《続 出勤走》
今日、やっと電車に乗らずに行けた。雨が結構降っていたのでそれが背中を押した感じ。もっとも10キロ超えると左足首が痛くなり、ほぼ早歩きに近い状態で残りは押し切る。
《起 号砲前》
10時過ぎ会場着。
そういえばと言う感じのでっかい競技場。
緑が丘から公園に行くバスは学生がいっぱいで、近くのK外大の学生だとばかり思っていたら、リレーマラソンに参加する学生だった。しかも相当多い。ポロシャツの胸に書いてある「あんぱん?」って何、ということで後で調べると京都の「旧帝大」の陸上サークルだった。すご。
会場着くともう場所がいっぱいで、まあ、奥の会議室とかも使って良さそうだったのだが、できるだけトラックに近いところをということで、先着の家族連れのランナーさん(3時間走へのエントリーらしい)にスペースを空けていただく。
感謝。出店していたスポーツ店さんや作業所の食べ物ブース、自販機やトイレ、更衣室を確認しにうろうろする。それから受付でゼッケンをもらう。
まあ、会場自体が広いのであまり文句は言えんが、ブルーシート広げて広々と場所取るだけでなく、ゆとりあるスペースにはマッサージ用の長いすまでおいてある。ブログに書いていたそのチーム、そう。あまり文句は言えんが。
で、儂はといえば、テントで寝るときに使う一人用の銀のウレタンマットと、スーツケース。あまり迷惑にならないようにはなったと思う。で、神戸の時同様に、補給用のスポドリ作ったり、甘いもんつまみながらお通じを待つ。朝から、セブンのドーナツ、立ち食いそば、カツサンド、コンビニの大盛りミート、さらに、チョコレートマフィンと結構食ってまだ出ない。出たらタイツに着替えようかと思っているのだが、なかなかうまく行かない。いろいろやっていると隣の家族連れの子供がのぞき込む。外に何度か出て、気温と天気を確かめる。最初は上下とも2コンプレッションのタイツ様のヤツ(名前がわからん)で行く予定だったが、最初はかなり暑そうだったので、Tシャツで日中は過ごし、夜になってコンプレッションの上を着直すことにする。
でTシャツはいくつか持って行った中で「みきゃん」を選ぶ。ゼッケンをつけたところで開会式。
前回の神戸、前々回の三木同様、開会式のマイクの音量が全く意味をなさない。気温が上昇する中30分。終了と同時に着替えに入る。走りながら用を足すか。神戸の時は、用を足した直後に頭がくらくらっとしたから、できるだけそういうようにはしたくなかったが、仕方がない。
5分前、トラックに出る。リレーチームはチーム全員が集まっている。
《承 淡々と》
三木の24時間は2回目である。コースも5年前と同じで、最初競技場を半周し公園周回のランニング(散歩?)コースへ。最初の1/3は思いっきり下りそして次の1/3弱で少しずつ上る。最後の1/3強でフラットから下りになり競技場に戻る。戻るところにエイドがある。ここで最初の3時間は延々と薄口のスポドリを一口ずつ含みながら周回を重ねる。
恐らく調子は悪くなかった。飛ばしすぎないようにと思っていたが、最初の3時間ぐらいは14分半/周ぐらい。競歩のイメージで軽く脚を出す。上下動はあまりない。テンポは悪くない。1周は2.2キロだからまあまあ速い。その3時間が過ぎたところでトイレへ。まだ出ない。で、その1時間後にようやく出張中も含めて止まっていたお通じが3日振りに(すみません)。身体は軽くなったが、疲労には負け、無理せず1周16~17分半ぐらいで進めていく。
この辺り、コースアウトしてピットに入ると出てくるまでに何故か5分近くかかる。補給はないがしろにはできないので仕方がないが時間は気になる。エイドの薄いスポドリを考え、自分で用意したのはアクエリにメダリストの粉を入れたやつ。そしてカフェイン多めのエナジードリンク、ウイダー系のゼリー、カロリーメイト缶、甘いもんとしてラスクとかりんとう。飴はクエン酸系とブドウ糖系、キャラメル(キャラメルのみ手をつけず)。これらをつまみながら走る。何回休憩したかは覚えていないが、4時間経過後ぐらいからは3周回って休憩を取っていたので、約1時間に1回、ということになる。コースアウトと同時にストップウォッチを押し、時間超過に気をつける。走力がそんなにない者は休み時間を削って走る。そうすればある程度のレベルまで勝負はできる。それが24時間の醍醐味。
4年前の神戸の時は、2時間経過後熱中症みたくふらふらになって一度諦めたから、その後は開き直れた。5年前の三木は欲出してがつがつ走った。脚が止まったときに反動で落ち込みもしたが立ち直れた。
今回は、どうなのだろう。走れると言うこと自体有り難かった。欲もないが開き直りまでもいかない。旅ランのように淡々と景色を見ていた。家族連れ、犬連れ。サッカーの試合、テニスの試合、野球の試合。どちらかといえば、淡泊に走った。がつがつしていない。悪く言えば燃えない。ただそれでいて諦めないでいこうということは、ずっと思っていた。タイムは確認するが周回そのものはは数えない。途中経過も見ない。これも一貫していた。雑念が入ると弱い。一方で今年は周りがあまり気にならなくなっていたのも確か。凄い人はなんぼでもおる。比べること自体ナンセンスであるということは、今年はよくわきまえていた気がする。
6時間が経過し、空が暗くなり始める。1/4終了。ここは初めの区切り。弁当をもらいに行く。手はつけない(翌日帰りのバス待ちでいただいた)。ひとまずやれやれという感じだったが、この時既に左の足首を傷めていた。5年前と同じ。こんなに短時間で足首を痛めるのはこの大会のこのコースだけといってもいい。アップダウンのあるコースのせいかそれとも左右のカーブのせいか。
まだ我慢ができないという一歩前だったが痛み止めを飲む。一番しっかり走っていなければならない時期に、脚が痛かったから距離は考えているより伸びてはいないということは分かっていた。それでもやるべき対応はしっかりやる。そうしなければ棄権してしまいそうになる。
棄権ということは、レース前は考えられない。考えようがない。時間制限というのはないから。しかし、脚が予想していないぐらい早い段階で潰れたので結構めげた。周回を重ねていないことはうすうす気付いていたから結果がはっきり分かるといろいろと迷うことになるだろう。諦めないと言い切れるか。それでも、である。
水分は珍しくよく摂る。後でかなり乾燥していたことを知る。胃の具合はあまり良くない。強力わかもとも合わせて飲む。食べたいとは思わないが、無理矢理ゼリーを摂る。8時間経過時、コンプレッションのウェアを下に着る。去年のような寒さはまだない。ただ脚は重い。だんだんと前に出なくなっている。歩きの人に追いつけなくなった時、走るのを止め途中の坂を歩くことにする。先のことを考えると、どこかで休みながら走る方が得策ではないかと思えた。
走る前から、今回は「形」を意識していた。この日も途中までは、早々に歩くランナーを見てせっかくだから自分は走ろう、と。できるだけ走ることが24耐に参加する上での「形」でもあると。ただ、形にこだわるといいつつ一方で、歩かないとか走り続けるとかそういう自分に課しがちな(変な)目標を、今回はあっさりと捨てた。この辺りが、力が抜けているというかあっさりしているというかそういう部分を感じた理由かもしれない。疲れの度合いで云うにはまだ余裕がかなりあったが、脚が痛いのはどうしようもなかった。なのに歩くと眠くなってきた。
《転 継投策》
足が痛み、足が出ない。眠くなった。10時間過ぎのピットで、20分程仮眠を取ることにする。スマホの目覚ましをセットする。靴を脱ぐ。痛い。マットの上に仰向けになる。深く眠らないように膝は立てる。目を閉じる。
周りが騒がしいのと室内の明かりが眩しいのとで、3分ぐらいでその姿勢を止める。水分を摂り、靴を履く。
思い付いてサロマレーサーを出す。ニューバランス1040は外側がかなり減っていた。もう一回1040をを履いても恐らく脚は前に出ないはずだから、しばらくサロマで気分を変えてみるかという感じだった。
コースに出る。軽い。脚が前に出る。眠気が何故か飛んだのと風が涼しいのと合わさって気持ちがいい。で、1周目は13分半、2周目は12分半。3周目からはさすがに14分半ぐらいに押さえる。それでもこれで3時間ぐらい距離を稼ぐ。5年前のように寒くはない。むしろ汗をかいている。1時過ぎ、再び眠くなる。スピードもかなり落ちてきたし脚もいよいよ痛くなってきたので今度こそ仮眠をとピットに向かうが、気を取り直しもう1周だけとトラックを回り始める。すると、神戸M君が見えた。あれ何で。
で、一緒に走る(この辺りからの競技場内の写真は神戸M君がフェイスブックにアップしたものを借用しました大会のスナップなんて貴重ですありがとう一部ぼかしています)。元気はないが気はしっかりしてきた。結局2周する。ピットに戻る。M君のお陰で気持ちがしゃんとした。ありがとう。
M君帰宅。もう少し走ろう。もう少し走ろう。で2時半過ぎにピットイン。まだ合計で1時間以内の休憩にとどめている。前半休憩しすぎたがサロマレーサーにバトンタッチして休憩が少なくなった。ここで仮眠。約20分。再びコースへ。
しかし、左脚の足首足の裏が痛くて走れない。ほとんど歩きで1周で戻り思案する。これ本当にやばいぞと。サロマの靴底の薄さが、もろに左足に響く。
ここで、ゲルカヤノにスイッチ(写真左から2番手サロマ、3番手カヤノ、先発1040v4)。自分でも考えてなかったが、脚がここまで痛いと走れない。同時にもう一回痛み止めを飲む。スピードが出ないので持ってきたジャンバーを着る。一周走る。さっきよりマシ。ジャンバーはすぐに脱いでコースに戻った。この後しばらく2周してピットに入る感じになった。サロマに変えたときには、残り14時間ぐらいだからこのままいけるかと思ったが、結局5時間で継投。ただこの5時間でしっかり走れた。走れたから眠くもなかった。前半のロスは幾分取り戻せたから、脚の痛みは仕方がないだろうと思った。ゲルカヤノはクッションと大振りな造りが脚の状態に合っていて、スピードはそれほど出ないし、脚も痛くならなくなった訳ではないにしてもずいぶんマシになった。1040は、割合フィットしていた靴なので、もう少し状態が良ければ、こちらに戻した方がしっかり走れたのかもしれないが、結局このまま9時間、ゲルカヤノで最後まで走った。勝負所と思っていた夜明け前までもう少し。
《結 エール》
5時過ぎ、空がだんだんと白くなってきている。ずっと起きている主催スタッフのおっちゃんが、周回コースを自転車で走りながら声を掛けてくれる。補聴器をしていないので声は聞こえない。口の形は「頑張れ」だが、顔つきは「走らんと」といっているようにも思える。24耐でいつも思うのは、このスタッフの方々の凄さ。頭が下がる。特に、神戸と違って三木の方は儂より年上の方ばかり。
残り8時間切り、2/3終了して気分は良いはずだがペースは上がらない。後で振り返ってもこの辺りがきつかったように思う。距離が伸びない。他のランナーはと云えばあまり記憶にないが、確かに夜中、シングルのランナーは少なくなっていた。リレーチームは相変わらず賑やかであったが。気になりつつ気にしても仕方がないと思いつつ。雲が多い天気だと分かるぐらい明るくなった頃、ポツポツと雨、やや肌寒い。ペースが上がらなければブレーカーを着るべきかどうか迷いつつ、相変わらず下り坂は我慢して走り、上り坂で歩き、再び走って競技場へを繰り返す。1周、歩かなくて約18分、上りを歩いて約20分。歩く距離がどうしても長くなる。ちなみに一周丸ごと歩いたのは二回。だいたい30分かかった。もっと早歩きで進めることができるのならそれもありなのかもしれないが、疲れと脚が痛いのとで人より歩くのが遅い。なら遅くても走った方がマシ、というより走らなければ距離は伸びない。休憩もなるべく少なくしなければならない。2回予定していた仮眠は1回に抑えているので、前半水分補給で手間取った分のピットインの時間は取り戻せている。このまま仮眠を取らずに行けるかどうか。
8時過ぎ、寒いのもあるのか、ペースは上がる(というより戻る?)気配がない。糖分補給もエイドのかりんとうとかビスケットとか持ってきたラスクとかつまんでいたが飽きてきたこともあり、そういえばとコース途中のセブンティーンアイスの自販機でチョコのを買おうと硬貨を握りしめ、ピットアウトする。夜中、買ったのはソーダ系のアイスだった。5年前はジュースの自販機の種類も少なくアイスの自販機もなかったのでこれは有り難かった。
少し楽しみができて、重い脚を前に前にと運び始めた頃、陽が差すようになる。8時半過ぎだったか9時前だったか。瞬く間に暖かくなり暑くなる。自販機の前に来たが、もう1周できそうなのでパスする。さらに気温が上がる。汗が出てきて薄いスポドリが効果を出し始めた。空が青くなり気温がぐんぐん上がってくる。これならチョコよりコーラの方が良いか、でも買う程ではないかと130円を握りしめたまま、コース周回を重ねる。10円玉から色が出て手が青くなる。コンプレッションウェアは面倒なので脱がずにいることにする(結果この方が涼しかった)。
再び神戸M君がやって来る。しばらくまた一緒に走る。残り3、4時間辺りになると、気持ち的にはラストスパートなのだろうが、開始後の4時間はえらく長く感じたのを覚えていて、痛みと疲れで、神戸の時のようにこの辺りでペース上げると最後まで持たないかもしれないと感じ、途中の上りは歩きを交えることを続ける。特にがつがつと欲はない。速く終わらんかという気持ちはもちろんあるが、だからといって気分的にしんどいわけではない。何をしなくてもそのうち終わる。でも走っていても必ず終わる。それだけである。だから、せっかくだから少しでもコースにいる方がいいんじゃないかということを思う。
で、結局硬貨を握ってコースに出てからは一度もピットに戻らず、エイドのスポドリで済ませる。気温が上がり、ペースは夜より上がってきたが、坂を歩いているときに眠くなる。
神戸の時を思い出し、太腿と両足の付け根と両腕と頭に水をかぶる。生き返る。周回を重ねる。頑張るとかそういうのではない。兎に角周回を重ねる。
残り1時間余りになり、競技場に戻ると10キロと5キロ(?)の参加者がコース上にどどっと溢れている。暑くなってから姿勢が戻りペースも安定してきた。確実に1時間3周のペースを維持するイメージで走っていたが、ここから歩きを入れずに走れば最後もう1周余分に走れるなと思い、1周だけペースを上げ貯金を作りにかかる。下り坂、10キロ5キロのランナーが横を追い越すのにつられてかテンポ良く走る。上りが終わる前辺りで10キロか5キロかの走者にぐいっと前に入られ、つんのめりそうになる。腹が立ちペースを上げ追いかけそのランナーの前へ。そこで止め。
まだ走れるらしい。競技場に戻ると、その周は13分で走っていた。次の周回も13分。さすがに脚が前に出なくなった次の周回は15分、ってこれもう1周ペース維持できれば余分にもう1周できそうなぐらいだったが、残り時間が微妙なので予定通りラストランにする。
「ありがとうございます」とスタッフのおっちゃんにお礼をいう。ハイタッチというよりミドルタッチ。早朝、チャリで周回しながらがんばれと声を掛けてくれ続けていたおっちゃんも、笑顔で拍手をしてくれた。
納得できる24耐だった。走る前はこの1年の区切りとか考えていたが、走っているときはそんなことを全然考えていなくて、でも、自分の求めていた形にある程度近付くことができて、多分これまでの大会の中でもかなりいい顔でゴールできたんじゃないかと思う。
《続 そして》
24耐に臨む上でのあるべき形というか、どう走るかということ、理想の形はどうなのかを競技中も割合考えていたと思う(脚が痛くなってからそれどころではなかった時間もあるにせよ)。でそれを考えた場合。
○できる限りコース上にいる時間は長く
○できる限り走っている時間は長く
○できる限り姿勢良く走る時間は長く
ということかなと思った。だからそれを意識して走った。
食ったり出したり寝たりという感じで最低限のことをしてピットに戻った時間、つまりコースアウトしていた時間は1時間40分。かかり過ぎなようで実は結構上出来だと思う。結局、1回2分~3分で済んでも、時には5分とかそれ以上かかってしまう場合もある。長丁場のマラソンだから1時間毎に入らざるを得ないのは確かなので、これを単純に20回重ねると1時間以上になる。仮眠は15分~20分(所謂「シエスタ」で目が覚めやすいのがこれぐらい)を2回は取る必要があると考えていたが、これも1回で済んだ。その上で。
それを除いた時間は常にコースにいる。これが理想だということだと漠然と思いながら、そして、できるだけ走りたいと思った。
最初、少しだけ抑え気味だったのと、開始後4時間から8時間の辺りがうまく「乗せられなかった」ことで体力が消耗しなかったのか、今回は坂道がそれほど苦ではなかった。ただ途中足首のこともあって、8時間過ぎてから意識して歩きを入れた。でも、歩くのではなく走るという点では結構頑張れた。自分のイメージに近い形でできたから云えるのだろうが、少しでもコースにいて、走るということは、参加する上での礼儀である、とも思う、それが長い時間意識できたというのは評価して良いと思う。
今回の達成感は、これをきちんと実行できたから、というより実行できるように意識し続けたからだと思う。順位と距離は、後から付いてきた。
ゴールした時点では100マイル無理かなと思っていたが、気を抜かずに最後まで走れたからかクリア。170キロ超えられなかったことより、目指していた100マイルきっちり走れたことの方が嬉しい。
おまけの結果も付いてきた。24耐はこれで3位、3位、そして今回2位。ラッキーなんだろうな順位に関していえば。170キロ超えてないこともあり去年なら6位の成績。実力者が出ていなかったとか、途中で止めたとかいろいろあるんだろうが。今回狙ってはなかったから、正直人ごとのような感じ。でもまあ嬉しい。
今回は、2時間毎の周回数の記録が得られたので記す。()は2時間ごとの周回数で不明のところは推定で示す。【】は順位。
2時間: 8周目(8周)【9位】
4時間:16周目(8周)【6位】
6時間: 不明(6周)【??】
8時間:28周目(6周)【8位】
10時間:34周目(6周)【7位】
12時間: 不明(5周)【??】
14時間:45周目(6周)【4位】
16時間: 不明(7周)【??】
18時間:58周目(6周)【3位】
20時間:63周目(5周)【2位】
22時間:69周目(6周)【2位】
24時間:77周目(8周)【2位】
速くはないが、落ち込みもない。5年前の三木は、12時間から18時間の間が11周しか走れなかった(鈍足親父さんのブログで知った)。それでも100マイル達成したからあれはあれで凄かったが、今年の方が、前後半でほぼ同じ周回数(前半39周・後半38周)だから、24時間の形としてはこちらの方が綺麗である。
5年前三木:前半99キロ、後半64キロ
4年前神戸:前半90キロ、後半76キロ
今回の三木:前半86キロ、後半83.5キロ
愛媛マラソンの時に、キロ5分少し切るぐらいのペースで最後まで走ってアスリート枠取るというのが美しいと感じるのと似たような感覚。どちらも難しいが、難しいからそれが走る「形」の延長上にあるのだと思う。
優勝したNさんは、後半、特に夜中の走りがずば抜けていたのに加えいつもコースにいるような感じだった(この方はあちこちの24時間の大会の参加者名簿で名前をお見かけする)。順位も儂に似たような感じで、夜明け前にすうっと上がってそのまま逃げ切っていた。3位の方は歩いている様子を多く見かけたが、コースにいる時間が長かった。しかも歩いているスピードが速かった。4位からは130~140キロ台の方々が多い。100プラスフルというのが壁でもあるのかもしれない。100キロランナーでもそこから積み重ねるのは思っている以上にしんどい。
コースに長く居続けるということは、すなわち、「もったいない」という性分の表れでもあるなあとつくづく思う。このことは儂がこの競技に「向いている」1つの理由かもしれないなあと。
そして。
神戸M君の応援、すごく有り難かった。チームとか、家族とか知り合いのサポートを得て来ている人は、プライベートで来ているランナーよりも力が出しやすいというのが分かった。確かに、愛媛マラソンの途切れない応援というのは、海有り山有り市街突っ切ってゴールというコースの良さ以上にランナーにとっては有り難いものである。今回は、プライベートチームではなかったな。ワークスチームだったある意味。
休まないということ、否、コース上に長くいることがやはり最後に100マイル走破できる鍵になるのだろうと思う。
休まないということ、否、コース上に長くいることが今日走ることについて感謝することの一つでもあると思う。
大会関係者の皆様、サポートしてくれた神戸M君、治療してくれた病院の先生方、そして、送り出してくれた家族へ。
皆様への感謝の気持ちとともにこの大会の総括を終え、次に進みたいと思います。ありがとうございました。