロ君? 面接どうだった?」
優しい声に、ほうっと体の力が抜ける。知らず知らず、面接で緊張していたみたいだ。
「とりあえず研修期間ってことで2週間働くことになりました」
「そう。仕事内容は?」
「ええと……」
今日聞いてきたこと、見てきたことを何とか説明する。真木さんはいくつか質問を挟みながら熱心に聞いてくれて、最後には、「頑張ってね」と結んでくれた。結んでくれたのに、何だかモヤモヤするのはなんでだろう……
「真木さん……」
「何?」
「なんだか……モヤモヤします」
正直に言うと、真木さんは、ふっと息をついた。その息遣いを直接感じられないことがもどかしい。
真木さんは3分くらい黙ってから、ようやく言葉を発した。
「それはもしかしたら……」
「はい」
「また、お菓子の家に閉じ込められることになったからかもしれないね」
「え」
お菓子の家?
「チヒロ君、せっかくモデルの仕事を辞めて、自分の好きな仕事ができると思ったのに」
「…………」
好きな仕事……。ああ、そうだ。せっかく真木さんは、僕がしたいと思える仕事を考えてくれていたのに、それを無駄にしてしまった。
でも……でも、こうしないと、アユミちゃんが……。だから、だから……
「あの……僕、お仕事は何でもよくて」
「え?」
キョトンとした感じの声に繰り返す。
「僕、お仕事は何でもよくて、アロマテラピーもマッサージもお仕事にしなくても真木さんにできればそれでいいので僕は真木さんと一緒にいられればそれで」
「チヒロ君」
言葉を遮られた。
「それはもう、無理だよ」
「………え?」
スッと真木さんの温もりが引いた気がした。電話なのに、そんなことを感じた。
「無理って……」
「チヒロ君」
真木さん、冷たい声……
「俺、言ったよね? 恋人でいるのは3月末までだって。覚えてない?」
「それは覚えてます」
覚えてる。期間限定。そう、言われた。
「試用期間ってことですよね? 無理ってことは、僕、本採用してもらえないってことですか?」
「……………」
真木さん、黙ってしまった……。
本採用してもらえると思ってたのに。コータも大丈夫って言ってたのに。上手くいってるって思ってたのは勘違いだったのかな……。
先月、「恋人になる?」って真木さんが言ってくれた次の日、コータに「あれからどうなった?」と聞かれたので、
「3月末まで期間限定で恋人になる?って言われたんだけど、期間限定ってどういう意味だと思う?」
と、コータに聞いてみたら、コータは「それはさ!」と手を打って、
「試用期間ってことじゃないの? これでオッケーなら本採用っていう」
「そっか……だからエッチもしないのかな?」
「え?! まだしてないの?!」
なんだそれーとコータは驚きながらも、
「でも大丈夫だよ!絶対、本採用になるよ!」
と、断言してくれた。僕も、それ以来ずっと真木さんと仲良くしてたし、真木さんも「会いたかった」って言ってくれたりしたし、本採用してもらえるものだとばかり思ってたんだけど……
「あー……、チヒロ君」
「はい」
電話の向こうの真木さん、戸惑った声をしている。
真木さんは、また「あー……」と言ってから、ポツリと言った。
「試用期間じゃないよ」
「え」
違うの?
「じゃあ、どうして……」
「それは……」
真木さんは再びの少しの沈黙のあと、言葉を継いだ。
「………電話だと話しにくいから、今度そっちに行った時に話すよ」
「今度って」
それはいつですか?
聞くと、真木さんは大きくため息をついて、
「今度は今度。じゃあね」
「え……っ」
プツッと電話を切られてしまった。こんな切られ方したの初めてな気がする。
「真木さん……」
怒った? 怒ったのかな……
切られた携帯を握りしめる。
『いつでも、電話していいよ?』
以前そう言ってくれたけど……
もう、電話することはできなかった。
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お読みくださりありがとうございました!
鈍感チヒロでもさすがに気がついた不機嫌全開真木さんの図。
次回金曜日更新予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
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