きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

平日のルーティン(冬期)

2020-01-31 20:09:12 | 徒然に2018-2020
だいたいベッドに入るのは20時から21時の間。
で、起床は4時20分。これはだいたいキープできている。
トイレに行き(導尿)、髭剃り歯磨きしてシャワー、その後、珈琲3杯分入れて2杯分を水筒に入れる。野菜ジュースと牛乳入り珈琲一杯飲んで出発。だいたい5時過ぎだから、支度に45分ぐらいかかるということ。退院直後は1時間ぐらいかかっていたので大分早くなった。
30分ぐらいで職場の駐車場につき、すぐに朝の漕走10キロへ。その後100メートルのロフスト(ロフストランドクラッチ)歩行。

職場に入り、朝御飯(だいたい菓子パン)食べながら、新聞を見て、落ち着いたら朝残業開始。
始業前には必ずトイレに行く。
仕事はなるべく定時に終えるように段取りつける。週1~2回は通院がある。
元々、人より考えて考えて方向性を出すタイプなので、短時間でさばくような仕事の仕方は身につかないと思っていた。が、車椅子になって復帰して1年目は兎に角しんどくて、どうしても長時間の労働が体力的にきついと感じるようになったこととか、あと職場の配慮でそれまでの業務とは別の仕事をさせてもらえるようになって、「さばく」感覚が分かってきたというのはある。今は、忙しいとき以外はとりあえず朝残業のみでなんとかなっている。
で、帰宅は18時半から19時半の間。基本的に寄り道はしない。帰るとすぐに翌朝の支度をしてから晩御飯を食べて、ベッドに向かう。

平日はこの繰り返しで5日間、兎に角我慢みたいな感じで過ごしている。


四日市に泊まり、そこから海津、桑名まで

2020-01-30 18:37:15 | 遠くへ~少しだけ非日常
長良川の会場までと会場からと、の詳細。

名張探訪を終えて、四日市に着くともう夜。駅近くの商店街は何かしら祭りらしく盛り上がっていた。商店街の中のスーパーで買い出し。

車いすでちょっと一杯、理想すぎる。

ホテルはフロントから段差だらけでどうなることかと思ったが、マンパワーでクリアする。ちょっとだけ狭くて旋回ができなかったが、いろいろなところに泊まってきて経験値だけは上がっているのでそこは工夫できた。

朝は、これがこの地区特有の「モーニング」なのかというボリュームのご飯。びっくりして全部いただく。開店前にも関わらず、事情を理解してくださり、特別に開けていただいた。感謝。

近鉄四日市から桑名を経て養老鉄道で多度へ。手前の駅で休日出勤と思われる工場勤めの若いあんちゃん達が下りて行った。

多度の駅前は、割と古くからある街並みを感じさせた。ここから会場まで約1時間で5キロ。

兎に角教科書に出てくるぐらいの低地の暮らし。

これは地域コンビニだろうか、ようけこと人が入っていた。

ここで県境越え。というか、県境越えた感があまりない。この辺り、実際には三重と愛知と岐阜が入り乱れている。3県またぎをしても良かったがそこまでの余裕はない。

何より、大きな橋のわりにこの路肩。1度では乗り越えられず、何度かトライしたところも複数あった。

川を越える。何川だろう。

揖斐川、らしい。

で、この後川沿いを北へ。ただ、交通量が多い。右手には、大会会場と思われる場所を見つけるが、どこからどうやって行けばいいのか全く分からず。

で、ぎりぎりになって、この狭い狭い脇を抜ける。本当にここしかなかった。
この後、無事に受付を済ませて、一般車用10キロ参戦。

帰りは、交通量の多い県道ではなく、この公園に続く川沿いの道を漕ぐ。いい感じだったが、公園の出口で車が渋滞していた。まだ11時ぐらいで、10キロの部が終わるか終わらないかでこの状態。このマラソンも丹波篠山と同様にクルマで行くことも考えたが、距離が兎に角遠いので止めた。結果的には、正解だった。後でウェブを見ると、3時間かかったとか、夜になったとかそういうコメントがたくさん。駅から往復10キロにはなったが、本当に公共交通機関で正解だった。

駅に戻っても、時間に余裕はあったし、一つ前の電車で帰れた。その後の新幹線の乗り換えとか考えると滅茶苦茶助かった。

その後は桑名まで行き、そこで漸くトイレ。そして新幹線の予約をして名古屋経由で家路に。
養老鉄道、頑張っている。また来年、ということで。

思いがけず真面目に漕いだ

2020-01-26 14:05:59 | 真面目に漕走
自転車道へ行くと、週一でリハをしてもらっているPTのMさんが。
一緒に並走してくださるということで約1時間半弱、自転車道を漕ぐ。
今日の風は東からでまあまあ強い。結果上りプラス向かい風と下りプラス追い風になる。いつもなら上りだけ辛抱して漕いで帰りは楽するパターンにするが、愛媛マラソン前のMさんの練習にならんので、辛抱の漕ぎではなく心拍数上げの漕ぎで。
それでも上りは9分かかるがこの風ならキロで12分ぐらいかかるから儂にしては頑張った方。
下りはキロ5分から5分半。Mさんのフォームは軽くていい感じだった。
余裕がなくてろくにしゃべることもなかった。すみません。

一足先にリカバリー。さて、明日から仕事。

炭水化物が恋しくなる瞬間

2020-01-25 14:55:28 | 徒然に2018-2020
今日は寒かった。いつもより少なめの13キロの漕走で終了する。

さて。
いつもは極力避けている、パスタとかラーメンとか焼きそばとか、だいたい3、4か月に一度ぐらいではないか。本当は麺好きなのだが。

で、そういう中で今回、御用達の「本麒麟」についていたおまけの麺を。

うまかった。これ焼きそばとかミートとかでもイケるんじゃないかと。
加えて、拉麺屋さんに行って食べるとなると、今の儂では一人前の量が入らない。だがインスタントなら大丈夫(車椅子になって、コンビニでお湯貰ってカップ麺喰うというのが、それまでとは別の意味で楽しみだったりする)ということでなお良しである。

全部で6つある。体重を気にしながらも、食いたい気持ちが先走る。

宇陀室生寺から伊勢名張へ

2020-01-23 20:15:32 | 遠くへ~少しだけ非日常
ここから出発するのは、紆余曲折があって。時間の制限とか運賃のこととかを考えつつ途中の漕走を考えていたが、うまくいかず、

ホームで駅員さんと到着地を確認しているときに、無理にお願いをしたら、対応してくれて。身障者の半額のこととかめんどいことは多いはずなのに、近鉄の担当者の皆様、本当にありがとうございました。

で、降り立ったのが室生口大野駅。近鉄難波の駅員さんは「なんもないとこです」といったが、漕ぐ距離が丁度よかったというそれだけでチョイス。後、「介助があれば利用可能」ということだったので。
最初、伊勢中川までにしたのは100キロ越えて安くなるからだが、見所自体はあまりない感じがしていたので、この変更は多分当たりではないかと。

駅は、ウチの職場にあるのと同じ階段昇降機で降りる。無人駅だが、事前に連絡してもらって二名の方にサポートしてもらう。何だか申し訳ない。本当に丁寧にサポートしてもらって、近鉄流石と思う。

駅前の道を下り、国道に向かう。名張へ行くには国道しかない。

狭いが交通量は多い。道路の右側、車への視線を切らないようにして漕ぐ。別に視線を切っても切らなくてもぶつかるときはぶつかるのだが。

近鉄凄いなと。こういうところに鉄道通すのはなかなか大変だろうに。因みに近鉄の社長(創業者)は儂の出身町の方(但し隣の校区)。

境目特有の傾斜はさほどでもなかったが、車の量と路肩の狭さに冷や冷やしつつ県境越え。三重県へ。

漸く国道以外の道へ。どうなるか分からんが右に進む。

いきなり予定ルートを変更して川を渡ることにする。

名張に入ってからは、滅茶苦茶雰囲気のいい田舎道になった。

史跡も多い。ほおほお、と見ながら先へ。

漕いでいて面白いのは、地元の人が使う普通の生活道。お邪魔しますと、先へ。


名張の市内に入ってから、古い家並みや商店街を楽しむ。これも予想外で儲けた感が増す。「江戸川乱歩」といえば思い出すのが、高校のときの英語(グラマー)の担当だったT先生。怖い先生だったが、「エドガー・アラン・ポー」は良かった。神戸M君の真似が絶妙だった。

駅へ向かう。やや上りになるところをえっちらおっちらと。

トイレに行き、近鉄に乗って四日市へ。

伊勢中川は、赤福ごいごい押し(買っては帰らんかった、というのは大会参加と泊まりの両方を積んでいた今回は特に車いす上に積載スペースがほとんどなかったので)。

改めて、近鉄の皆様に感謝。いい旅ができました。ありがとうございました。

車椅子のタイヤを漸く交換した

2020-01-22 18:21:12 | 脊髄内血管腫との邂逅
市役所への申請は11月にしていたが、修理(補装具は交換とかも修理品目扱い)をお願いした業者さんから返事が何もないままに、1か月後に恐る恐る市役所に尋ねると、その後は早かった。業者さん曰く、うまく伝わってなかったのだと、まあ何らかのトラブルがあったらしい。
結局、約1年と4か月余りでキャスターとタイヤ交換となった。


交換前。かなり朽ちてはいるが、タイヤなんかはノーパンクなので、どの辺りで換えるかは案外難しい。


交換後。やはり違う。車高もかなり違っているのではないか。交換できて安心したからか、これで次のマラソンが9か月から10か月後だから、もう少し粘っても良かったかと思ったりもする。その頃にはかなりちびているだろうし。

勿論、ごみとかが絡まっていた影響もあるのだろうが、恐らく、接地面の関係からも、タイヤの減りはタイムと関係はあると思う。交換して2週間目だが、交換前に比べて、10キロで、1分近く速く漕げている日もあるくらいなので、身体の調子だけではないような気がしている。


車いすで県外出張・その3

2020-01-20 19:44:41 | 脊髄内血管腫との邂逅
その2から間が開いてしまいましたが。

最終日は朝から移動。

新高岡までは漕ぐ(本当はいかん)。いかんのだが、ステップばりばりのディーゼルに乗るぐらいならこれぐらいは許して欲しい。

新幹線で金沢へ。席まで行くのもなんだかなあなのでデッキに。これは行きのトラウマ。

金沢駅着。

そして再びサンダーバードで大坂へ。

まだ延伸するのだろうか。工事している。

大坂では、JRから阪急へ行くのに迷う。迷うというよりエレベーターがないということ。エスカレーターも階段もすぐに見つかる。でもエレベーターだけはすぐには見つからない。これでバリアフリーといえるのかと。最終的には、横断歩道のないところを突っ切って進む。

で、エレベーターを見つける。

しかし、ホームにいた電車には乗れず。理由は「スロープがここにはない」ということ。10分待つ。余裕があったはずの乗り換え時間はみるみるうちになくなる。

蛍池でトイレに入る。これは正解だった。伊丹は工事をしていて、何か時間がかかりそうだったので。


ただ、空港で待ち合わせていた上司と会ったときには殆ど時間がなく、しかも、ヘルプデスクで対応してくれたANAの職員はばりばりの初心者で、不要な確認とか質問とか結構されてかなり切れ気味になる。それでも何とか乗り込む。

松山空港でも一人ぽつんと降りる。上司が待っていてくださって、申し訳ないやら有り難いやら、という感じで家路に着く。

この後本来なら3時間後にジェットスターで成田へ行き、翌日の足立タートルマラソンに行くはずだったが断念。飛行機のチケットはキャンセルできない(LCCの一番安いやつだから)ので、マラソンは別にして東京に行くだけ行ってもいいようなもんだったが、兎に角いろいろあって疲れてしまった、というのが本音。

休日のルーティン(冬期)

2020-01-19 15:07:03 | 徒然に2018-2020
YouTube見ていると「〇〇のルーティーン」とかよく見る。特に働きながらYouTubeやっている人のはリアルで、応援したくなる。

儂の休日のルーティンは、ほぼ固定しているのがし自分でも分かる。寒いのであまり遠出をしないし、体調も今一つになるので自ずとパターンを壊したくないというか、翌週のための休養の要素が強くなる。

夜は、19時から20時にベッドに入る。朝は、6時から7時に起きる。全部眠れているわけではない。ただひたすら横になっている。身体(脚)が痛くなることもある。それでも、横になっている。
朝起きると、まずはトイレ。大小両方処置する。その後シャワー、着替え、朝御飯。これだけでだいたい1時間ぐらい。
その後、晴れている日は8時半ぐらいから部屋に日が差し込むので10時半ぐらいまでYouTube見ながらぼおーっと過ごす。10時半になると日が前のマンションに隠れてしまうので部屋が寒くなる。で、トイレに行って導尿して、半ば追い出されるように家を出る。

だいたいは自転車道を2~3時間ぐらい漕いで帰る。帰宅前に、近所のドラッグストアでつまみを買う。帰ったらすぐに導尿して摘便して落ち着くまでに約30分。それが終わって呑み始める。
呑みながら、YouTube見ながらブログ打ったり、ごぞごぞと簡単な用事したり、あと、翌週の準備などなど。
で、夕方には終えて(朝、酒が残ると運転できんから)、ベッドに入る。

見事に、判でついたようにパターン化されていることに気付く。まあ、こういうのも時々なら嫌ではないが、定年後毎日というとどうかなあと思ったり。
平日はまた別の機会に改めて振り返る。

今日は1号の誕生日だったなあ。

財布が壊れた

2020-01-18 15:06:10 | 徒然に2018-2020
身体障害者手帳が入る財布はそうそうないし、補聴器ケースまで収納できていたので、気に入っていたが、ファスナーが壊れてしまう。

壊れたのが丁度店だったので、とりあえずということでそのまま購入。

期間限定Tポイントを貰っていたTSUTAYAにて。

しかし、ちょっと失敗。大きさはそこそこあるものの、今まで入っていたものが全然入らない。

いろいろ余分なものを切り落としたりはするが、どことなく窮屈で。

正直、失敗したなと思うが、とりあえず数日間限定ぐらいで使うことにする。

満を持して・・・第31回全国車椅子マラソン参戦記・レース展開

2020-01-14 20:14:45 | 大会回顧録
で、そのレース展開。

兎に角必死だったので、頭でどうこう考える余裕がなかった。スタートは緊張気味にひたすら待つ、そのスタートはレーサー集団の後。一般用での参加は9台。スタート直後は良かったが、程なくして同じカテゴリーの一般用の方々にぐんぐん離される。特に下り坂でもなかったが、それでも最初の1キロは6分切る。スタート直後にしてはまあまあ。その上、やや下り坂だったのか、その次にいきなり4分台になり、「スイッチ」が入る。
ただ、それでも他車には離され続ける。

データはガーミンのもの。ほぼフラットなコースで、道路の真ん中をとりあえず漕ぎ続ける。風があったら、ここまでの記録が出たかどうかは怪しいそれぐらいコースコンディションはベストに近いと思われる。ここは丹波篠山マラソンか何かの公認コースで、一般道を漕ぐことができるのがとても貴重だと感じていたが、そんな呑気な感じではない。ペースはびっくりするぐらい(目を疑うぐらい)のスピード。
なのに、どんどん離される。

汗がヘルメットの先からぽとぽと落ちる。ぬぐう余裕は全くない。顔の汗が目に入る(因みに、左側しか汗が出ない本当)。

でも気持ちは不思議と切れなかった。スタート直後のハイペースで、本来の目標だった13キロの関門はもう突破するつもりになった。ということは、と切り替えて、兎に角18キロの関門を突破する、ということにした。ここを突破すれば完漕できる。ただ、今は5分半でもこの先は不透明。それに今でもギリギリ。
沿道の方々、こんなに遅いランナーにまで声援を下さる。有り難い。
また、15キロ付近で途中でランナーのじいさん(おっちゃんというよりそんな感じの方)に並走してもらう。だいたい5分半をキープし続ける。ガーミンでラップが刻めていたので、これはアイテムに助けられた。
この後の18キロ突破のための難関の坂は、車で下見をしていたときから覚悟はしていたが、ここも最小限の落ち込みでクリア。そして、ここで前の車を車を捉えた。
遠いとか長いとか、前日の下見で何となく感じていた怠さは、全く感じなかった。兎に角必死で腕を動かした。100メートルの短距離を210回繰り返した感じ。しかも休みなく。こんな漕ぎ方はラン時代も含めてなかったと思う。ペース配分とかそういう言葉はなく、小学生のマラソンみたいに、初めから全力で飛ばした。

3分ぐらい残して、最終関門を抜ける。途端に心拍数が落ちたらしい。それでもペースを維持しつつゴール。

結局9台出漕で7台完漕。表彰台は6台(一般用は通常の部とシニアの部の2つで表彰がある)。完漕した7台のうち、シニア4位の儂
だけ表彰台を逃すことに(これは後で知った)。儂が最後に捉えて抜いたのは一般の部の通常の方なのでその方は3位。シニアの方が選手層が厚いということになるが、マラソンでも似たようなことがある。

でもそれよりも、予期せぬ完漕で、本当に興奮した。

ゴール後、コーラのうまかったこと。
来年は完漕できるかどうかは分からん。風が強かったりすればまず無理だと思う。それぐらいギリギリの高いハードルを越えることができたので、表彰台云々は別として、凄く満足した「初マラソン」だった。

ふしぎなきがする

2020-01-13 16:56:09 | 脊髄内血管腫との邂逅
年明けからアメーバの方に「別冊」として2年前の記事を再掲しているが。
手術後の状況は相当に悪い。よくもまあ、腐らずリハビリ続けられたなと。
何というか、怠惰になりつつある毎日に、少し感謝の気持ちを抱くように。

夕暮れ前(写真は1か月前)。明日から仕事で滅入る(ムスコは休日出勤)。
ただ。
仕事できるという奇跡にありがたい思わないかんのやろうなとしみじみ。

多分運が良かった

2020-01-12 15:51:55 | 真面目に漕走
帰ってきたら雨。天気予報のサイトには雨マークはなくて無警戒だったが。

写真は昨日の。今日はそんな余裕なく。

年末からよく利用する自転車道の「盲腸コース」を結構なペースで漕ぐ。時間は2時間15分50秒。昨日も後半はペースを上げたが、その昨日より30分余り速い。このコース、家から往復で丁度ハーフの距離になるのと、上り下りの比率が均等なのでいい練習コースになっている。途中の10キロも1時間2分余りでクリア。朝の練習ペースに近い。後、ガーミンの電池がぎりぎりで漕ぎ始めたが、何とか電池切れ前に帰り着く。

便秘気味でもあって、体調は決していいとは思えないが、とりあえずきちんと練習できて良かった。