午後一時、日本最北端、宗谷岬に到達。ここより北へは、行きようがない。
想えば去年の10月には、日本最南端の地、波照間島に立っていた。僕はなんという幸運に恵まれながら生きているんだろう。
今日は丸一日かけて、優しさと幸せについて考えていた。優しくなればなるほど、幸せになれるんじゃないかって考えていた。
たとえば、優しくしたいと想う人と一緒にいられたら幸せになれるんじゃないか、とか。
たとえば、人の幸せを自分の幸せだと想える人が、一番幸せなんじゃないか、とか。
たとえば、自分の暮らしや便利さのために、自然の摂理を歪め続ける人間に幸せになる価値があるのか、とか。
たとえば、人よりも幸せ、が幸せだと想う人の幸せって、ホントに幸せなんだろうか、とか。
たとえば、道を外れて、孤独の道を歩き、どこからどう見ても。誰がどう見ても不幸せそうな人の笑顔を見た時、人はその人を不幸せだと、本当に想えるのだろうか、とか。
たとえば、幸せですか?って聞かれた時に、『自分が幸せかどうかは、死ぬ直前に人生を振り返った時にわかるものさ』と答える人は、『幸せ』の意味自体を履き違えてるんじゃないだろうか、とか。
たとえば、やっぱり、幸せなんて目に見えるものじゃないんだから、やっぱり、『自分は幸せです!』って声高に叫んでる人が、本当に幸せなんじゃないだろうか、とか。
たとえば、信念のために生き、信念のために死んでいった英雄たちは、手の届く幸せよりも、天よりも高くそびえる幸せに、手を伸ばしていたんじゃないだろうか、とか。
いやぁ、幸せも優しさも、深すぎて難しすぎて、僕の手には負えません、っていうのを実感した。
僕にとっての最北の地、最北への旅…そんな感じだったな。
優しくなるのって、簡単そうで難しい。そして、きっと…難しそうで簡単だ。
想えば去年の10月には、日本最南端の地、波照間島に立っていた。僕はなんという幸運に恵まれながら生きているんだろう。
今日は丸一日かけて、優しさと幸せについて考えていた。優しくなればなるほど、幸せになれるんじゃないかって考えていた。
たとえば、優しくしたいと想う人と一緒にいられたら幸せになれるんじゃないか、とか。
たとえば、人の幸せを自分の幸せだと想える人が、一番幸せなんじゃないか、とか。
たとえば、自分の暮らしや便利さのために、自然の摂理を歪め続ける人間に幸せになる価値があるのか、とか。
たとえば、人よりも幸せ、が幸せだと想う人の幸せって、ホントに幸せなんだろうか、とか。
たとえば、道を外れて、孤独の道を歩き、どこからどう見ても。誰がどう見ても不幸せそうな人の笑顔を見た時、人はその人を不幸せだと、本当に想えるのだろうか、とか。
たとえば、幸せですか?って聞かれた時に、『自分が幸せかどうかは、死ぬ直前に人生を振り返った時にわかるものさ』と答える人は、『幸せ』の意味自体を履き違えてるんじゃないだろうか、とか。
たとえば、やっぱり、幸せなんて目に見えるものじゃないんだから、やっぱり、『自分は幸せです!』って声高に叫んでる人が、本当に幸せなんじゃないだろうか、とか。
たとえば、信念のために生き、信念のために死んでいった英雄たちは、手の届く幸せよりも、天よりも高くそびえる幸せに、手を伸ばしていたんじゃないだろうか、とか。
いやぁ、幸せも優しさも、深すぎて難しすぎて、僕の手には負えません、っていうのを実感した。
僕にとっての最北の地、最北への旅…そんな感じだったな。
優しくなるのって、簡単そうで難しい。そして、きっと…難しそうで簡単だ。