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BL小説・風のゆくえには~グレーテ17

2018年06月05日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~ グレーテ

【チヒロ視点】


 モデル事務所の契約が3月末で切れる。
 今までは一年ずつ更新してくれていたのだけれども、今回は更新できないと言われた。

「私はずっといて欲しかったんだけどね……」

 小さい頃からお世話になっている社長さんが、苦いものでも食べたみたいな顔をして、メールが印刷された紙を見せてくれた。


〈今月の特集に出てるモデルのチヒロは、不特定多数の男性と関係を持ち、お金をもらっているような男です〉


「今月の特集って……」
「ほら、こないだ急遽、代役で長野の温泉に行ってもらったじゃない? その雑誌の編集部に送られてきたらしくて……」

 長野……。ああ、珍しくいつもみたいな通信販売とかヘアカタログとかじゃない、普通の雑誌のお仕事だった。

「ねえ、これ、本当なの?」
「………違います」

 それは違う、と即座に思う。
『もらっているような男』では、現在進行形になるから違う。これが『もらっていた男』なら合っている。確かに以前は、知らないお金持ちと関係を持って、お小遣いをもらっていた。でも、真木さんと知り合ってからは一度もしていない。
 ……ってことを、説明したほうがいいのかな?と迷って黙っていたら、社長さんが「そう……」と大きくため息をついた。

「でもね、これが嘘でも本当でも、こういうことを書かれちゃうってことが問題なの。うちもね、今後の取引のために、ケジメを付けなくちゃいけなくて」

 社長さんの視線が真っ直ぐにこちらを向いた。そして、強い口調で言った。

「分かってくれるわよね?」

 ………。

 ………。

 ………。

 なんかよく分からない。けど、更新してもらえない、ということは分かった。

「分かりました」

 コックリと肯くと、社長さんはホッとしたように肯いて、

「お母さんには私から連絡しておくから。本当のことはもちろん言わないから安心して?」
「え?」

 お母さん? お母さんって言った? 今?

「あの……」
「年齢が上がってお仕事もらうのが難しくなってきた、とでも言っておこうかしら。本当はそんなことないんだけどね。チヒロ君はどんな仕事でも文句言わずにやってくれるから、重宝してたし」
「……………」
「まあ、でも、もう24だものね? そろそろ安定した職についてもいいんじゃない? チヒロ君、顔いいんだから、ウェイターとか合いそうよ。どこか紹介しましょうか? それとも何かやりたいことある?」
「…………」

 この人は昔から、わーわー話すので、何を言ってるのか分からないことが多い。

「まだ24なんだから、これからなんにでもなれるわよ」
「…………」

 さっきは「もう24」で、今度は「まだ24」。どっちなんだろう?

「頑張ってね?」
「…………。はい」

 その後もなんか色々言っていたけど、何が言いたかったのか結局分からなかった。
 分かったことは、ただ一つ。あと2週間で、僕は無職になる、ということだけだ。


***


 次の日、いつものバーにいって、バーのママに無職になることを報告したところ、

「あら、大変ね。うちで働く?って言ってあげたいけど、今、手が足りてるから……ごめんなさいね」

と、眉を寄せて心配そうに言われた。

 このバーには、通いはじめて1年くらいになる。初めて来た時に、帰り際、

「また来てね?絶対よ?約束よ?嘘ついたら針千本飲ますわよ?」

 って、ママに念を押されて、次に行った時もそう言われて、その次も言われて、それで定期的に通うようになった。
 バーの名前は、アラビア語だかで書いてあって読めない。みんな「いつものバー」って呼んでるので、僕も「いつものバー」って呼んでる。

「………だから次のお仕事が決まるまであまりこられなくなります」
「そう……早く決まるといいわね」

 はい、と今日の分のカクテルをくれたママ。毎回、その日のラッキーカラーのカクテルを作ってくれる。今日はピンクらしい。

 端っこの立ちテーブルの前に移動して、そのピンクをちょっとずつ飲んでいたら、

「チーヒロ♪」
「!」

 急に後ろから肩を叩かれてビックリした。振り返ると、このバーでいつも一緒になる、シュンがニコニコしながら立っていた。

「今、ママと話してたの聞いちゃったよー。モデルの契約切られちゃったんだって? なんでー?」
「なんかよく分からないんだけどケジメだって社長は言ってた」
「なにそれ。変なのー」

 シュンがアハハって笑っていてちょっと安心する。

 シュンとは前に真木さんのことで喧嘩みたいになってから、ずっと険悪な感じだったので、こんな風に笑ってくれるのは久しぶりだ。

「そうだ、チヒロ」
 シュンがポン、と手を打った。

「良い仕事紹介してあげようか?」
 なぜかコソコソッとした感じに言ったシュン。

「知り合いの人がビデオ作ってて、その俳優さん探してるんだよ。チヒロは可愛いからオーディション絶対合格するよ!」
「オーディション?」

 それ、苦手だ。子供の頃、よく受けさせられたけど、審査員の人の前で上手に話すことができなくて、いつも母に怒られていた。

 そうシュンに言うと、

「大丈夫だよ。チヒロは顔が良いからそれだけで合格! 演技なんかできなくても、相手の人がどうとでもしてくれるって」
「相手の人?」
「え、あ」

 シュンは慌てたように口に手をあてて、「あの、監督さんとか? スタッフさんとか? そういう人?みたいな?」とか言っている。

(何だろう?)
 よく分からないなあ………と思っていたところで、

(あ!)
 フワッと良い匂いが漂ってきたので、思いきり振り返る。と、

「お待たせ」
 予想通り、軽く手を挙げてる真木さんがいた。

「真木さんっ」

 我慢できなくて、すぐに近くに寄っていって、腕のあたりクンクン鼻をこすりつける。……良い匂い。

「犬みたいだね」

 クスクス笑いながら頭を撫でてくれる真木さん。余計にフワフワ良い匂いが漂ってきて、嬉しくてしょうがない。

 真木さんがにこやかにシュンに問いかけた。

「シュン君、今、何の話してたの?」
「え、あの……」
「監督とか、スタッフとか……映画かなにかの話?」
「いえ、その………」
「違います」

 シュンがなぜか挙動不審になっているので代わりに答えてあげる。

「シュンは今、僕にお仕事を紹介してくれようとしていてそれはビデオに出演する俳優のお仕事でオーディションがあるけど演技できなくても大丈夫って」
「………ふーん」
「?」

 真木さんが、なぜか僕の腰を抱き寄せた。なんだろう? 見上げると……真木さん、口元は笑ってるけど、怖い目してる……

「シュン君さ……、それ、何のビデオ?」
「……………」

「言えない?」
「……………」

「……………」
「……………」

 冷たい目でシュンを見下ろしている真木さん。視線をそらしたままのシュン。………なんなんだろう?

 しばらくの沈黙のあと、真木さんは僕から手を離して少し身を屈めると、シュンの耳元でボソボソッと何か言った。

「………っ」

 ビクッと震えたシュン。真木さん、何を言ったんだろう………

 真木さんは再び僕の腰を抱くと「行こう」と促してきた。ピンクのカクテルまだ残ってるのに……と思ったけど、真木さんの力がいつもよりずっと強かったので言えなかった。



***


「シュン君とはもう関わらないようにね」

 真木さんは何だか不機嫌そうに言ってから、「おいで」と、僕を引き寄せてソファーに座った。

 ここはいつものホテルの一室。
 時々違う部屋になるけれど、たいてい以前真木さんが連泊していた部屋に通される。今日も同じ、あの夜景がよく見える部屋だった。

 真木さんは僕の頭を撫でて、こめかみのあたりにキスしてくれながら、小さく言った。

「君は人に騙されやすいから、気をつけた方がいい」
「騙される?」

 なんのこと?

「おそらく、雑誌社にメールを送ったのはシュン君だよ?」
「え」
「それで君からモデルの職を奪った上で、ビデオ出演の話をもってきたんだと思う」
「出演?」
「だから………。まあ、いいや」

 なぜか真木さんは大きく大きくため息をついた。僕と話す人は時々こうして「もういい」って途中で諦めたみたいに言うことがある。

(真木さんもそう言うんだな……)
って、ちょっと悲しい気持ちになってうつむいていたら、

「いや、良くないな」
「え」

 真木さんが僕の気持ちを読んだみたいに、僕を向き直った。

「君のその、人の悪意に対して寛容なところも、君の良いところの一つだとは思う。でも、このままでは、君は必ず傷つく。君は世の中の真実を知るべきだよ」
「……………はい」

 よく分からないけれど、真剣な調子にこっくりとうなずく。こんな風に話してもらえるなんて嬉しい。
 真木さんは淡々と続けた。

「まず、シュン君の話してたビデオっていうのは、おそらくゲイ専門のAVのことだと思う。君がプロ意識を持って男優の道に進みたいというのなら、この話、受けてもいいと思うけど、そうじゃないよね?」
「………え」

 えと……、えと、えと………

 戸惑っていたら、真木さんが「あ、いや、決めつけちゃいけないな」と小さく言ってから、あらたまったように言った。

「君は、AVに出たい?」
「………………」

 AV……人前で、カメラの前で、する、ということだ。
 以前、コータと3人でしてた時だって嫌だなって思ってたのに、たぶんそれ以上の人に見られたり、したりすることになる。それは……

「………無理、です」
「そう」

 真木さんはちょっと微笑んでポンポン、と頭を撫でてくれてから、すっと真面目な顔に戻った。

「だったら、ああいう話はさっさと断らないとダメだよ。君は人がいいから、話に流されて、気がついたら契約書にサインしてた、なんてことがありそうで、それが本当に怖い」
「……………」
「気をつけてね」
「………はい」

 うなずきつつも、どう気をつければいいんだろう……と頭の中はハテナでいっぱいだ。

 真木さんは引き続き真面目な顔で言葉を続けた。

「君が今まで所属していた事務所は、ちゃんとしたところだったから良かったんだけどね」
「……………」
「契約終了の理由が理由だから、他の同じような事務所にうつるのは少し難しいと思う」
「………はい」

 社長さんにもそんなことを言われた。

「でも………」

 両頬を囲まれ、じっと瞳を覗きこまれた。吸い込まれそうなほど綺麗な茶色の瞳……。
 真木さんが今日一番の真剣な調子で言った。
 
「そもそも、君は、これからもモデル業を続けたいの?」
「え………」

 それは………
 そう言われると困ってしまう。

「あの………、続けたいというか……それしかしたことないから他のことは分からなくて」
「……………そっか」

 真木さんはなぜか、ふっと笑った。

「じゃあ……一緒に考えよう。君がこれから何をしたらいいのか」

 何をしたらいいのか?

「そうだな……好きなこととか得意なことを活かした仕事につけたら一番いいんだけど……」

 真木さんの瞳が僕をじっと見てくれる。この瞳をずっと見ていたい……

「君は何が好き?何をしてるときが一番楽しい?」
「はい」

 そんなことは決まっている。

「真木さんが好きです。真木さんと一緒にいるときが一番楽しいです」
「……………」
「……………」
「………そう」

 真木さんは困ったような笑みを浮かべてから、

「俺もだよ」

って、優しくキスしてくれた。


***

 それから、夜眠りにつくまでの間、真木さんとたくさん話をした。
 話していくうちに、僕の今の興味が、アロマテラピーとマッサージにある、という結論に行きついた。

「今度会うときまでに、色々調べておくね」

 君も調べてみて、と、帰り際、真木さんは言ったけど、何をどうしたらいいのかな………

(アユミちゃんに聞いてみよう)

 そう思いながら、携帯の電源を入れて、

「………わ」

 驚いた。すごい勢いでメールが受信されていく。全部アユミちゃんだ。

「なんだろう………」

 一番はじめの、昨日の夜送信されたメールを開いてみる。と………

『早く帰ってきて』

という題名。本文は………


『ママが帰ってきた。チーちゃんに会いたいって言ってる』

 …………。

 …………。

 …………。


 ママ………?


 よみがえってくる。太股のつけねの痛み………

「………真木さん」

 真木さん。真木さん。真木さんに会いたい。今別れたばかりだけど会いたい。真木さんの匂いをかぎたい。真木さんの声を聞きたい。

 でも………今はもう電話できない時間だからダメだ。だから………

『いますぐ帰ります』

 アユミちゃんにそう一言だけメールを送った。


---


お読みくださりありがとうございました!
もうすぐ3月末。それまでにチヒロを自立させないと……と、真木さんちょっと焦り気味。

次回金曜日更新予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。

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