きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

月を追い掛ける。空を仰ぎ見る。

2015-09-30 22:00:00 | 真面目な練習
三木24耐終了後、初のペース走。しかも、前日ショート麦5缶空けての出勤ランにて。
昨日から何かしら気分のノリが今一つだったので、余計に走れて良かった。24耐後、距離は伸びず呑む喰う量は増え、みたいになっていたので余計に走れて良かった。
駅のトイレを出て、残り12キロから地面を蹴る。気温がやや低めだったのが良かったか、3キロ、5キロ、8キロと距離が伸びても、何とか持ちこたえた。脚は痛かったが。
入りの2キロはキロ5分15秒ぐらいで、後はキロ5分を維持して6キロを30分30秒。結構きつかったが後半はさらにストライドを伸ばし、結果6キロを28分ジャストで、キロ5分切った。年に1回あるかないかというぐらいの好タイム。

今日もつくづく思ったが、やはり数十メートル前を見ると云うより、空を思いっきり仰ぎ見るぐらいの方が、儂には丁度いいらしい。

これは昨日の朝のスーパームーン。今日は途中で月を撮る暇は当然なかった。

月を追い掛け、空を仰ぎ見て走る。案外姿勢はいいのだろう。

久々の終了後のストレッチ。この夏ぐらいから右足はもうこれ以上伸びない。だんだん可動域が狭くなってきている。キロ4分といった速いペースで短い距離を走るのはますますしんどくなるなと思う。
それでも、キロ5分ならまだある程度出るんだと、こういう時、ほっとする。
これからは走力は落ちていくのは当然なので、どういう感じで折り合いをつけながら目標設定して走るかも、考えなければならないと思う。そうそう上手くはいかない。むしろ上手くいかないときの対応の仕方を考えておかなければと思う。

で、今日で9月終了。月間499キロ。
で、今日で上半期終了。上半期というより、昨年度の総括まだのような気がする。
で、今日は開設5周年。ありがとうございます。


ちぐはぐ(いかんなあ。改め)

2015-09-29 19:49:00 | 徒然に2014-2015
いろいろなことが少しずつ。
いろいろなことが上手くいかず。
予測ミス、操作ミス。致命傷ではないが、許されるもんではない。
何というか、しゃんとせないかんのに、いかんなあ、という感じ。

この駅で平日に慰労するのは最後なのに、そういう感慨に浸れず。
ということは、安い麦の恩恵に預かることもなかなかできないかもしれないのに、そういう感慨に浸れず。

すんなり帰る気になれず、途中駅で道草。

七年半利用した駅ではなく、何でもない途中駅でのワンショット。
実にちぐはぐ。

いかんなあ。

おつきさんからいろいろまなぶ

2015-09-28 20:20:00 | 徒然に2014-2015
昨日夕方、コンビニに麦買いに行く。

朝も西の空に。

一番真ん中の光。
スマホで写真撮ると、近くの光も遠くの光も区別がつかんな。
でも、一つ一つの星は地球からの距離は全く違うが、その一つ一つの光から距離の区別がつくかというとそうではないだろうし。
案外、万事がそんなもんだと思ったりする。

なかなか上手く撮れんが。

雲との駆け引きが微妙に綺麗で。

案外、雲あってこその月なのかもと。表情が変わる。

爺ちゃんがよく唄っていた「つきがでたでた」を思い出す。炭坑節という唄で「○○の上に出た」は「三池炭鉱」だと知る。いろいろ諸説あるらしい。

でも。

いろいろあってええやん。
月見て想う。

エアポケット

2015-09-27 16:17:00 | 徒然に2014-2015
何となく、ではあるが。

やらにゃいかんことが一息つくと、こういう状態になる。
だからといって、いつもいつもやらにゃいかんことが休みなく続くのもどうかとは思うのだが。

10キロも走ってないのだが、脚が前に行かん。
空は青くて本当に勿体無い。


1時間45分。14.5キロカツカツで、

2015-09-26 16:00:00 | 徒然に2014-2015
よくもまあ行ってこれたなあ、と。

バスが15分遅れ、その分予定変更してショートカット。脚がどうこう云ってられん。これ程時間がカツカツになったのは珍しい。上手くまとまったから良かったが。

因みに「犬岩」と云うらしい。

詳細はいつものように改めて。

おまけ ~三木までと三木からと

2015-09-25 18:00:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
《三木まで》
走ってはないが、おまけで三木までの往還記。

5年前と同じく連絡バス経由で東予港発のオレンジフェリー乗船。

但し、前回は2等、今回は2等寝台。夜行バスは市内のど真ん中で解放してくれるので便利は良いが、フェリーはなんと云っても横になって寝られる。

南港着。下船ピークが過ぎてからややゆっくり目に船を下りる。

連絡橋を歩く。

ニュートラムで地下鉄の駅へ。

すいている。やれやれ。

で九条で乗り換え。実はこの辺記憶が曖昧。酔っているからではなくて乗り慣れてないからである。

阪神の駅を見つけると緊張が緩んだのか腹が減る。この先のセブンでドーナツを買う。

九条から尼崎までは各駅停車。面白い駅名が多い。尼崎では、待っている電車に乗らずに食うところを探す。そこそこ大きな駅の筈だと思って一旦改札の方に向かうが何にもない。

とりあえずトイレに行くかと反対側に出ると、買うところ食うところがあってほっとする。

迷った末に、蕎麦へ。関西風より関東風が好きなのだが。

皆さん、おにぎりがセットになって天ぷらが載っかったモーニングセットみたいなのを注文している。370円。儂は天かす付きのかけで230円。値段は東京より優秀である。

ホームに出る。尼崎。親戚が昔いたところ。

特急に乗る。運良く座れる。麦ではなくて豆なのが残念。

新開地で降り、神鉄のホームに移動。目指す電車を見つける。ほっとして売店でチキンカツサンドを買う。写真なし。電車に乗って食う。食い終わる頃に出発する。行き先は「しめじ」と読む。

駅に着いたのはバスが出る30分前。5年前と同じである。

5年前と同じ緑が丘の駅。

5年前と同じように、駅のロータリーの反対側にあるコンビニで、これも5年前と同じようにパスタを食う。そして5年前と同じように紙ナプキンはもらえず。

コンビニ前で食う。朝御飯、結構食ったな。

《三木から》
神戸M君の好意に甘え、舞子に向かう。この後、M君は、Uターンする形で「しあわせの村」へ。すんません。舞子と三木は直線距離ならそう離れていなさそうだが、一直線の道路がないから、三宮に行くのとそう手間は変わらないような感じで言っていた。三宮から舞子はバスで約30分。少しでもバスの時間を短くするならギリギリで乗りたいということで無理をお願いした。儂はこれでも人様にはあまり無理をお願いしたりすることはしないように心がけているのだが(相手のことを考えるとお願いした方が逆にいい場合もあってなかなか難しいのだが)、M君レベルになると、すまんね、と言う感じで甘えてしまう。ありがとう。

舞子に付き、指示されたスーパーで麦を買い、バス乗り場へ。長い長いエスカレーター。5年前は三宮で途方に暮れていた。4年前は2時間ぐらい、近くの公園で時間を潰した。今回はタイミング良く帰れる。予約をはていなかったのでバス会社に確認すると、JRバスの方は残席が2で微妙だったので、伊予鉄にする。

昨日もらった弁当をつまみにバス待ちで。寝たらいかんと我慢しつつ。

目の前の景色を堪能しつつ。有り難いなあ。

バスは、一番前が空いていた。隣席を気にすることなくいただく。ラッキーであった。

途中の吉野川サービスエリアにて。ここから約1時間余り。

西日がきついがもともと日差しを気にするタイプではないから。見晴らしがよかった。最後までラッキーだった。

この先どこかでしっぺ返しがきそうなぐらい良い想いした三木往還の記録。左足首と右脚付け根が痛い。

24耐の「形」 ~改めて三木24耐を振り返る

2015-09-24 18:00:00 | 大会回顧録
《続 出勤走》
今日、やっと電車に乗らずに行けた。雨が結構降っていたのでそれが背中を押した感じ。もっとも10キロ超えると左足首が痛くなり、ほぼ早歩きに近い状態で残りは押し切る。

《起 号砲前》

10時過ぎ会場着。

そういえばと言う感じのでっかい競技場。

緑が丘から公園に行くバスは学生がいっぱいで、近くのK外大の学生だとばかり思っていたら、リレーマラソンに参加する学生だった。しかも相当多い。ポロシャツの胸に書いてある「あんぱん?」って何、ということで後で調べると京都の「旧帝大」の陸上サークルだった。すご。

会場着くともう場所がいっぱいで、まあ、奥の会議室とかも使って良さそうだったのだが、できるだけトラックに近いところをということで、先着の家族連れのランナーさん(3時間走へのエントリーらしい)にスペースを空けていただく。

感謝。出店していたスポーツ店さんや作業所の食べ物ブース、自販機やトイレ、更衣室を確認しにうろうろする。それから受付でゼッケンをもらう。

まあ、会場自体が広いのであまり文句は言えんが、ブルーシート広げて広々と場所取るだけでなく、ゆとりあるスペースにはマッサージ用の長いすまでおいてある。ブログに書いていたそのチーム、そう。あまり文句は言えんが。
で、儂はといえば、テントで寝るときに使う一人用の銀のウレタンマットと、スーツケース。あまり迷惑にならないようにはなったと思う。で、神戸の時同様に、補給用のスポドリ作ったり、甘いもんつまみながらお通じを待つ。朝から、セブンのドーナツ、立ち食いそば、カツサンド、コンビニの大盛りミート、さらに、チョコレートマフィンと結構食ってまだ出ない。出たらタイツに着替えようかと思っているのだが、なかなかうまく行かない。いろいろやっていると隣の家族連れの子供がのぞき込む。外に何度か出て、気温と天気を確かめる。最初は上下とも2コンプレッションのタイツ様のヤツ(名前がわからん)で行く予定だったが、最初はかなり暑そうだったので、Tシャツで日中は過ごし、夜になってコンプレッションの上を着直すことにする。

でTシャツはいくつか持って行った中で「みきゃん」を選ぶ。ゼッケンをつけたところで開会式。
前回の神戸、前々回の三木同様、開会式のマイクの音量が全く意味をなさない。気温が上昇する中30分。終了と同時に着替えに入る。走りながら用を足すか。神戸の時は、用を足した直後に頭がくらくらっとしたから、できるだけそういうようにはしたくなかったが、仕方がない。

5分前、トラックに出る。リレーチームはチーム全員が集まっている。

《承 淡々と》
三木の24時間は2回目である。コースも5年前と同じで、最初競技場を半周し公園周回のランニング(散歩?)コースへ。最初の1/3は思いっきり下りそして次の1/3弱で少しずつ上る。最後の1/3強でフラットから下りになり競技場に戻る。戻るところにエイドがある。ここで最初の3時間は延々と薄口のスポドリを一口ずつ含みながら周回を重ねる。
恐らく調子は悪くなかった。飛ばしすぎないようにと思っていたが、最初の3時間ぐらいは14分半/周ぐらい。競歩のイメージで軽く脚を出す。上下動はあまりない。テンポは悪くない。1周は2.2キロだからまあまあ速い。その3時間が過ぎたところでトイレへ。まだ出ない。で、その1時間後にようやく出張中も含めて止まっていたお通じが3日振りに(すみません)。身体は軽くなったが、疲労には負け、無理せず1周16~17分半ぐらいで進めていく。
この辺り、コースアウトしてピットに入ると出てくるまでに何故か5分近くかかる。補給はないがしろにはできないので仕方がないが時間は気になる。エイドの薄いスポドリを考え、自分で用意したのはアクエリにメダリストの粉を入れたやつ。そしてカフェイン多めのエナジードリンク、ウイダー系のゼリー、カロリーメイト缶、甘いもんとしてラスクとかりんとう。飴はクエン酸系とブドウ糖系、キャラメル(キャラメルのみ手をつけず)。これらをつまみながら走る。何回休憩したかは覚えていないが、4時間経過後ぐらいからは3周回って休憩を取っていたので、約1時間に1回、ということになる。コースアウトと同時にストップウォッチを押し、時間超過に気をつける。走力がそんなにない者は休み時間を削って走る。そうすればある程度のレベルまで勝負はできる。それが24時間の醍醐味。
4年前の神戸の時は、2時間経過後熱中症みたくふらふらになって一度諦めたから、その後は開き直れた。5年前の三木は欲出してがつがつ走った。脚が止まったときに反動で落ち込みもしたが立ち直れた。
今回は、どうなのだろう。走れると言うこと自体有り難かった。欲もないが開き直りまでもいかない。旅ランのように淡々と景色を見ていた。家族連れ、犬連れ。サッカーの試合、テニスの試合、野球の試合。どちらかといえば、淡泊に走った。がつがつしていない。悪く言えば燃えない。ただそれでいて諦めないでいこうということは、ずっと思っていた。タイムは確認するが周回そのものはは数えない。途中経過も見ない。これも一貫していた。雑念が入ると弱い。一方で今年は周りがあまり気にならなくなっていたのも確か。凄い人はなんぼでもおる。比べること自体ナンセンスであるということは、今年はよくわきまえていた気がする。
6時間が経過し、空が暗くなり始める。1/4終了。ここは初めの区切り。弁当をもらいに行く。手はつけない(翌日帰りのバス待ちでいただいた)。ひとまずやれやれという感じだったが、この時既に左の足首を傷めていた。5年前と同じ。こんなに短時間で足首を痛めるのはこの大会のこのコースだけといってもいい。アップダウンのあるコースのせいかそれとも左右のカーブのせいか。

まだ我慢ができないという一歩前だったが痛み止めを飲む。一番しっかり走っていなければならない時期に、脚が痛かったから距離は考えているより伸びてはいないということは分かっていた。それでもやるべき対応はしっかりやる。そうしなければ棄権してしまいそうになる。
棄権ということは、レース前は考えられない。考えようがない。時間制限というのはないから。しかし、脚が予想していないぐらい早い段階で潰れたので結構めげた。周回を重ねていないことはうすうす気付いていたから結果がはっきり分かるといろいろと迷うことになるだろう。諦めないと言い切れるか。それでも、である。
水分は珍しくよく摂る。後でかなり乾燥していたことを知る。胃の具合はあまり良くない。強力わかもとも合わせて飲む。食べたいとは思わないが、無理矢理ゼリーを摂る。8時間経過時、コンプレッションのウェアを下に着る。去年のような寒さはまだない。ただ脚は重い。だんだんと前に出なくなっている。歩きの人に追いつけなくなった時、走るのを止め途中の坂を歩くことにする。先のことを考えると、どこかで休みながら走る方が得策ではないかと思えた。
走る前から、今回は「形」を意識していた。この日も途中までは、早々に歩くランナーを見てせっかくだから自分は走ろう、と。できるだけ走ることが24耐に参加する上での「形」でもあると。ただ、形にこだわるといいつつ一方で、歩かないとか走り続けるとかそういう自分に課しがちな(変な)目標を、今回はあっさりと捨てた。この辺りが、力が抜けているというかあっさりしているというかそういう部分を感じた理由かもしれない。疲れの度合いで云うにはまだ余裕がかなりあったが、脚が痛いのはどうしようもなかった。なのに歩くと眠くなってきた。

《転 継投策》
足が痛み、足が出ない。眠くなった。10時間過ぎのピットで、20分程仮眠を取ることにする。スマホの目覚ましをセットする。靴を脱ぐ。痛い。マットの上に仰向けになる。深く眠らないように膝は立てる。目を閉じる。
周りが騒がしいのと室内の明かりが眩しいのとで、3分ぐらいでその姿勢を止める。水分を摂り、靴を履く。
思い付いてサロマレーサーを出す。ニューバランス1040は外側がかなり減っていた。もう一回1040をを履いても恐らく脚は前に出ないはずだから、しばらくサロマで気分を変えてみるかという感じだった。
コースに出る。軽い。脚が前に出る。眠気が何故か飛んだのと風が涼しいのと合わさって気持ちがいい。で、1周目は13分半、2周目は12分半。3周目からはさすがに14分半ぐらいに押さえる。それでもこれで3時間ぐらい距離を稼ぐ。5年前のように寒くはない。むしろ汗をかいている。1時過ぎ、再び眠くなる。スピードもかなり落ちてきたし脚もいよいよ痛くなってきたので今度こそ仮眠をとピットに向かうが、気を取り直しもう1周だけとトラックを回り始める。すると、神戸M君が見えた。あれ何で。

で、一緒に走る(この辺りからの競技場内の写真は神戸M君がフェイスブックにアップしたものを借用しました大会のスナップなんて貴重ですありがとう一部ぼかしています)。元気はないが気はしっかりしてきた。結局2周する。ピットに戻る。M君のお陰で気持ちがしゃんとした。ありがとう。
M君帰宅。もう少し走ろう。もう少し走ろう。で2時半過ぎにピットイン。まだ合計で1時間以内の休憩にとどめている。前半休憩しすぎたがサロマレーサーにバトンタッチして休憩が少なくなった。ここで仮眠。約20分。再びコースへ。
しかし、左脚の足首足の裏が痛くて走れない。ほとんど歩きで1周で戻り思案する。これ本当にやばいぞと。サロマの靴底の薄さが、もろに左足に響く。

ここで、ゲルカヤノにスイッチ(写真左から2番手サロマ、3番手カヤノ、先発1040v4)。自分でも考えてなかったが、脚がここまで痛いと走れない。同時にもう一回痛み止めを飲む。スピードが出ないので持ってきたジャンバーを着る。一周走る。さっきよりマシ。ジャンバーはすぐに脱いでコースに戻った。この後しばらく2周してピットに入る感じになった。サロマに変えたときには、残り14時間ぐらいだからこのままいけるかと思ったが、結局5時間で継投。ただこの5時間でしっかり走れた。走れたから眠くもなかった。前半のロスは幾分取り戻せたから、脚の痛みは仕方がないだろうと思った。ゲルカヤノはクッションと大振りな造りが脚の状態に合っていて、スピードはそれほど出ないし、脚も痛くならなくなった訳ではないにしてもずいぶんマシになった。1040は、割合フィットしていた靴なので、もう少し状態が良ければ、こちらに戻した方がしっかり走れたのかもしれないが、結局このまま9時間、ゲルカヤノで最後まで走った。勝負所と思っていた夜明け前までもう少し。

《結 エール》 
5時過ぎ、空がだんだんと白くなってきている。ずっと起きている主催スタッフのおっちゃんが、周回コースを自転車で走りながら声を掛けてくれる。補聴器をしていないので声は聞こえない。口の形は「頑張れ」だが、顔つきは「走らんと」といっているようにも思える。24耐でいつも思うのは、このスタッフの方々の凄さ。頭が下がる。特に、神戸と違って三木の方は儂より年上の方ばかり。
残り8時間切り、2/3終了して気分は良いはずだがペースは上がらない。後で振り返ってもこの辺りがきつかったように思う。距離が伸びない。他のランナーはと云えばあまり記憶にないが、確かに夜中、シングルのランナーは少なくなっていた。リレーチームは相変わらず賑やかであったが。気になりつつ気にしても仕方がないと思いつつ。雲が多い天気だと分かるぐらい明るくなった頃、ポツポツと雨、やや肌寒い。ペースが上がらなければブレーカーを着るべきかどうか迷いつつ、相変わらず下り坂は我慢して走り、上り坂で歩き、再び走って競技場へを繰り返す。1周、歩かなくて約18分、上りを歩いて約20分。歩く距離がどうしても長くなる。ちなみに一周丸ごと歩いたのは二回。だいたい30分かかった。もっと早歩きで進めることができるのならそれもありなのかもしれないが、疲れと脚が痛いのとで人より歩くのが遅い。なら遅くても走った方がマシ、というより走らなければ距離は伸びない。休憩もなるべく少なくしなければならない。2回予定していた仮眠は1回に抑えているので、前半水分補給で手間取った分のピットインの時間は取り戻せている。このまま仮眠を取らずに行けるかどうか。
8時過ぎ、寒いのもあるのか、ペースは上がる(というより戻る?)気配がない。糖分補給もエイドのかりんとうとかビスケットとか持ってきたラスクとかつまんでいたが飽きてきたこともあり、そういえばとコース途中のセブンティーンアイスの自販機でチョコのを買おうと硬貨を握りしめ、ピットアウトする。夜中、買ったのはソーダ系のアイスだった。5年前はジュースの自販機の種類も少なくアイスの自販機もなかったのでこれは有り難かった。
少し楽しみができて、重い脚を前に前にと運び始めた頃、陽が差すようになる。8時半過ぎだったか9時前だったか。瞬く間に暖かくなり暑くなる。自販機の前に来たが、もう1周できそうなのでパスする。さらに気温が上がる。汗が出てきて薄いスポドリが効果を出し始めた。空が青くなり気温がぐんぐん上がってくる。これならチョコよりコーラの方が良いか、でも買う程ではないかと130円を握りしめたまま、コース周回を重ねる。10円玉から色が出て手が青くなる。コンプレッションウェアは面倒なので脱がずにいることにする(結果この方が涼しかった)。

再び神戸M君がやって来る。しばらくまた一緒に走る。残り3、4時間辺りになると、気持ち的にはラストスパートなのだろうが、開始後の4時間はえらく長く感じたのを覚えていて、痛みと疲れで、神戸の時のようにこの辺りでペース上げると最後まで持たないかもしれないと感じ、途中の上りは歩きを交えることを続ける。特にがつがつと欲はない。速く終わらんかという気持ちはもちろんあるが、だからといって気分的にしんどいわけではない。何をしなくてもそのうち終わる。でも走っていても必ず終わる。それだけである。だから、せっかくだから少しでもコースにいる方がいいんじゃないかということを思う。

で、結局硬貨を握ってコースに出てからは一度もピットに戻らず、エイドのスポドリで済ませる。気温が上がり、ペースは夜より上がってきたが、坂を歩いているときに眠くなる。

神戸の時を思い出し、太腿と両足の付け根と両腕と頭に水をかぶる。生き返る。周回を重ねる。頑張るとかそういうのではない。兎に角周回を重ねる。
残り1時間余りになり、競技場に戻ると10キロと5キロ(?)の参加者がコース上にどどっと溢れている。暑くなってから姿勢が戻りペースも安定してきた。確実に1時間3周のペースを維持するイメージで走っていたが、ここから歩きを入れずに走れば最後もう1周余分に走れるなと思い、1周だけペースを上げ貯金を作りにかかる。下り坂、10キロ5キロのランナーが横を追い越すのにつられてかテンポ良く走る。上りが終わる前辺りで10キロか5キロかの走者にぐいっと前に入られ、つんのめりそうになる。腹が立ちペースを上げ追いかけそのランナーの前へ。そこで止め。
まだ走れるらしい。競技場に戻ると、その周は13分で走っていた。次の周回も13分。さすがに脚が前に出なくなった次の周回は15分、ってこれもう1周ペース維持できれば余分にもう1周できそうなぐらいだったが、残り時間が微妙なので予定通りラストランにする。
「ありがとうございます」とスタッフのおっちゃんにお礼をいう。ハイタッチというよりミドルタッチ。早朝、チャリで周回しながらがんばれと声を掛けてくれ続けていたおっちゃんも、笑顔で拍手をしてくれた。

納得できる24耐だった。走る前はこの1年の区切りとか考えていたが、走っているときはそんなことを全然考えていなくて、でも、自分の求めていた形にある程度近付くことができて、多分これまでの大会の中でもかなりいい顔でゴールできたんじゃないかと思う。

《続 そして》
24耐に臨む上でのあるべき形というか、どう走るかということ、理想の形はどうなのかを競技中も割合考えていたと思う(脚が痛くなってからそれどころではなかった時間もあるにせよ)。でそれを考えた場合。
○できる限りコース上にいる時間は長く
○できる限り走っている時間は長く
○できる限り姿勢良く走る時間は長く
ということかなと思った。だからそれを意識して走った。
食ったり出したり寝たりという感じで最低限のことをしてピットに戻った時間、つまりコースアウトしていた時間は1時間40分。かかり過ぎなようで実は結構上出来だと思う。結局、1回2分~3分で済んでも、時には5分とかそれ以上かかってしまう場合もある。長丁場のマラソンだから1時間毎に入らざるを得ないのは確かなので、これを単純に20回重ねると1時間以上になる。仮眠は15分~20分(所謂「シエスタ」で目が覚めやすいのがこれぐらい)を2回は取る必要があると考えていたが、これも1回で済んだ。その上で。
それを除いた時間は常にコースにいる。これが理想だということだと漠然と思いながら、そして、できるだけ走りたいと思った。
最初、少しだけ抑え気味だったのと、開始後4時間から8時間の辺りがうまく「乗せられなかった」ことで体力が消耗しなかったのか、今回は坂道がそれほど苦ではなかった。ただ途中足首のこともあって、8時間過ぎてから意識して歩きを入れた。でも、歩くのではなく走るという点では結構頑張れた。自分のイメージに近い形でできたから云えるのだろうが、少しでもコースにいて、走るということは、参加する上での礼儀である、とも思う、それが長い時間意識できたというのは評価して良いと思う。
今回の達成感は、これをきちんと実行できたから、というより実行できるように意識し続けたからだと思う。順位と距離は、後から付いてきた。

ゴールした時点では100マイル無理かなと思っていたが、気を抜かずに最後まで走れたからかクリア。170キロ超えられなかったことより、目指していた100マイルきっちり走れたことの方が嬉しい。

おまけの結果も付いてきた。24耐はこれで3位、3位、そして今回2位。ラッキーなんだろうな順位に関していえば。170キロ超えてないこともあり去年なら6位の成績。実力者が出ていなかったとか、途中で止めたとかいろいろあるんだろうが。今回狙ってはなかったから、正直人ごとのような感じ。でもまあ嬉しい。
今回は、2時間毎の周回数の記録が得られたので記す。()は2時間ごとの周回数で不明のところは推定で示す。【】は順位。
 2時間: 8周目(8周)【9位】
 4時間:16周目(8周)【6位】
 6時間:  不明(6周)【??】
 8時間:28周目(6周)【8位】
10時間:34周目(6周)【7位】
12時間:  不明(5周)【??】
14時間:45周目(6周)【4位】
16時間:  不明(7周)【??】
18時間:58周目(6周)【3位】
20時間:63周目(5周)【2位】
22時間:69周目(6周)【2位】
24時間:77周目(8周)【2位】
速くはないが、落ち込みもない。5年前の三木は、12時間から18時間の間が11周しか走れなかった(鈍足親父さんのブログで知った)。それでも100マイル達成したからあれはあれで凄かったが、今年の方が、前後半でほぼ同じ周回数(前半39周・後半38周)だから、24時間の形としてはこちらの方が綺麗である。
5年前三木:前半99キロ、後半64キロ
4年前神戸:前半90キロ、後半76キロ
今回の三木:前半86キロ、後半83.5キロ
愛媛マラソンの時に、キロ5分少し切るぐらいのペースで最後まで走ってアスリート枠取るというのが美しいと感じるのと似たような感覚。どちらも難しいが、難しいからそれが走る「形」の延長上にあるのだと思う。
優勝したNさんは、後半、特に夜中の走りがずば抜けていたのに加えいつもコースにいるような感じだった(この方はあちこちの24時間の大会の参加者名簿で名前をお見かけする)。順位も儂に似たような感じで、夜明け前にすうっと上がってそのまま逃げ切っていた。3位の方は歩いている様子を多く見かけたが、コースにいる時間が長かった。しかも歩いているスピードが速かった。4位からは130~140キロ台の方々が多い。100プラスフルというのが壁でもあるのかもしれない。100キロランナーでもそこから積み重ねるのは思っている以上にしんどい。
コースに長く居続けるということは、すなわち、「もったいない」という性分の表れでもあるなあとつくづく思う。このことは儂がこの競技に「向いている」1つの理由かもしれないなあと。
そして。
神戸M君の応援、すごく有り難かった。チームとか、家族とか知り合いのサポートを得て来ている人は、プライベートで来ているランナーよりも力が出しやすいというのが分かった。確かに、愛媛マラソンの途切れない応援というのは、海有り山有り市街突っ切ってゴールというコースの良さ以上にランナーにとっては有り難いものである。今回は、プライベートチームではなかったな。ワークスチームだったある意味。
休まないということ、否、コース上に長くいることがやはり最後に100マイル走破できる鍵になるのだろうと思う。

休まないということ、否、コース上に長くいることが今日走ることについて感謝することの一つでもあると思う。

大会関係者の皆様、サポートしてくれた神戸M君、治療してくれた病院の先生方、そして、送り出してくれた家族へ。
皆様への感謝の気持ちとともにこの大会の総括を終え、次に進みたいと思います。ありがとうございました。

それでもみきゃんは負けず

2015-09-23 16:30:15 | 徒然に2014-2015
休日出勤で約4時間半。大したことはしていないが。

昼過ぎに職場を出て海へ。
今日はゲルカヤノから1040に変えて、4.5プラス2.5キロ。前回、前々回の24時間の後を見ると、今回ほど距離は落ち込んではいない。年齢的に回復が遅れているのか、状態が芳しくないのか、それとも。
単に気持ちの問題か。

海でGoosehouseがカバーした「ポニーテールとシュシュ」を聴く。ギターの音が心地よい。

帰りながら、ニコ動でゆるきゃらの中間発表を見る。トップに対するコメントの冷たいこと冷たいこと。冷たいと言うよりもろ煽るようなものまで。何でそこまでというぐらいの。

愛媛県庁がこれですから。

知事まで出ているから、もろトップダウンという感じは他県の人からすればちょっと、という気もするのだろう。確かに「組織票」に対する反発はあるのだろうが、それはそれ。声かけたところで強制力はないし。そこまでのものは感じてないし。

ただ、県内ではやたらといろんなところに顔出している。一歩間違えば飽きられるとか迷惑がられるぐらい。

勿論県外でも営業。企業も応援。

それとは関係なく、儂なんざどっぷりみきゃんですが。

PCの壁紙。

職場で着用する名札のストラップ。

先日のマラソンで着用した試合着も。

支給されたのならともかく、ちゃんと自費です当たり前ですが。これ着たら恥ずかしい走りはできんと思って頑張りましたが。

今年のゆるきゃらは長丁場ですから。まだまだ分からんよ。2位3位、勢いがあるし。でもまあ。

みんなそれぞれ応援の気持ちでポチポチできれば一番和やかにコトが進むはずなのだが。

明日は、もう少し距離延ばしてみるかなあ。行けそうな気もするし。

追記。さっき見つけた。

びっくりした。

3代続けて

2015-09-22 18:00:00 | 徒然に2014-2015
一昨日昨日と、車屋さんめぐり。中古車フェアプラス4件で一昨日はほぼ1日。昨日は1軒のみでほぼ半日。
12年乗ったが、故障が多くなってきたので車検1年残して換えることにした訳で。

とりあえず、決まった。連休でなければなかなかできんかったと思う。それぐらいハードだった。結局3台続けて同じ車種になる。あくまで結果論だが1番想定していなかったパターン。お金のこと、確かに気にしなければならないのだが。儂はほとんど車は運転しないので、ほぼヨメさんの車。だからこそっていうのはある。

我が家は、この車がアダムズファミリーのCMとともに出てきてからずっとずっとの付き合いになるな。この車、出世して昔に比べてもう新車で乗れるぐらいの値段ではなくなったから今回は、中古ということになった。

一昨日昨日と、ランは5キロまで。それ以上はなかなか難しい。今日は、2時間我慢して脚を動かす。距離は24耐の時ぐらいだろうから12キロぐらいか。左足の裏と右脚の付け根の前が、1時間過ぎるぐらいから痛くなる。
焦らずに、とは思いつつも、走ってないと体調が今ひとつなので兼ね合いが難しい。体温上げて、内臓稼働させてというのが、ランに結び付くようで。

休みが続くと身体がおかしい。明日は、仕事の段取りをつけに行こうかと思っている。

続くこと、続けることというのは弊害もあるが安心もある。

DOGO(亜細亜の片隅・別角度より)

2015-09-21 14:00:00 | 近場の異邦人
先日のこと、というより先月のこと。

じゃらんポイント1000ポイントもらったので、それを使って道後の風呂へ行くかと。とりあえず、ランの距離はそう大したことはないが。

商店街に入り、観光客気分に浸る。

商店街を抜けると本家。

道後温泉にはめったに入らないが、ここも国体が終わると改修工事するみたいだし。

左隣にはいつも気になる地ビール。旨いが高い。何杯もは呑めん。

いつも傍を通るだけだが、今日は登ってみた。節目で利用した縁のある神社。

神社というのはつくづく不思議な空間だと思う。

高いな。ここから見えるホテルに行く。

ポイント利用で500円で済む。500円分の喫茶利用券も付く。

ぼおーっとしつつ、1時間。呆ける。喫茶は利用せずに出る。
気温も落ち着いていて、風はもう夏じゃなくて、Tシャツが乾くくらい陽に当たりながら、からくり時計の前で夏の送りをする。観光客が多い。

麦だけが高いのではないらしい。でも前の客が買っていった。売れているようである。

電車で市駅へ。

セブンの100円ベルギー産第三で呑み直して終了。

歴史街道丹後100キロマラソンの60キロの部に出たときのこと

2015-09-20 15:30:00 | 大会回顧録
記録を見てびっくりした。丁度10年と2日前に出た大会。
もう一つびっくりしたのが、初フル完走して、春先にハーフ一本走って、でその次に出た大会。
9月の3週目から10月にかけてウルトラの大会が多くなる。この辺りが「シーズン」なんだう。今のようにまだそんなにマラソンブームとまでは行かなかった時代。それでも、この大会は、結構日本各地で有名なウルトラの大会を主催しているところがしていて、恐らく大会運営はかなり良かったように思う。日テレの24時間マラソンの指導も、この主催者がやっている筈。参加を決めたのはそういうのと、後は「歴史街道」というフレーズ。静御前の故郷ってそれだけで良さそげに思う。距離は60キロ。当然未知の数字。しかもこのときは、単車で往復。

最初で最後のツーリング&ランでもありました(ツーリングの時の写真は何故か残っていないがこういうスーパーシェルパのカスタムに乗っていました)。
こういう大会は、写真など撮っていないのでゴール時の記念写真とかしか手掛かりがない。

記憶も途切れ途切れではあるのだが・・・。

前日は一日高速を使わずに一日かけて現地入り。受付を済ませる。本当に賑やかな会場で、お祭り状態。びっくりする。この日はツーリングを始めたときと同じように、ちゃんと会場近くのビジネスホテルに泊まる(慣れてくるとこんな面倒なことはしなくなります。単車の時はテント泊になっていったし、大会に行くときはカプセルとか夜行バスとか、何より大会に出なくなったというのはあるのですが)。
早朝、会場に行き、スタート地点までバスで移動。この時に100キロに出場しているランナーを追い越す。この辺りのランナーは恐らくもうかなりきついペースになっている様子。まだ20キロ走っていない筈。

今年のホームページを見ると、スタートは久美浜カヌー庫らしい。このときも恐らくそこだろう。ボランティアの方が一生懸命給水とか給食とかの準備をしている様子を覚えている。高校生もいたんじゃなかろうか。そして、スタート。スタートは7時半だったと思う。

60キロのコースは、前半20キロぐらいに七尾峠という200メートル弱の峠が一つあるのみで後はほぼフラット。登りに入る15キロぐらいまでは、それほど記憶がない。さすがに10年前である。この峠、覚えているのは歩いたこと。初フルは少なくとも歩かずにという目標を守って完走したが、この時は、上りで体力を使うと後が不安であった。まだ大会参加3回目ということもある。で走らずにいたが、体力的にはまだ十分だったこともあってかなり大股で上っていった。
峠を越えると海の近くに出る。静神社は記憶にない。
陽が高くなるにつれ、ものすごく暑かったことを覚えている。
エイド毎に桶の水を頭から被る。これが気持ちよかった。氷も入っていたし。しかし、すぐ暑くなる。帽子は被っていたがとにかく暑い。
木陰を探しながら道路の右に左にと移動しつつ走る。
途中のレストでは、大会案内の書かれてある通り、置いておいた自分の荷物を取り出すこともできるので、一応着替えも準備していたが、ろくに荷物を確認せずにすぐに出た。靴を脱いで休憩を長めに取っているかのようなランナーがたくさんいた。
何か、そういうのを見ると、休んだら勿体ないと思ったわけで。
しかし、暑いことは暑い。
ちなみに、この時愛媛県から参加したのは2名だったが、もう一人の参加者は、ペースは桁違いに速かったにもかかわらず、途中のエイドで大休憩をしていたようである。

後で結果をみていたら、それらしき人が確かにいたのでよく覚えている(これの参加最遅っていうとこ)。9月の中旬だったが、気温は30度ぐらいあったと記憶している。
そして、覚えているのは、100キロコースとの分岐。100キロのランナーは、分岐からさらに山に行き、400メートル超えの峠(碇高原)に向かう。しかも70キロ地点である。この1年後に出た初めての100キロ(しまなみ遠足(とおあし))で一番きつかったのが70~90キロ(苦しい区間長すぎ)辺り。この分岐辺りは、周りが田圃で長閑ではあるが、逆に単調で(写真撮りながら走る訳にもいかないので、自ずと路上への興味関心も薄くなる)、しかも60キロの部に参加しているランナーは少ないから、周りに誰もいない状態で、先の見通しもないまま、とぼとぼと走っていた、そういうのも覚えている。
どの辺りがフルの距離の地点だったのかははっきり覚えていない。

海の近くで再び100キロのランナーと合流し、抜いたり抜かれたりもしたと思うが、ランナーの姿が多くなってきて、気持ちが少ししゃんとしたような気がする。苦戦の跡が見える。

ゴール手前で、少しペースが上がる。確か残り3キロぐらい。さっきまでの田舎から、少し街になってきた辺り。で、アナウンスと共に、ゴールテープを切る。感動でした。ウルトラ、走れるんやって。
記録は7時間43分。立派。

完走記念メダルをもらう。生まれて初めてである当然。

ちゃんと60キロの部。
で、その日は余韻に浸りながら、ビジネスホテルに戻り後泊(今では考えられんぐらい贅沢やな)。そして、また高速を使わずに愛媛へ。

この大会でなにが良かったかというとTシャツ。「TANGO100」とバックプリントされていてきれいなデザインで(もう一ついうと前の年のやつがもっと格好良くてしかも500円ぐらいで売っていたのだが買わず)。ニューバランス製。
このTシャツは、その次の年のしまなみ遠足(とおあし)で100キロ完走してから着用するようになった。
洗っても臭いがとれなくなってきたのでもう廃棄しましたが。

この丹後ウルトラの年とその翌年が一番大会参加が多かった。それ以降は、DNSが多くなったこともあり、大会参加そのものが少なくなって、今や愛媛マラソンとクラブ駅伝ぐらいか。
大会参加よりも、旅ラン志向が強くなったというのもあるし。
これは、もう一回ぐらい走ってみたいなと思うぐらいのイベント色の強い楽しい大会ではあった。

10年と2日後の今日。
あの時を思い出すかのようなカラリとしたいい天気です。

追記(9/28)。ここにツーリングの写真が残っていた。良かった。
http://blog.livedoor.jp/sightree6583a/archives/2005-09-17.html
http://blog.livedoor.jp/sightree6583a/archives/2005-09-19.html
10年前も食うもんばっか。
http://blog.livedoor.jp/sightree6583a/archives/2005-09-18.html
スタート前のドキドキ感も。

痛いところ、傷めたところ

2015-09-19 13:31:44 | 真面目な練習
シルバーウィーク初日終了。
まだ昼過ぎですが、草刈り終わったので終了。そして今日はランオフ。

閑話休題。

三木24耐後は、3日間ランオフ。月曜日は歩くのもなかなか大変だったが、火曜日はもう普通に歩けた。水曜日は違和感がなくなった。で木曜日、最寄り駅からのラン(4.5キロ)往復、昨日の金曜日は朝夕合わせて、4キロ、4.5キロ、6キロという感じ。ただ、これでまた痛くなり、今日は走るのを止める。

帰って直ぐに痛いところをケアすればいいものを気がついたのは月曜日の朝。何故か家にいっぱいあったのでいつものエアサロンパス系ではなく湿布にする。気になるところに順番に貼っていったらこうなった。
1 左の向こう脛の外側辺り:1枚
2 左足首:1/2枚
3 左足裏:1/2枚
4 左足甲:1/2枚
5 右足の膝の裏 1枚
6 両足太腿前方内側:各1枚
7 両足太腿後方:各1枚
8 両肩:各1枚
湿布だと、故障している箇所が分かる意識できる。貼っていくと「ここが残っている(痛い)」というのが、割合絞られてくる。
左右で偏りがあるのも分かる。職場の愛媛FC-LのWさんに聞くと、右の膝の裏の痛みは酷使による疲労で、左の向こう脛の外側あたりのヤツは足首の動かし過ぎからくる痛みらしい。
水曜日あたりは、1と2と5だけになっていたが、昨日あたりから
9 右の脚の付け根の前側
10 右の足の裏
も痛くなってきた。

しばらくチャリとかにした方がいいんだろうか。回復が遅い気がするが加齢故か。

しかしまあ、天気が良くて走れないのが少々残念ではある。
しかしまあ、シルバーウィークって「老人週間」みたいに勝手に頭の中で翻訳してしまうな。

天王山

2015-09-18 20:20:00 | 徒然に2014-2015
今日からの苦手としている下位との2連戦と首位叩きができるかで決まる。
人生勝負所のポイントって確かにあるので。

アカンな。下にばっかりやられとる。早々に諦める。

まあ、その時に結果が出なくても、準備とか構えとか、きちんとやっていれば次、活きる筈。勿論、次がいつ来るか分からんし、来ないかも分からんし。でも、別のステージで活かされることだってあるのかもしれないと思う。カープ、気合いで。

また、脚が痛み出す。
明日は、ランオフにせんときついか。なかなか思い通りにはいかん。

キロ8分半から9分で

2015-09-17 19:39:00 | 徒然に2014-2015
通勤ラン再開。

とりあえず最寄り駅からの4.5キロプラスアルファ。気になるのは距離の短さより速度。果たしてランといえるかどうか。自分は気にしてないですが、世間一般の尺度としてはランではないだろうな。

かまんの。

まだ痛いんですが、走れるとほっとします。普段は負担に感じることもあるくらいなのに。

御褒美神戸セカンドステージ

2015-09-16 19:00:00 | 遠くへ~少しだけ非日常
帰りの飛行機の時刻を必ず守ることと「六甲」を走ることを両立させるためには、技術が必要である、ということで。

三宮から電車に乗る。時間を金で買う。社会人ならではの「技」である。

降りた駅はバスが来ている。一列のエスカレータで気をもむ。何とかバスに乗るが気分的に余裕が全くない。

ケーブルカーの駅に運んでもらう。4百円で30分程の時間を買う計算になる。

ギリギリではあったが、運が良かった。ゆとりができると周りが見える。外国人も多いなあ。

初めて乗る。単車に乗っていた頃はこういうの考えられんかったな。

ホンモノのケーブルカー。子供のようにはしゃぐ(あくまで心の中で)。

結構な斜面を登る。ムスコ氏ムスメ氏多分感動すると思うぞ。

六甲の山を突っ切り山上駅へ。

結構な人出。びっくりした。ここからが勝負である。

結構高いところまで登ってきたというのが分かる。自力ではないが。

しばらくは、上りが続く。今回、コースを考える際にどちら周りで行くかを検討した結果、山上駅の方が、神鉄より高かったのでこの周り方にした。逆が本当は良かったのだが、何百メートルも登るとなると、時間の見当が付かない。下るならイチバチで5分半ほどのペース走には切り替えることはできるから(5分半というのは結局サブフォーペースだから自分の走力が分かってきた証拠である)。

この辺りは別荘地のようである。酒屋は貴重。潰れずに続く必要がある。

ようやく下る。目指す分岐にたどり着く。まだ1キロだが、先のファーストステージと合わせ消耗している。ここから下りとはいえそこそこにかつかつな距離(意味分からんし)。きついながらもペースを上げ気味に進む。

電気自動車?単車も置いてあった。趣味のお店、いいなあと思う。

表六甲。単車に乗っている時に走ったことがあるはずだが。

神戸の街が見える。まだまだ結構高いところにいる。

そうか牛ではなく羊かと思う。そうか1.5キロかと牧場を目指す。

結構大きな牧場である。この分岐は微妙に迷った。船で下調べしてなかったら間違えてたかもしれん。

西六甲は展望が開けるところもあるが、そうでないところもある。こういう感じのところは気持ちが落ち着く。

時間に制約があるので結構なペースでとぱす。下っているがどれぐらいなのかはよく分からない。

木洩れ日。

灘区から北区に入ったらしい。

山の向こう、小さな家がぽつんと見えた。写っていないが。

この道は、こういう感じでカーブの数が書いてあって、とりあえずゼロを目指して走った。モチベーションを維持するのによかった。ちなみに六甲のケーブルカーの駅は80ぐらいだったかそれとも90だったか。ようやく半分過ぎてホッとした感じになったのだろう。

脇道も幾つかある。時間も気力もいっぱいいっぱいなのでパスしたが、興味はある。

こういう感じ。わざわざ入っていく感じではないが、興味はある。

○○道、という名前が付いているというのも何かしら由来がありそうで、興味がある。

思ったより早く着く。相当飛ばしている。しかし、気分には余裕がなく、残り1キロに気を奪われて「再度公園」をスルーしていしまう。

この道を下りて三宮に行っても時間的には充分だったのだが、そういうことを考えつかなかった(当然予習不足)。勿体ないことをしたと後で思った。

当初の予定だった国道に出る。ここから神鉄の駅に出て電車に乗るのが当初の予定だったが。

小部峠。ここで10分ぐらい地図を見ながら迷う。道に、ではなくどうするか、で。迷いながら持ってきたゼリーで補給。

結局、予定の駅を止めて国道を下り始める。長田の方へ行って神戸M君の「友達」の「鉄人」に会うのも面白いか。そこまでの余裕はないか。

単車ならここから乗ることになるわけで。

山麓パイパス。記憶にないが単車で一度ぐらいは走ったことがあるはず。ずっとトンネルだったか。

えらい山道に入った気分。さっきの「街」の感じが続くとばかり思っていたので意外。

ようやく麓まで下りてきた感。

結局、長田には行かず、平野、というところで三宮方面に向きを変える。

桜だ桜。

水の科学博物館前。きれいだな。

三宮に近づいているはずだが割と閑静。

この辺で曲がる。

結構バテている。さっきの平野当たりからキロ7分ぐらいになった感じか。六甲は恐らく下り坂もあって5分半切っていたはず。

教会の隣に又桜。ここでまた曲がる。

多分、この先が北野というところだろう。

人通りが多くなってきた。ここでまた曲がる。

生田神社の桜。

同じく。

観光客、多かったです。自分もその一人ですが。

で三宮駅到着。思わず入りそうになりますが。いいな角打ち。

とりあえず、予定より沢山走れた。良し。

ポートライナーに乗車。子供みたいに一番後ろの席。

神戸、よかったなあ。

ファーストステージで走った道もあっという間。

神戸空港駅、到着。

ベイシャトルの乗り場はここからは歩いてすぐ。

行きにはあったはずのデイリーストアーがなくなっていた。びっくり。今日は3月の末日だから契約が今日までだったんだろうか。でも神戸空港が近いので、それほどは困らんかもなと思う。

そんなに利用者が多いのかとびっくり。

また来たいなと思った。

船の上、これもまた良い。行きは呑めなかったが、ルート検索とかの時間に充てることができたし。やはり単車の時代からはちょっと考えつかないランになった。

割引を上手く使えば、又来ることはそんなに難しくないはずだが。

でも次に来る予定だった5月某日は疲れていたのか気分が乗らなかったのか、結局ピーチの往復を無駄にしてしまった。
来れるときに来ないと案外、次、っていうのはなかなかなのかもしれない。
思い切って来ておいて良かった。