きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

雨の中ペース走

2010-10-31 20:33:40 | 徒然に2010-2013
指定された時刻に間に合わないと思い、急遽ペース走。アップとかストレッチやってる暇はない。約11キロを53分で終了。こんなに速いペースで10キロ走るのは年に数回ほど。これぐらいしっかり速度を出すと左の足首はその存在をアピールするかのように痛みます。雨も結構降り続け、ずぶ濡れで到着。ただ、着替える余裕が充分あり、ほっと一息。ただ、最後の最後に右の腰にいやーな違和感が・・・。普段のペースならそれほど準備はいらなくても、しっかり走る日はやはりほぐしてからでないといかんようで。
今日の用件は、「歌う海賊団」のコンサート(「NHKみんなの手話」に出演中)。歌詞の中で、親だって一年生、失敗もある・・・と。確かにそうだよなあと。元気になろうというだけならたやすいが、それでも前を向き続けることは必要だなあと。

帰りは降り続く雨に負け、走る元気がなく(前を向かなければならないのに!)、近くの駅から電車を利用しました。坊ちゃん列車が帰って(?)きていました。

曇天、雨天の休日でしたが、RUNも「宿題」もそこそここなすことができました。この2日間、10キロずつぐらいしか走っていませんが、まあ月末のご褒美ということにしました。

すた丼のこと ハムのこと

2010-10-31 00:18:07 | 徒然に2010-2013
さっきテレビを見ていたら、日ハムに入団予定の斉藤佑樹選手の特集をやっていて、そこで出てきたのが「すた丼」だった。もう懐かしくて・・・。大学生の時、結構近くに住んでいて、よく友人と食べに行った。もう20年ぐらい前の話だ。店の名前もようわからんし、初めて行くにはそこそこ度胸がいりそうな店だったが、地元の友人に言わせると昔から結構有名なところだったらしい。この店によく夜中に行った。今考えると、あんな胃にもたれそうなもんをよく夜中に食べられたもんだと思う。さっき検索したら、以前は「スタミナ飯店」と呼んでいたらしいが、そういえば確かにそう。
斉藤選手、儂のひいきにしている日ハムに入りそうなので、ちょっと応援しようと思っています。ちなみに、儂の日ハムファン歴は、結構古くてもう30年は超えている。パリーグの野球中継がほとんどなくて、地方の野球少年はほぼ巨人ファンだった時代になんで日ハムファンでいることができたかはちゃんと理由がある。ある日、親父の出張土産で買ってきてくれた野球帽が、見たことがないものだった。「これどこのチーム」と尋ねると親父曰く「うーん・・・日ハムかな」とのこと。実は、大リーグのフィリーズか何かの帽子だったのだが、親父さん、結構適当に答えたようで。ただ、形から入るというかとりあえずかぶっていくうちに「日ハム」大使みたいな感じになって、とにかく間違いなく小学生の時から日ハムファンになっていた。工藤とか間柴とか、ソレイタとかいて、ユニフォームがオレンジに変わったあたりはよく新聞を見ていた。大沢親分が監督をしてました。でもそんなに強くはなくて、何で勝てんのかって思ってた。2つ前の職場には、これも気合いが入った近鉄ファンの方がいて、結構パリーグ談義や弱小チーム談義に花が咲いた。

明日、じゃなくて日付が変わって今日か、とりあえず今月も500キロ超え達成できそう。今月は無理だと思ったし、無理でもいいやという感じだった。脚はまだ曲げると痛いし、別に500キロ超えなければ走れなくなるようなこともないだろう。むしろ毎日走るとか、だらだら走るとか、決して効率としてはよくないはずだ。でも、走ろうと決めたことはやはり走らんと気分が悪い。それだけのこと。別に力をつけるための500キロのノルマではなく、単に決めたことだからというだけのこと。理屈じゃない。でも最近、達成できなくても仕方がないというようにも、思うようになってきた。少しRUNに対する考え方に余裕が出てきたのかもしれない。

どうやら斉藤選手も自分で決めたことを突き進むタイプらしい(まあプロに行くような選手は程度の差はあれみんなそうなんだろうが)。来シーズンの日ハムは、また気になりそうです。

四日目で

2010-10-26 21:20:29 | 装備の話
靴底の黒いゴムがちびて白いウレタン(?)が、顔を出す。今年の初めに京都キャロットさんでまとめ買いしていたアシックスのGT-2130ニューヨークをすべてはきつぶし、先日久々に、フットワークさんでニューバランスの靴を購入。ニューヨークが一番好きなのですが、年間7~8足ぐらい買うので、お値打ち品を探さなければ大変なので。この靴、MR760という。

靴底が堅い感じだが悪くない。結構走り始めが楽。しかし、もう少しもってくれんと。ちなみに四日間で100キロ弱ぐらいですが。それとニューバランスの靴は少し小さいイメージがあったのだが、ワイドサイズはぶかぶかだった。失敗だが、ネットで探すと仕方がないことではある。
ウレタンがちびるようになってどれぐらいもつのか気になります。

さぶいでんな。明日朝は冬仕様かな。

100マイルの向こう側に ~三木総合防災公園マラソン参戦記

2010-10-24 21:25:12 | 大会回顧録
 先月の24耐の参戦記です。ぐずぐずと記しています。 

 先日の24耐(第3回三木総合防災公園マラソン:シングルの部)では、初マラソンや初ウルトラの時以上の「地獄」を味わいました。
 儂にとっては、2年前の「えびすだいこく100km」以来のウルトラです。2年開いたのは、これぐらい間隔を開けないと、しんどくて走る気になれないというのが1番の理由です。この9月下旬の時期、京丹後ウルトラ(歴史街道丹後)と村岡ダブルフル(いずれも100㎞。しかも結構な高低差有り)を一週間空けて続けて走るという方のブログを読んだことがありますが、儂自身はちょっと考えられません。
 2番目は、交通費やエントリーの費用などの理由です。ウルトラの参加費は15000円以上の大会がほとんどですし、往復の交通費を考えると結構な金額になります。今回は、7月末にコンビニのトイレで8000円を落としたため(ジョグ後「いつものように」着替えていた)金欠状態になり、当初予定だった京丹後へのエントリーを止め、近くてエントリーの費用も半額程度のこちらの24耐にしたという理由もあります。今となっては「災い転じて」ということになりますが。

 えびすだいこくの時の教訓の一つに、車で行くと行きも帰りもしんどいというのがあり(安くつくのですが)、開催地のことも考え、今回は行きはフェリー、帰りは高速バスということにしました(帰りにビールがたくさんたくさん飲みたかったというシンプルな理由もあります)。
 で、行きは前日の夜、フェリーに乗り大阪まで行き、さらに翌朝大阪から4時間かけて会場に到着。案外遠く、車で自宅から行っても5時間はかからないはずなので、選択ミスったかという感じでした。ニュートラムから阪神、神戸電鉄まではスムーズでしたが、最後のバス待ちが長かった・・・。緑が丘の駅で1時間呆けていました。待っている時に職場の同僚から熱い激励のメールが入り、そういえば走るんよなあと人ごとのように返事をしました。そこから会場までは5キロぐらいなので、普段なら確実に走っていくところです。でも、これからいやと言うほど走らなければならないので我慢しました。フェリーですから、そう十分な睡眠はとれておらず、かといって前日まで仕事。みんな条件は似たようなものなので、うだうだ言えませんが、不安がないとも言えませんでした。

 到着すると、無茶苦茶きれいで設備の整った陸上競技場で本当にびっくりし、また、シングルの部の参加者17名という数にびっくりしました。ぎりぎりに申し込んでの自分のゼッケンの番号から推測すると50人ぐらいいるのかと思っていましたから。ランニングブームといえど、やはり24時間というのは、競技人口の少ないレアな世界なのかと妙に感心しました。観客席下のピットスペースにウレタンマットを敷き、陣地を確保します。周囲は、リレー部のチームエントリーの方々で大賑わいです。落ち着きなく駅前のコンビニで買っておいたパンを食べ、甘いコーヒーを飲みます。今日は、カロリーを気にせず存分に食べることができますが、思ったより入りません。何でかなと思っていたら、2時間前に、既にパンやらスパゲティやらをそのコンビニの前で食べていたことを思い出しました。

 で、開会式と競技説明の後、何となくという感じで昼の12時にスタート。どきどきも不安もなく(強いて言うならマイクの音が全く聞こえなかったので、要項に書いてあるルール以外のことが追加されたらまずいなとは思いました)。コースは、競技場を出て、公園内のジョギングコースを周り再び競技場に帰ってくる1周2.2kmを周回します。この三木総合防災公園は、サッカー場は数面あるわだだっ広い芝生広場はあるわ、陸上競技場に野球場にとその規模にはびっくりします。走っていない頃の昔の儂なら、駐車場から歩いて移動するのも嫌で、トイレに行くだけで息切れしそうな気がします。
 スタート前には、いろいろなことを考えていました。いったいいくらぐらい走れるのだろうかと。自分にとって100km以上は未知の世界です。距離を重ねるのは難しいのは分かります。例えば、萩往還は山道の上に制限が24時間で、140km(萩を走ったことがある儂の「師匠」がいうには正式には132km余りなんだそうですが)という距離・・・ということは、私もゆくゆくは萩を走りたいと考えているランナーである以上、この辺が最低目標かなと思いました。何も背負って走らないわけですし、この140kmにどれだけ重ねることができるかかなと(これも走った後で考えれば、結構無謀な目標だと思います。100kmは走れても110kmは格段に厳しい距離です。1km重ねていくことがどんなに大変なことかと)。
 そして、今回は「入賞」を狙おうかと。そうなれば、最低160km以上かなと・・・。正直に言うといろいろ皮算用して走りました。やはり欲も見栄もあります。

 最初の4時間は「えびすだいこく」の時のペースより少し早めでした。野球場で試合をする小学生、サッカー場で練習する高校生、芝生広場で遊ぶ家族連れ、いろいろな人がそれぞれの時間を過ごす中を抜けるように走りながら、儂を含めたランナーはテンポ良く周回を重ねます。しかし、この時点ですでに左の足首がおかしくなり、当初の予定より早い時間でスピードが落ちてきました。結構抜かれます。抜かれたことで、ちょっと気持ちがめげて来ました。いつものジョグのように帽子はかぶらず、暑い中ややとばしたのも影響したかもしれません。今回のシューズはアシックスのGT-2140で、いつも通勤ランで履いている2130の同系列ということもあり余り考えずに選択して履いてましたが、微妙に履いた感じが違っていたのかもしれません。最後の鋭角のコーナーで元気よく方向転回していたのが悪かったのかもしれません。今考えればいろいろ理由はありました。ただ、正直よく分かりません。だいたいのことは考えた上で準備をして走りますが、距離が長いことで考えてもみなかった影響が出ることはあると思います。そういうものだと思います。
 そのうち、周回を重ねるごとにずるずるとペースが維持できなくなり、腹も減ってきました。そこで、夕食を頂きに長めにピットに入りました。夜の8時前ぐらいです。主催者に用意していただいたカレーの大盛り。思わずご飯を残して置こうかと思うくらいの量でしたが、床に置いておくのも何だかなあですし、ご飯だけ後で食べるということもしないかもしれないと思い、その場で全部いただきました。あったかいご飯が本当にありがたかったです(このころすでに写真をとる余裕はなし)。
 駅伝チームは、交代で走りますし、食事関係もポットでお湯を確保したり食料も不足なく準備されているようでしたが、シングルの参加者の中でも特に儂のように単独で来ている者は、装備も限られ準備もぼちぼちしかできませんから、例えばオートバイレースでのワークスチームとプライベートチームぐらいの違いがあるようなものかもしれません。儂自身は、持参した食料の総カロリーを考えると不足するかもしれないという不安を感じていました。で、前半から結構エイドのビスケットやらバナナやらを一周ごとに補給していました。残念ながら途中で飽きてしまい、続きませんでしたが。

 再びコースに出て、10時ぐらいまでは歩かずにいたのですが、10時を過ぎるぐらいから、歩いている人になかなか追いつけないぐらいのスピードまで落ちてきました。自分より年上のランナー、お世辞にもフォームがあまりきれいでないランナーにまで本当に何度も何度も抜かれて気が滅入ってしまいます。何とか100キロまでは歩かずに粘りたいと考えていましたが、早歩きのランナーに抜かれるようになったため、80キロ余りで走るのをやめ、上り坂の部分(約600mぐらい?)を早歩きで歩くことにしました。
 体への負担が少し軽くなったのか、4、5周は順調にタイムを回復しましたが、やはり足首が痛いためか、走り始めてからのスピードが上がらなくなり、歩くスピードも早歩きから普通の歩きになってきました。体が思うように動きません。
 夜になり、月が出ていました。月明かりと公園の照明で足下は問題ないぐらいに明るく、夜のジョグとしてはすばらしい環境でしたが、実際には気持ちよくは走れませんでした。だんだんとしんどいという感じから、痛い、つらい、悔しいという気持ちに変わってきました。歩きながら、そしてよたよたと走りながら、入賞を意識して臨むという分相応でないことを少しでも考えてしまっていた自分が情けなくなり、相当へこみました(この気持ちはしばらく思い出したくない、大会のことは誰にも話したくないなあとさえ思いました)。
 その上、月が高く上がるにつれ気温が低くなり、痛い、眠い、寒いの三重苦で体も相当にやられました。半分寝ながら歩き、路肩の芝生の感触で目が覚めること数回。距離が稼げる訳でもなく、相変わらず、リレーチームだけでなくシングルのランナーにも抜かれ続けました。抜かれるというのは、普段はあまり何とも感じないのですが、周回コースで何度もされると自分の存在が否定されているような気になります(抜いた人にそういう気持ちは全くないでしょうが)。12時過ぎてようやく100kmを超えたものの、それ以上は距離がなかなか伸びず、時間がやたらかかるようになり、「無期限休養」の絶望的な気分でピットに入りました(結局100kmは12時間半ぐらいでしたか。これでも十分な記録ですが・・・)。 もう、ゴールのことは考えていませんでした。棄権はしないと思っていたのでゴールはするだろうけど、これから何km歩けるのか見通しが持てなかったし、これから昼まで11時間ぐらい眠り続けて終了を迎えることもあるかもしれないとも思いました。
 今考えれば、痛みに対する対策を全くしていませんでした。スプレーやテーピング、痛み止め(バファリン等々)を持ってきていれば違っていたのかもしれませんが、そうした準備を全くしていませんでした。過去2回のウルトラでは80~90kmぐらいで背中が痛くなり、かなりきつくてエイドごとにおいてあるスプレーにお世話になった記憶があるのに、です。距離が長くなれば、当然、痛みについての対策をしていなければなりません。しばらくエントリーの期間が空いていたことで、このことを忘れていたようです。

 1時半か2時前かはっきりと覚えていないのですが、ピットで靴を脱ぎ、持参したキャンプ用マットの上に寝転がりました。寝転がると寝過ぎるので、座ったまま仮眠をとった方がよいようにも思いましたが、どうしても横になりたいと思いました。目覚ましすら準備しませんでした。もう朝まで寝過ぎてもかまんわいという感じでした。起きたところで、この先どうやって距離を稼げばいいのか見当がつかなかったのですから。

 目が覚めたのは、それからだいたい35分後ぐらいでしょうか。通常、眠いときに仮眠をとるとだいたい15分ぐらいで目が覚めるのですが、今回はそういうわけにはいかなかったようです。ただ、思ったより目はすっと覚めました。仮眠時間が思ったより少なかったので、直感的に「まだいけるかも」と感じました。寝ぼけているせいか、脚の痛みも感じず、靴を履いてすぐに再スタートしました(コンタクトレンズは結局24時間つけたままです)。
 気持ちとは裏腹に、走るのはまだ無理で、なかなか距離は伸びませんでした。寒いので、1周ごとにピットに帰り、ジャージを着たり、ズボンをはいたりして、ふるえながら歩きました。冬の愛媛マラソンで使用する「ファイントラック フラッドラッシュスキンメッシュ」も着用しましたが、体温が上がっていないので効果なし(あたりまえか)。走れば体温が上がるのでしょうが、走れないのでどうしようもありません。着ぶくれし、走る格好でもありませんでした。始めから着替えはしないつもりでしたが、これだけ着込むことになるのは想定外でした。一応、秋口からいつも着ているピステぐらいは持ってきていましたが、あまり役に立ちません。結局、スタート前に会場に出店しているお店で、日焼けして安くなった2009年度の高校駅伝のトレーナー(500円!)を買っていたのですが、その季節はずれの厚手のトレーナーを着て、何とか寒さが治まりました。トレーナーがここで役に立つとは思いませんでした。トレーナーの背中には「まめにつないでさいごまでねばれ」とありました。

 こうして二時間余り、効率の悪い周回を繰り返しました。ようやく寒さが治まると、出ると公言して来たからにはせめて恥ずかしくない記録を持ち帰りたいという、見栄っ張りな根性が再び強くなり、とにかく歩き続けました。距離はそれほど稼げませんでしたが、他にも寝ないで励まして下さっている方の存在が支えになりました。実行委員でしょうかボランティアスタッフでしょうか、女性(大学生ぐらい)の方数名が9時ぐらいから夜通し競技場入り口のエイドに陣取り、給水等のお世話をしてくれ、夜中になっても休むことなく拍手で励まして下さいました。私は、通るたびに、その都度会釈していましたが、首が疲れてきたので、明け方前には手話で「ありがとう」といいました。手を挙げるのは抵抗があったし(歩いていたので)、声を出す元気もなかったので。すると彼女たちは、次の周回では拍手ではなく、両手の拳を上下させ「がんばって」と返してくれました。これは本当にうれしかったです。
 監察でコース上にいる実行委員の方々も、夜は立つ場所が少なくなったものの、基本的にはほぼ同じ方が同じ場所で、ずっと見守っていて下さっていたようでした。何度か逆回りで周回しながら励まして下さった方もいました。本当に頭が下がりました。下りのところに居てくださった方は、拍手や棒を叩いてリズムをとって下さいました。「カンカンカカンカカンカンカン・・・」みたいな感じで。結構バリエーションも多く、それに合わせて走るリズムを合わせたりもしました。

 明け方になり、山の方がきれいな朝の色になってきました。以前、単車で遠距離通勤をしていた時によく見たきれいな「あお」でした。あの頃は何もかも「単車」でした(そういえば、片道80kmということは往復で160kmかあ・・・と今思いました)。こうして自分の脚で走っていることの不思議さを感じました。足首の痛みは少し軽くなって来て気分を持ち直し、このペースで残りどれだけいけるかを頭の中で計算しました。結果、走りを少し増やせばとりあえず140kmには乗せることができるかもしれないということになりました。それぐらいなら、帰っても報告できる数字かなという感じで、少し元気になると見栄が出てきたようでした。そして目標が持てたことで、残りの7時間ぐらいはひたすら1周を重ねることだけに集中しました。
 途中経過は、まめに更新されて本部に掲示されていたようですが、無視しました。順位を気にする自分の気持ちに腹が立っていましたので。結局、そのうち確認しようと思っていた順位は最後まで一度も見ないままでした。
 シングルの参加者のほとんどは、いすと机がある本部とは反対側のピットにいたようです(移動するのが面倒だったので、結局床にマットを敷いていろいろ物を並べ、自分のピットスペースを作ったのですが、始めにいすも机もあることを確認できていたら、儂もそちらにいっていたかもしれません)。結果、私はリレーチームが仮眠をとったり談笑している方が多いピットにいたわけですが(他にはシングルの参加者は2、3名でしたか?)、終始シングルの参加者をピットであまり見なかったことが逆に、最後の最後になって他人を気にせずに走れたのかもしれません。

 日が昇り気温が上がり、基本的に1時間に3周回というペースを堅持し(約6.6km/h)、距離を重ねました。このときはずっと何か考えていたようにも思いますが、全く何も考えていなかったようにも思います。競技場で時刻を確認し、トラックを走り、外のジョギングコースへ出ての下り坂を惰性を使って走り、やがてフラットから上りに差し掛かる頃に歩きに切り替え、再びフラットから下りになるほんの少しの勾配のところで走りにギアを切り替え、そして競技場まで続けて走る・・・を繰り返しました。左の足首は痛かったし、歩きから走りに切り替えるときは、ちょっとした気持ちの切り替えも必要でした。少し止まると次はもう歩けないような気もしていました。やめるならいつでもやめられるぐらいのぎりぎりのところでした。それでも、時間が長いと感じてはいなかったかもしれません。単調であるはずの周回コースもそんなにはイヤではありませんでした。ぐるぐる回りながら、前に進むことだけでした。この間の休憩はほとんどとっていません。
 儂は、マラソンの時、レース後半に腹を立てることがよくあります。何故かよく分かりませんが、実際そうです。腹を立てると言うこと自体はあまり好ましいことではないのかもしれませんが、ただ、結果的に推進力の一つにもなります。この時もそうでした。今回は、順位のことを気にしすぎたことが、腹立ちの原因だったと思います。もっと純粋に走ることと向き合いたいと思いましたし、そのギャップの中にいる自分を情けないと思いましたし。

 残り10分を残して最終周回へ。24時間ほぼ休みなしで見守ってくださった大会実行委員の方に、一人一人頭を下げ、涙をこらえながら走りました。結局、明け方から再びほぼ休みなしで走り、上方修正して162kmという自分にとっての目標を達成することができました。残りの8時間は、順位(他人)と向き合うことを忘れ、ひたすらの距離(自分)と向き合っていました。たとえ見栄でも、このことが集中を切らさずに、一周を重ねることにつながったように感じます。終わってみれば、自分の走りをするという初心に還っていたマラソンでした。
 ゴールに多くの方が出迎えてくださいました。格好悪く、でも堂々と一歩一歩進みました。自身にとっては最高のゴールテープを切ることができました。

 泣きました。

 初めてのフルとウルトラの時は「もう走らなくていい」という気持ちでした。自身よくやったという涙でもありました。今回は、よくやったという気持ちに加え、いろいろなことに対して「ありがたい」という気持ちの涙が含まれていました(別の言い方をすれば、ここまで走って痛みを感じないと「感謝」という気持ちが出ないということは、儂の器の小ささをそのまま表しているような感じではありますが)。
 162km走れたので、順位はどうでもよかったんですが(本当です)、目標をクリアでき、充分満足できたので、軽い気持ちで「とりあえず順位見とこ」と、途中経過の張り紙を見に行きました。周回数間違えてないだろうなという本当に軽い気持ちでした。

 泣きそうになりました。
 3位でした。

 運動音痴で、体育の時間が大嫌いだった儂です。小学校の時は鉄棒も跳び箱も水泳も、クラスの中でいつまでもできない最後の1,2人にいつも入っていました。小中とずっと学年一の鈍足でした。体も弱く、体力も運動能力もありませんでした。
 そんな儂でも、この歳になってついに「陸上の大会」で参加賞以外の賞を頂くことになりました。恥ずかしいので、参加者15名(結局2名出走していなかったことを最後に知りました)だったから、という言い訳はします。でも、3位は3位なので。162kmちゃんと走っていますので。
 最後の最後になって順位にこだわっている自分をさらけ出してしまい、ちょっと「何だかなあ」という気はしないでもないのですが、レース後半、そうした自分と向き合った結果での順位なので素直に喜ぼうとも思いました。

 儂を抜きまくっていたはずのランナーは、それほど周回を重ねていなかったようでした。何故かよくわからないのですが、休憩を思ったよりとっていたのではないかと思いました。儂のピットに入った時間は、ものを食べたり飲んだりトイレに行ったり仮眠とったりの合計が1時間54分で、残りの時間はずっとコースに出ていたということになります。不格好でゆっくりでもしつこくしつこく、そして見栄っ張りな根性が源ではあるにしても、とにかく回数を重ねたことが結果に表れたようです。

 帰りのバスの時刻が近付いています。その次の2時間後のバスでは、神戸からの高速バスに間に合わないので、急いで帰り支度をしなければなりません。感動もそこそこに、ゴミも残った食料も、マットも着替えもとにかく鞄に放り込み片付けました。24時間はきっぱなしのCW-Xのタイツなんかそうそう簡単に脱げません。トイレで足がつりそうになりながら必死で脱ぎました。
 むぎゅむぎゅと脚で地面を踏みしめるごとに、左の足首から音がするような気がします(実際かなり腫れ、水がたまっているような感じでした)。ゆっくりと競技場を出て、バス乗り場に行くと、実行委員の方が何名かバス待ちをしていました。少し照れくさいような感じで、お互いに顔を合わせました。バスに乗り、電車を乗り継いで三宮へ行き、喫煙席しか空いていなかったマクドの席に座りようやく軽く「昼食」をとりました。ビールが飲めれば良かったけど、いい店を見つけることが出来ませんでした。足が痛くて探し回るのも大変だったし。
 結局、高速バスに乗り込んですぐに500mlを一本「くぐっ」と一気に飲んだとたんに意識がなくなりました。窓の外に「今宮」という文字が見えたのが最後でした。高速にはまだ入っていなかったはずです。ビールがうまいとかのレベルの話ではなかったようです。

 そして、左足やら右膝やらの治療で一週間ぐらい難儀なことになります。

 162kmは約100マイルと少し。100マイル超えというととんでもないことをしたような気分です。160kmというのはそれほど飛び抜けた記録ではないとは思いますが、100マイルという響きに改めて達成感を感じます。
 今回走りきったことで、まだ長距離は自分の伸びしろがあるということを確認することができた点も大きな収穫でした。最近、走ることのモチベーションをどこに求めるか悩んでいたので(記録的にはフルはもう無理だろうし、かといって100kmもあれ以上の記録は考えられないという点で)、もうしばらく、今のままの練習を続けてみようと思いました。体力的には下り坂ですが、しぶとさは今より向上するかもしれませんし。
 次は、フル4回分の約168kmが目標です。エントリーはもう少し先のことになるはずです。

 最後に・・・。
 雰囲気のよい大会でした。思っていた以上の貴重な経験をすることができました。リレーチームの楽しそうな様子と、襷をつなぎながらみんなでゴールを目指すというリレーならではの成就感、達成感を想像し、いつかはリレーの部に出てみたいと思いました。
 振り返れば、山の中、決して消えない明かりに希望を託し、ぎりぎりのところで自分と向き合いながら歩きました。顔をゆがめフォームを崩しながら、何時間たってもひたすらに前に進む他のランナーに、自分も負けないようにと頑張ることができました。
 そして、実行委員の方々の休むことない励ましと見守りに勇気づけられながら走りきることができました。他人のために24時間支えることの尊さは、走ることが好きだからというだけでは説明できません。ありがとうございました。本当にありがとうございました。

おはかまいりの途中で

2010-10-23 23:41:14 | 徒然に2010-2013
今年になって、月に一度、犬のおはかまいりに行くことにしている。片道で約20キロあまり。この日は、片道プラス復路の途中までで、合計30キロあまりのJOGになった。
国道だが結構な山の中を走る。路肩はない。道の片方は断崖絶壁である。交通の難所とでもいうか事故も多い。

途中に、うどんやさんの跡がある。中学を卒業した春休み、誰となく食べに行こうと言い出し5キロぐらいの道のりを、ある者はチャリを押してある者は小走りで、坂道をふうふう言いながらたどりついた。路肩に歩道はなく、大型トラックが通るたびに少し怖い思いをした。儂自身はこんな山の中にうどんやがあることにびっくりしていた。うどんやでは、みんな二つ注文し、儂はかまあげとかけうどん。「山かけ」というメニューがあるのを知ったのはこのときだ。コシの強いうまいうどんだった。
地元の工業高校に行く奴、卓球の特待生で県庁所在地にある高校に進学する奴、大阪や横浜に就職する奴、そして地元の高校の普通科に行く儂(ここでいう地元は一番近いという意味でいずれの高校もそれぞれ10キロぐらい離れていた)・・・見事にみんなばらばらだった。そのときはあまり考えなかったが、ばらばらになるから、最後だからみんなで・・・という気持ちは少しはあったのかもしれない。山の方の中学校でのんびりしたところで、生徒数がどんどん減っていて、空き教室だらけの中学校だった。うどんやに一緒に行った奴らは、経済的にみんなそれほど恵まれている訳ではなかった。それぞれ家の事情があった。のんびりしているようで、結構みんなシビアに自分のことは考えていたのだと思う。最近あまり会ってはないが、みんななかなか大変なんだろうなと思う。でも、それぞれがそれぞれの場所で頑張っているんだと思う。
うどんやさんはなくなったわけではなくて、街の方に引っ越して営業している。時々前を通ると結構繁盛している。この山の中にあったときから繁盛している店だったから当然だ。希望的観測だが、うどんやさんの看板はまだ下ろされていないから、ここにも又店を復活させるつもりじゃないのかなと思ったりもする。お客さんが入って繁盛している店を見ると、山の中でもほっとしたりする。

街走り

2010-10-20 22:08:07 | 徒然に2010-2013
いつもの道でも、視線を5度とか10度上げると、今まで見たこともないような光景が飛び込んできます。
儂の通勤ランは、そこそこの市街を走るので、結構ビルなどの高い建物が目につきます。
昨日今日のように背負う荷物が多いとき、前屈みになりがちな姿勢(背負う荷物に関係なくそうなりがちなのですが)を矯正するべく背中をピンと伸ばします。気持ちの上では、伸ばすどころか反っくり返るぐらいにするとちょうどいいぐらいの姿勢になります。すると、思ったより高い建物がそこにあったり、屋上に小さなプレハブが見えたり、結構ぼろぼろになった金網が見えたりします。本当に見たこともないものがたくさんあります。街走りは、人目が気になる方もいるでしょうが、景色のいいところを走るのとは別のおもしろさがあります。

昨日は泊まり勤務だったので、昨日今日で通常の半分の練習距離。忙しいときは無理はできないなと思いつつ、少々落ち着きません。

ごくごく普通の休日のjogのこと

2010-10-18 22:36:31 | 徒然に2010-2013
休日出勤する予定だったが、朝一で急用ができる。それを済ませた後、自宅でごぞごぞとPCに向かうこと数時間。区切りがつかないまま午後の4時を過ぎたので、バイパスを往復することにする。
行きは向かい風でだらだらと上りが続く。重い足取りで(本当に重い・・・)仕事のことを考えながら走る。こんなことはしょっちゅうある。考えて解決する場合もあれば、徒労に終わることもある。ほとんどの場合考えるだけ無駄じゃないかと思うのだが、考えずにはいられない。前向きになることもあれば、全く展望がみえないときもある。今日はさそれに増してささいなことでぐじぐじと考える。足が重い。姿勢は悪い。仕事は行き詰まる。こんなことはしょっちゅうある。

風はまだ向かい風。結構強い。

自分がきちんとやってるとか頑張ってるつもりでも、必ずしも他人はそうはみてくれない。そんなことは何度も経験してきたはずだ。それでもしんどいなあと感じることはある。しょっちゅうあっても慣れるもんじゃない。

折り返し。何とか目指すところまでは行けた。後は追い風下り坂。夕日が目に入る。風が背中を押してくれる。スピードが上がる。

いつまでたっても風に頼るようではいかんし、向かい風だろうが上りだろうがいつでもしっかり進めるようになりたいと思いつつ、でも風に助けられている。楽したいときは、風に助けられるような練習コースを選んでしまう。前半きついのは我慢できる。でも後半きついのはなかなかしんどい。距離を走っているようで実はそこから逃げている。それも認めざるを得ない。それもまだ自分が甘いということだと思う。とすれば、自分が頑張っているとか思っていてもやはり小手先のもんでしかないのかもしれない。やはり人は見ているということなんだろうか。

結局、すっきりしないまま、暗い気分のままで15キロが終わる。走って気分転換なんかならん。行きは約1時間、帰りは約45分。甘いコースに依存した自己満足の極致。でもまあいい。10キロでやめなかったからいい。止めることはいつでもできた。止めないことを続けることが自分にとってのラインだから。とはいえ、仕事の方はメドがついていない。

基本的にネガティブなので、こんなことはしょっちゅうあります、というよりごくごく普通です。でも他人はそう思わんかもなあ。はあ。

おたんじょうび

2010-10-16 22:08:55 | 徒然に2010-2013
昨日まで「北の大地」に所用で滞在してました。とある研究会に参加です。結構密なスケジュールで、ハードでしたが充実した研究会でした。「お仕事」なので、当然あまり観光のことを考えてはいけないのですが、実際昼間にそうした時間はありませんでした(ただ、朝早起きしてちょこちょことジョグはしてました。このときの様子はいずれ)。それはそれで少し寂しい気もしましたが。
で、そうこうしているうちに、43回目のおたんじょうび、です。感謝、感謝。ありがとう。
今日も明日も仕事ですし、しばらくまたいろいろやっつけなければならないことが増えてきていますが、その上で、走り続けるための「ほんの少しの理由」を「ひとつひとつ大切に磨き続けること」を忘れずに走っていこうと(走ることについて語るときに僕の語ること:村上春樹より)。

「父」が右向きに走っています。風も切っています。うれしいやらびっくりするやら。ありがとう。

田舎道を往く商店街を往く

2010-10-10 21:20:10 | 近場の異邦人
昨日は、先週と同様に所用でO市へ。
とりあえず何とか責務を果たした後、担当の方に「また、走ってきます」とお断りをして、先週とは逆の方向へ。
外は小雨。市街を離れれば離れるほど雨脚は強くなる。ペースはいつもよりややあがっている。山を見上げる。山道はやはり苦手だと思う。坂があってきついだけではない。虫が出るし、エイドもない。これぐらいの田舎道がちょうどいい。これぐらいの雨もちょうどいい。

雨はあまり気にならない。終わった後の処置をきちんとすればまず風邪をひくことはないと思う。あと、秋から冬にかけては、走っているときに体が冷えるぐらい長い距離を走らないことも大切かも。
「雨でも走らなきゃ」の一言が背中を押した。前の職場でいろいろとお世話になった方。学生の時は十種競技の選手だったとか。その方に「毎日走らなきゃ」ともいわれて毎日走るようになり、2年続けて頭打ちになっていたフルの記録を短縮することができた。その時は自己ベストを15分更新。それまてでもサブフォーは達成していたし、もう十分だし、もう無理かと思っていたが、案外できるもんだと思った。でも「ペース走やらなきゃ」は守っていない。ペース走はきついんですよSさん。年に数回しかやってません。でも、こんな儂にきちんとアドバイス下さって本当に頭が下がります。また今度メールします。

通勤ランは、仕事のことを考えながら走ることが多い。この日は、田舎道に癒されて、ぼんやりと脚を動かした。2時間弱で17キロ。これでも自分にとってはペース走みたいなもんなんですが。


今日は、トーチランin愛媛にサポーターとして参加。スペシャルオリンピックスの啓発の一つとして行うイベントとのことだが、走ることでお役に立てるならと職場を通じて参加を申し込んだ。県下でもかなりの規模である商店街を、他の参加者と一緒にかけ声をかけながら走る。土佐礼子さんが伴走者として参加しておられる。トーチランナーに「がんばれ、がんばれ」というよりも、一緒にがんばりましょうかねえって感じで走らせていただく。ランナーやサポーターやスタッフ、商店街を行き交う人に癒されつつ約300メートル程を走る。やはり、見るより走る方がいいことを再認識する。
トーチランが終わり職場へ。昨日とはうってかわって汗ばむほどの陽気。この日もえっちらおっちらとジョグで街を走る。腹が減る。時間がもったいないのでそのまま行き、職場でごぞごぞと雑用を片付け帰宅。休日といえ昨日も今日も半分は仕事みたいなもんだが、これぐらいのテンポでできるならそう苦ではないかなと思う。

先々週の大会結果、待ち遠しいなあ。まだかなあ。プログを打ちながらものすごく俗っぽいことを考えている。

まつりのあと

2010-10-07 23:49:12 | 徒然に2010-2013
昨日は泊まり勤務で、昨日今日と走行距離はいつもの半分ということになる。
少々気が抜けてしまっているのか、何が何でも距離を挽回しようという気がない。
で、帰宅ラン。泊まりの間に祭りはすっかり終わり街は日常になりつつあった。
もともと祭りには縁がない。あまりいい思い出もない。でも、これほど見事に素通りされると、何というか肩透かし食らったようなというか、置いてけぼり食らったようなというか変な感じがする。
まあ、神輿かいている横を走ったりするくらいなので、どうってことないのは確かだが。

まだ、10キロ程度ならともかく、20キロぐらいになると痛くならないかと心配といえば心配。案外ひどくないようで長引くのかもしれんし、よう分からん。たぶんどうってことないとは思う。

やっと通常メニューになった

2010-10-04 21:20:06 | 徒然に2010-2013
走行往復で計18キロ。まだ痛いっちゃあ痛いですが。
しかしまあ涼しくなって帰宅ランの時にすれ違うランナーの増えたこと増えたこと。
愛媛マラソンの影響か、夏のクソ暑い時期から、よく見かけてはいましたが。
確かにいい時期になってきたが、汗の始末を気にしていかねば。すぐに体が冷えますからね。
とりあえずよかったよかった。

お買い物JOG

2010-10-03 19:33:15 | 徒然に2010-2013
走行距離14.5キロ。しかしまあ、遅すぎ。
だいたい休日は、買い物いったりちょっと気分転換に外出する時にちょい走りというパターンが多いのですが、今日は、約15キロ先のショッピングセンターまでJOGでした。
めずらしく午前中早めに出たのですが、すでに暑いです。河川敷に出ると結構な人が走っていました。チャリンコの人も多数。チャリはちょうどいいぐらいの涼しさになるんかいなと思ったり。儂は普段草花などはぼけーっとみているせいかあまり印象に残らないのですが、この日は白い曼珠沙華をみたのが頭の隅に残っていました。
遅れて痛み出した右膝はOK。左の足首は曲げると痛いです。まあ、練習控えめで続けましょうか。

旅ランもどき♪

2010-10-02 22:50:02 | 近場の異邦人
走行距離未測定で約10キロぐらい。今日は、所用でO市へ。今となってはめったに運転しない車を使いました。眠気を我慢するのに必死。
とりあえず用事が終わり、着替えて軽いjogに出ます。市街地を抜け、郊外の田舎道をのんびり走ります。足首も膝も昨日よりかなりいい感じで、さすがに鍼はきくなあと思います。まだ痛いのは残ってますが。

最近見かけないこのマーク、久々にみた気がしましたが、気のせいだろうか(気のせいでした。ただ角度などが微妙に違うみたい)。マークに足を合わせる小学生の自分と、このマークがオーバーラップします。
適当なところで折り返して旧市街を抜け、鵜飼いで有名な川に出ます。
川のそばにはとある中高一貫の学校の寮があり、生徒達はサッカーに興じていました。進学校ですから、それ相応の期待を背負って親元を離れ、この地で頑張っているのだと思います。周りは結構な田舎ですから、夜などはいろいろなことを想い余計な不安感に襲われることもあるのではないかと思います。
儂自身もリハビリという名目で、結構ぬるーい練習が続きますが、これもまたいろいろ不安だったりします。先日の同じ大会に出られた鈍足親父さんという方は、大会が終わってからもう結構な距離を走っていらっしゃるようで、ただ、ただ、すごいなの一言です。
ケータイでアップすると結構疲れます。いつまで続くやら。ボキャブラリ云うほどはないですし。

いきなり接骨院行き

2010-10-01 23:31:50 | 徒然に2010-2013
走行距離計13.5キロ。
朝から右の膝の辺りが痛くなる。階段やら椅子やらやたらと緊張する。
大事をとっていつもより職場に近い駅で降り、走り始めるが、走り出せばなんとかなった。しかし、先週末にかなり負担をかけるような走りをしていることと、場所が場所なので、月曜日に続き再び接骨院へ。この日は以前からお世話になっているA接骨院。3年ぶりぐらいになる。月曜日に別のところでみてもらった左の足首も含め、いっちょまえに鍼をうってもらう。計3ヶ所。今回はこの左の足首を庇いながら走ったのが右膝にきてしまった気がする。まあ、仕方がない。ストレッチ、アイシング、練習量1/3、そして休養を申し渡される。

鍼はやはり効く。走りすぎないようにしなければ。
10月に入って走り込みの時期なのにとは思うが、先週末の超ビッグランの代償なので仕方がないか。