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BL小説・風のゆくえには~グレーテ18

2018年06月08日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~ グレーテ

【真木視点】


「俺の恋人になる? 期間限定だけど」

 そう言ったのは先月のこと。「3月末まで」と約束したことをチヒロは覚えていないようなので、そろそろ確認しないといけない、と思っていた矢先、

『事務所から契約更新できないと言われたので次のお仕事を探します』

と、チヒロが電話で報告してきた。よりによって、契約は3月末で切れるという。

(……心配だ)

 電話の翌日に会いにいった際にも、AV出演の勧誘話を「???」という顔で聞いていたし、思えば、売春まがいなことをしていたのも、姉に唆されてのことだったらしいし、その後も友人のコータに誘われたから続けていたらしいし……。この子は警戒心とか猜疑心とか欠如しすぎていて、人に騙されて利用されることが目に見えている。

 だから、

「君は世の中の真実を知るべきだよ」

 思わずそんな説教までしてしまった。


(なんなんだろうな……)

 自分でも、自分のこの気持ちの動きが理解できない。こんなことは初めてだ。
 『恋人』と宣言したはずが、いまだに体の関係を結ぶまでにいたっていない。そんなことよりも、俺がいなくなった後の、この子のことが心配でしょうがなくて、この子の将来の筋道を立ててやらなくては、と焦っている。

(……俺は保護者か)

 恋人ではなく、父親か兄にでもなったつもりか? ……まあ、それでもいいのかもしれない。どのみちあと2週間ほどで会わなくなる。どんな関係でもいい。

 でも……

「君は何が好き?何をしてるときが一番楽しい?」

 そんな俺の質問に、チヒロは透明な瞳で、当然、のように言う。

「真木さんが好きです。真木さんと一緒にいるときが一番楽しいです」
「…………」

 そんなことを言われたら、もう会えなくなる、なんて言えないじゃないか。

「………そう」
 そっと頬に触れる。出会ったときよりも、ずっと艶やかになった頬。

「俺もだよ」
 優しくキスをすると、チヒロは蕩けるような笑みを浮かべた。



***


 次の日の夜、チヒロからメールが送られてきた。

『母が帰ってきて就職が決まりそうです。これから面接があるのでしばらく携帯の電源を切ります』

 ……………。なんだそれは。意味が全くわからない。

(母、というのは、チヒロの脚の付け根に血が出るほど爪を立てていたという、あの母親か……)

 チヒロが中学の時に離婚して出ていったと聞いていたが………

(あまり良い印象はない母親だけどな……)

 姉のアユミからは、母親は元モデルでチヒロに似た美人だと聞いている。モデルを辞めて専業主婦になってからは、息子に自分の夢を押しつけていた、らしい。でも、家を出てからは一度も帰ってきたことはなく、もう10年会っていないと言っていた。

(とうとう帰ってきたということか。でも……)

 チヒロは以前、「好きな人」を問うたとき、俺と姉のアユミと友人のコータの名だけを上げて、母親の名前は入れなかった。あの家で母親を待っていたのは、あくまで姉のためと生活のためであり、チヒロ自身は母親に対して良い感情を持っていたとは思えなかったが……

(就職………何の仕事だ?)

 これから面接って、もう23時になるのに? こんな時間に面接をするようなところ……何か嫌な予感がする……

『終わったら、何時になってもいいから電話して』

 そうメールしてからも落ちつかず、ウロウロと部屋を歩き回っていたのだけれども……

「………何やってんだ俺」

 ガラス戸に映った自分の姿に自嘲してしまった。

 やっぱり、まるで保護者だな……。



---


お読みくださりありがとうございました!
もう一つ話入れたかったのですが散漫としてしまいそうでやめたら、短くなってしまいました……

次回火曜日更新予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。

クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
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BL小説・風のゆくえには~グレーテ17

2018年06月05日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~ グレーテ

【チヒロ視点】


 モデル事務所の契約が3月末で切れる。
 今までは一年ずつ更新してくれていたのだけれども、今回は更新できないと言われた。

「私はずっといて欲しかったんだけどね……」

 小さい頃からお世話になっている社長さんが、苦いものでも食べたみたいな顔をして、メールが印刷された紙を見せてくれた。


〈今月の特集に出てるモデルのチヒロは、不特定多数の男性と関係を持ち、お金をもらっているような男です〉


「今月の特集って……」
「ほら、こないだ急遽、代役で長野の温泉に行ってもらったじゃない? その雑誌の編集部に送られてきたらしくて……」

 長野……。ああ、珍しくいつもみたいな通信販売とかヘアカタログとかじゃない、普通の雑誌のお仕事だった。

「ねえ、これ、本当なの?」
「………違います」

 それは違う、と即座に思う。
『もらっているような男』では、現在進行形になるから違う。これが『もらっていた男』なら合っている。確かに以前は、知らないお金持ちと関係を持って、お小遣いをもらっていた。でも、真木さんと知り合ってからは一度もしていない。
 ……ってことを、説明したほうがいいのかな?と迷って黙っていたら、社長さんが「そう……」と大きくため息をついた。

「でもね、これが嘘でも本当でも、こういうことを書かれちゃうってことが問題なの。うちもね、今後の取引のために、ケジメを付けなくちゃいけなくて」

 社長さんの視線が真っ直ぐにこちらを向いた。そして、強い口調で言った。

「分かってくれるわよね?」

 ………。

 ………。

 ………。

 なんかよく分からない。けど、更新してもらえない、ということは分かった。

「分かりました」

 コックリと肯くと、社長さんはホッとしたように肯いて、

「お母さんには私から連絡しておくから。本当のことはもちろん言わないから安心して?」
「え?」

 お母さん? お母さんって言った? 今?

「あの……」
「年齢が上がってお仕事もらうのが難しくなってきた、とでも言っておこうかしら。本当はそんなことないんだけどね。チヒロ君はどんな仕事でも文句言わずにやってくれるから、重宝してたし」
「……………」
「まあ、でも、もう24だものね? そろそろ安定した職についてもいいんじゃない? チヒロ君、顔いいんだから、ウェイターとか合いそうよ。どこか紹介しましょうか? それとも何かやりたいことある?」
「…………」

 この人は昔から、わーわー話すので、何を言ってるのか分からないことが多い。

「まだ24なんだから、これからなんにでもなれるわよ」
「…………」

 さっきは「もう24」で、今度は「まだ24」。どっちなんだろう?

「頑張ってね?」
「…………。はい」

 その後もなんか色々言っていたけど、何が言いたかったのか結局分からなかった。
 分かったことは、ただ一つ。あと2週間で、僕は無職になる、ということだけだ。


***


 次の日、いつものバーにいって、バーのママに無職になることを報告したところ、

「あら、大変ね。うちで働く?って言ってあげたいけど、今、手が足りてるから……ごめんなさいね」

と、眉を寄せて心配そうに言われた。

 このバーには、通いはじめて1年くらいになる。初めて来た時に、帰り際、

「また来てね?絶対よ?約束よ?嘘ついたら針千本飲ますわよ?」

 って、ママに念を押されて、次に行った時もそう言われて、その次も言われて、それで定期的に通うようになった。
 バーの名前は、アラビア語だかで書いてあって読めない。みんな「いつものバー」って呼んでるので、僕も「いつものバー」って呼んでる。

「………だから次のお仕事が決まるまであまりこられなくなります」
「そう……早く決まるといいわね」

 はい、と今日の分のカクテルをくれたママ。毎回、その日のラッキーカラーのカクテルを作ってくれる。今日はピンクらしい。

 端っこの立ちテーブルの前に移動して、そのピンクをちょっとずつ飲んでいたら、

「チーヒロ♪」
「!」

 急に後ろから肩を叩かれてビックリした。振り返ると、このバーでいつも一緒になる、シュンがニコニコしながら立っていた。

「今、ママと話してたの聞いちゃったよー。モデルの契約切られちゃったんだって? なんでー?」
「なんかよく分からないんだけどケジメだって社長は言ってた」
「なにそれ。変なのー」

 シュンがアハハって笑っていてちょっと安心する。

 シュンとは前に真木さんのことで喧嘩みたいになってから、ずっと険悪な感じだったので、こんな風に笑ってくれるのは久しぶりだ。

「そうだ、チヒロ」
 シュンがポン、と手を打った。

「良い仕事紹介してあげようか?」
 なぜかコソコソッとした感じに言ったシュン。

「知り合いの人がビデオ作ってて、その俳優さん探してるんだよ。チヒロは可愛いからオーディション絶対合格するよ!」
「オーディション?」

 それ、苦手だ。子供の頃、よく受けさせられたけど、審査員の人の前で上手に話すことができなくて、いつも母に怒られていた。

 そうシュンに言うと、

「大丈夫だよ。チヒロは顔が良いからそれだけで合格! 演技なんかできなくても、相手の人がどうとでもしてくれるって」
「相手の人?」
「え、あ」

 シュンは慌てたように口に手をあてて、「あの、監督さんとか? スタッフさんとか? そういう人?みたいな?」とか言っている。

(何だろう?)
 よく分からないなあ………と思っていたところで、

(あ!)
 フワッと良い匂いが漂ってきたので、思いきり振り返る。と、

「お待たせ」
 予想通り、軽く手を挙げてる真木さんがいた。

「真木さんっ」

 我慢できなくて、すぐに近くに寄っていって、腕のあたりクンクン鼻をこすりつける。……良い匂い。

「犬みたいだね」

 クスクス笑いながら頭を撫でてくれる真木さん。余計にフワフワ良い匂いが漂ってきて、嬉しくてしょうがない。

 真木さんがにこやかにシュンに問いかけた。

「シュン君、今、何の話してたの?」
「え、あの……」
「監督とか、スタッフとか……映画かなにかの話?」
「いえ、その………」
「違います」

 シュンがなぜか挙動不審になっているので代わりに答えてあげる。

「シュンは今、僕にお仕事を紹介してくれようとしていてそれはビデオに出演する俳優のお仕事でオーディションがあるけど演技できなくても大丈夫って」
「………ふーん」
「?」

 真木さんが、なぜか僕の腰を抱き寄せた。なんだろう? 見上げると……真木さん、口元は笑ってるけど、怖い目してる……

「シュン君さ……、それ、何のビデオ?」
「……………」

「言えない?」
「……………」

「……………」
「……………」

 冷たい目でシュンを見下ろしている真木さん。視線をそらしたままのシュン。………なんなんだろう?

 しばらくの沈黙のあと、真木さんは僕から手を離して少し身を屈めると、シュンの耳元でボソボソッと何か言った。

「………っ」

 ビクッと震えたシュン。真木さん、何を言ったんだろう………

 真木さんは再び僕の腰を抱くと「行こう」と促してきた。ピンクのカクテルまだ残ってるのに……と思ったけど、真木さんの力がいつもよりずっと強かったので言えなかった。



***


「シュン君とはもう関わらないようにね」

 真木さんは何だか不機嫌そうに言ってから、「おいで」と、僕を引き寄せてソファーに座った。

 ここはいつものホテルの一室。
 時々違う部屋になるけれど、たいてい以前真木さんが連泊していた部屋に通される。今日も同じ、あの夜景がよく見える部屋だった。

 真木さんは僕の頭を撫でて、こめかみのあたりにキスしてくれながら、小さく言った。

「君は人に騙されやすいから、気をつけた方がいい」
「騙される?」

 なんのこと?

「おそらく、雑誌社にメールを送ったのはシュン君だよ?」
「え」
「それで君からモデルの職を奪った上で、ビデオ出演の話をもってきたんだと思う」
「出演?」
「だから………。まあ、いいや」

 なぜか真木さんは大きく大きくため息をついた。僕と話す人は時々こうして「もういい」って途中で諦めたみたいに言うことがある。

(真木さんもそう言うんだな……)
って、ちょっと悲しい気持ちになってうつむいていたら、

「いや、良くないな」
「え」

 真木さんが僕の気持ちを読んだみたいに、僕を向き直った。

「君のその、人の悪意に対して寛容なところも、君の良いところの一つだとは思う。でも、このままでは、君は必ず傷つく。君は世の中の真実を知るべきだよ」
「……………はい」

 よく分からないけれど、真剣な調子にこっくりとうなずく。こんな風に話してもらえるなんて嬉しい。
 真木さんは淡々と続けた。

「まず、シュン君の話してたビデオっていうのは、おそらくゲイ専門のAVのことだと思う。君がプロ意識を持って男優の道に進みたいというのなら、この話、受けてもいいと思うけど、そうじゃないよね?」
「………え」

 えと……、えと、えと………

 戸惑っていたら、真木さんが「あ、いや、決めつけちゃいけないな」と小さく言ってから、あらたまったように言った。

「君は、AVに出たい?」
「………………」

 AV……人前で、カメラの前で、する、ということだ。
 以前、コータと3人でしてた時だって嫌だなって思ってたのに、たぶんそれ以上の人に見られたり、したりすることになる。それは……

「………無理、です」
「そう」

 真木さんはちょっと微笑んでポンポン、と頭を撫でてくれてから、すっと真面目な顔に戻った。

「だったら、ああいう話はさっさと断らないとダメだよ。君は人がいいから、話に流されて、気がついたら契約書にサインしてた、なんてことがありそうで、それが本当に怖い」
「……………」
「気をつけてね」
「………はい」

 うなずきつつも、どう気をつければいいんだろう……と頭の中はハテナでいっぱいだ。

 真木さんは引き続き真面目な顔で言葉を続けた。

「君が今まで所属していた事務所は、ちゃんとしたところだったから良かったんだけどね」
「……………」
「契約終了の理由が理由だから、他の同じような事務所にうつるのは少し難しいと思う」
「………はい」

 社長さんにもそんなことを言われた。

「でも………」

 両頬を囲まれ、じっと瞳を覗きこまれた。吸い込まれそうなほど綺麗な茶色の瞳……。
 真木さんが今日一番の真剣な調子で言った。
 
「そもそも、君は、これからもモデル業を続けたいの?」
「え………」

 それは………
 そう言われると困ってしまう。

「あの………、続けたいというか……それしかしたことないから他のことは分からなくて」
「……………そっか」

 真木さんはなぜか、ふっと笑った。

「じゃあ……一緒に考えよう。君がこれから何をしたらいいのか」

 何をしたらいいのか?

「そうだな……好きなこととか得意なことを活かした仕事につけたら一番いいんだけど……」

 真木さんの瞳が僕をじっと見てくれる。この瞳をずっと見ていたい……

「君は何が好き?何をしてるときが一番楽しい?」
「はい」

 そんなことは決まっている。

「真木さんが好きです。真木さんと一緒にいるときが一番楽しいです」
「……………」
「……………」
「………そう」

 真木さんは困ったような笑みを浮かべてから、

「俺もだよ」

って、優しくキスしてくれた。


***

 それから、夜眠りにつくまでの間、真木さんとたくさん話をした。
 話していくうちに、僕の今の興味が、アロマテラピーとマッサージにある、という結論に行きついた。

「今度会うときまでに、色々調べておくね」

 君も調べてみて、と、帰り際、真木さんは言ったけど、何をどうしたらいいのかな………

(アユミちゃんに聞いてみよう)

 そう思いながら、携帯の電源を入れて、

「………わ」

 驚いた。すごい勢いでメールが受信されていく。全部アユミちゃんだ。

「なんだろう………」

 一番はじめの、昨日の夜送信されたメールを開いてみる。と………

『早く帰ってきて』

という題名。本文は………


『ママが帰ってきた。チーちゃんに会いたいって言ってる』

 …………。

 …………。

 …………。


 ママ………?


 よみがえってくる。太股のつけねの痛み………

「………真木さん」

 真木さん。真木さん。真木さんに会いたい。今別れたばかりだけど会いたい。真木さんの匂いをかぎたい。真木さんの声を聞きたい。

 でも………今はもう電話できない時間だからダメだ。だから………

『いますぐ帰ります』

 アユミちゃんにそう一言だけメールを送った。


---


お読みくださりありがとうございました!
もうすぐ3月末。それまでにチヒロを自立させないと……と、真木さんちょっと焦り気味。

次回金曜日更新予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。

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BL小説・風のゆくえには~グレーテ16

2018年06月01日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~ グレーテ

【真木視点】


「本当にいいの?」

と、二人きりの夕食の席で母に聞かれた。お見合いの話だ。もう何度目かの確認なので、またか、と思いつつ、「大丈夫だよ」と答えたところ、

「でも……『チヒロ』さんは、大丈夫?」
「!!」

 母からの思わぬ言葉に、息が止まるかと思った。何かを飲んだり食べたりしている最中でなかったことが幸いした。止まりつつも、すぐに吹き返して、母を見つめ返す。と、母は申し訳なさそうに手を合わせた。

「ごめんなさいね。あなたの携帯に電話があった時に、画面に書いてあった名前見ちゃって……」
「………」
「しょっちゅう電話あるわよね?彼女じゃないの?」
「………」

 ああ、そういうことか……。「チヒロ」は女性名でも男性名でもある。
 母は、慌てたように言葉を並べた。

「修司もね、英明が毎週のように東京に行ってるのは、彼女がいるからなんじゃないかって言ってたの。それなのにお見合いするなんて……」
「…………」
「まさか、東京と大阪で離れてるからって、結婚することを隠してチヒロさんとも関係を続けようとしてる、なんてことはない……わよね?」
「………。大丈夫だよ」

 にっこりと、笑顔を作ってみせる。

「ちょっと仕事の相談に乗ってるだけで……それも3月いっぱいで終わりだから。4月になったらもう会わないよ」
「そう……なの?」
「うん」

 ごちそうさま、と声をかけて、食器を持って台所に移動する。背中に「本当に大丈夫なの?」と声をかけられ、再び、にっこりと、する。

「大丈夫だよ」

 初めから、決めていたことだ。だから、3月末までは、チヒロとは『恋人』でいる。



***


「俺の恋人になる? 期間限定だけど」

 そう提案したのは、バレンタインから一週間後のことだった。


 チヒロと一緒にいると、自分の気持ちが分からなくなることが多い。

 チヒロの気持ちも、よく分からなかった。
 俺に対して性的な欲求はないらしく、以前2度ほど「そういう」雰囲気に持っていった際にも、まったく乗ってこなかった。でも、好かれている、とは思う。だから余計に、チヒロのその感情はなんなのだろう?と不思議でたまらない。

 でも、それでいいのかな、と思っていた。このあやふやな感じが、癒しに繋がっているのかもしれない。
 そもそも、俺はチヒロのことはタイプではないので、抱く気にもならない。

 そう、思っていたのに……

『今晩、3人でしようよ。前できなかったしさ』
『ね? いいでしょ? チヒロ。ね?ね?ね? 僕、チヒロともしたい!』

という、チヒロの友人コータからの誘いに、『僕はいいけど……』と、チヒロがコクリと肯いたのを見て、驚くほど不快になった。

『俺も構わないよ』

と、すかさず肯いてしまったのは、コータに対する対抗心より、チヒロに対して見せつけてやるという気持ちが大きかったからだ。

(目の前で、俺が他の男を抱いても、そのビー玉みたいな瞳は、透明なままなのか?)

 そんな意地悪な気持ちと、それでもチヒロが何も思わなかったら……、という不安みたいな気持ちが胸の中を渦巻いていた。
 そんなゴチャゴチャな気持ちのまま、コータだけを抱こうとしたのだけれども……

 チヒロの大きな瞳からポロポロと零れていく涙に、目を奪われた。

『僕以外の人をさわってほしくない。僕以外の人にさわらせたくない』

 そう言ったチヒロの言葉に驚いて息をするのも忘れた。チヒロのいつもは何も写していない瞳に、情熱が灯っている……。


 このまま、あやふやな関係のまま、終わりをつげてもいい、と思っていたのに。

 すごく会いたくなる相手は俺一人だと言いきられて……

『真木さんにはいつもすごく会いたいです』

 そう、当然のように言ったチヒロを、抱きたい、と思ってしまった。だから、

『俺の恋人になる?』

と、提案した。……でも、結局いまだに抱いていない。



「………2日、だな」

 チヒロからの最後の電話から、丸2日経つ。『恋人になる?』からは一週間だ。
 それまでは毎日電話やメールがあったというのに……何かあったのだろうか?

(………。こっちからかける?)

とも思うのに、どうもかける気になれない。

(この俺が電話をかけてやるほどの子か?)

 全然タイプじゃないのに。
 そんな変なプライドみたいなものが、邪魔をしている。

(チヒロが慶だったらいいのに)

 そんな変なことも思う。

 慶は、俺の恋人として、本当に申し分のない子なのだ。天使のような美貌と完璧な肢体。輝くオーラ。溢れ出る情熱。あの子ほど俺に似合う子はいない。

(チヒロが慶だったら、何の躊躇もなくこちらから連絡するのに……)

 そんなありもしないことを思いながら、携帯を眺める。夜11時半だ。


 以前、チヒロに「いつでも電話していい」と言ったところ、本当に「いつでも」かけてくるようになってしまったため、「急ぎの時以外は夜11時以降」と約束させたのだ。あの子は素直なので言葉を額面通りに受け取ってしまう。空気を読む、とかそういうことはない。嘘が一切ない。嘘ばかりの俺とは大違いだ。

(俺は嘘つきだからな……)

 家族の誰も気が付かない。嘘ばかりの人間。

『なんで小児科希望なの? 子供好きだっけ?』
『うん、昔から小児科医に憧れてた』

 昔、配属の希望を聞かれ、平気でそんなことを言っていた。本当の理由なんて誰にも言えない。

 理由はただ一つ。ゲイ仲間に医者と患者という立場で会わないためだ。
 成人男性患者のこない科といったら、産婦人科か小児科。この二つの科には、成人男性は付き添いでしかこない。ただ、それだけの理由だった。


 ゲイ仲間には素性を明かしていない。それはひたすらに、家族に知られないためだ。

 俺の家族は、みな優しくて、いい人達で、たくさんの愛をくれて。俺はそんな彼らが大好きで。
 そんな家族の中で異端であることに耐えられず、中学を卒業してからは、一人でアメリカの高校に行かせてもらった。あのままずっとあちらに住めたらどんなに自由だっただろう……

 4月には、本格的に結婚について動くことになる。それが家族の望みだ。息がつまるほど幸せな俺の家族……

 ああ……また、暗闇に堕ちていく。

(チヒロ……)

 チヒロに会いたい。あの子に淡々と体をさすっていてもらいたい。あの子を抱きしめて眠りたい。

(電話……しようか)

 でも……


 なんて、躊躇をしていた、その時。テーブルに置いた携帯が振動した。

(チヒロ?!)

 さっと携帯を取り上げて、画面の表示を見て、

(……………なんだ)

 ガッカリ、した。

「…………」

 ……………。

 ……………。

 ………………え?

 ガッカリした自分に驚いた。

「何、ガッカリしてるんだ俺……」

 画面の表示の名前は……


『渋谷慶』


 そう。あの、慶だ。俺の愛しの天使。完璧な慶。

 俺……何を考えてる?

 せっかくの慶からの電話なのに、チヒロでなかったことに「ガッカリ」するなんて。

 なんだそれは。なんなんだ……



 ああ、本当に、自分の気持ちが分からない……

 そう思いながら携帯を手にして、その振動を感じていたら…………笑いだしてしまった。

 俺は滑稽だな。

「…………分かってるよ」

 どう打ち消そうと、どう言い訳しようと、もう誤魔化せない。いい加減、認めなくてはならない。
 
 待っていたのは、チヒロの電話。今、会いたくてたまらないのはチヒロ。

 俺は、チヒロのことが『好き』なのだろう。



***


 慶からの電話を切ったあと(当然のように慶からの電話は仕事の件だった。あいかわらず真面目な好青年だ)、チヒロに電話してみた。しかし、電波が届かない場所にいるか電源が入っていない、との無情な機械音声が……

(何かあったのだろうか……)

 姉のアユミに聞いてみようか、とも思ったけれど、やめた。丸2日連絡が来ないだけで何を言ってるんだ、と自分でも思うからだ。

 とりあえず「このメールを見たら何時でもいいからすぐに電話して」とだけ打って、ソファに沈んだ。

 耳が痛くなるほど静かな中にいるせいか、嫌な思いが頭の中をグルグルと回ってきてしまう。

(まさか………)

 誰か他の男と一緒にいるのだろうか……
 あの子は少しズレているので、貞操観念もおかしなことになっていそうだ。

(………きちんと約束するべきだったな)

 今は俺が『恋人』なのだから、他の男とは仕事以外で関わるな。

(………そんなこと言ったら、あの子はどうするだろう?)

 なぜ?という顔をしながらも、「分かりました」とうなずきそうだ。でも、この独占欲を嫌がるだろうか?

(………。嫌がっても、約束させるだけだけどな)

 今度会ったら……今度会ったら………

 そんなことを考えながら、夢と現実を行ったり来たりしていたのだけれども………

 チヒロからの電話で目か覚めた。朝6時前だ……。

『急なお仕事で長野に行っていて、今、深夜バスで帰ってきました』

 いつものように淡々と言うチヒロに、全身の力が抜けてしまう。

 仕事中は電源を切れ、バスの中では電源を切れ、という言いつけを守って、今の今まで、ずっと電源を切っていたらしい……

「そういうときは、行く前に言って? 連絡もないし、携帯も繋がらないから心配したよ」
『…………』

 …………。

 キョトンとしているチヒロの顔が見えるようだ……

『何かご用でしたか?』
「……………」

 この子は、俺の気持ちを考えたことがあるのだろうか。………ないんだろうな。

「……………。用はないよ。ただ会いたかっただけ」

 若干、投げやりに言ってやる。と、間髪をいれず、

『僕も会いたかったです』

と、チヒロが言った。

 ………………。

 ………………。

 その嘘のない言葉だけで充分だ。

 ………なんてことを思うなんて、俺も相当おかしくなっている。


---


お読みくださりありがとうございました!
ようやく認めた真木さんの図、でした。

次回火曜日更新予定です。お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。

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