きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

家庭内行事につき早退

2011-08-31 21:07:45 | 徒然に2010-2013
本当にこういう形で休みが取れたらいいんですがね。

家族のイベントがあるので、早々に帰宅。
もともとこういうことに特に力を入れる方ではない。ないがこういうときは何となくできる範囲で早く帰るようにしている。
ムスコ氏の誕生日。本人は家族から祝ってもらってうれしいとかそういうのはあまりないはずのティーンエイジど真ん中。ただまあ、こういうのは通過儀礼みたいなもんで、祝うことで本人だけでなく本人を取り巻く人の気持ちが落ち着くかどうかが大事なのではないかと最近気付く。それでもヨメさんの誕生日は、毎年職場の打ち上げが重なるのでないがしろにしているが。
お祝いされる本人の意向とは完全に合致したわけではないが、祝う周囲の意向により、「31」のアイスケーキ・カーズ版。カーズにしたのは、デコがかわいいとかではなく、チョコとバニラの組み合わせが本人気に入りそうだからというのはヨメさんのコメント。これは確かに正解。

いーのいーの。
おめでとうありがとうってことで。

いーのいーの。
元気でいてくれるだけで。

本当に。

調子は悪くなかったが気付いたことがある

2011-08-29 21:12:30 | 近場の異邦人
寝て治す走って治す食って治す。それができる状態ならまだ何とかなる。と昨日かいた。
寝るとか食うとかいうのは、人間が生きる上で不可欠のことである。ただ、「治す」という話で云えば、気持ちがしんどいときにこの2つで治るかというのは難しいかもしれない。

今日、仕事が一区切りついたので夏期休暇をとり走る。約46キロ。久々に目的なくついででなく走る。

家人も職場もそれぞれ動いている平日のラン。終わる頃にはこの上半期の(まだ一ヶ月ありますが)ごたごたやらせわしさやらについて何となく自分なりに整理できていた(そのことを目の前にしての自分の至りなさについても)。仕事というのは緊張を伴うものだし神経も使う。いろいろ考える。失敗もする。それがない仕事というのはおかしいだろう。だから実はもう明日の仕事のことで多少気が滅入っている。仕方がない。でも今日走ったことで今までのことは整理できたわけで、正直ありがたいと思う。今日は、別に気持ちを整えるために走ったわけではない。走っているときも終始仕事のことを考えていたわけでもない。あくまで結果的になんだが。走るというアイテムを持っていた自分はラッキーということだと思った。
アニマルセラピー、ミュージックセラピー、いずれも体の調子が悪いときはあまり期待できないのだろうが、気持ちがしんどいときは、必要な場合があるんだろう。現に儂は犬依存だし。でランニングセラピーっていうのもありなんだろうか。でもまあ、マラソン大会でなくても十分なんだなよく分かった。走ってりゃ気が済むんだな。ちなみに飲んで酔って治すっていうのはまずない悪化する。

昔なら、こういう日はツーリングに行ってた確か。今日もよくよく考えれば内容はもろツーリングだ。なーんも変わってない。それはそれで良し。


今日の記録は近日中にということで。一枚だけ、貼っときます。

調子が悪いと見えてくるものがある

2011-08-28 17:21:04 | 徒然に2010-2013
8月最後の休日ですね。
昨日・・・
二日酔いで頭が痛い。朝方眠いのに起きざるを得ないような目覚め方をする。断り切れずに、久々に二次会まで出て日付が変わるまで飲んだのが恐らく原因。

だいたい携帯にこんな写真が残っているあたりから相当の酔いたんぼ。事前のウコンの摂取量がいつもの6割程度だったのも禍したか。
いつものように朝ご飯を食べ、午前中にとにかく2時間ぐらい走って汗をかくことにする。ペースはキロ8分半だから、走るというより歩く感じ。それでも頭も喉も痛い。息も苦しい。おまけに歯も痛い。歯ぁ痛いんは関係ないやろと悪態をつきつつ走る。体温調整もうまくできていないのかだるい。そういえば排泄もうまくいってない。水分か糖分か何が足りないんだろ。

コンビニで甘い飲み物を口にして10分ほどして、ようやくペースを上げても大丈夫になった。
最後の2㎞程はキロ5分半切るぐらいまであげて終わる。最後のペースアップで汗をかいてひとまず調子が戻る。ペースアップが必要ということか。最後まであのペースなら、まだしんどかったかも。ただ、ペースアップするまでの準備で1時間半ぐらいは、あのまま走るのも悪くないのかもといろいろ思う。
午後から雨。庭の草刈りは明日に延期かなと思ったが上手い具合に雨が止んだ。もう一汗かくほどの暑さはなくなったが、蚊に食われながら草刈りを敢行。気分的には落ち着いた。
夜は数年ぶりに、家族と犬と総出で「花火」。

35分間、切れ目なく上がった。見事だった。
ずっといろんなことを考えながら、あるいは考えないで花火を見ていた。
ありがたいなあと思う。
8月の最後を彩る花火。みんないろいろな想いで見ていたんだろうなあと思います。

今日・・・
犬たちと一緒にゴミ捨てに行き、その後休日出勤ラン。結局昨日から便通がうまくいっておらず、体も内臓もまだ違和感があったが、職場到着までに2回トイレに入り、内臓はようやく元に戻った感じ。体の方も、10キロ手前ぐらいからようやく慣れてきて、ペースは上がってなかった(むしろ落ちた)が、呼吸は楽になった。日によって汗のにおいが強い日と弱い日があるのだろうかと思ったりもする。単なる加齢臭か?ん?
帰宅後、昼寝。夜より熟睡できる。起きると雨が降っている。2号と4号が傍で寝ていた。涼しくて気持ちが良かった。今これを打っていると1号も傍に来て横になった。夏も終わりかなあ。犬にとってはやれやれといった感じかな。

寝て治す走って治す食って治す。それができる状態ならまだ何とかなる。

疲れがたまっても、風邪引いて調子が悪くなっても食って走って汗かいて、そして寝て治せるならそれにこしたことはないと思う。以前はできなかったが最近は二日酔いでも、朝ガンガン食ってエンジンをかける。走って二日酔いが改善することはないらしいが、とりあえず汗をかく。
体が動くときにありがたみを感じることは少ない。でも、やはり汗がかけるのはありがたいことなんだと改めて思ったりする。
さあ、まだまだがんばらないかんけん。

最近怠けているのがバレた感じ

2011-08-25 22:17:25 | 近場の異邦人
3年前、社会人入学みたいな感じで行っていた大学院でお世話になった先生から、パソコンいらん?といわれ、取りに行くために車で出勤する。ムスメをついでに送ることになり、予定より早めに出る。

大学に入り、待ち時間で3年ぶりぐらいに「山」コースを走る。走り始めた頃、長い距離が走れるようになってから、時々行くようになり、大学に行ってからは、週1から2回ぐらい走っていたコースである。上りは結構な坂道になる。逆向きで行ってもいいのだが、恐らく脚にはこちらの方がいいだろうと、いつも同じ向きで走っていた。
大学を出たのはまだ早朝なので、気温は丁度いい感じだが、坂に入ると汗が出てスピードが落ちる。以前確か8分ぐらいを目処にしていた傾斜のきつい区間をこの日は10分かけて走る。坂が終わりやれやれという感じの儂を教会が出迎える。

寺だ教会だと宗教がかっているが、建物を見るのは嫌いではない。人が作ったものを見ること自体嫌いではないから、山より街が退屈しなくてすむわけで。でも坂道は別の理由で避けているな確かに。
下りは上りほどの傾斜はないが、結構足が動く、はずだった。この日はスピードが出なかった。以前は駅伝の前に、スピードを出す感覚に慣れるということも考えて、下りを大またで走る練習をしたりもした。そういえば、毎日走ってはなかったが、それなりに工夫して走っていたな。

途中の看板。

顔にも体にも見えるのが面白い。

そんなことより、以前は一周10キロ程をいつも1時間ぐらいで走っていたのに、この日は1時間15分かかっていたのが、何というか、いかんなあと。メリハリつけないかんのやないかと。
そんなことを思いながら、パソコンを取りに行った。

校舎の上を飛行機が飛んでいた。結構近いぞと思って写真をとってみたら、全然近くなかった。

要はまだまだ、なんだろうかなあと思った。

2011-08-24 21:29:45 | 近場の異邦人
儂の実家は、四国に多い(らしい)弘法大師の宗派ではなく、「只管打坐」の宗派である。
この寺は四国では有名らしい。「専門僧堂」とある。雲水がいて日々活動している(という表現はおかしいか)寺。

寺に入る。
蝉の声は確かにする。
がしかし完全に静である。

別世界のような気がし、しばし動きを止める。参拝し、静を後にする。
達磨大師に勇気付けられる。

なんて書いてあるのか、後で調べてみようと思う。

近くに「新幹線の父」と呼ばれる人物の生家跡があった。そこに行ってみる。先月の打ち上げで職場のTさんが、この人物のことを教えてくれた。普段温厚なTさんが、功績の割に評価されていない人物として熱く語っていたことを思い出した。生家は保育所の敷地内にあった。

これもまた静であると思った。

再び走り始めると、鈍行列車が通り過ぎ行くのが見えた。

普段は気付くことのない、静の見守りをありがたいと思った。
自分もそうありたいと思った。

落ち着いたり落ち込んだり、自分のことでいっぱいいっぱいで、いつになったらそういうことができるのかなと、また変にぐだぐだと考えながら、残りの道を走った。

だらだらと雨、だらだらと食べ、だらだらと記録をまとめる

2011-08-21 15:18:18 | 大会回顧録
久々に昨日から食べ過ぎるぐらい食べ、今朝もだらだら食べ続け、体が重いので走りに行かねば、なんでしょうが、雨。
別に行きゃあいいんでしょうが、何となく待機しています。ごそごぞゴミをまとめ、犬たちと一緒に出しては来ましたが、それ以外は家の用事もそんなにせず、ごろごろと和室でネットしています。予報では、今日明日と続くらしいしかも明日は気温がかなり下がるうーん、にしても国際マラソンかあいいなあ、などと。涼しくて犬たちはいい感じのようです。儂は、食欲が戻り腹がいっぱいなのに食べ続けています。涼しくていい感じで御飯が食べられます。体重気にしなければならない季節になっていくなあと思いつつ。

仕方がないので、この後10キロだけでも走って来ようかと思ってます。

神戸24耐が終わり、モチベーションが下降気味なのかもしれず、また大会参加を考えた方がいいのかなと思いつつ、実のところなかなか踏ん切れません。参加費用等々の出費が大変なのと、せっかく参加料払っても急用でDNSになったことが過去に4~5回ほどあり、直前まで参加申し込みの判断が難しいのが頭にあります(出なかった大会に総額でいくら払ったかを考えると恐ろしい・・・ここ3年は年1~2回の大会参加のみです)。もちろん最近は大会参加よりも単車でツーリングするような感じで、とりあえず出先でついで走りをすることで満足している面もあります。ですから、別に大会に参加していないことで不満があるわけではないのです。
ただ、今日久々に過去の記録を追ってみたら、ハーフは本当に最近走っていないなということ、10キロは一度も走ったことがないなということを改めて確認し、歳とってこの先今より余計にスピードが出なくなる前に、一度走っておくかとも考えたりもしています。

ちなみに、これまでの自己ベストを記してみます。
5000m:19分46秒【2010,3 県クラブ駅伝(四国中央市)】
10キロ:なし
ハーフ:1時間38分38秒【2006,11 笠岡ベイファームマラソン】
フル: 3時間23分02秒【2010,1 愛媛マラソン】
60キロ:7時間43分03秒【2005,9 歴史街道丹後100㎞ウルトラマラソン・60㎞の部】
100キロ:11時間35分57秒【2008,5 えびす・だいこく100㎞マラソン】
24時間走:166キロ【2011,8 24時間リレーマラソン神戸・シングル】
といったところです。
ちなみに、走り始め、初フルを走ったのが2004年です。少し前に、年間の走行距離を数えてみたことがあります(グラフは一太郎で作成しました)。

青が走行距離、黄色がペース走もどき(儂の場合、キロ5分40秒ぐらい以下、つまりサブフォーのペースで走ることができたときを指します)です。折れ線はフルのタイム(分表記)です。走行距離自体はどんどん長くなり中毒症状が進行しているのがよく分かります。もうさすがに頭打ちだろうと思います。反対に、ペース走はどんどん少なくなっていっています。これでもフルや5000mの記録は、以前に比べてかなり速くはなりましたので、速く走る練習をしないことがそれほどマイナスになっているとは思わないのですが、速くなりたければ、もう少し走らないかんのじゃないかなと思ったりもします。それでも、やはりしんどいので敬遠してしまいますが。

しなければならない用事から逃げてこういうことをしてみたのですが、少し、気持ちが緩んでいるんでしょうかねえ。やっぱ。今から走ってきます。

とびしま海道のこと ~ もう一つの県境越え

2011-08-20 15:57:36 | 遠くへ~少しだけ非日常
しまなみではなくとびしまです。

どこにあるん?と云われそうですが、安芸灘とびしま海道が正式名で、この名称になってからもうすぐ3年になるようです。それまでは「裏しまなみ=ウラシマ」と呼ばれていたとの情報もあります。何でここに興味を持ったかというと、その正式名になってしばらく後、地元紙に「豊島大橋の完成で、岡村島から呉まで陸路で行けるようになった」みたいなことが書かれてあったのを見て何となく覚えていたからです。で、その約半年後に行ってみることにしたわけです。いつもの如く、前々から狙って準備はしていましたが、良し行こう!と決断したのはその日の朝です。もう1年以上前の話です。何で急に思い出したのかというと、先日、この時に乗った船の航路があった廃港の傍を通ったからです。

まだ薄暗い中、JRに乗って港まで行きます。早朝の便に乗るためにJRの駅まではRUN。これもいつもの如くということになるもしれません。港に着くと、目指す船が分からず、港の人にきくと、思っていたところと全然違うところに乗り場がありました。結構小さな船でした。役場の人やらいろいろな人が乗り込んで、船は満席一歩手前という感じになりました。

現時点でのとびしま海道の東端にあたる岡村島というところに着きました。さっそくスタート。すぐに集落がなくなります。海岸沿いを北上すると、やがて小さな島を挟んで2つの橋が見えました。

通常は呉側から数えるのかもしれませんが、今回は愛媛県側からということで、一つめの橋、岡村大橋です。

早速の県境越え。

橋を渡るとすぐにカーブします。

中ノ島は小さな島なので、すぐに次の橋になります。中の瀬戸大橋です。

もう一つ小さな島(平羅島)を通過し、平羅橋へと進みます。大崎下島という大きな島へと続きます。


島嶼部における橋の存在は、人や物が行き来しやすくなるという点で、単なる便利さにとどまらず、生活のスタイルそのものが変わるということも考えられるのではないかと思います。また、今回のようなとびしまの場合、それに加えて救急や消防関係の協力など、いろいろなことを県を越えて話し合ったようです。県を越えての合併はそうそう実現することはないのでしょうが(岐阜と長野でありましたか)、この辺も、地元の人にとってはいろいろ思いがあるようです。とびしま以外でも、広島と愛媛の島々は、まだ橋がない島であっても「県」という枠では整理できないものがあるようです。うまく記せませんが、そういうことを思いながら、島を次々と(というより橋を次々と)走っていました。

この島の南側には古い町並みがあり、結構な名所でのんびり眺めながら走るにはいいところのようですが、この時は、そんなに余裕がなく、最短ルートである島の北部の道を走りました。
行きのフェリーも便数が少ないのですが、帰りのフェリーもそう便数は多くないし、呉のJRが通っているところまでたどり着いたら、疲れ具合によってJRで港まで行こうと思っていましたので、気分的には先へ先へという感じでした。今考えるともったいない気もしますが、心配性なものですからこの先もたぶんどこへ行っても同じような感じになるのかなと思います。
で、豊島へと渡る豊浜大橋です。まだまだ序盤だなあという感じでした。残っている写真の少なさに余裕のなさを感じます。

豊島も島の北側の道路を走行。道幅とか起伏とか実は記憶が曖昧です(旅走記になりませんな、ははは)。遠くに、最も新しい豊島大橋が見えました。


橋を渡り、上蒲刈島へ。大きな橋に付随して大きな道路ができており、この大きな道路沿いに山の方へと走ります。傾斜があります。そして、島の南側の広い道路を走ります。迷うといけないのでとにかくメインルートです。行程も半分を過ぎ、少し景色が目に入るようになってきたのでしょうか。ごつごつした岩肌を見ながら水分摂取です。

海から少し山側に入り、ふと見ると中国語とハングル。何か妙な感じでした。

淡々と走り、ようやく蒲刈大橋が見えました。見通しがついたところで、橋の手前のであいの館で、塩アイス(全然塩じゃない気がした)と炭酸を採ります。塩アイスは記憶違いかもしれませんでも、結構な値段したのは覚えているので、アイスを食ったのは間違いないと思います。
しばし海を眺めた後、出発。蒲刈大橋を通過です。遠くに安芸灘大橋が見えました。橋から橋を眺めるというのもなかなかできることではないなと思い、気分良く通過です。


下蒲刈島も、最短ルートを行きます。きつい傾斜の合間に無人販売所がありました。買って帰りたいのですが、重くなるので止めます。残念だなあといつも思います。

でいよいよ最後の7つ目の安芸灘大橋です。車は有料らしいですね。
橋を渡ってようやく呉へ。といっても、呉市というのはでかくて、いくつもいくつも街があります。JRの駅もそれに合わせていくつかありますが本数が少ないのと、できれば港まで行きたいというのがあり、とことこと走り続けます。
見覚えがある愛媛行きのフェリー乗り場の近くまで来てようやく落ち着きました。見覚えがある、というのは、ここは単車に乗っている時から、私用公用を問わず本州に渡るときによく利用していたからです。時間が短くて安いので。
帰りの船の時間はかなり余裕があるので、コンビニを物色。500ミリリットル2缶とオムソバを購入。以前の記憶を頼りに港の方へと行くと、なんと2㎞先に移転していました。
もう走る気持ちにはなっていなかったので、500ミリリットル2缶とオムソバを持ったまま歩きました。途中、海が見えた辺りの道端で遅い昼食となりました。

港はここからまだ先にありましたが、道端とはいえ付近には何もなく、昼食をとるには支障はなかったです(自分がそう思っていただけかもしれませんが)。
そして、見慣れたフェリーに乗り込み、帰路へ。そして、港からJRの駅まで歩き、家路に向かいました。
後日談として、この数ヶ月後に、この航路が突然廃止になり(高速や橋の料金が下がった関係でしょうか)、最後に降りた港も閉鎖されました。港がなくなったことは、とびしまを走ったことと同じぐらいに、いろいろな想いでそのことを受け止めました。結構、よく利用していましたからねえ。

さて、その後のとびしまですが、安芸灘とびしま海道オレンジライドが昨年から開かれているようで、こういう感じで、チャリだけでなく走る方もしまなみ海道ウルトラ遠足みたいな大会が開かれると、なかなか楽しいだろうなあと思いました。
そういえば、明日は、中島のトライアスロン大会の日ですね。やってみたいけど、なかなかトライアスロンの世界に踏み込めない儂にとっては、する側ではなくあくまで見る立場の競技であり、しかも今のところ数ヶ月後のテレビ放映を見ているだけではあります。まあ、一度は生で見てみたいと思ったりもします。中島はアットホームな大会で人気があるときいています。参加される方の御健闘をお祈りします、っていうより正直、いいなぁという感じです。

夏季休暇の過ごし方

2011-08-17 20:46:17 | 近場の異邦人
儂の職場では、有給休暇とは別に3日ほどの「夏季休暇」なるものがもらえる。
お盆にとる休みという形で限定されているわけではなく、8月いっぱいまでなら、いつとってもいいよというありがたい休みである。がしかし(年々、夏期休暇の消化が難しくなってはいたのだが・・・)、今年はまだ消化の見通し立たずである。
がしかし、とりあえず一番近い明後日の大仕事のめどがついた(というほどついたわけではないが・・・)こともあり、今週は2回ほど午後からお休みをいただくことができた。ありがたやありがたや。
とはいえ、店とか行く用事はなし、嫁さんは仕事、子どもたちは部活などなどで特に家の用事があるわけでもない(庭の草がやや伸びているが見なかったことにした)。
ということで、結局余分に走った。
1回目は、3号4号の故郷の海を見に行った。毎年恒例の夏の行事になりつつある。


瀬戸内の海は、遠くに島が見える。JRがそばを通っている。実は所用でよく通る。

で着いてしばらく海を眺める。3号4号も同じ風景を見て大きくなったんかなと思いつつ。
で来た道を帰る。それだけで満足する。この日は途中からJRに乗って帰った。

暑かった。ばてばてだった。

2回目も、暑かった。
この日は何となくだらだらと遠回りしながら家まで帰宅ラン。ディスカウントストアで、格安自販機のさらに半分の値段のスポドリを買い(ただし冷えてはない)、途中でイオンの29円サイダーを2本買って詰め替え、ムスメにもらった3種類の塩飴を舐めながら帰った。

高架の日陰が心地よい。でも日陰だけでは物足りない。

何とか近所のコンビニにたどり着き、がりがり君を満喫する。うまい。前にも書いたが、最近ビールじゃないんだこれが。

まだ水分が不十分なのか、帰宅後も炭酸飲みまくる。で和室でごろごろする。外は暑いが風は案外涼しい。犬も寄ってくる。アルコール入っていないのに極楽。ゲームの電子音を聞きながらしばしうとうとする。

仕事がないわけではない。緊急ではないので棚に上げているだけだが、この5ヶ月近くいつも何やかんやで追われていたので、ここ数日は突然、時間がぼこっとできた感じで正直うれしい。感謝感謝(来週以降忙しくなってから嫌になりそうだと先々の心配をしてしまうのが悲しいが、これは性分だからなあ)。
まだ夏季休暇残っているんですが、まあもう十分ですわはい。

アイスが喰いたいと思ったので

2011-08-15 21:15:45 | 徒然に2010-2013
朝、15キロ走って終わり、のつもりが再び午後暑い時間に出かける。
昼飯を食った後でついアイスを喰ってしまい、もう一本喰うにはさすがに走らないかんやろ、と思ったので。

この日は、いつも走る道へ向かうところで曲がらずにまっすぐ行ってみる。予定のないジョグなので、行き止まりになってもまあいいかと。ちなみに道幅は結構狭い。

いつも通る道は50メートルだか100メートルだか南側に見えるのに、前方に開ける風景は全然違う。

暑いが気分は悪くない。
折り返して、さらに一度も走ったことがない道から帰る。
学校がある。福祉施設のそばを通る。道幅はそう広くないのに、結構往来は激しい。
何回かT字路を右に左に行き、川に出る。近所を流れている川にここで出合うとは思わんかった。

この辺の田んぼは黄色い。

最近よく見る男前の案山子が(別のところには美人も)いた。

帰りは、田んぼのあぜ道通ったり、道がなくなったりしてはらはらした。
最後の1キロで、予定通り店に入り、さていよいよアイスをと思ったら、体の水分が足りなくなったのか、炭酸を買ってしまっていた。

アイスはまた今度ということになった。

神戸幻想(お土産物のお菓子の名前みたいですが・・・) ~24時間リレーマラソン神戸大会参戦記

2011-08-13 23:59:00 | 大会回顧録
 ようやくできました第11回24時間リレーマラソン神戸大会の参戦記。予想以上の猛暑でした。
 神戸での大会はブログ等でいろいろな方の参戦記を拝読すると、参加者が多くにぎやかで面白そうでした。決して楽な大会ではないのでしょうが、儂にとってはフルマラソンやハーフマラソンより性に合うのでしょうか、1年空けずに参戦したことに驚いています。フルやハーフは、ペースを意識的にあげて走りに行かなければなりませんが、24時間耐久走はちょっと違うように感じます。何というか、断食道場にでも行くような感じでしょうか、100キロウルトラよりもさらに自分と向き合う要素が強いと感じます(100キロにしてもまだ2回しか走ったことがないのですが)。
 まだ2回目の24耐で、昨年参加した三木総合防災公園での大会が9月下旬でしたから、今回の神戸ではとにかく暑い(それから眠い)中でどう気持ちを維持していくかみたいな部分が試されていた気がします。また前回は入賞したいという欲まみれで走りましたが、今回は、そうした雑念はなく、暑いとか眠いとかにその都度向き合いながら折り合いをつけながら走っていた気がします。以下、小学生の作文みたいになりましたが記録です。
 
 今回は、神戸総合運動公園が会場で当日出発でも何とか間に合いそうだということで行き帰りともに高速バスでの移動を選択。早朝、バス停までヨメさんに送ってもらう。感謝。到着したバスは、乗車率100%で神戸を目指した。この路線は独立シートでない(いわゆる貸切バスのような4列シート)のでやや狭い。それでもあまり気にせずに1時間ぐらい仮眠がとれる。その他の時間は徳永進さんの本を読んで過ごす。確か初めてのウルトラだったしまなみ海道100キロに行ったときも徳永さんの本を高速バスで読んでいたか。
 予定より10分ぐらい遅れ舞子BSで降りる。この10分遅れで舞子発のバスの時間に間に合わなかったので、あわただしく隣の垂水駅に行ってバスに乗り神戸市地下鉄の学園都市前駅に。そこから一駅戻って総合公園前に到着。舞子から会場までは、走っていける距離になるがこの日はそういう訳にもいかない。結果かなり回り道で地下鉄区間は予定よりお金もかかったが、不案内なところなので仕方がないかと思う。舞子から1時間あまり、どれぐらい時間がかかるのかと不安で外の景色もろくに見なかった。それでも渋滞はあったが、電車やバスの待ち時間はほとんどなく、駅に到着してとりあえず安心する。安心して空腹感に気付き駅裏のローソンでスパゲティを食う。コンビニの弁当食うことなんか、そうそうないので(職場で食べる時家で食べる時以外は、昼飯はお菓子を買うか抜くことが多いため)、ちょっとうれしい。

 食べている間に、リレーマラソンに参加すると思われる人々がコンビニに入り、駅の向こう側に消えていく。儂も立ち上がり、コロコロと滑車のついた鞄を引きながら駅の反対側に行き、公園内に入る。

 約1時間前にエントリー完了。しかしまあ、テントが乱立し、ものすごい状態である。

 何とかスペースを探し、1500円で買ったテントを張る。

 初めて張るのでポールを通すのにややもたつく。広さは十分。ただまあ風通しは悪い。おまけに縫い目が原因の穴もある。ファスナーの作りが今ひとつで綴じた先の穴から蟻が入ってくる・・・。まあそんなに熟睡するためのスペースではないので、十分ではある。
 風は涼しいが、日差しはきつい(このきつさのためあとで偉い目に遭う)。念のため「愛媛マラソン」の帽子をかぶる。帽子かぶって走るということ自体2,3年ぶりぐらいのことになる。
 テントを立てて、その中で着替えていると汗が流れ落ちる。周回途中に取り出しやすいようにテント内に飲み物や食べ物を並べ、「濃い」スポドリを作ると、もう、スタート10分前だった。今回使用するニューバランスMR1225を履く。

 やや大きめだったが、クッション性が良さそうだったので今回はこのシューズを選択した。2回約20キロ余りの試走でかなり靴底が磨り減ったので、恐らく走り終わった後は使用不可だろうと思う。
 シングルの部に一人だけで参戦する場合、こうした事前事後の準備に何かと時間がかかる。よって、今回は、こうした大会参戦で毎回楽しみにしている、出店しているお店をのぞきに行くことができなかった。
 スタート位置に行く。ふあふあとした気持ちのままなんとなくスタートする。24耐が始まる。

 予定では、三木の時同様に最初の12時間で100キロ走るつもりだった。しかし、そんなに思い通りにはならない。とにかく暑い。後でよくよく考えれば、日中はペースを落として夜に距離を稼ぐというようにしたほうが良かったと思ったりもした。しかし、もっとよくよく考えれば、そんな余裕などない。暑かろうが雨降ろうがその瞬間瞬間で前に進むしかないのも、また事実だろうと思った。結局のところ思い通りにならなかったが、失敗ということではなかったのだと思う。
 最初の2時間は、恐らく9周回(1周回で2キロ)で18キロぐらい走っていたはずである。ここまでは予定通り、というところ。予定通りに行かなくなったのは、その直後だった。トイレから出てコースに復帰すると走れなくなっていたのである。痛いとかでなかった。脱力感に支配された感じ。ただ、しんどいという感じ。走ろうとしても無理だった。何故かよく分からなかった。焦りすらなかった。
 結果1周回以上まるまる歩いた。恐らく30分以上かかったと思う。この辺り、ふらふらしていたらしく、役員の方やランナーの方に声をかけられた。足元がおぼつかなかっただけでなく、記憶も不確かなところがあり、歩きながら夢を見ていた気がする。ときどき、コースに「戻っていた」ので。幻覚というやつなんかな。いや歩いていなかったのかもしれない。ただ眠いなあと思っていた。頭の中でいろんな人が出てきた。はっとして我に返るとここにいるはずのない人だった。
 歩きながら、これって熱中症なんかな、それとも低血糖なんかなと思った。それにしても2時間でこの状態は練習でも経験がない。初めてのことだった。でも、暑い中でも練習してきたし、準備に問題があったとは思えなかった。いろんな人に出るって言ってきたから格好悪いなあ、でもリタイアも仕方がないなあと思った。今晩は神戸でカプセルホテル探してビール飲むかなあと。そんなことを普通に考えるぐらい力が入らなかった。苦しかったというのではなく、続けようという気持ちにならない。止めようかどうしようかという葛藤さえなかった。もうこりゃダメかなと。止めようかな。ちょっと早過ぎるなあ格好悪いなあ。もう24耐いらんわあと。それだけだった。

 ふらふらになりながらエイドに行き、コップの水を太ももにかけて少し意識がはっきりしてきた。そこで改めて、もう少し走ってダメなら止めようと思った。自分にしては、あっさりと決断できた。冷静だったというよりとにかくしんどかった。自分のテントに戻り、サプリやゼリーを口にし、もう少しのつもりで走り始めた。
 結果、ペースは元通りにはならないまでも1時間ぐらいで再び走れるようになった。いつでも止めていい。これぐらいで楽しめるだけ楽しもうかなどと思いながら走った。この時点で周回も数えられなくなった。もちろん結果は最後まで見ていないので、今回は、途中自分がどれぐらい走っているのかということすら分からないままずっと走っていたことになる。純粋に、とりあえず走れるだけ走ってみようかと(ゴール後に結果を見たら、この辺りで23位ぐらいだったらしい。距離は不明)。

 4時間経過のご褒美で普段飲まないコーラを飲む。うまい。しみ込む。次のご褒美はアイスかなと思い走る(8時間経過時のご褒美はチョコとソーダのアイス2個になった。くわえて走った)。普通なら、コーラはもっと後のご褒美だが、一度つぶれかけているのでもう少し我慢とか思わずにばんばん買いどんどん飲むことにする。競技中だけで1000円以上自販機を利用した。持ってきた飲料もまだあったが、クーラーボックスなどは準備できなかったので、冷たいものが欲しかった。個人エントリー者にとっては、このコースは、自販機が多く(売り切れが結構出たが)アイスの自販機もあったので、ローソンまで行かなくてすみ、とても有り難かった。結局終了まで(実は終了後も)固形物を口にすることが難しかったので、エイドのバナナと自販機のジュースとアイスの糖分で補給し切った感じだった(主催者で用意していただいたお弁当は手が付けられず・・・すみません)。栄養ゼリーとカロリーメイト缶も持ってきたが、数が足りず、夕方にはなくなった。ここまで固形物が食べられないのは予想しきれてなかった。暑さのせいかと思った。お菓子の方が食べられるかもとを多めに持ってきたが、お菓子も食べる気がしなかった。水は飲みすぎると胃がおかしくなるので、「強力わかもと」を3時間おきぐらいに少しずつ摂取。サプリも思い出したときに少しずつ摂取した。とりあえず総力戦という感じだった。
 ペースダウンが起こると、体が何かを要求していると考えられる。ただそれが塩なのか糖なのか水分なのか、あるいは皮膚からの体温調節なのかがよく分からなかった。とりあえず、意識がはっきりしてからは、エイドで薄いスポドリを飲むだけでなく、テントで濃いスポドリ(ホットになっている)をたくさん飲み、水で体を濡らしといろんなことをした。走るときはしっかり走ったつもりだったが、ピット(エイド・テント)に入る回数が多く、こうした細かなロスタイムは三木の時より多かったかもしれない。反面、睡眠と食事によるまとまったロスは少なかったと思う。
 水で体を濡らす際に重宝したのが前回三木の参加賞でもらった「おくすりターバン」。帽子を止め、これをぬらして頭に水戸黄門のずきんのようにかぶって走った。頭も首もとも冷え、水滴は背中を伝うので快適だった。2周回に1回はコース沿いのシャワー室のそばの水道の水でターバンをぬらして全身に体を濡らした。水道が混んでいる時は順番待ちせずにエイドの水を3~4杯ぐらい使って体全体を水で濡らして先を急いだ。

 神戸の公園は、三木の時と違って風景的には楽しい(以下、写真は最終周回に撮影したもの)。


体育館や競技場がたくさんあり、利用する中高生が行きかう。

電車が通る新幹線も通る(子どもみたい)。


街走りが好きなので割に飽きない。日が傾き、涼しくなってくると、遠くのマンション群や大きなビルに明かりが点き、昼間とは違った景色になる。周回を重ねながら、景色を楽しんだ。

18時から20時ぐらいが一番楽に楽しく走れたようだ(後で結果を見るとこの辺で12位ぐらいになったようである)。

 その後、21時過ぎでまた眠くなる。眠気が来るのが予定よりかなり早い。ここ一週間睡眠はいつもより多めにしてたんだが。結局22時過ぎに15分仮眠。起きてまたしばらく走る。疲れたというのはない。ただ眠いしだるい。今回痛くてたまらんというほどのことがなかった(もちろん脚に相応に痛みはくるが)が、この「だるさ」と闘うのが大変だった。止めてもいいかというのはだるさの裏返しかもしれない。
 眠い時に、ペースを上げて走ってみると眠さがとれたのでこれ幸いと走り続ける。1時間ぐらいで体がしんどくなってゆっくりになる。そして眠くなるということでそう何度もはできなかった。
 また、夜は涼しくて気持ちがいい。思った以上に気温が下がらない。走るにはちょうどいい気温であるばかりか、うとうとするのも丁度いい気温である。気持ちよさに負けて、風通しの良いコース脇で寝そうになること寝ること数回。

この辺りが昼も夜も結構快適だった。
 昼間の幻想と同様、うつらうつらとしている時に夢らしきものがみえ、すうっと引き込まれそうになる。ベンチでうとうとしていると役員の方に「大丈夫ですか」と起こされたりもした(ご心配おかけしました)。役員の方かバイトの方か分からんが、折り返しのスタッフの方も地面に寝ていた。気持ちいいだろうなあと思った(ランネットで結構批判されてましたが。ははは…)。
 コース途中、夜中から終わりまで声をかけてくださるスタッフもいた。頭が下がった。走らないというのは申し訳ないと思った。もったいないとも思った。だから2回目の仮眠はなかなか決意できなかった。どこも痛くないのに走らないのはおかしい、という気持ちがあったと思う。
 限界かなと思ったので、結局明けて4時半ぐらいに2度目の仮眠。携帯の目覚ましに2回スヌーズで起こされ決意してテントを出ると、空が少し明るくなっていた。これからは暑くなるから眠くなることはないかなと思った。涼しい時間だからとペースを上げて、真面目に周回を重ねた。あまりいろいろとは考えなかった。景色の変化が面白かった。ただ、頭の中で聞きたくない曲がエンドレスでかかっているのは止められなかった(この辺りで順位は一桁になったらしい)。
 この時間帯は復活して(?)走っている人が増えた。ただ、日が高くなり気温も上昇した9時以降は歩く人も増えた。9時以降でしっかり走っている人はやはりというか上位者だった。一人結構なペースでとばす方がいるので意識してついて行こうとしたら、キロ6分切るぐらいだった。Tシャツに100キロを7時間・・・で走ったように書いてあったので、レベルが違うとついていくのを止めた。すごいもんだ。結局その方が1位の「快速桜」さんとおっしゃる方のようだった。
 着ているTシャツやかぶっている帽子から100キロ経験者は結構いたようだった。でもみんな苦戦していたようだった。体の痛みだけではない眠さ、そして暑さだったのではないかと思った。

 折り返し付近で、ずっと声をかけてくださる方がいた。スタッフだと思っていたがそうではなかったようだった。「ナイスラン」「いいリズムです」「頑張って」にのせられて、走った(「信ちゃん」さんとおっしゃる方のようです。本当にありがとうございました。助けられました)。その方は、2日間で10時間以上立ち続けていた。24時間走っている人もまあそこそこすごいんだろうが、結局は自分のことで頑張るだけだからたいしたことはない。本当にすごいというのは、ずっと見ず知らずの人にでも声をかけ続けられるこういう人であると改めて思った。メガホンで声をかけてくださる金髪のスタッフTシャツの方との周回ごとのハイタッチや、にこやかに旗を振る髭のスタッフの方の存在も心強かった。年配のスタッフの方も、暑いし眠いしなんだろうが、見守ってくださっていた。

 1周回ごとにテントで補給し、水で体をぬらしを交互に繰り替えす。朝からコーラを飲む。気分は悪くない。
 ペースを上げる。やがてまたしんどくなる。後3時間ぐらいなのだが、歩きたくなる。きつくなってくる。とうとう歩くようになった。1キロほど歩いて気付く。歩きも交えて補給も交えて1キロ10分なら大丈夫だろうと自分に問う。1周回20分で残り9回走れば十分じゃないかと。一度棄権も考えているし、自分に負けたとかそういうことではないよと言い聞かせる。
 そう考えたら気分が楽になり、早く9回走ってしまおうとペースが上がった。20時間過ぎてキロ6分少しで3周回走っていた。びっくりした。その後足が動かなくなったけど、無理せずにペースを落としたまま手周回を重ねた(この走りで最後の最後に順位が上がったらしいです。順位表見ていたらこんな走りはできなかったと思います気が小まいもんで)。
 日の出からそんなに時間が経っていないのに、すでに暑い。冷たいお茶がうまく感じた(帰りのバスではそうは思わなかったので不思議である)。アイス、塩飴、お茶、と周回ごとの補給ローテを考えながら走った。最後の方で、グレープフルーツとスイカが主催者テーブルに並ぶ。スイカはあっという間になくなったが、一切れいただくことができた。グレープフルーツは4周回の間、周回ごとに食べ、それを楽しみに走ることができた。普段あまりうまいと思わんものがうまかったりするなと思った。

 で、ついに最終周回。もうさすがに余力がなくて、1時間前から、これで終わりにしようと思った予定通りの周回になった。テントに寄り、携帯と補聴器を取り出す。立ち続けてくださったスタッフに御礼をいい、握手を交わす。携帯のカメラに24時間過ごした公園の光景を納める。

走っているある方から声をかけられる。「感動した」と言われる。よくがんばりましたねってことなんだろうと思う。そのことをわざわざ言ってくださったことに感動する。「レオちゃんマン」さんでしょうか(違っていたらすみません)ありがとうございました。
開始2時間のもうろう状態の時に声をかけてくださった「しまなみ100キロ」のTシャツの女子のランナーさんとも笑顔で行きかう。駅伝チームのテントが立ち並ぶところを通ると、他チームの方々が声をかけてくださる。有り難いと感じる。
 駅伝チームの記念撮影待ちで大混雑のゴールを「すみません」と声をかけて横をすり抜け、あっさりと24耐が終わった。最後カウントされたんだろうかとそんなことを気にしながら。

 ゴール直後、役員の方から「よく最後までもったね」と話しかけられた。夜中もうろうとしながら歩いている様子をみて、心配だからしばらく様子をみるようにと他のスタッフに声をかけたらしい。あらら。
 ゴール後にご褒美アイスを食べようとしたら、釣り銭切れだった。レース途中だったらちょっとめげたかもなと思うと、今回は、いろいろラッキーだったと思えなくもない。代わりにスポドリを買うと、一瞬でなくなった。
 で結果。
 今回は、エントリー数が三木の時より多かったにもかかわらず再び3位(ありがとうございます)。4位とは1周回違い(4位の方すみませんという感じです)。距離は166キロ。どう評価していいのかなんともいえない。正直、半端な距離やなあと。ただまあこの猛暑の中でしかも自分でどれだけ走っているか、現状を知らないままで走りきった数字としては上出来だろうと思った。前回と同じぐらい走れたということは、現在の力として100マイル走れるということはまぐれではなかったんだろし。しかし1位は200キロ超え、2位は180キロ超え。かなり開きがある。これは、サブ4ランナーとサブ3ランナーのような根本的な走力の差があるのは確かだと思う。練習量と気持ちではカバーしきれない部分があるのかなと思う。3位以下の差はそうない。もう一段上の走力を身につけるにはジョグだけでは限界で、たぶんペース走したり、トレイルランしたり、サプリなんかも試したり、あるいは練習前にちゃんとストレッチしたりとかしなければならないんじゃないかと思ったりした(苦手なもんで全部してないな)。でも、練習量だけでここまではこれるというのも24耐の醍醐味かなと思う。儂のようなランナーでも、入賞という目標を掲げることができるのだから。
 走っているときずっと思っていたのは、ジョグだけとはいえ毎月600キロ走っているのだから、これでだめなら仕方がないだろうということだった。快適にペースを上げているときでも、リタイアを考えたときも。だから逆に淡々と走り続けることができた。

 ニューバランスMR1225は予想通り、というより予定通りずたずたになった。

靴が悪いわけではなくて、儂の走り方ではニューバランスはそう持たないんだろうなあということだと思った。
ムスメにメールを送る。

テント撤収、表彰式を終え、片付けを済ませて公園を後にしたのは、最後の方だった。帰りの高速バスまで3時間ぐらいあったが、足が痛いのと疲れたのとで、舞子まで直行することにした。バスの中でも気がつけば夢を見ていた。しかしまあこの2日間、よく夢を見たなというより、どこからどこまでが幻だったのか。

 舞子駅に着く。どこか座れて甘いものが口にできる店で時間をつぶそうかと思ったが、適当なところがなく、駅のスーパーでアイスを買い、土産を買い外に出て地べたに座って明石海峡大橋をぼんやりと見ていた。


汗くさいままバスに乗る迷惑を考え、薬局で消臭スプレーも買った。足が痛くて体がしんどくて、移動が面倒だった。荷物もたくさんあったし。結局2時間ぐらいは座り込んで何もせずぼおーっとしていた。さっきの大会中の2時間とはえらい違いだ。
 バスに乗ると飲んでもいないのに、意識がなくなった。夢は見なかった。起きると空腹感を感じた。エアコンがよく効いていて寒かった。
 帰宅後、簡単に食事を済ませた。ビールは半分ぐらいしか飲めなかった。

 もう24時間はいらんわあ、と開始2時間で思っていましたので、今回、順位は本当におまけで付いてきた気がします(力のある何人かの方が、諸事情で途中で離脱したらしいですし)。メダルが取れるとは最後まで思っていませんでしたし、素直に有り難いと思いました。大会スタッフの皆様、声をかけ続けてくださった方々、ありがとうございました。
 もう一つというより、「最も」ということで終始冷静にいられた理由として、ムスメがくれたメッセージの存在がありました。「たおれないように」と彼女が記した文字を見ていたから、開始2時間でつぶれかけても冷静に走り続けられることができたのだと思います。ありがとう。

 記録をまとめながら、参加された人のブログを見ていたら、いろいろな方がいろいろな想いで走っておられたことが分かりました。
 駅伝チームの過酷さは、個人走の過酷さとは別のものがあることに気がつきました。私は、周回8分台なんか1回しか走れませんから。
 24耐は奥深いです。冒頭に述べました断食道場に臨む感じで自分に向き合いながら24時間過ごすわけです。
 しかしまあ、本当に幻(夢)を良く見た大会でした。読んでくださった方ありがとうございました。

消極的理由

2011-08-10 20:53:13 | 徒然に2010-2013
愛媛マラソンの要項が送られてきました。

正直消極的理由で今年も走ることになるのかなと思ったり。この日は、走ってなければ県外の別の大会に行くか、応援に行くかはしなければいけないでしょうし。んー。応援するぐらいなら走ったほうがいいわな。寒いし。消極的理由だな。それともボランティアで参加するか。寒いけど。

東京だけでなく、大阪、神戸と次々に大規模大会ができて、いろいろ行ってみたいと思うんだがな、費用がなあという感じです。第一回目の東京は当選してたけど、お金払わずに取りやめたので、今更申し込んでもブラックリストに載っていて落とされそうな気がする(あくまで気がするです)。大阪神戸は、もう締め切ったし。何よりフルという距離がいかん。あの距離を全力に近い形で走らんといかんのはしんどい。後半落とさずに乗り切るにはどうするかという点で、やはりフルは奥深い。だから参加を渋る。

儂の周りはみんな走る気まんまんですね。儂も多分なんだかんだといいながら、これを走ると話のネタが一つできるので走っていない人とも話ができたり、家族が走ることに対して「仕方がない」と思ってくれやすかったり、というような理由で申し込んでるはずです。しかし毎年のことながら参加費は高いな。本当に。これも参加を渋る一つの理由になってしまっているんだがな。

無題(133)

2011-08-09 20:50:28 | 徒然に2010-2013
二つ前の職場で一緒だったM君、K君に突然のようにここ一ヶ月で偶然続けて出会う。
M君とは約一ヶ月前ぐらいか、休日出勤の途中で会う。覚えてますかと問いかけると、多少ゆったり目のテンポで、はいと言う。押してもいい?と続けて言うと、どうもという。結構凹凸のある道を車椅子で通っているようだ。いやあ仕事なんですよと話しかけてくる。以前は直接はあまりしゃべったことがなかったが、車椅子を押しながらお互いの近況を報告し、別れた。
K君とは昨日出会った。放課後、よく職場の一周約170メートルの歩行コースを走っていた(K君は車椅子でガンガン走る)。何も話さなかったが、お互い黙々と走った。K君は毎日30周。儂は一日おきに60周という感じだった。口下手なので会話が続かない。儂の当時の同僚が「人間としてこれ以上の人物はいないのでは」というようなことを言ったK君を慕う後輩は当時から多かった。今は地元の大学に進学しているらしい。もう7年になるんだねと話す。職場の近くに住んでいると聞きびっくりした。補聴器付けてゆっくり話がしたかったが、またねと別れた。

今日はとりあえず記したかったので。とくにテーマはないです。
「無題」と記したら「133」とすっと出てきた。儂が大学生の時によく聴いた片桐麻美の曲の題名です。もうCDないな。時々思い出したように中古屋さんで探すのだが。

第11回 24時間リレーマラソン神戸大会終了~♪

2011-08-08 22:10:34 | 大会回顧録
無事に帰ってきました。大会スタッフの方々、大会中声をかけていただいた方々、ありがとうございました。一緒に走った皆様、お疲れ様でした。
一日経ち、ようやく体調が戻りつつあります。モノを食べようとする気になってきました。
今日は、4.5キロ45分ぐらいかかりました。早歩きでなくても追い抜かれる、というより「走る」といってはいけないんじゃないかという速さ。まあ、いいじゃないですか。

とにかく眠かったです。詳細を近日中にまとめる予定です。


Run de Boot(当て字)

2011-08-05 21:54:06 | 真面目な練習
ムスメが、約14キロ離れた学校までチャリではじめて行くというので、バカ親は併走することにした。車に乗せていくとか言わないだけましか。まあ、路肩は狭いし、初めだけでも一緒に行っとくかみたいな感じで、一緒に行くことにする。ちなみに約15キロ離れた学校に行っているムスコはまだチャリで行ったことはない。

前の日は職場の打ち上げで、二日酔いしないように、マツキヨのクルクミン3倍(ハウス製品比)のウコンを2本飲んで万全を期す。

びいるがうまいと感じる。飲む飲む。さばは出なかったが楽しく飲む。

そして、翌日、予定通り出発。ムスメにはキロ6分ぐらいと(といってもわからんだろうから結構ゆっくり目でと補足して)伝える。走り始めると、キロ5分切るくらいで行ける(愛媛マラソンの目標ペースぐらいか?)。信号待ちで水分補給しながら何とか学校近くまで行き義務を果たす。自分の職場までは、その後キロ8分で我慢してこなす。

思いっきり塩をふく。脚の付け根も「走ったねえ」と言っている。まあ13キロほどとはいえ夏場にこんなペースで走れるとはびっくりであった。

5年ぐらい前に、チャリのムスメとムスコと一緒に20キロ走ったことがある。あれもなかなか楽しかった。そのときにコンビニで奢ったスポドリのレシートは今もある。さっき確認したら、わしの誕生日だった。
その前は、ワンコ1号と15キロぐらい走ったことがある。それも何回か。よく走ったなあ1号。

ムスメは、行きだけの予定といいながら、結局二日続けて往復し、臨時チャリ通を結構楽しんでいたようだ。儂が冬場にいつも一息つくスクラップ工場の「ゴジラ」が気になったようで、見るところが「親子」だなあと少しうれしかったりする。冬に通るとライトアップされているよと教えておいた。

さて、明日はいよいよ神戸。寝ます。

県境越え

2011-08-04 05:57:46 | 遠くへ~少しだけ非日常
先月、県境近くの街へ用があり、ついで走りで県境を越えてみた。

出発は県内の最東端の街。紙の街である。
市街を抜け、国道沿いに走るとやがて海が見える。

そして、県境へ。

儂の小学校の時の修学旅行は、ここのドライブインでトイレ休憩をとり、時間待ちの間、県境をまたぎながら行ったり来たりして遊んだ。その時のドライブインは今はコンビニに変わっているが、以前単車で越えたときはなにもなかったような気もする。当時は、隣県への修学旅行で、小遣いは1000円だったか。12畳か16畳かの部屋に20人程の男子全員が雑魚寝した(させられた?)。ぜんそくの発作を出しながら「こんぴらさん」の愛称の神社の階段を上りきり、水族館や鹿がいた(ような気がする)公園、巨大な砂形の「銭」が描かれている公園に行った。この日は、その「銭」の公園がある駅まで行き、JRで出発地に戻ることにしていた。時間にして3時間弱、ハーフマラソンの距離である。

桃太郎伝説の島がある隣県ならではのキャラ。にこやかに笑っていても検問所は検問所。

海から少し入って小さな港になっているようなところがあった。

この駅で約半分過ぎたか。距離はたいしたことがない筈だが、この時期結構な猛暑で、かなり消耗した。自販機でスポドリを買おうとすると、地元ナンバーの黒い車の男の方が「どうぞ」と奢ってくれる。
「いえいえいえ」と辞退しようとするが「まあまあまあ」と1缶分どころか、その方が買った代金のおつりまで「どうぞ」と差し出され、さっと去ってしまった。

香川ナンバーのホンダフィットの方、その節はありがとうございました。

えっちらおっちらと云う感じで先に進む。「あー・・・うー」という口調が印象的だった首相の地元に入る。首相の名前が冠された通りやら顕彰碑やら。

国道を離れ、県道に入る。ますます暑くなる。おまけに日陰も何もない。

おそらく久々に、道端に立ち止まる。ここまでもこの先もコンビニはおろか自販機もない感じだった。先ほどの駅からそんなに距離はないはずだが、水分が欠乏している。やばいなと思う。
少し行くと、道から少し入ったところに事業所らしき建物があり、そこに自販機を見つける。普段ならわざわざ入っていかないだろう距離だが、暑くてどうにもならんので、迷うことなく行く。

糖分たっぷりの炭酸飲料を一気飲みする。500ミリリットルで生き返った気がする。
時間は限られている。途中の駅までは、予定より速いペースで進んだのでもしかしたら「銭」の公園にも行けるかと思ったが、後半の猛暑で公園行きは断念する。この先に公園があるらしいのだが。

で、無事に駅に着き、出発地に戻る。

春から、何度か県内の工都や商都を走ってきたが、ここも紙の工都である。夜になっても煙が途切れることはないような感じだった。