ようやくできました第11回24時間リレーマラソン神戸大会の参戦記。予想以上の猛暑でした。
神戸での大会はブログ等でいろいろな方の参戦記を拝読すると、参加者が多くにぎやかで面白そうでした。決して楽な大会ではないのでしょうが、儂にとってはフルマラソンやハーフマラソンより性に合うのでしょうか、1年空けずに参戦したことに驚いています。フルやハーフは、ペースを意識的にあげて走りに行かなければなりませんが、24時間耐久走はちょっと違うように感じます。何というか、断食道場にでも行くような感じでしょうか、100キロウルトラよりもさらに自分と向き合う要素が強いと感じます(100キロにしてもまだ2回しか走ったことがないのですが)。
まだ2回目の24耐で、昨年参加した
三木総合防災公園での大会が9月下旬でしたから、今回の神戸ではとにかく暑い(それから眠い)中でどう気持ちを維持していくかみたいな部分が試されていた気がします。また前回は入賞したいという欲まみれで走りましたが、今回は、そうした雑念はなく、暑いとか眠いとかにその都度向き合いながら折り合いをつけながら走っていた気がします。以下、小学生の作文みたいになりましたが記録です。
今回は、神戸総合運動公園が会場で当日出発でも何とか間に合いそうだということで行き帰りともに高速バスでの移動を選択。早朝、バス停までヨメさんに送ってもらう。感謝。到着したバスは、乗車率100%で神戸を目指した。この路線は独立シートでない(いわゆる貸切バスのような4列シート)のでやや狭い。それでもあまり気にせずに1時間ぐらい仮眠がとれる。その他の時間は徳永進さんの本を読んで過ごす。確か初めてのウルトラだったしまなみ海道100キロに行ったときも徳永さんの本を高速バスで読んでいたか。
予定より10分ぐらい遅れ舞子BSで降りる。この10分遅れで舞子発のバスの時間に間に合わなかったので、あわただしく隣の垂水駅に行ってバスに乗り神戸市地下鉄の学園都市前駅に。そこから一駅戻って総合公園前に到着。舞子から会場までは、走っていける距離になるがこの日はそういう訳にもいかない。結果かなり回り道で地下鉄区間は予定よりお金もかかったが、不案内なところなので仕方がないかと思う。舞子から1時間あまり、どれぐらい時間がかかるのかと不安で外の景色もろくに見なかった。それでも渋滞はあったが、電車やバスの待ち時間はほとんどなく、駅に到着してとりあえず安心する。安心して空腹感に気付き駅裏のローソンでスパゲティを食う。コンビニの弁当食うことなんか、そうそうないので(職場で食べる時家で食べる時以外は、昼飯はお菓子を買うか抜くことが多いため)、ちょっとうれしい。
食べている間に、リレーマラソンに参加すると思われる人々がコンビニに入り、駅の向こう側に消えていく。儂も立ち上がり、コロコロと滑車のついた鞄を引きながら駅の反対側に行き、公園内に入る。
約1時間前にエントリー完了。しかしまあ、テントが乱立し、ものすごい状態である。
何とかスペースを探し、1500円で買ったテントを張る。
初めて張るのでポールを通すのにややもたつく。広さは十分。ただまあ風通しは悪い。おまけに縫い目が原因の穴もある。ファスナーの作りが今ひとつで綴じた先の穴から蟻が入ってくる・・・。まあそんなに熟睡するためのスペースではないので、十分ではある。
風は涼しいが、日差しはきつい(このきつさのためあとで偉い目に遭う)。念のため「愛媛マラソン」の帽子をかぶる。帽子かぶって走るということ自体2,3年ぶりぐらいのことになる。
テントを立てて、その中で着替えていると汗が流れ落ちる。周回途中に取り出しやすいようにテント内に飲み物や食べ物を並べ、「濃い」スポドリを作ると、もう、スタート10分前だった。今回使用するニューバランスMR1225を履く。
やや大きめだったが、クッション性が良さそうだったので今回はこのシューズを選択した。2回約20キロ余りの試走でかなり靴底が磨り減ったので、恐らく走り終わった後は使用不可だろうと思う。
シングルの部に一人だけで参戦する場合、こうした事前事後の準備に何かと時間がかかる。よって、今回は、こうした大会参戦で毎回楽しみにしている、出店しているお店をのぞきに行くことができなかった。
スタート位置に行く。ふあふあとした気持ちのままなんとなくスタートする。24耐が始まる。
予定では、三木の時同様に最初の12時間で100キロ走るつもりだった。しかし、そんなに思い通りにはならない。とにかく暑い。後でよくよく考えれば、日中はペースを落として夜に距離を稼ぐというようにしたほうが良かったと思ったりもした。しかし、もっとよくよく考えれば、そんな余裕などない。暑かろうが雨降ろうがその瞬間瞬間で前に進むしかないのも、また事実だろうと思った。結局のところ思い通りにならなかったが、失敗ということではなかったのだと思う。
最初の2時間は、恐らく9周回(1周回で2キロ)で18キロぐらい走っていたはずである。ここまでは予定通り、というところ。予定通りに行かなくなったのは、その直後だった。トイレから出てコースに復帰すると走れなくなっていたのである。痛いとかでなかった。脱力感に支配された感じ。ただ、しんどいという感じ。走ろうとしても無理だった。何故かよく分からなかった。焦りすらなかった。
結果1周回以上まるまる歩いた。恐らく30分以上かかったと思う。この辺り、ふらふらしていたらしく、役員の方やランナーの方に声をかけられた。足元がおぼつかなかっただけでなく、記憶も不確かなところがあり、歩きながら夢を見ていた気がする。ときどき、コースに「戻っていた」ので。幻覚というやつなんかな。いや歩いていなかったのかもしれない。ただ眠いなあと思っていた。頭の中でいろんな人が出てきた。はっとして我に返るとここにいるはずのない人だった。
歩きながら、これって熱中症なんかな、それとも低血糖なんかなと思った。それにしても2時間でこの状態は練習でも経験がない。初めてのことだった。でも、暑い中でも練習してきたし、準備に問題があったとは思えなかった。いろんな人に出るって言ってきたから格好悪いなあ、でもリタイアも仕方がないなあと思った。今晩は神戸でカプセルホテル探してビール飲むかなあと。そんなことを普通に考えるぐらい力が入らなかった。苦しかったというのではなく、続けようという気持ちにならない。止めようかどうしようかという葛藤さえなかった。もうこりゃダメかなと。止めようかな。ちょっと早過ぎるなあ格好悪いなあ。もう24耐いらんわあと。それだけだった。
ふらふらになりながらエイドに行き、コップの水を太ももにかけて少し意識がはっきりしてきた。そこで改めて、もう少し走ってダメなら止めようと思った。自分にしては、あっさりと決断できた。冷静だったというよりとにかくしんどかった。自分のテントに戻り、サプリやゼリーを口にし、もう少しのつもりで走り始めた。
結果、ペースは元通りにはならないまでも1時間ぐらいで再び走れるようになった。いつでも止めていい。これぐらいで楽しめるだけ楽しもうかなどと思いながら走った。この時点で周回も数えられなくなった。もちろん結果は最後まで見ていないので、今回は、途中自分がどれぐらい走っているのかということすら分からないままずっと走っていたことになる。純粋に、とりあえず走れるだけ走ってみようかと(ゴール後に結果を見たら、この辺りで23位ぐらいだったらしい。距離は不明)。
4時間経過のご褒美で普段飲まないコーラを飲む。うまい。しみ込む。次のご褒美はアイスかなと思い走る(8時間経過時のご褒美はチョコとソーダのアイス2個になった。くわえて走った)。普通なら、コーラはもっと後のご褒美だが、一度つぶれかけているのでもう少し我慢とか思わずにばんばん買いどんどん飲むことにする。競技中だけで1000円以上自販機を利用した。持ってきた飲料もまだあったが、クーラーボックスなどは準備できなかったので、冷たいものが欲しかった。個人エントリー者にとっては、このコースは、自販機が多く(売り切れが結構出たが)アイスの自販機もあったので、ローソンまで行かなくてすみ、とても有り難かった。結局終了まで(実は終了後も)固形物を口にすることが難しかったので、エイドのバナナと自販機のジュースとアイスの糖分で補給し切った感じだった(主催者で用意していただいたお弁当は手が付けられず・・・すみません)。栄養ゼリーとカロリーメイト缶も持ってきたが、数が足りず、夕方にはなくなった。ここまで固形物が食べられないのは予想しきれてなかった。暑さのせいかと思った。お菓子の方が食べられるかもとを多めに持ってきたが、お菓子も食べる気がしなかった。水は飲みすぎると胃がおかしくなるので、「強力わかもと」を3時間おきぐらいに少しずつ摂取。サプリも思い出したときに少しずつ摂取した。とりあえず総力戦という感じだった。
ペースダウンが起こると、体が何かを要求していると考えられる。ただそれが塩なのか糖なのか水分なのか、あるいは皮膚からの体温調節なのかがよく分からなかった。とりあえず、意識がはっきりしてからは、エイドで薄いスポドリを飲むだけでなく、テントで濃いスポドリ(ホットになっている)をたくさん飲み、水で体を濡らしといろんなことをした。走るときはしっかり走ったつもりだったが、ピット(エイド・テント)に入る回数が多く、こうした細かなロスタイムは三木の時より多かったかもしれない。反面、睡眠と食事によるまとまったロスは少なかったと思う。
水で体を濡らす際に重宝したのが前回三木の参加賞でもらった「おくすりターバン」。帽子を止め、これをぬらして頭に水戸黄門のずきんのようにかぶって走った。頭も首もとも冷え、水滴は背中を伝うので快適だった。2周回に1回はコース沿いのシャワー室のそばの水道の水でターバンをぬらして全身に体を濡らした。水道が混んでいる時は順番待ちせずにエイドの水を3~4杯ぐらい使って体全体を水で濡らして先を急いだ。
神戸の公園は、三木の時と違って風景的には楽しい(以下、写真は最終周回に撮影したもの)。
体育館や競技場がたくさんあり、利用する中高生が行きかう。
電車が通る新幹線も通る(子どもみたい)。
街走りが好きなので割に飽きない。日が傾き、涼しくなってくると、遠くのマンション群や大きなビルに明かりが点き、昼間とは違った景色になる。周回を重ねながら、景色を楽しんだ。
18時から20時ぐらいが一番楽に楽しく走れたようだ(後で結果を見るとこの辺で12位ぐらいになったようである)。
その後、21時過ぎでまた眠くなる。眠気が来るのが予定よりかなり早い。ここ一週間睡眠はいつもより多めにしてたんだが。結局22時過ぎに15分仮眠。起きてまたしばらく走る。疲れたというのはない。ただ眠いしだるい。今回痛くてたまらんというほどのことがなかった(もちろん脚に相応に痛みはくるが)が、この「だるさ」と闘うのが大変だった。止めてもいいかというのはだるさの裏返しかもしれない。
眠い時に、ペースを上げて走ってみると眠さがとれたのでこれ幸いと走り続ける。1時間ぐらいで体がしんどくなってゆっくりになる。そして眠くなるということでそう何度もはできなかった。
また、夜は涼しくて気持ちがいい。思った以上に気温が下がらない。走るにはちょうどいい気温であるばかりか、うとうとするのも丁度いい気温である。気持ちよさに負けて、風通しの良いコース脇で寝そうになること寝ること数回。
この辺りが昼も夜も結構快適だった。
昼間の幻想と同様、うつらうつらとしている時に夢らしきものがみえ、すうっと引き込まれそうになる。ベンチでうとうとしていると役員の方に「大丈夫ですか」と起こされたりもした(ご心配おかけしました)。役員の方かバイトの方か分からんが、折り返しのスタッフの方も地面に寝ていた。気持ちいいだろうなあと思った(ランネットで結構批判されてましたが。ははは…)。
コース途中、夜中から終わりまで声をかけてくださるスタッフもいた。頭が下がった。走らないというのは申し訳ないと思った。もったいないとも思った。だから2回目の仮眠はなかなか決意できなかった。どこも痛くないのに走らないのはおかしい、という気持ちがあったと思う。
限界かなと思ったので、結局明けて4時半ぐらいに2度目の仮眠。携帯の目覚ましに2回スヌーズで起こされ決意してテントを出ると、空が少し明るくなっていた。これからは暑くなるから眠くなることはないかなと思った。涼しい時間だからとペースを上げて、真面目に周回を重ねた。あまりいろいろとは考えなかった。景色の変化が面白かった。ただ、頭の中で聞きたくない曲がエンドレスでかかっているのは止められなかった(この辺りで順位は一桁になったらしい)。
この時間帯は復活して(?)走っている人が増えた。ただ、日が高くなり気温も上昇した9時以降は歩く人も増えた。9時以降でしっかり走っている人はやはりというか上位者だった。一人結構なペースでとばす方がいるので意識してついて行こうとしたら、キロ6分切るぐらいだった。Tシャツに100キロを7時間・・・で走ったように書いてあったので、レベルが違うとついていくのを止めた。すごいもんだ。結局その方が1位の「快速桜」さんとおっしゃる方のようだった。
着ているTシャツやかぶっている帽子から100キロ経験者は結構いたようだった。でもみんな苦戦していたようだった。体の痛みだけではない眠さ、そして暑さだったのではないかと思った。
折り返し付近で、ずっと声をかけてくださる方がいた。スタッフだと思っていたがそうではなかったようだった。「ナイスラン」「いいリズムです」「頑張って」にのせられて、走った(「信ちゃん」さんとおっしゃる方のようです。本当にありがとうございました。助けられました)。その方は、2日間で10時間以上立ち続けていた。24時間走っている人もまあそこそこすごいんだろうが、結局は自分のことで頑張るだけだからたいしたことはない。本当にすごいというのは、ずっと見ず知らずの人にでも声をかけ続けられるこういう人であると改めて思った。メガホンで声をかけてくださる金髪のスタッフTシャツの方との周回ごとのハイタッチや、にこやかに旗を振る髭のスタッフの方の存在も心強かった。年配のスタッフの方も、暑いし眠いしなんだろうが、見守ってくださっていた。
1周回ごとにテントで補給し、水で体をぬらしを交互に繰り替えす。朝からコーラを飲む。気分は悪くない。
ペースを上げる。やがてまたしんどくなる。後3時間ぐらいなのだが、歩きたくなる。きつくなってくる。とうとう歩くようになった。1キロほど歩いて気付く。歩きも交えて補給も交えて1キロ10分なら大丈夫だろうと自分に問う。1周回20分で残り9回走れば十分じゃないかと。一度棄権も考えているし、自分に負けたとかそういうことではないよと言い聞かせる。
そう考えたら気分が楽になり、早く9回走ってしまおうとペースが上がった。20時間過ぎてキロ6分少しで3周回走っていた。びっくりした。その後足が動かなくなったけど、無理せずにペースを落としたまま手周回を重ねた(この走りで最後の最後に順位が上がったらしいです。順位表見ていたらこんな走りはできなかったと思います気が小まいもんで)。
日の出からそんなに時間が経っていないのに、すでに暑い。冷たいお茶がうまく感じた(帰りのバスではそうは思わなかったので不思議である)。アイス、塩飴、お茶、と周回ごとの補給ローテを考えながら走った。最後の方で、グレープフルーツとスイカが主催者テーブルに並ぶ。スイカはあっという間になくなったが、一切れいただくことができた。グレープフルーツは4周回の間、周回ごとに食べ、それを楽しみに走ることができた。普段あまりうまいと思わんものがうまかったりするなと思った。
で、ついに最終周回。もうさすがに余力がなくて、1時間前から、これで終わりにしようと思った予定通りの周回になった。テントに寄り、携帯と補聴器を取り出す。立ち続けてくださったスタッフに御礼をいい、握手を交わす。携帯のカメラに24時間過ごした公園の光景を納める。
走っているある方から声をかけられる。「感動した」と言われる。よくがんばりましたねってことなんだろうと思う。そのことをわざわざ言ってくださったことに感動する。「レオちゃんマン」さんでしょうか(違っていたらすみません)ありがとうございました。
開始2時間のもうろう状態の時に声をかけてくださった「しまなみ100キロ」のTシャツの女子のランナーさんとも笑顔で行きかう。駅伝チームのテントが立ち並ぶところを通ると、他チームの方々が声をかけてくださる。有り難いと感じる。
駅伝チームの記念撮影待ちで大混雑のゴールを「すみません」と声をかけて横をすり抜け、あっさりと24耐が終わった。最後カウントされたんだろうかとそんなことを気にしながら。
ゴール直後、役員の方から「よく最後までもったね」と話しかけられた。夜中もうろうとしながら歩いている様子をみて、心配だからしばらく様子をみるようにと他のスタッフに声をかけたらしい。あらら。
ゴール後にご褒美アイスを食べようとしたら、釣り銭切れだった。レース途中だったらちょっとめげたかもなと思うと、今回は、いろいろラッキーだったと思えなくもない。代わりにスポドリを買うと、一瞬でなくなった。
で結果。
今回は、エントリー数が三木の時より多かったにもかかわらず再び3位(ありがとうございます)。4位とは1周回違い(4位の方すみませんという感じです)。距離は166キロ。どう評価していいのかなんともいえない。正直、半端な距離やなあと。ただまあこの猛暑の中でしかも自分でどれだけ走っているか、現状を知らないままで走りきった数字としては上出来だろうと思った。前回と同じぐらい走れたということは、現在の力として100マイル走れるということはまぐれではなかったんだろし。しかし1位は200キロ超え、2位は180キロ超え。かなり開きがある。これは、サブ4ランナーとサブ3ランナーのような根本的な走力の差があるのは確かだと思う。練習量と気持ちではカバーしきれない部分があるのかなと思う。3位以下の差はそうない。もう一段上の走力を身につけるにはジョグだけでは限界で、たぶんペース走したり、トレイルランしたり、サプリなんかも試したり、あるいは練習前にちゃんとストレッチしたりとかしなければならないんじゃないかと思ったりした(苦手なもんで全部してないな)。でも、練習量だけでここまではこれるというのも24耐の醍醐味かなと思う。儂のようなランナーでも、入賞という目標を掲げることができるのだから。
走っているときずっと思っていたのは、ジョグだけとはいえ毎月600キロ走っているのだから、これでだめなら仕方がないだろうということだった。快適にペースを上げているときでも、リタイアを考えたときも。だから逆に淡々と走り続けることができた。
ニューバランスMR1225は予想通り、というより予定通りずたずたになった。
靴が悪いわけではなくて、儂の走り方ではニューバランスはそう持たないんだろうなあということだと思った。
ムスメにメールを送る。
テント撤収、表彰式を終え、片付けを済ませて公園を後にしたのは、最後の方だった。帰りの高速バスまで3時間ぐらいあったが、足が痛いのと疲れたのとで、舞子まで直行することにした。バスの中でも気がつけば夢を見ていた。しかしまあこの2日間、よく夢を見たなというより、どこからどこまでが幻だったのか。
舞子駅に着く。どこか座れて甘いものが口にできる店で時間をつぶそうかと思ったが、適当なところがなく、駅のスーパーでアイスを買い、土産を買い外に出て地べたに座って明石海峡大橋をぼんやりと見ていた。
汗くさいままバスに乗る迷惑を考え、薬局で消臭スプレーも買った。足が痛くて体がしんどくて、移動が面倒だった。荷物もたくさんあったし。結局2時間ぐらいは座り込んで何もせずぼおーっとしていた。さっきの大会中の2時間とはえらい違いだ。
バスに乗ると飲んでもいないのに、意識がなくなった。夢は見なかった。起きると空腹感を感じた。エアコンがよく効いていて寒かった。
帰宅後、簡単に食事を済ませた。ビールは半分ぐらいしか飲めなかった。
もう24時間はいらんわあ、と開始2時間で思っていましたので、今回、順位は本当におまけで付いてきた気がします(力のある何人かの方が、諸事情で途中で離脱したらしいですし)。メダルが取れるとは最後まで思っていませんでしたし、素直に有り難いと思いました。大会スタッフの皆様、声をかけ続けてくださった方々、ありがとうございました。
もう一つというより、「最も」ということで終始冷静にいられた理由として、ムスメがくれたメッセージの存在がありました。「たおれないように」と彼女が記した文字を見ていたから、開始2時間でつぶれかけても冷静に走り続けられることができたのだと思います。ありがとう。
記録をまとめながら、参加された人のブログを見ていたら、いろいろな方がいろいろな想いで走っておられたことが分かりました。
駅伝チームの過酷さは、個人走の過酷さとは別のものがあることに気がつきました。私は、周回8分台なんか1回しか走れませんから。
24耐は奥深いです。冒頭に述べました断食道場に臨む感じで自分に向き合いながら24時間過ごすわけです。
しかしまあ、本当に幻(夢)を良く見た大会でした。読んでくださった方ありがとうございました。