去年の真面目な自主研修。帰る途中の道草ラン。秋葉原のカプセルを出て、京成線で青戸という駅まで行く。今日はここが起点と終点。
駅近くの「お堂」だが、地図には載っていない。よく分からん。とりあえず川を目指す。川に出れば現在地が分かる。
中川に出て中川を渡る。都道に出て都道を走る。朝日が綺麗。
京成高砂駅を越える。道は狭い。商店街っぽい雰囲気も残っているが、それより車が多い。
京成金町付近で、道路標示に従い、柴又帝釈天へ。寅さんの映画に興味はないが、一度は覗いてみたかったところ。
参道を走り、帝釈天へ。少し前に「有吉くん」で見た。
江戸川に出る。前の日は隅田川、荒川と走って今日は江戸川。四国の人間だから、細かな位置関係が今ひとつよく分かっていない。向こう岸には「矢切の渡し」がある。
海まで16キロ。海までは無理だが途中まで行くことに。
走り始める。R15は右岸の海まで残り15キロということか。北総線の橋を越えてさらに進む。
川岸は、延々グラウンドが広がる。景色そのものはは緩やかで長閑である。東京に住めばこういうところを毎日走るのだろうか。川とは逆の方向を見れば遠くにスカイツリー。京成本線、国道14号千葉街道を通過。昔、成田から新宿まで夜通し走った(約70キロ)のはここかと思う。さらに総武本線、都営新宿線、京葉道路を通過する。ポニーランド、やっとるんかな。
篠崎水門で曲がり、引き続き江戸川沿いを走る。結構自転車の往来がある。競技用じゃなくて通学用とか買い物用とかの。
で行徳橋で向こう岸、つまり千葉県へ。
また橋の下をくぐり、今度は上流へ向かう。
京成本線越えて市川の辺りだったか、この辺りで一瞬道が狭くなった。市川といえば、二十数年前に転職のための面接を受けたところでもあるし(相変わらず懲りていない)、十数年前に資格試験を0泊3日で受けに来たところでもある(夜行バス利用)。実技で思いっ切りミスしてとぼとぼと国府台の駅まで川岸を歩いたが、それがここかもしれないと思う(結局合格しましたが)。また、大学の時にウマが合った絵本関係が御専門の非常勤の先生のお宅があって、在学時は菅平の山荘に行ったり、一度卒業したからも呑みに来たりした。
矢切の渡し。ここが、ねえと。
で、さらに上流へ。このでかい橋は国道298号か。
そろそろバテて来たので一旦補給のため川を降りる。松戸神社付近のコンビニ。すぐ近くだったのでラッキーだった。
この辺りの対岸は、東京都と埼玉県。地図で見ると、埼玉県がちょっと入り込んでいる感じ。この辺りから暫く行くと、海から20キロの表示。ということは、そんなには走ってないのか。でも予定ではぼちぼち川を離れる。
川を降りて、階段を上る。対岸の埼玉の県境を確認してから尤も近い上葛飾橋へ。
江戸川を再び渡り、今度は千葉県から埼玉県へ。
東京外環自動車道をくぐり、県道をまっすぐに進む。生活道路にホッとした気分になる。
景色が良いところも良いが、所謂普通の道も良い本当に。
で汐留橋ではなく潮止橋から中川を渡る。
上野風月堂の工場があったり水門があったり。水門は大場川。
つちへんに行で「がけ」と読むらしい。武蔵野の道へは行かず、そのまま中川沿いを進む。
ずんずん行かずに、途中の道を右に折れて、川沿いから一本内側の道へ。どうして予定を変更したかというと、この小学校の名前に惹かれて。
環七通りに入る。
葛飾の駅。記念撮影。
葛飾からさらに南下。まっすぐ行く。かなりバテている。
まっすぐ行けば、起点の青砥だが、もう一つ道草。そして漸く目指す線路を見つける。
呑兵衛の街、立石。平日の昼間なのに人がわんさか。気後れして店には入らず。人がもう少し少なければとも思ったが。まあ、見ただけでも面白かった。
青戸駅に戻る。終了。よう走った。
駅のベンチで慰労。さっきの活気があるところも趣があるのかもしれないが、儂はこちらの方がいい。
で、ここはどこか忘れた。多分空港か。
ジェットスターを利用することも、この先どうなるんか、なあと、思う。
ただ、それよりも、走れるときに走っておいてよかった、なあと、思う。
この稿、手術の4日前に振り返ってみた。
その手術から3ヶ月経った。不思議な感じで投稿している。
駅近くの「お堂」だが、地図には載っていない。よく分からん。とりあえず川を目指す。川に出れば現在地が分かる。
中川に出て中川を渡る。都道に出て都道を走る。朝日が綺麗。
京成高砂駅を越える。道は狭い。商店街っぽい雰囲気も残っているが、それより車が多い。
京成金町付近で、道路標示に従い、柴又帝釈天へ。寅さんの映画に興味はないが、一度は覗いてみたかったところ。
参道を走り、帝釈天へ。少し前に「有吉くん」で見た。
江戸川に出る。前の日は隅田川、荒川と走って今日は江戸川。四国の人間だから、細かな位置関係が今ひとつよく分かっていない。向こう岸には「矢切の渡し」がある。
海まで16キロ。海までは無理だが途中まで行くことに。
走り始める。R15は右岸の海まで残り15キロということか。北総線の橋を越えてさらに進む。
川岸は、延々グラウンドが広がる。景色そのものはは緩やかで長閑である。東京に住めばこういうところを毎日走るのだろうか。川とは逆の方向を見れば遠くにスカイツリー。京成本線、国道14号千葉街道を通過。昔、成田から新宿まで夜通し走った(約70キロ)のはここかと思う。さらに総武本線、都営新宿線、京葉道路を通過する。ポニーランド、やっとるんかな。
篠崎水門で曲がり、引き続き江戸川沿いを走る。結構自転車の往来がある。競技用じゃなくて通学用とか買い物用とかの。
で行徳橋で向こう岸、つまり千葉県へ。
また橋の下をくぐり、今度は上流へ向かう。
京成本線越えて市川の辺りだったか、この辺りで一瞬道が狭くなった。市川といえば、二十数年前に転職のための面接を受けたところでもあるし(相変わらず懲りていない)、十数年前に資格試験を0泊3日で受けに来たところでもある(夜行バス利用)。実技で思いっ切りミスしてとぼとぼと国府台の駅まで川岸を歩いたが、それがここかもしれないと思う(結局合格しましたが)。また、大学の時にウマが合った絵本関係が御専門の非常勤の先生のお宅があって、在学時は菅平の山荘に行ったり、一度卒業したからも呑みに来たりした。
矢切の渡し。ここが、ねえと。
で、さらに上流へ。このでかい橋は国道298号か。
そろそろバテて来たので一旦補給のため川を降りる。松戸神社付近のコンビニ。すぐ近くだったのでラッキーだった。
この辺りの対岸は、東京都と埼玉県。地図で見ると、埼玉県がちょっと入り込んでいる感じ。この辺りから暫く行くと、海から20キロの表示。ということは、そんなには走ってないのか。でも予定ではぼちぼち川を離れる。
川を降りて、階段を上る。対岸の埼玉の県境を確認してから尤も近い上葛飾橋へ。
江戸川を再び渡り、今度は千葉県から埼玉県へ。
東京外環自動車道をくぐり、県道をまっすぐに進む。生活道路にホッとした気分になる。
景色が良いところも良いが、所謂普通の道も良い本当に。
で汐留橋ではなく潮止橋から中川を渡る。
上野風月堂の工場があったり水門があったり。水門は大場川。
つちへんに行で「がけ」と読むらしい。武蔵野の道へは行かず、そのまま中川沿いを進む。
ずんずん行かずに、途中の道を右に折れて、川沿いから一本内側の道へ。どうして予定を変更したかというと、この小学校の名前に惹かれて。
環七通りに入る。
葛飾の駅。記念撮影。
葛飾からさらに南下。まっすぐ行く。かなりバテている。
まっすぐ行けば、起点の青砥だが、もう一つ道草。そして漸く目指す線路を見つける。
呑兵衛の街、立石。平日の昼間なのに人がわんさか。気後れして店には入らず。人がもう少し少なければとも思ったが。まあ、見ただけでも面白かった。
青戸駅に戻る。終了。よう走った。
駅のベンチで慰労。さっきの活気があるところも趣があるのかもしれないが、儂はこちらの方がいい。
で、ここはどこか忘れた。多分空港か。
ジェットスターを利用することも、この先どうなるんか、なあと、思う。
ただ、それよりも、走れるときに走っておいてよかった、なあと、思う。
この稿、手術の4日前に振り返ってみた。
その手術から3ヶ月経った。不思議な感じで投稿している。
業者さん通じてカタログをもらう。
取引があるのはここ1社のみということで、やや意気消沈するも、とりあえずカタログデータの読み方に四苦八苦しながら比較検討。
で、分かったのは、乗りたいと思うのは高くなる。パーツは有料オプションのものも多いから、どうしても値段が上がる。車と一緒やなあと。
因みに、同じカタログに載っていたスポーツ用(いわゆる陸上とかマラソンとか)のはもろiMacProを超えるぐらいの値段になった。今回購入するのはその半分を超えるか超えないかといったところ。
午後のリハが終わるのは早かったが、午前に2時間半は漕走できていたこともあり、午後は漕走しないでカタログデータとにらめっこしていた。比較検討の対象は1社のみ3機種だったが、これだけで充分疲れた。しかし高い。
取引があるのはここ1社のみということで、やや意気消沈するも、とりあえずカタログデータの読み方に四苦八苦しながら比較検討。
で、分かったのは、乗りたいと思うのは高くなる。パーツは有料オプションのものも多いから、どうしても値段が上がる。車と一緒やなあと。
因みに、同じカタログに載っていたスポーツ用(いわゆる陸上とかマラソンとか)のはもろiMacProを超えるぐらいの値段になった。今回購入するのはその半分を超えるか超えないかといったところ。
午後のリハが終わるのは早かったが、午前に2時間半は漕走できていたこともあり、午後は漕走しないでカタログデータとにらめっこしていた。比較検討の対象は1社のみ3機種だったが、これだけで充分疲れた。しかし高い。
基本的に病院の日課に従っており、その上で毎日リハが3時間ある。その合間を縫って自主トレとして筋トレや立位を1時間、リハ庭の漕走を2時間から3時間している。リハの時間は決まっていないので、まとめて2時間漕走する日もあれば15分とかを細切れに重ねてする日もある。一応ノルマは10キロ。
12月に導尿が始まってリハ庭に出られるようになり読書の時間は減った。そして年末の軟禁状態で歩行器による訓練の割合が増え加えて手摺を使った訓練もするようになり自主トレの幅が広がった。また、導尿は1月に4回から3回に減って自己管理となり、時間が自由に決められるので夜中に起こされることがなくなって睡眠はよく取れるようになった(病院の消灯時間帯は21時から翌朝6時までの9時間であるが、以前は導尿前後で1時間半ぐらい起きていて、これが2回あった)。後気になるのは排泄(便)の課題等。
1月に入ってから中旬(入院2ヶ月経過)時点での1日の流れはだいたい次のような感じになっている。病院の日課に合わせての実際の儂の動きになる。
05時00分 起床
05時20分~05時40分 導尿
05時50分~06時10分 筋トレ(1)腹筋背筋等・・・ベッドで
※06時00分に病棟内点灯となる。
06時10分 血圧・体温測定
06時20分~07時00分 筋トレ(2)スクワット、立位、歩行等・・・廊下の手摺で
07時10分~08時00分 コンタクト装着、髭剃り、1日の予定確認、ネット閲覧等
08時00分~08時40分 朝食、歯磨き、食後の珈琲とおやつ等
08時50分~12時00分 リハビリ若しくは合間にリハ庭漕走(雨天時読書)
※一番始めにリハが入っていないときは、リハ庭が開く08時45分にから漕走開始にするので08時40分には1階に下りる。
※火・木・土の11時00分~11時30分は入浴になる。入浴がない日はトイレ(導尿なし)に行くこともたまにある。
12時10分~12時30分 昼食
※実際の食事は11時45分からとなる。
12時30分~12時50分 導尿
13時00分 リハビリ若しくは合間のリハ庭漕走開始(雨天時読書)
※午前同様に開いている時間は基本的にリハ庭へ。最終のリハが終わってからは漕走しない。
15時20分~15時35分 トイレ(導尿無し)
※リハの時間によってもう30~1時間早く行くこともある。
16時30分ぐらい(遅いときは17時30分ぐらい) 最終のリハビリ終了
※リハ終了後、病室に戻ってから浣腸して摘便(1日おきぐらいのペース)で約30分~40分かかる。これがない日はトイレへ(導尿なし)。
※夕食までは自由時間(30分~1時間ぐらい:ネット見たり記録をまとめたりブログ打ったり)
18時00分~18時30分 夕食、歯磨き
18時30分~18時45分 トイレ(導尿無し)
18時45分~20時30分 自由時間(おやつ等を食べながらネット見るか読書することが多い)。
20時30分~20時50分 導尿と器具の消毒
21時00分 床につく
※21時00分に病棟内消灯となる(豆電球のみ可)。
※12月ぐらいはベッドで読書をしていたが、夜中の導尿が無くなってからは、寝る日が多い。やはり疲れるからか。実際には夜中に目が覚めて起きることもある。
24時間の大凡の内訳
睡眠 8時間(すべて眠れている訳ではないが)
リハビリ 3時間
トイレ等 2時間
自主トレ・漕走 3時間半
身支度、移動、小休止等 2時間
食事 1時間半
読書・自由・その他 4時間
自由時間が4時間もあるというのは良さそうだが、実際にはこんなにある感じではない。診察とか必要なことに取られる時間があったり、また、漕走の時間が増えたりすることもあるように思う。
疲れているので寝るのは早い。それでも疲れるから、体力的な不安はまだまだある。
12月に導尿が始まってリハ庭に出られるようになり読書の時間は減った。そして年末の軟禁状態で歩行器による訓練の割合が増え加えて手摺を使った訓練もするようになり自主トレの幅が広がった。また、導尿は1月に4回から3回に減って自己管理となり、時間が自由に決められるので夜中に起こされることがなくなって睡眠はよく取れるようになった(病院の消灯時間帯は21時から翌朝6時までの9時間であるが、以前は導尿前後で1時間半ぐらい起きていて、これが2回あった)。後気になるのは排泄(便)の課題等。
1月に入ってから中旬(入院2ヶ月経過)時点での1日の流れはだいたい次のような感じになっている。病院の日課に合わせての実際の儂の動きになる。
05時00分 起床
05時20分~05時40分 導尿
05時50分~06時10分 筋トレ(1)腹筋背筋等・・・ベッドで
※06時00分に病棟内点灯となる。
06時10分 血圧・体温測定
06時20分~07時00分 筋トレ(2)スクワット、立位、歩行等・・・廊下の手摺で
07時10分~08時00分 コンタクト装着、髭剃り、1日の予定確認、ネット閲覧等
08時00分~08時40分 朝食、歯磨き、食後の珈琲とおやつ等
08時50分~12時00分 リハビリ若しくは合間にリハ庭漕走(雨天時読書)
※一番始めにリハが入っていないときは、リハ庭が開く08時45分にから漕走開始にするので08時40分には1階に下りる。
※火・木・土の11時00分~11時30分は入浴になる。入浴がない日はトイレ(導尿なし)に行くこともたまにある。
12時10分~12時30分 昼食
※実際の食事は11時45分からとなる。
12時30分~12時50分 導尿
13時00分 リハビリ若しくは合間のリハ庭漕走開始(雨天時読書)
※午前同様に開いている時間は基本的にリハ庭へ。最終のリハが終わってからは漕走しない。
15時20分~15時35分 トイレ(導尿無し)
※リハの時間によってもう30~1時間早く行くこともある。
16時30分ぐらい(遅いときは17時30分ぐらい) 最終のリハビリ終了
※リハ終了後、病室に戻ってから浣腸して摘便(1日おきぐらいのペース)で約30分~40分かかる。これがない日はトイレへ(導尿なし)。
※夕食までは自由時間(30分~1時間ぐらい:ネット見たり記録をまとめたりブログ打ったり)
18時00分~18時30分 夕食、歯磨き
18時30分~18時45分 トイレ(導尿無し)
18時45分~20時30分 自由時間(おやつ等を食べながらネット見るか読書することが多い)。
20時30分~20時50分 導尿と器具の消毒
21時00分 床につく
※21時00分に病棟内消灯となる(豆電球のみ可)。
※12月ぐらいはベッドで読書をしていたが、夜中の導尿が無くなってからは、寝る日が多い。やはり疲れるからか。実際には夜中に目が覚めて起きることもある。
24時間の大凡の内訳
睡眠 8時間(すべて眠れている訳ではないが)
リハビリ 3時間
トイレ等 2時間
自主トレ・漕走 3時間半
身支度、移動、小休止等 2時間
食事 1時間半
読書・自由・その他 4時間
自由時間が4時間もあるというのは良さそうだが、実際にはこんなにある感じではない。診察とか必要なことに取られる時間があったり、また、漕走の時間が増えたりすることもあるように思う。
疲れているので寝るのは早い。それでも疲れるから、体力的な不安はまだまだある。
リハ庭周回、初の雨天中止か?という感じでこれを打っている。
さて、昨日は外出した。交通機関については事前にネットや直接電話で調べバリアフリーになっているところを確認した。結果、私鉄とバスの利用についてはほとんど問題がなかった。
それよりもなかなかだなあと思ったのは道路と店。
でこぼこしているわ坂道はあるわ傾斜に偏りがあるわ歩道と車道の段差が結構あるわ。自転車道がある道は、自転車が通る緑のところは車道から歩道への段差がないが、これ車椅子通っていいんかなみたいな。後、でこぼこしていない広い道は走りやすくても傾斜が結構あって登るにはなかなかだった。
道路については、先日の年末の神戸M君が病院に立ち寄ってくれることになった日も同じことを思った、この日は外出許可を貰っていたので、M君が来るまで病院の周辺を散歩した。生まれて初めての外漕ぎである。
あてもなくうろうろと30分ぐらい。路肩はでこぼこしているし、車もチャリもよく通るので気が抜けんし(チャリの高校生はスマホ見ていて完全に気付くのが遅れていた)、カーブのところは傾斜があって漕ぐのに難儀した。もう全然進まん。
いつものリハ庭の漕走なら30分ぐらいで2~2.5キロは確実に行けるが、この日は2キロも行っていない。一般道を漕ぐというのは自分が想像している以上に大変なことだと思った。本当に考えてもみなかったところで難しさを感じたしドキドキしたし。
で、昨日についてはその道路だけでなく店もなかなか大変だと感じた。店といってもコンビニである。上の棚のモノは取れないのは仕方がないとして、棚卸しのためのプラのボックスワゴンが通路においてあったりして、通れないことしばしば。
加えてトイレ。車椅子は入れるが手摺がないから便器に移るのに四苦八苦する。水を流すレバーも後ろにあるため使いにくい(儂は上半身自由が利くから良いが)。
街の商店街自体は通りやすいが店に入ろうとはなかなか思わんかった。
ファーストフードも入ったが、結局店の中で食べるのは何となく止めてテイクオフにしたし。何か気後れして編なの注文してしまったし。
デビュー戦は苦い経験も少なからずした、ということ。思ったよりハードルは高いなあと。
こういうことはこれまで恥ずかしながら気付かなかったな。
帰ったら職場のNさんから。
御礼のメールを出すと、道路の歩きにくさとかNさんも同じようなことを考えていたようで。
街に出ること自体、案外大丈夫で何とかなる面はあるけど充分ではない、という点は押さえておかねばならないと感じた。
Nさんの本を読む。雨はまだ止まない。
さて、昨日は外出した。交通機関については事前にネットや直接電話で調べバリアフリーになっているところを確認した。結果、私鉄とバスの利用についてはほとんど問題がなかった。
それよりもなかなかだなあと思ったのは道路と店。
でこぼこしているわ坂道はあるわ傾斜に偏りがあるわ歩道と車道の段差が結構あるわ。自転車道がある道は、自転車が通る緑のところは車道から歩道への段差がないが、これ車椅子通っていいんかなみたいな。後、でこぼこしていない広い道は走りやすくても傾斜が結構あって登るにはなかなかだった。
道路については、先日の年末の神戸M君が病院に立ち寄ってくれることになった日も同じことを思った、この日は外出許可を貰っていたので、M君が来るまで病院の周辺を散歩した。生まれて初めての外漕ぎである。
あてもなくうろうろと30分ぐらい。路肩はでこぼこしているし、車もチャリもよく通るので気が抜けんし(チャリの高校生はスマホ見ていて完全に気付くのが遅れていた)、カーブのところは傾斜があって漕ぐのに難儀した。もう全然進まん。
いつものリハ庭の漕走なら30分ぐらいで2~2.5キロは確実に行けるが、この日は2キロも行っていない。一般道を漕ぐというのは自分が想像している以上に大変なことだと思った。本当に考えてもみなかったところで難しさを感じたしドキドキしたし。
で、昨日についてはその道路だけでなく店もなかなか大変だと感じた。店といってもコンビニである。上の棚のモノは取れないのは仕方がないとして、棚卸しのためのプラのボックスワゴンが通路においてあったりして、通れないことしばしば。
加えてトイレ。車椅子は入れるが手摺がないから便器に移るのに四苦八苦する。水を流すレバーも後ろにあるため使いにくい(儂は上半身自由が利くから良いが)。
街の商店街自体は通りやすいが店に入ろうとはなかなか思わんかった。
ファーストフードも入ったが、結局店の中で食べるのは何となく止めてテイクオフにしたし。何か気後れして編なの注文してしまったし。
デビュー戦は苦い経験も少なからずした、ということ。思ったよりハードルは高いなあと。
こういうことはこれまで恥ずかしながら気付かなかったな。
帰ったら職場のNさんから。
御礼のメールを出すと、道路の歩きにくさとかNさんも同じようなことを考えていたようで。
街に出ること自体、案外大丈夫で何とかなる面はあるけど充分ではない、という点は押さえておかねばならないと感じた。
Nさんの本を読む。雨はまだ止まない。
夜中眠れず、朝起きるのが遅くなる。かなりの尿漏れがあって着替えとかもして、久々に筋トレ中止(立位はやった)。疲れたは儂の常套句だが実際疲れてると思う。
夜尿にしても肩の凝り腰の痛み右肩胛骨の痺れ痒みとか内臓の違和感やほんの少しの頭痛と睡眠不十分、いずれにしても看護師さんに訴えるとおおごとになるのであまり公にはしないものの調子が今ひとつなのは確かで。
日常生活動作の多くは何をするにしても全力になる。靴下を履くトイレの便座に移動する等。だから疲れたは病気前のそれとは少し違うのかもしれぬ。また時間もかかる。導尿の自己管理にしてもやることが増えたのはいいことだが。
漸く車椅子が返って(帰って)くる。
代車でもしっかり漕いだが代償はある。だんだん酷くなってきて少し痛い。
単に昨日漕ぎにくい代車で20キロ(200周)漕いだ疲れだというのならば理由がはっきりしていてマシだが実際のところどうなんだろう。
今日は大切な用があって午後から外出。時間をかけて考える必要があることがまだまだある。
代車のせいにしてはいかんか。
夜尿にしても肩の凝り腰の痛み右肩胛骨の痺れ痒みとか内臓の違和感やほんの少しの頭痛と睡眠不十分、いずれにしても看護師さんに訴えるとおおごとになるのであまり公にはしないものの調子が今ひとつなのは確かで。
日常生活動作の多くは何をするにしても全力になる。靴下を履くトイレの便座に移動する等。だから疲れたは病気前のそれとは少し違うのかもしれぬ。また時間もかかる。導尿の自己管理にしてもやることが増えたのはいいことだが。
漸く車椅子が返って(帰って)くる。
代車でもしっかり漕いだが代償はある。だんだん酷くなってきて少し痛い。
単に昨日漕ぎにくい代車で20キロ(200周)漕いだ疲れだというのならば理由がはっきりしていてマシだが実際のところどうなんだろう。
今日は大切な用があって午後から外出。時間をかけて考える必要があることがまだまだある。
代車のせいにしてはいかんか。
先日のこと、田舎の親が儂の身体のことについて「過剰な」希望を持っているらしいことが分かる。現況が理解できていない訳ではないのだろうが、正直面倒くせえなあと頭を抱える。このことに限らず、身内のことにしても一般的な出来事についても家族というのは面倒くさい面がある、というのは実のところ何かに付け思っている。ただ反面それがないと重しが利かないというか、自分が制御不能になるような気もしている。
少し前、下重暁子の「家族という病」を読んだ。
ネットでの情報によると対論を張っているのが金美齢の著作「家族という名のクスリ」らしい。
それは手元になかったが、たまたま買ってからずいぶん寝かせていた山本一力の「家族力」を平行して読む。これは家族論としてはあまり参考にならなかったが、先日読んだ伊集院静といい、作家というのは世間の感覚とは少し外れていないとできないんだなあとつくづく感じた。そういう意味では面白かった(山本が何かに付け賞賛するのが先日大ごとがあった富岡八幡宮でこれは別の意味興味深い)。
その山本の本は、それまで雑誌掲載された短くて軽い随筆が主なので、そこから論旨を読み取るにはやや強引にならざるを得ないが、スタンスとしては、やはり家族の力や家族の良さを強調する、いわば「一家団欒」派であり、家族やコミュニティの力の素晴らしさを感じている様子が伺える。儂なりにとらえれば昭和的だなと。ただここまでに至るのはそれまでの生い立ちに拠るところも多いようには思う。家族の力を力説する人に限ってその経歴は破天荒である。儂に言わせれば「おっさん迷惑ばっかかけて何云うとんぞ」という感じ。
儂など、家族とて他の家族に迷惑掛けてはいかん、という考えを持っているぐらいだから、困ったときは助けるとか頼って欲しいという下重より、ある部分では融通が利かない面があるようにも思う。その点で山本には既に反発している。
自分のせいで集合体の成員である家族がいろいろな可能性を摘まれるということは耐えられない。だからできるだけ世間体も気にするし、所謂真っ当な生き方もする。そういうもんだと思う。ただそのことが苦痛であるかといわれればそうでもないし反面見返りとかも期待してはいない。だから家族なのだと云われるかもしれない。
ただそれって家族でなければならないか、というと意見は一つではない筈である。下重もその辺りを「家族に血のつながりは関係ない」としているが、血のつながりを意識するが余り、過度に排他的になったり、信頼できるのは身内だけとかいう妄信的な感情につながったりということは実際にある。血のつながりにそこまで過剰な幻想抱いてどうするのだろうと思う。
話は飛ぶ。で、家族は基本的に個の集合体である(それ以上でもそれ以下でもなく幻想を抱くものではない:幻想を抱きがちだからこそ敢えて)と常々考えている儂自身は、下重の家族論は結構共感する部分は多い。金の著書は読んでいないが、アマゾンの紹介文には「メディアや学界などで仕事をしている関係から公的な立場を与えられた彼女たちが、ちゃんと結婚をし、子供をなし、家族という共同体を営み、社会を支えている人たちの生き方を批判する。これを傲岸不遜と言わずして、なんと言おう」とあるが、『ちゃんと結婚をし、子供をなし、家族という共同体を営み、社会を支えている人』という概念そのものが幻想ではないか。百歩譲って家族という形の一類型であろう(にすぎない)と思う。形としての集合体を成している以外に「ちゃんと」結婚して・・・というのは今のご時世において、やや狭過ぎやせんかと。ただ、狭すぎるけれどもそれが多数派の価値観を持っている以上、話は確かに厄介である。
例えば(また話は飛ぶ)、日本語の不思議さに、「お父さん」「お母さん」の呼称がある。また「旦那さん」「主人」「家内」などの呼称もある。前者は、相対的な呼称に過ぎないのに、家族を呼ぶときに半ば固定化している点、また、後者は、意味的に昔の家族概念を未だに引きずっている点、どちらも不思議である。儂自身は、前者は使わないが後者は外向けに使うことがある。これは通りが良さそうな相手に合わせて使う。中途半端ではあるが事実である。
家族を自慢したり家族の話題しかない人はろくなことがないみたいなことも下重は述べているが、同感である。相手との関係や話の流れ等によっては絶対とはいいきれないが、まず相槌が打てない。ただこれが多数派ではある。ここが軽視できない。
で、全然本質に迫れないままに、話を変える(言い訳ををすればここまで踏み込む予定はなかった)。
儂はといえば、下重の家族論に共感しつつも現実の家族像に逆らえない部分もあり、割合現実的なところで迷うことは多い。
迫り来る実家の扱い(処分)とか墓の問題がある。
未だに法事とか檀家とかの心得を知らない。
こういうのが一番いいと思っているぐらいであるから。本当に。
家族を論じるのに実家とかお墓を論じるのは筋が違うのだろうが、家族の形はフレキシブルに考えられても、その延長線上の問題は、案外囚われている。これがあるから家族を考える上での制約は当然起こる。
今後、それでも家族の標準型は変わっていくように思うのだが、多数派の見方はなかなか崩れないだろう。
家族だからの見返りのない無償の愛が必ずあるかというとそうでもない。それがない家族の形もあるのだと思う。
ただ、儂自身は、縁あって家族になったのだから情はある。ただ、例えば働くのが家族のためとかそういうことは考えてない。強いて云うなら縁があったからである。それに、見返りは求めてないけど結果として随分良い想いもさせてもらったことも事実、ある。
そういうこともあって、自分としては、せめて迷惑かからんように見守っていけるような位置にこれからもいたいという、それだけである。
家族と言うより家になってしまった気もするが、結局切れないと言うことでもある。
相変わらずまとまらんが、この先まとまるかというとそれもなあ、なのでここに上げる。
で、原稿打った後でよくよく考えてみれば。
こういう系統読んで考えた方が、まだ深く考えることができたのかもしれないと。
自分はその場で一緒に経験することが前提でないのに充分幸せを感じるという(一緒のことをしていなくても空間を共有しているという感覚はあるのだろう。だからかもしれない)、これも、昭和の家族の形だなあと。
面倒くさいけど仕方がないなあとやっぱり思う。
そういえば今日は1号の誕生日だった。こういうことをしっかり覚えている、覚えている習性が身に付くのも「家族」の力かもしれんなと思った。
ぐたぐたと綴った割に、これが最も本質をとらえているのかもと思ったり。
少し前、下重暁子の「家族という病」を読んだ。
ネットでの情報によると対論を張っているのが金美齢の著作「家族という名のクスリ」らしい。
それは手元になかったが、たまたま買ってからずいぶん寝かせていた山本一力の「家族力」を平行して読む。これは家族論としてはあまり参考にならなかったが、先日読んだ伊集院静といい、作家というのは世間の感覚とは少し外れていないとできないんだなあとつくづく感じた。そういう意味では面白かった(山本が何かに付け賞賛するのが先日大ごとがあった富岡八幡宮でこれは別の意味興味深い)。
その山本の本は、それまで雑誌掲載された短くて軽い随筆が主なので、そこから論旨を読み取るにはやや強引にならざるを得ないが、スタンスとしては、やはり家族の力や家族の良さを強調する、いわば「一家団欒」派であり、家族やコミュニティの力の素晴らしさを感じている様子が伺える。儂なりにとらえれば昭和的だなと。ただここまでに至るのはそれまでの生い立ちに拠るところも多いようには思う。家族の力を力説する人に限ってその経歴は破天荒である。儂に言わせれば「おっさん迷惑ばっかかけて何云うとんぞ」という感じ。
儂など、家族とて他の家族に迷惑掛けてはいかん、という考えを持っているぐらいだから、困ったときは助けるとか頼って欲しいという下重より、ある部分では融通が利かない面があるようにも思う。その点で山本には既に反発している。
自分のせいで集合体の成員である家族がいろいろな可能性を摘まれるということは耐えられない。だからできるだけ世間体も気にするし、所謂真っ当な生き方もする。そういうもんだと思う。ただそのことが苦痛であるかといわれればそうでもないし反面見返りとかも期待してはいない。だから家族なのだと云われるかもしれない。
ただそれって家族でなければならないか、というと意見は一つではない筈である。下重もその辺りを「家族に血のつながりは関係ない」としているが、血のつながりを意識するが余り、過度に排他的になったり、信頼できるのは身内だけとかいう妄信的な感情につながったりということは実際にある。血のつながりにそこまで過剰な幻想抱いてどうするのだろうと思う。
話は飛ぶ。で、家族は基本的に個の集合体である(それ以上でもそれ以下でもなく幻想を抱くものではない:幻想を抱きがちだからこそ敢えて)と常々考えている儂自身は、下重の家族論は結構共感する部分は多い。金の著書は読んでいないが、アマゾンの紹介文には「メディアや学界などで仕事をしている関係から公的な立場を与えられた彼女たちが、ちゃんと結婚をし、子供をなし、家族という共同体を営み、社会を支えている人たちの生き方を批判する。これを傲岸不遜と言わずして、なんと言おう」とあるが、『ちゃんと結婚をし、子供をなし、家族という共同体を営み、社会を支えている人』という概念そのものが幻想ではないか。百歩譲って家族という形の一類型であろう(にすぎない)と思う。形としての集合体を成している以外に「ちゃんと」結婚して・・・というのは今のご時世において、やや狭過ぎやせんかと。ただ、狭すぎるけれどもそれが多数派の価値観を持っている以上、話は確かに厄介である。
例えば(また話は飛ぶ)、日本語の不思議さに、「お父さん」「お母さん」の呼称がある。また「旦那さん」「主人」「家内」などの呼称もある。前者は、相対的な呼称に過ぎないのに、家族を呼ぶときに半ば固定化している点、また、後者は、意味的に昔の家族概念を未だに引きずっている点、どちらも不思議である。儂自身は、前者は使わないが後者は外向けに使うことがある。これは通りが良さそうな相手に合わせて使う。中途半端ではあるが事実である。
家族を自慢したり家族の話題しかない人はろくなことがないみたいなことも下重は述べているが、同感である。相手との関係や話の流れ等によっては絶対とはいいきれないが、まず相槌が打てない。ただこれが多数派ではある。ここが軽視できない。
で、全然本質に迫れないままに、話を変える(言い訳ををすればここまで踏み込む予定はなかった)。
儂はといえば、下重の家族論に共感しつつも現実の家族像に逆らえない部分もあり、割合現実的なところで迷うことは多い。
迫り来る実家の扱い(処分)とか墓の問題がある。
未だに法事とか檀家とかの心得を知らない。
こういうのが一番いいと思っているぐらいであるから。本当に。
家族を論じるのに実家とかお墓を論じるのは筋が違うのだろうが、家族の形はフレキシブルに考えられても、その延長線上の問題は、案外囚われている。これがあるから家族を考える上での制約は当然起こる。
今後、それでも家族の標準型は変わっていくように思うのだが、多数派の見方はなかなか崩れないだろう。
家族だからの見返りのない無償の愛が必ずあるかというとそうでもない。それがない家族の形もあるのだと思う。
ただ、儂自身は、縁あって家族になったのだから情はある。ただ、例えば働くのが家族のためとかそういうことは考えてない。強いて云うなら縁があったからである。それに、見返りは求めてないけど結果として随分良い想いもさせてもらったことも事実、ある。
そういうこともあって、自分としては、せめて迷惑かからんように見守っていけるような位置にこれからもいたいという、それだけである。
家族と言うより家になってしまった気もするが、結局切れないと言うことでもある。
相変わらずまとまらんが、この先まとまるかというとそれもなあ、なのでここに上げる。
で、原稿打った後でよくよく考えてみれば。
こういう系統読んで考えた方が、まだ深く考えることができたのかもしれないと。
自分はその場で一緒に経験することが前提でないのに充分幸せを感じるという(一緒のことをしていなくても空間を共有しているという感覚はあるのだろう。だからかもしれない)、これも、昭和の家族の形だなあと。
面倒くさいけど仕方がないなあとやっぱり思う。
そういえば今日は1号の誕生日だった。こういうことをしっかり覚えている、覚えている習性が身に付くのも「家族」の力かもしれんなと思った。
ぐたぐたと綴った割に、これが最も本質をとらえているのかもと思ったり。
麦を抜いてからはや4ヶ月。楽しみは間食で甘いものをいただくこと。
家人の土産とか近くのパン屋さんのチョコクロとか「三食」以外で頂く。最後のは、昨日頂いた御饅頭。
Nさんありがとう。みきゃんがよいですね。
ところで。
麦を抜いてからはや4ヶ月。病院の御飯を美味しく頂いている日々(病室で食べているのは先月の「隔離」のときのやつ)。
野菜が兎に角多いのは当たり前。インゲンとカリフラワーはしょっちゅう出る。別のおかずに形を変えて潜んでいることも多い。芋類や南瓜も良く出る。調理方法は煮物系がやはり鉄板。
で、栄養士さん的に、日々の必須カロリーはどうやって稼ぐかというとやはりその炭水化物。時には「麺の日」もある。
御飯と饂飩。この組み合わせで食べたのは何年振りだったか否何十年振りだったか。ヤキソバと御飯で出たときもある(こちらはカーボローディングで食べたか)
しかしまあ、旨いこと旨いこと。スパゲッティと御飯。これも美味。世間でラーメンライスとかラーメン定食とか良く出る訳だ。
炭水化物のおかずにはには炭水化物が一番合う、ということを認識した次第。かなり危険な組み合わせなのだろうが。
家人の土産とか近くのパン屋さんのチョコクロとか「三食」以外で頂く。最後のは、昨日頂いた御饅頭。
Nさんありがとう。みきゃんがよいですね。
ところで。
麦を抜いてからはや4ヶ月。病院の御飯を美味しく頂いている日々(病室で食べているのは先月の「隔離」のときのやつ)。
野菜が兎に角多いのは当たり前。インゲンとカリフラワーはしょっちゅう出る。別のおかずに形を変えて潜んでいることも多い。芋類や南瓜も良く出る。調理方法は煮物系がやはり鉄板。
で、栄養士さん的に、日々の必須カロリーはどうやって稼ぐかというとやはりその炭水化物。時には「麺の日」もある。
御飯と饂飩。この組み合わせで食べたのは何年振りだったか否何十年振りだったか。ヤキソバと御飯で出たときもある(こちらはカーボローディングで食べたか)
しかしまあ、旨いこと旨いこと。スパゲッティと御飯。これも美味。世間でラーメンライスとかラーメン定食とか良く出る訳だ。
炭水化物のおかずにはには炭水化物が一番合う、ということを認識した次第。かなり危険な組み合わせなのだろうが。
泊まったのは秋葉原近くのカプセル、というより簡易宿泊所。
2泊で5000円ぐらい。外国人のバックパッカーとかもいて、結構繁盛していた。で、そこを朝早くに出発。
出発してすぐのコンビニのイートインで朝食。甘いモノが欲しかった。
で、出発。豊島町界隈。まずは荒川を目指す。
まだ街は半分ぐらいしか起きていないというか、そんな感じで走るには丁度良い具合。
駒形どぜう。テレビで見たことがあるような。高そう。
程なくして隅田川に出る。天気が良いわあ。
振り返るとスカイツリー。少しは走っては飽きもせず、何枚も何枚も写真を撮ってしまう。
川の手通り。川沿いを走ると時々こういう感じのトンネルがある。
景色はかなりいい。時間はあるので慌てずゆっくりと進む。
桜橋水上バス停留所。この橋、途中で二又になっているらしいが、確認せず。水上バスは家族旅行で乗ったヤツかな。あれは面白かった。
で、さっき慌てずにといったばかりなのに暫くするとトイレに行きたくなり、慌てて川沿いの公園のを借りる。セーフ。
白髭橋。
ここを渡って右岸に移る。
隅田川に別れを告げ、水路っぽい方へ。
道があるんかいなと恐る恐る進む。
スカイツリー線という愛称だが、実際は東部伊勢崎線の堀切駅。地図アプリで確認しながらたどり着く。結構かっこいいのが通り過ぎた。
この先で荒川の右岸へ渡る。覚えていないが、なんぼなんでもここは通っていない。確か下に降りて通過した筈。
無事に到達。
首都高の傍を流れるのは水路のような綾瀬川(後で調べた)。
さらに進むと、恐らくこれは東京メトロ千代田線か常磐線か東京スカイツリーラインかつくばエキスプレスか、それとももう少し先の日暮里舎人ライナーか。道路には○○環状線の文字。後で見たら先っぽの方が分からん。
この辺り、思ったより変化に富んでいる。ただ川沿いなので補給の自販機とかがない。後で地図を見たら、少し降りるとコンビニとかなくはなかったようなのだが、わざわざ降りるという気はしなかったのでそのまま目指すところまで。
で到着。で補給。ここから先は埼玉県に入る。
とりあえず国道122号まで。
で一旦川を離れて橋を渡る。
これは、わざとこういう形をしているのだろうか。どう考えても変だ。
都内へ。岩槻街道というらしい。
道に迷わないよう、ひたすら国道筋を行く。景色としてはあまり面白くはない。商店街とかすぐ近くのようだからそういうところを走った方が、本物の東京感を味わえたかもしれない。それでも、走っていくうちに発見はある。滝の川学園というのはここだったのかと感動する。
富士蕎麦を見て滅茶苦茶食べたくなったが我慢。用務が終わって富士蕎麦に入ったのはこれが伏線か。
王子駅の前を都電と一緒にくねくねと通過し、明治通りに入り、池袋駅前を過ぎ、雑司ヶ谷の鬼子母神前。そして再び都電の横を走る。迷わないようにまっすぐまっすぐ。
これどこか忘れた新宿かな。
で、北参道から明治神宮方面へ。ここでまた迷う。
首都高の下を走りながら明治神宮をぐるっと回って参宮橋。地図に首都高が書かれていると、その下が走れるのかどうか見ただけでは分からん。実際走ってみないと分からないわけで。
ようやく目的地に到着。3回目ぐらいか。ここで行われるフォーラム、過去には出張させてもらったこともあるが、今回は自腹。どうしても聞きたかったので。案外真面目な理由。
これを打っているのは入院中のときだが、車椅子ではちょっと難しいかなあと。どうやったら車椅子で行けるかなあと、そういうことを考えつつ。
2泊で5000円ぐらい。外国人のバックパッカーとかもいて、結構繁盛していた。で、そこを朝早くに出発。
出発してすぐのコンビニのイートインで朝食。甘いモノが欲しかった。
で、出発。豊島町界隈。まずは荒川を目指す。
まだ街は半分ぐらいしか起きていないというか、そんな感じで走るには丁度良い具合。
駒形どぜう。テレビで見たことがあるような。高そう。
程なくして隅田川に出る。天気が良いわあ。
振り返るとスカイツリー。少しは走っては飽きもせず、何枚も何枚も写真を撮ってしまう。
川の手通り。川沿いを走ると時々こういう感じのトンネルがある。
景色はかなりいい。時間はあるので慌てずゆっくりと進む。
桜橋水上バス停留所。この橋、途中で二又になっているらしいが、確認せず。水上バスは家族旅行で乗ったヤツかな。あれは面白かった。
で、さっき慌てずにといったばかりなのに暫くするとトイレに行きたくなり、慌てて川沿いの公園のを借りる。セーフ。
白髭橋。
ここを渡って右岸に移る。
隅田川に別れを告げ、水路っぽい方へ。
道があるんかいなと恐る恐る進む。
スカイツリー線という愛称だが、実際は東部伊勢崎線の堀切駅。地図アプリで確認しながらたどり着く。結構かっこいいのが通り過ぎた。
この先で荒川の右岸へ渡る。覚えていないが、なんぼなんでもここは通っていない。確か下に降りて通過した筈。
無事に到達。
首都高の傍を流れるのは水路のような綾瀬川(後で調べた)。
さらに進むと、恐らくこれは東京メトロ千代田線か常磐線か東京スカイツリーラインかつくばエキスプレスか、それとももう少し先の日暮里舎人ライナーか。道路には○○環状線の文字。後で見たら先っぽの方が分からん。
この辺り、思ったより変化に富んでいる。ただ川沿いなので補給の自販機とかがない。後で地図を見たら、少し降りるとコンビニとかなくはなかったようなのだが、わざわざ降りるという気はしなかったのでそのまま目指すところまで。
で到着。で補給。ここから先は埼玉県に入る。
とりあえず国道122号まで。
で一旦川を離れて橋を渡る。
これは、わざとこういう形をしているのだろうか。どう考えても変だ。
都内へ。岩槻街道というらしい。
道に迷わないよう、ひたすら国道筋を行く。景色としてはあまり面白くはない。商店街とかすぐ近くのようだからそういうところを走った方が、本物の東京感を味わえたかもしれない。それでも、走っていくうちに発見はある。滝の川学園というのはここだったのかと感動する。
富士蕎麦を見て滅茶苦茶食べたくなったが我慢。用務が終わって富士蕎麦に入ったのはこれが伏線か。
王子駅の前を都電と一緒にくねくねと通過し、明治通りに入り、池袋駅前を過ぎ、雑司ヶ谷の鬼子母神前。そして再び都電の横を走る。迷わないようにまっすぐまっすぐ。
これどこか忘れた新宿かな。
で、北参道から明治神宮方面へ。ここでまた迷う。
首都高の下を走りながら明治神宮をぐるっと回って参宮橋。地図に首都高が書かれていると、その下が走れるのかどうか見ただけでは分からん。実際走ってみないと分からないわけで。
ようやく目的地に到着。3回目ぐらいか。ここで行われるフォーラム、過去には出張させてもらったこともあるが、今回は自腹。どうしても聞きたかったので。案外真面目な理由。
これを打っているのは入院中のときだが、車椅子ではちょっと難しいかなあと。どうやったら車椅子で行けるかなあと、そういうことを考えつつ。
転院して2ヶ月が経過。今、リハビリの内容がどんどん難しくなっている。毎時間真剣にしないとできないこともあり、リハが終わると結構放心状態になるぐらい疲れる。
漕走もノルマを課してやっている。漕走は一応自主トレという形になり、あくまでリハの補完だがリハに差し支えそうになるぐらい(差し支えたことはないです)へとへとになることも確かにある。
年末ぐらいから、早朝に腹筋背筋等のベッド上でできる筋トレを20分、廊下の手摺につかまってスクワットとかする筋トレを20分することにしている。5時半ぐらいから始まって、終わるのは1時間後。ただ、一昨日から廊下での手摺を使った立位や歩行をさらに20分するようにしているので、最近は7時前までかかる。これらはあくまで訓練の「おさらい」程度だが。
今日は気温が上がり、車椅子が代車になっていることもあって緩めのペースで周回を重ねた(重いし漕ぎにくいので楽ではないが)。筋トレにはなったかもしれないが、早くしっかり漕ごうというモチベーションには繋がりにくい。まあ、近所の保育所か託児所かの幼児さんがちょろちょろと庭を駆け回るのを眺めたり時々注意を促したりするには丁度良い速度だったか。因みに今日は10分20分とかの短い周回も幾つかあって合計で2時間半にはなったが、距離は漸く10キロ。元々の車椅子で最近なら13キロ近くは漕げている距離。ただ、この代車でよく100周できたなとそれは思った。
最後の最後に初めて経験する結構なトラブルがあったが、誰も見ていなかったようなので良かった(ほとぼりがさめた頃に記す予定)。
昨日は9時就寝でよく寝た。右の腋から背中の痒みは相変わらずだが、それでも導尿回数が減ってからは夜中に起こされることが少なくなったこともあり睡眠が良く取れていると感じる。今日も9時には寝るかと。やはりトイレも含めた一つ一つのことに力も集中も時間も必要なので疲れる。食べるのだけはそういうのが必要ないのがいかん。
今月の漕走は、後8キロで200を超える。ただ、明日は午後には雨が上がるようだが、その頃にはリハが詰まっているので漕走は無理かもしれん。疲れ気味でしかも代車ということもあり、リハのない午前は久々に読書して、で時々廊下に出てのスクワットをしようかと、そんな感じで考えている。
漕走もノルマを課してやっている。漕走は一応自主トレという形になり、あくまでリハの補完だがリハに差し支えそうになるぐらい(差し支えたことはないです)へとへとになることも確かにある。
年末ぐらいから、早朝に腹筋背筋等のベッド上でできる筋トレを20分、廊下の手摺につかまってスクワットとかする筋トレを20分することにしている。5時半ぐらいから始まって、終わるのは1時間後。ただ、一昨日から廊下での手摺を使った立位や歩行をさらに20分するようにしているので、最近は7時前までかかる。これらはあくまで訓練の「おさらい」程度だが。
今日は気温が上がり、車椅子が代車になっていることもあって緩めのペースで周回を重ねた(重いし漕ぎにくいので楽ではないが)。筋トレにはなったかもしれないが、早くしっかり漕ごうというモチベーションには繋がりにくい。まあ、近所の保育所か託児所かの幼児さんがちょろちょろと庭を駆け回るのを眺めたり時々注意を促したりするには丁度良い速度だったか。因みに今日は10分20分とかの短い周回も幾つかあって合計で2時間半にはなったが、距離は漸く10キロ。元々の車椅子で最近なら13キロ近くは漕げている距離。ただ、この代車でよく100周できたなとそれは思った。
最後の最後に初めて経験する結構なトラブルがあったが、誰も見ていなかったようなので良かった(ほとぼりがさめた頃に記す予定)。
昨日は9時就寝でよく寝た。右の腋から背中の痒みは相変わらずだが、それでも導尿回数が減ってからは夜中に起こされることが少なくなったこともあり睡眠が良く取れていると感じる。今日も9時には寝るかと。やはりトイレも含めた一つ一つのことに力も集中も時間も必要なので疲れる。食べるのだけはそういうのが必要ないのがいかん。
今月の漕走は、後8キロで200を超える。ただ、明日は午後には雨が上がるようだが、その頃にはリハが詰まっているので漕走は無理かもしれん。疲れ気味でしかも代車ということもあり、リハのない午前は久々に読書して、で時々廊下に出てのスクワットをしようかと、そんな感じで考えている。