きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

感謝、感謝の大分国際終了

2022-11-20 15:48:30 | 大会回顧録

大分本番。

私にとって驚異ともいえるハーフ1時間切り達成。

絶対にアベレージ20キロ(1時間3分18秒)はクリアしたかったのですが、大会前はそれすら難しいかもというぐらいの状態で。1時間切るとか口にするのはまだ力不足じゃないかと思っていたので。
 
それでも1時間切って、今までと違う景色を見ることができました。
Nさんとの御縁をきっかけにYさんに指南していただくようになってから4ヶ月。あっという間に一気に駆け上がってきた感じです。
Yさん、Nさんはじめ、いろいろな方にお世話になりました。
感謝、感謝の大分でした。

漕ぎ切る前に終わる、という感じ

2022-10-09 19:40:06 | 大会回顧録
3年越しの「吉備高原」に参戦。
手を抜いたとかそういうつもりはないが、アップダウンが思いの外極端で必死になっているうちに何かしらいつの間にか終わったいう、そんな感じ。

あ、順位は丁度真ん中(クラス出走9台だったらしい)ですが4位との差が14分で、なかなか周囲に報告できる代物ではありません。
それでも。
大分に向けて今日の違和感を可能な限り納得できる形にしたいと思います。

大会参戦記録➁(第34回鳥取湖山池ハーフ)本番での様子

2022-09-15 18:26:06 | 大会回顧録
500番台が自分のほかに見当たらないことには薄々気付いてはいたが。

スタートの位置は決まっていなくて適当に並ぶ。1列目4台、2列目5台の後について3列目からスタート。
15台ぐらいはいたように思う。それでも例年に比べたら少ない。
スタートして、予定通り直線で出せるだけ出す。20キロ近くまで出せた。ハンドル切ってコーナーを曲がる。再び直線。みんな速い速い。後方からなのにまだ抜かれる。
トラックの回り方がよく分からないのでのと、周りのレーサーの迫力に負けている。

競技場からロードへ。最初の左カーブに注意とYさんに言われていた通り、思ったより鋭角に曲がる感じ。外から慎重に入る。
多分、1キロ地点では11位ぐらいではなかったか(後で抜いた台数と、折り返しで確認した台数から推計)。随分後方からの入りになったが仕方がないというより予想通り。怖い怖い。それでも、競技場出てからの直線では下りだったみたいで1キロで3分ぐらいになったので遅くはない。ただただ周りが速い。

程なくして、登りに入る。前のランナーが近付く。追いつく。
下りになる。さっき抜いたランナーに抜かれる。差を付けられる。
こんな感じで、第一折り返しを目指す。
メーターのアベレージで平均速度を意識しつつ前に進む。
数字は悪くない。結構出ている気がする。ただ、なかなか前には追いつかない。

二股の分岐を狭い方に入り、後500メートルぐらいで第一折り返し手前の工事箇所に入ると思った矢先に「折り返し」のコーンがあった。「ここ?」と叫びながら折り返す。どこかで、距離調整するんだろうか。
前に、行きで抜かれた3台がローテしながら進んでいる。
一気に抜いた。
しばらくすると、後ろをコンコンとつつかれる。1台ついてきたらしい(後でUさんという方のYouTube見たらYさんのお知り合いのIさんだと分かった)。
びっくりして離しにかかる。丁度上り坂のタイミング。
漸く離したかと思ったら、前にまた別の2台が見えた。少しずつ、と意識して差を詰めにかかる。
その第一折り返しの途中から一般ランナーと並走になる。結構な数。一昨年の長良川、一般用車いすで並走したことはあるが、レーサーはスピードが違う。
一度だけ自転車道のときみたいに「みぎとおります」と叫び、走路を譲ってもらった。

細かなカーブが続く。登りで近づき下りで離されで、10キロ地点へ。

10キロ地点で既にアベレージは時速20キロを超えた。どこをどう漕いだからこんな数字が出ているのかよく分からない。ほぼ力任せにいっているのは確か。
大きく左に曲がり、鳥取大の方へ。
直線で、前の2台との距離はそれほど変わらないまま進む。どこまで維持できるかという感じ。
12キロぐらいで結構な勾配と距離の坂に差し掛かる。前の2台を一気に抜く。抜き返されないように全力で逃げる。
前にレーサーがいなくなって、そこからは、後ろを気にしながら兎に角逃げた。

左折して第二折り返しを目指す。右側の車線に、折り返してきたトップのランナーが見える。数を数える。数え損ね、3台か4台か5台かよく分からなくなる。

前日の下見ではもの凄い風だった第二折り返し地点。今日は風はあまり感じない。残りは6キロぐらい、ということは風がこのままなければ20分もはかからない筈。6キロをひとまとまりで考えてやっている朝の練習での感覚を思い出しながら折り返す。
車線の右側にランナーが見える。数える。8台か9台か、真ん中より下ではないなとほっとする。ややリムが重く感じるようになり腕が伸び切らなくなる。それでもアベレージはまだ20キロをギリギリキープ。
この日は最初から、左があまり上手く合ってなかったのに加え、この辺りから右へ右へと微妙に向きがずれる。左寄りになるよりは随分マシだが、細かな修正の仕方を身に付けないとと思いまがらハンドルで修正しつつ漕ぐ。
さっき下った坂を上る。かなりスピードが落ちる。
フォームもへったくれもないという感じで、右折し、今度はさっき上った急坂へ。30キロでぐんぐん下る。

最後はやや落ち込むが、沿道からの「ラスト!」にギアが入る(これと次の写真はYさんのお知り合いのAさん提供。めったにない自分の画像勝手ながら使わせていただきます不都合な場合は削除しますすみません)。

競技場への誘導が今一つはっきりせずコースアウトしそうになる。ぎりぎりで回避。以前長良川でも誘導ミスにあった。危ない。
競技場、一般ランナーがうようよしている中、ゴール。周回がなかったのが救い。

今まではガーミンのGPSに頼っていたが、腕時計して漕ぐ人はいないらしく、ガーミンを付けない代わりにメーターのアベレージを見ながらペースを確認する練習をしてきた。湖山池は距離表示がないということや台湾産メーターの距離表示も今一つ不正確なので、正解だった。
スタートして11番手から7台抜いたのは自信になった。しかも全部上り坂。今まで坂が得意とかそういうのは全くなかったので不思議な感じである。
ただ、特に前半は上り坂で抜いて下りに入ると抜かれるみたいなことがあった。抜いたレーサーは漕いでいないのに。何が原因なんか分からん(Yさんにそれを伝えると「下りに入っての漕ぎの量」と「重さ」だと)。
んー。
でも、坂が見えたら「チャンス」だと思うようになった。

メーターのアベレージは20.4だったので時速20キロは超えた。
儂のメーターのアベレージは実際の距離から100~200メートルぐらいは短く出ている筈なのでそれも含め、1時間で20.5キロ走破と考えると残りは600メートル。0.6キロなら2分以内には漕ぎ切れるだろうから、暫定のベストは1時間2分ということで自分の中で折り合いがついた。
今回目標は高く、アベレージ20キロ・タイム1時間3分20秒に設定していたので、上出来といえば上出来。しかも、前日の下見で、こんなに早く漕げるとは全然思えないような難コースだったので更にびっくり。結果がはっきり出ていればもっとすっきり帰れたのだが。
ここまでくると1時間切るのと切らないのとでは、雲泥の差がある。
1カ月前までは、夢のまた夢のように思っていた1時間一桁分台どころか、何年かかっても架空の数字とだと思っていた大台切りを目前にして、もうどこまで行けるかわからないが、腹くくってやるしかないと。

宿題は沢山持って帰っている。
昔から宿題はやらずに怒られるタイプなので、どうなるか、である。

大会参戦記録➀(第34回鳥取湖山池ハーフ)前日から直前まで

2022-09-14 18:39:36 | 大会回顧録
前日。
朝ばたばたと準備して出発し、昼には鳥取についた。だいたい4時間半ぐらいかかったか。

いつもと違う装備なためか、高速のPAで早速スマホを見失う。もう少しで家に戻ろうとするところだった。
いつもならする寄り道も今回は往復ともになし。珍しい。何となくふわふわしている感じ。

到着後、コース下見に行く。迷うことなくヤマタスポーツパークへ。

一言で言えば、細かなカーブは多く、アップダウンは小刻みにあって、路面はあまり良くない。
いつもは整ったコースで練習しているから、かなり条件が違う。

こんなんで自己ベストなんか出るはずがないこりゃあかんと、Yさんに愚痴る。

工事個所も確認する(本番では通らず)。

市内観光もせず、ガソリンスタンドとラムーに寄っただけで早めにホテルに入りひきこもる。ホテルは大会指定宿より2000円余り安いビジネス。段差はあったが、フロントの方の対応で普通に泊まれて。

レイアウトまで変えてもらった。

感謝。
そのまま19時半に就寝。そして5時に起床。

当日。
6時にはチェックアウト。スタート時間から逆算して4時間前に起床するのマラソン時代からのルーティン。
会場に到着し、受付を済ませる。駐車場に戻り、準備をしながら朝ごはん。

何年振りかのラムーの大盛パスタ。これいいわ前日泊岡山でもそうするかも。

周りをそれとなく見ながらゼッケンをつける。
大分のナンバーシールを外す。空気を入れる。相変わらずうまく入らずヒヤヒヤする。
1時間前に、計測タグをつけてもらいに競技場へ。トイレにも行く。
そのまま競技場を試走するがコーナーの曲がり方がよく分からん。
競技場傍の車いす待機ブースで乗り換えができるのかと思ったらそういう使い方をしているレーサーはいなかったので、周りと同じように、駐車場で乗り降りをすることにして一旦、駐車場に戻る。
トラックバーが汗でさびていて全く動かず(手入れ不足)。プライヤでねじを動かすが、全くダメで、ねじを破損仕掛けそうになり中止。今日はこのまま漕ぐことにする。
で、予定より10分遅れで再び競技場へ。
開始式というのがあるように書いてあったが、なくて選手はまだアップしていた。
競技場を一周して出るらしい。アップしながらトラックの回り方を考えたが、よく分からない。直線で出せるだけ出してコーナーはハンドル切って惰性で曲がるという原始的な方法で行くことにする。

いよいよ。
同じクラスの500番台が1台も見当たらないので、変な気持ちでスタートを待つ。

持て余し気味の「第1位」

2022-09-12 19:06:29 | 大会回顧録
正直、気持ちの整理がつかず、昨日は更新できず。

中止になったが、もともとこの日に「中四国パラ陸上」があったとかで、中四国の有力選手は出ない、とYさん情報。
それでもまあ、というより、それならまあと現地入りし。
結果。
50歳台クラスで1位。但しエントリーは1台。ははは、の1台中の1位。
しかも、工事中の箇所があって、そこを避けるため距離が短縮(前日の開会式には参加してなかっためか本番になるまで知らなくて「え、ここでターン?」と漕ぎながら大会スタッフに確認しました)。1位の賞状には、その短縮された区間での記録が堂々と記されている。
1台中の1位なんて笑い話にしかならん。それでもいいんだが、儂にしては真面目に毎日練習しているのでそれを笑われたくはないという気持ちはある。加えて短縮された距離なので、結果をはっきり周囲に云うこともできず。
予想以上にしっかり漕げたレースだったにも拘わらず、昨日は帰りの高速で悶々としていた。

こんな曖昧模糊とした賞状もなかなかない。
きちんとしたベスト記録として手元に残す場合、この57分を「正規の」ハーフで漕ぎ切るというすぐには埋まりそうにない漕走結果が必要だと。
物凄い宿題を背負って帰ることになった。
因みにホームページでみたところ、出走15台(推定)で完走13台。結果は全体で4位。ただ3位との差は約6分。
これはすぐには埋まりそうにない。もっと大きな宿題になる。
宿題ばかり抱えて帰るみたいな感じになった。

でも、これは嬉しかった。運動会で景品もらったことなんてないので。


第40回大分国際車いすマラソンの周辺(3・いざ本番)

2022-05-10 18:01:29 | 大会回顧録
大分遠征編目次。
1 往路
2 往路寄り道
3 会場入りから前夜祭、レース後まで
4 本番
5 復路
6 大分FCAに感謝
で今回は本題とも云える4について。

大分までの道のりは長かったと思う。
来年があるとは考えていないが、
かと言って、出るにはいろいろ問題が生じる。今年度は、もう車いすマラソンは無理と諦めていたが。大分国際は、国内のみ対象で実施するらしい。朗報である。しかし、実際行くとなると......

前年のこと。
コロナが酷いにもかかわらず、大分はめげずに国内大会の形でやるということで案内された。
かなり迷った。出たかった。
仕事の方が結構めんどいことになっていて結局断念したが。
このとき出ていたら、ニッシンの古いタイプのやつで参戦ということになっていた。
それはそれでやってみたかったのだが。

で、1年待って本番の日になる。
スタートまでの時間が正直長くて、しかも事前にもらった資料には、初エントリーとか持ちタイムが下の方から細かく分けられ、そのグループごとに順番に検査とか手荷物とか移乗とか先に済ませるみたいなことが書いてあって、どうするんやろと不安ばかりだった。

幸いというか、その辺りの進め方が想定通りではなく、できる限り後の方で済ませることができた。コロナが落ち着いていた時期だったから、運営側としては、そう「密」を気にしなくてよかったのも背景にあるのかもしれない。

どうやってレーサーをスタート地点まで運ぶのかとか、レーサーに移乗後は乗りっぱなして降りたいときはどうするのかとか、レーサーの「審査」ってどんな感じなのか等、普通にわからなかったことがたくさんあった分、スタートできるのかどうか半信半疑だった。
周りを見ながら、自分も同じようにレーサーを運び、並んだ。

アップだけは冷静に、他の選手の漕ぎ方とか乗り方とかいろいろ見ていた。具体的にどうこうではなく、やはり見るのは大事でこれも収穫。

スタートしてからはあっという間だった。あまりいろいろと考えていた形跡がない。これでは回想録にならんが、これがこれまでのレースとかなり違うところ。
初めから全体のスピードには乗っていけず、クラスを分けず全体でも恐らく最後から10番ぐらいではなかったか。それでも一つでも前にと漕いだ。地力がないから全体の流れからは離れたが前が見えるとスピードが出た。橋の登りで前が大きくなってくると余計にスピードが出た。実際、前との距離が詰まったのは上りの部分(下りで抜かれたこともあったが)。前が「落ちて」くると力が出るのは、元々の「性格の悪さ」なのだろう。勝負するのは自分ではなく他人であるとばかりにこだわった。
で、最後の5キロぐらいで前がいなくなった。最後に抜いた2人に競技場前で抜き返される。
結果を求めず夢中で漕いで15分台でゴール。やはり元市民ランナーなので持久力ならそこそこ勝負できるのではと小学生のマラソン大会の如く始めっから飛ばした結果。後で記録を見たら、競技場前で抜き返された2人のさらに前はというと、3分ぐらい開いたところにいた。そこからは常に前がいるようなタイム差。よって。
まずは後3分、タイムを縮めることが来年に向けての課題になるな、と。順位はそう上がらんからまずタイムだろう。
競技場に入って、フル1位のフグ選手と2位の鈴木選手に抜かれ、世界新誕生の場に変な形で居合わせるというおまけまでついた。

終わってからも兎に角、どこに行けばいいのかからわからず、なかなかだった。

その間、半ば呆然としながら、何をするでもなく過ごした。

PCR検査とかもあり、ゴールの競技場を出たのは2時間余り経ってからだったと思う。バスで漸く駐車場に戻った。途中、レーサーを転がして(運んで)いて転倒させる。まだまだ下手くそ丸出し。

帰り支度をする。いろいろ収穫があった。

そういえば、という感じで、タイヤ交換しといて良かったなあ、と。それも思った。

第40回大分国際車いすマラソンの周辺(2・本番前後)

2022-04-25 20:10:52 | 大会回顧録
大分遠征変編目次。
1 往路
2 往路寄り道
3 会場入りから前夜祭、レース後まで
4 本番
5 復路
6 大分FCAに感謝
で今回は3について。

臼杵から大分市内に入ったのは、事前審査(受付)の1時間ぐらい前。
もらった地図を頼りにコース試走に出る。試走自体は車だが、これは富山の時と同じ。

大分国際の横断幕発見。
思ったよりコースが長い。ハーフの距離だから当たり前。

で、陸上競技場へ。この辺は、迷ってぐるぐる回ったり結構うろうろしたりしたお陰で何となく土地勘みたいなものがついた。

ここで、コース分けのための身体検査みたいなのをやる。T54クラスとなる。腹筋がきくということらしい。担当のPT(医師?)さんに筋トレしなさいと助言を受ける。
筋トレだけは苦手で長続きせんのだが。

PCRは2回受けた。

車椅子の確認があるみたいな説明だったが、それはなし。一応のことが終わって、車のそばでゼッケンとかつけて準備する。時間があるときにしておかないと、という感じで結構忙しい。

ホテルへ。駐車場は約400メートルぐらい離れたところ。行く前はこの辺りも勝手がわからず不安だったが、実際に行ってみると、車いすの選手はそこそこ目についたし、付き添いがいる選手だけではなくて、儂のように単独参戦の選手もいたので、そういうことかという感じで荷物を運んだ。
そして、ウェルカムドリンクを我慢してもう一つ行くところがあった。

駅前に出て前夜祭へ。FCA(ファースト・チャレンジ・アシスト)という枠で今回参加させてもらい、交通費の補助とか恩恵を受けることができた。その分、スポンサーのお礼の意味も込めて、ということで出席。

コロナが落ち着いていた頃で、マスクはしているが結構盛大にやっていた。凄かった。

ホテルに帰る。

ウェルカムドリンクをいただく。

ようやく部屋へ。

翌日は、いつもの時間に目覚めホテルで朝食をいただき出発。

そして、無事に会場へ。

計測とか荷物預けとかこまごまとしなければならないことがたくさんあった。これも文書読んだだけでは全くイメージできなかったのだが、何となく回り見ながらスタートまでを過ごした。

メーカーのブースとか見たかったが、それほどの勇気はなく。

車椅子を預けるタイミングが難しかった。乗ってしまうと降りられない。乗ってしまうと2時間もは持たない。トイレのこともある。

トイレのことは結構心配していた。ただこの簡易トイレに手すりはなかった。こんなもんかと思った。
いい意味で「たくましく」なったか。

終了後はPCRの検査を受け、結果待ち。ボランティアの方々にいろいろ助けてもらった。
弁当をもらうところがわからなかったのが失敗。

まあ、荷物の預け方も失敗していて、預け損ねた荷物が多かったのでまあいいかと。


富山マラソン回想

2022-03-23 17:15:21 | 大会回顧録
これ綴っている途中で入力中の記事が「とんで」しまう。
まあ、そういうもんかもしれないが。うーん。
改めて。

もう一つあったというより一番メインの本番編。

富山マラソンの初めの部分(9キロ)が車椅子部門のコースとなる。縁がある高岡の地。

2年前にここで行われた研究会に出張扱いで参加させていただき、これまでの30年間のまとめみたいな感じのものを発表させていただいたいわば終焉の地(実際この後配置換えをしていただきSTとしての業務は全くしていないから事実)。
この終焉の地がレーサーの出発点になるとは。
という感慨もそれほどなく、前日の下見で突きつけられた「完走無理」かもという現実に向き合いつつ、起床。

前日の物凄い喪失感はまだ残っている。何はともあれ会場に行かなければと。

会場近くの駐車場で朝御飯。

穏やかに時が過ぎる。ボランティアの方々のサポートで無事にエントリー完了。
富山のランナーの方々(Uさん、Tさん、Hさん)に歓待される。もう本当に有り難い。静岡から参戦のUさんにもお声かけいただく。本当に感謝です。

空気まで入れていただく。これまで前後ともに5.5BARまでしか入れたことがなかったが、お話を伺い、前7BAR、後9BARまで一気に上げる。
大会参戦特有のいつもにない何かが分泌され興奮状態で変な力が出たのは確か。でも、スタートまでのアプローチルートで側溝にタイヤを落としたから緊張していたのかもしれん。スタート前、一人一人名前を呼ばれるし。すごっ。
その変な力のお陰か、不安だった2つの踏切(過去に日常用の前輪を入れてしまったことがあって半ばトラウマになっている)と3つの跨線橋をクリアしてゴール。
跨線橋は勾配が尋常でない。下りは37キロ出た。漕ぐことばできず車体に身を任せる。
ゴール後、担当(と思われる)学生の方と駐車場まで。サポートに感謝。

富山のTさんの関係の方からいただく。本当に有り難い嬉しい。富山スピリッツを忘れないようにしなければと思う。

日常用で初参戦だった丹波篠山は今日以上に関門がきつかったのは確か。
それでも今日は、これを越えなければ次がない感が、丹波篠山のとき以上にあったので。

物凄い不安の中で漕いだ初レーサーでの参戦だったが、結果としていい思い出しかない。

Hさん、ありがとうございました。どこかで御一緒できると思います。

第24回長良川ふれあいマラソン大会参戦記

2020-02-13 20:02:18 | 大会回顧録
ネットで探してたまたま見つけた大会。この年は前の年中止になった「吉備」が職場イベントの都合で出られないので、本当にラッキーという感じで。
現地までの行き方は、かなり迷った。車で行くにしても、第二名神があるのでそれほど面倒ではない。ただ、近鉄に乗りたかったという、それが一番あって、公共交通機関で現地まで行く。ただそれでも迷ったのが、養老鉄道の最寄駅から大会会場までは5キロあるということ。まあ、最後はそれでも行きましたが。

電車の時間と、その駅からの漕走で、受付時間はぎりぎりに着くとは思っていたが、とりあえず着いたらすぐに受付、着替え、トイレと。

当日は、気持ちのいい晴天だったが風がかなり強い。上りで向かい風という、もう最悪の状態。

レースは、珍しく、ランの方と一緒に走る。これが多分好記録が出た要因。本当に、前のランナーの背中(というより視線の関係でどうしても尻の辺り)に食らいついて漕いだ。しんどいとかそういうのはなく、ひたすら、ランナーの尻ばかり見ていたという。

コースは大会の関係者がコース誘導していたが、車椅子の2キロ、3キロも時間ずらしてスタートして、で、ほぼ同じぐらいにコース上にいるからか、儂も一度「ミス誘導」されかけた。こっちが冷静だったので無視して進んだのが結果的には良かった。

コースは、片道2.5キロを2回往復する。上りは下りに比べて遅いのは確かだが、それでも5分半切るペースで進んだ。上り向かい風で、である。下りは、車椅子の利点を生かしてランナーを抜いていった。2周目はペースが落ちたが、10キロのレースだから初めから飛ばしたので仕方がない。8.5キロで同じ車椅子に抜かれたが、気持ちは切らさずにゴール。もうへとへと。

これは、十分な結果。記録表の印刷待ちのときに、大会の役員さんから「閉会式に出てくれたら遠来賞も」という話まであったが、帰りのことを考えると荷物が増えると移動ができないとか、帰りが遅くなると駅からの交通手段を考えなければならないこともあり、本当に嬉しい表彰台だったのだが残る気にはなれず、でも正直まあ、ちょっと失敗したかと思っていたわけで。

それでも後日、トロフィーを送ってもらって嬉しかった。人生初トロフィーは、今、実家にある。

今年も参戦予定だが、今度は車で行くか。ただ、ネットの情報では、駐車場の出入り口が一つしかなく、会場を出るまでに3時間ぐらいかかるらしいので、終わってから最寄り駅までの5キロはきついのだが、やっぱり公共交通機関になるかもなと。

満を持して・・・第31回全国車椅子マラソン参戦記・レース展開

2020-01-14 20:14:45 | 大会回顧録
で、そのレース展開。

兎に角必死だったので、頭でどうこう考える余裕がなかった。スタートは緊張気味にひたすら待つ、そのスタートはレーサー集団の後。一般用での参加は9台。スタート直後は良かったが、程なくして同じカテゴリーの一般用の方々にぐんぐん離される。特に下り坂でもなかったが、それでも最初の1キロは6分切る。スタート直後にしてはまあまあ。その上、やや下り坂だったのか、その次にいきなり4分台になり、「スイッチ」が入る。
ただ、それでも他車には離され続ける。

データはガーミンのもの。ほぼフラットなコースで、道路の真ん中をとりあえず漕ぎ続ける。風があったら、ここまでの記録が出たかどうかは怪しいそれぐらいコースコンディションはベストに近いと思われる。ここは丹波篠山マラソンか何かの公認コースで、一般道を漕ぐことができるのがとても貴重だと感じていたが、そんな呑気な感じではない。ペースはびっくりするぐらい(目を疑うぐらい)のスピード。
なのに、どんどん離される。

汗がヘルメットの先からぽとぽと落ちる。ぬぐう余裕は全くない。顔の汗が目に入る(因みに、左側しか汗が出ない本当)。

でも気持ちは不思議と切れなかった。スタート直後のハイペースで、本来の目標だった13キロの関門はもう突破するつもりになった。ということは、と切り替えて、兎に角18キロの関門を突破する、ということにした。ここを突破すれば完漕できる。ただ、今は5分半でもこの先は不透明。それに今でもギリギリ。
沿道の方々、こんなに遅いランナーにまで声援を下さる。有り難い。
また、15キロ付近で途中でランナーのじいさん(おっちゃんというよりそんな感じの方)に並走してもらう。だいたい5分半をキープし続ける。ガーミンでラップが刻めていたので、これはアイテムに助けられた。
この後の18キロ突破のための難関の坂は、車で下見をしていたときから覚悟はしていたが、ここも最小限の落ち込みでクリア。そして、ここで前の車を車を捉えた。
遠いとか長いとか、前日の下見で何となく感じていた怠さは、全く感じなかった。兎に角必死で腕を動かした。100メートルの短距離を210回繰り返した感じ。しかも休みなく。こんな漕ぎ方はラン時代も含めてなかったと思う。ペース配分とかそういう言葉はなく、小学生のマラソンみたいに、初めから全力で飛ばした。

3分ぐらい残して、最終関門を抜ける。途端に心拍数が落ちたらしい。それでもペースを維持しつつゴール。

結局9台出漕で7台完漕。表彰台は6台(一般用は通常の部とシニアの部の2つで表彰がある)。完漕した7台のうち、シニア4位の儂
だけ表彰台を逃すことに(これは後で知った)。儂が最後に捉えて抜いたのは一般の部の通常の方なのでその方は3位。シニアの方が選手層が厚いということになるが、マラソンでも似たようなことがある。

でもそれよりも、予期せぬ完漕で、本当に興奮した。

ゴール後、コーラのうまかったこと。
来年は完漕できるかどうかは分からん。風が強かったりすればまず無理だと思う。それぐらいギリギリの高いハードルを越えることができたので、表彰台云々は別として、凄く満足した「初マラソン」だった。

満を持して・・・第31回全国車椅子マラソン参戦記・当日

2019-12-11 20:41:59 | 大会回顧録
朝は、6時半から朝食を提供してもらえるとのことだったので、いただくことに。10分で食べて高速に乗れば、恐らく交通規制がかかる前には駐車場に滑り込める筈と、これも計算の上で。

で、荷物も先に積み込んで、5分前ぐらいにレストランの入り口に着いたら「どうぞ」と。これは有り難い。そう沢山は食べられないが、余裕を持っていただくことができた。これはラッキー。

駐車場にあった別の参加者のクルマ。ステッカーがいい。にしてもどれもこれも大きなクルマばかりだった。何で?と思う。

予定通り会場に着く。ちゃんと2台分OK。今日はこのクルマが拠点になる。

市役所前へ。とりあえずトイレ。数は特別に多くしてあるようではない。少し待つ。

これ貸し出ししてもらえるんだろうか。愛媛にもあればいいのにと。

今日は、風もなく穏やかな天気。去年と合わせて2年分の好天。但し鱗雲。

準備を始める。

(優勝した)フル出場の方が、アップしている。迫力を感じる。

ぼんやりと、スタート地点周辺をうろうろ。そして、時間になり。スタートする。

そして、競技終了。表彰式は、入賞者だけが並ぶ。みなさんごつい、な。

いただいた弁当とかは帰ってからいただいた。

行きは一度休憩したが、帰りはそのまま会場を出て休憩とらずに一気に帰宅(ということで写真は行きの備前SA)。

レーサーがうろうろ、ではなくうようよしていて、不思議な2日間だった。

満を持して・・・第31回全国車椅子マラソン参戦記・前日

2019-11-28 20:18:52 | 大会回顧録
今から2ヶ月前。正に満を持してというコトバがぴったりだった初マラソン。

去年は、この篠山と吉備の二つの大会がともに台風で中止になった。それでも、1年後を目指して地道に(ほぼ)毎日漕いだ。だからもう、出られると云うだけでほっとしていた。

初めての大会は、「全国」と名の付くのにふさわしい大会で、かなり本格的でどきどきした。まずは前日、受付と健康診断のために会場へ。

レーサーが沢山並んでいて、結構じっくりガン見したかったのだが、傍に所有者らしき人がいるので止める。車いすの方々は、常連さんばかりで仲良く談笑していたりして、なかなか新参者には敷居が高い。

受付を済ませる。

この後、コースの下見のバスが出るらしいので乗ろうかどうかとかなり迷うが、そうかクルマで見ればいいかと気付き急遽、コースの下見へ。地図を見ながらハーフの距離を走る。途中一時停止を見落とし冷や汗をかく。

この後、指定された三田のホテルへ。大会参加者であることを告げると、設けられた専用のスペースへ。わざわざ2台分確保してくれていた。有り難い。

ホテルは普通のビジネス。段差もあるが、この辺りは1年掛けて慣れていたので何ともない。因みに去年の指定は三田ではなく丹波だった。いずれにしても、大会本部が多分2/3ぐらい負担してくれていたようである。

夕ご飯を買い出しに駅近くのイオンへ。

やれやれと夕食。

そして明日の準備をしつつ就寝。

で、いよいよ決戦へ。続きます。

第50回岩国マラソンにて

2017-09-19 19:47:00 | 大会回顧録
そういえば、と先日気付く。すっかり振り返りを抜かしていたということで。
この大会、回顧録として綴る程本腰入れて参加している訳ではないが。
まあ、記録とか意識はしているし。そして結構楽しい。

前日は前年度同様に横川でムスコ氏と会食。で、そのまま岩国へ。前年度はムスコのバイトがあって、西風新都から岩国までの移動は最終のギリギリだったが、今年はそれほどまででもなく。でホテルでもまだ呑むかというぐらい呑む。

で当日朝。ホテルから徒歩で米軍基地を目指す。前はローソンで失敗した(店員の兄ちゃんが勝手にポイント使ってしまった)から今回はとりあえずローソンパスしてずんずん進む。

貨物列車が通り過ぎる。「思えば遠くへ来たもんだ」の世界。朝から儲けたという気分。だってこのシチュエーション。

で、朝御飯は基地近くのセブン。駐車場というか、まあ地べたでパスタを。こういう時以外まず口にすることがない貴重品。

で、バスの時間に余裕を持って到着。30分ぐらい待ってから基地内へ。去年に引き続き、ということなので余裕がある。

土産を買う。手当たり次第に美味しそうなのを。これも結構楽しい。真剣に買う。高いが満足。

今回は何とキリ番。何と言うことはないが凄い。

靴はプーマの風神に、アシックスの厚めの中敷きで走る。
前の日、ようけ走ってようけ呑んでた割には、1時間37分と少しぐらいだったからまあまあ。結局正式タイムは教えてくれず、フェイスブックで確認するみたいだったがその画像も小さすぎてよく分からんかった。が、この辺りは、こだわらない方がいい。Tシャツと昼ご飯と、このコースでハーフ3500円とフル4000円は滅茶苦茶良心的だと思う。

基地を後にする。去年も来た筈なのに正門までの道に迷い、通りかがったパトカーに「めいんげーと?」と尋ねると親切に教えてくれる。じゃぱにーずいんぐりっしゅ、大丈夫なようで。

で、去年と違い時間に余裕はあった(去年はフル今年はハーフ)がバスに乗る。無理はせん。

岩国駅近くのスーパーで呉までの酒とつまみを買う。がんす、はこの辺のソウルフードらしい。見た目より柔らかく物珍しさもあって満足。さっき大会でもらったハンバーガーはお土産にする。

呉に着く。広島にしても岩国にしても、呉経由が何となく安心できる。便の多さと運賃と、そういうのは勿論ある。

早くに出たつもりだったが、観光港ついたらまっくらだった。明日は仕事ということをぼちぼち気にするようになる。

ともあれ。無事に。また来年も。

県クラブ対抗駅伝を振り返ってみた

2017-03-16 22:00:00 | 大会回顧録
今回は、松野町で行われたこの大会。儂の駅伝デビューの地である。

その12年前と同じ小学校が会場。あのときは松山も雪が降っていたぐらいで寒かった。
今回は好天で、少々暑いぐらいだった。儂がいうのだからよっぽどである。

コースは下って上って折り返して下って上る。12年前と同じ。


今回は、試走して5キロ折り返しまで行ってみた。旧松丸街道が趣があって、駅伝でびゅーっと走るには勿体ない。一度旅ランしてみたいコースである。

役場の通りを暫く行って、3キロは折り返す。前回はここで折り返した。今回はもう少し先まで行ってやや上って折り返す。この日は近くの施設で事件があって、ここから少し離れると警察や報道が出入りして物々しい雰囲気。ヘリコプターも飛びまくり。
そんな詳細は後で知ったことで、それはさておき今回はこの好天に恵まれたのと、12年前のことを思い出しながらただ懐かしいのと、前日チームで隣町の旅館(みたいな公共施設)に泊まりわいわいと過ごしたのとで、かなり思い出に残る駅伝になった。
勿論、楽しかったが楽ではなくかなりきつくて走った後暫くは汗も鼻水も止まらんかった。それぐらいはしっかり走った。記録は20分55秒。完全に予想タイムと一致。

靴はタクミレン。

初めから余り細かいことを考えずに走った。で半分行かないうちに苦しくなり、えらい目にあった。こうして両足が浮いている写真は珍しい。チームのFさん撮影かな。上手やなあ。

閉会式ではたくさん参加している方の表彰があったが、どれどれ儂はと過去の記録を振り返ってみた。
2005年 第39回 松野にて(4部・当時の職場チーム)3キロ・5区 13’05”
2006年  直前にインフルに罹り欠場
2007年 第41回 西条にて(4部・お誘いいただいて)5キロ・3区 20’53”
2008年  声がかからず不参加
2009年 第43回 旧小田町(4部・お誘いいただいて)5キロ・5区 21’56”
2010年 第44回 四国中央(4部・お誘いいただいて)5キロ・1区 19’46”
2011年  東日本大震災のため直前になり大会中止
2012年 第46回 松山にて(4部・今の職場チームで)5キロ・5区 21’30”
2013年 第47回 新居浜で(4部・今の職場チームで)5キロ・1区 20’26”
2014年  ムスコの受験と重なり不参加
2015年 第49回 広田にて(4部・今の職場チームで)5キロ・7区 21’50”
2016年  直前に風呂でこけて肋を負傷し欠場
2017年 第51回 松野にて(4部・今の職場チームで)5キロ・3区 20’55”

この大会は、交通規制をする関係からか、風の強い海沿いか、傾斜の多い山かのどちらかにコースを設定することが多いように思う。タイム自体は決して良くない。44回大会の記録がベストで唯一の20分切り。これはうれしかった。体調崩して咳が止まらんかったが、速い人の代わりを務めることになってものすごくプレッシャー感じながら走りきった。コースはかなりフラット。
前回の松野の時は4部でも1・2・3部と同じ10キロ区間があったり、8キロに二人エントリーする必要があったりして、繰り上げとか普通にあったようで、今考えると懐かしい。
一番きつかったのは、小田か広田か。小田は(標高差100メートルぐらい?)急な勾配を下って折り返しまで行き、同じ高さを上って戻る。広田は(標高差80メートルぐらい?)小田よりは緩い勾配だがフラットなところが小田より少なく、行きが上りで帰りが下りになる。帰りの坂で歩いている人をよく見た小田がきついという印象があるが、考えようによっては行きに脚を使い果たして帰りは制御の効かない下り坂を走るという広田もきつかったか。
今の職場でチームを作って参加するようになったのは、割合最近のこと。S君やK君がお世話してくれるので有り難い。
また、こうやってみると、職場にチームが無くても声を掛けていただくことがあったりして、これだけの回数参加することができたのはラッキーであると思う。また、本当に参加しなかったのは1回だけで、インフルとか負傷とか出られなかったがエントリーだけはしていたときもあった。有り難い話である。西条の時のMさん、小田と四国中央の時のNさん、特にNさんには本当に良くしていただいた。このときにいただいたチームのTシャツはいまだに大切に着ている。

あと2回で10回参加の表彰らしい。いやまあそんなんどうでもいいんですが。

第51回愛媛県クラブ対抗駅伝競走大会速報

2017-03-12 21:52:00 | 大会回顧録
昨日今日と、楽しませていただきました。

タイムも自分で計ってないし、ホームページに4部だけアップされないので結果は分かりませんが、まあ仕方がないです。

暖かかった分、最初に突っ込み過ぎました。キツかった。

帰りの車では、掟破りまでさせていただきました。

思えば「デビュー戦」の場所でもあります。
奇しくも、全国版ニュースになるような事件もすぐ近くで起こっていて。
いろいろな意味で思い出に残る大会だったように思います。
ありがとうございました。

追記。
さっき確認したら、タイムは20分55秒。
風はなかったが、上り下りの傾斜はそこそこあるコースで、下りでスピードが出ない儂にとっては、ほぼ想定通り。フラットならもう少し出るだろうから十分。