遠い国で、戦いが起きている。内戦か、紛争か、弾圧か、革命か・・・遠い国が故、そこから響いてくるはずの痛みや嘆きや悲しみや怒りさえも、恒久的な平和を装うこの国の中にいると、絵空事のようにしか感じられないことが、少し哀しい。
願わくば・・・僕たちが残虐な弾圧や残忍な人殺しに加担していませんように。
僕たちの税金が、国益という大義を装って、人を殺す側の国家や組織に、援助とちう形でつぎ込まれていませんように。
知らないうちに人殺しの加担をさせられるなんて・・・まっぴらごめんなんだよ。
カンタ!ティモールという名の映画を観た。
東ティモールという国の話。
独立を勝ち取るまでの24年間。20万人が殺された。国民の三人に一人が残虐な方法で殺された。
人々は自由を求め、独立を求め、戦う。そして歌い、笑う。そして戦う。
東ティモールの森には精霊がいる。東ティモールの人々は精霊を信じる。精霊を守るために戦う。大地を守るために戦う。
ここでいう戦いは、武器を持った戦闘のことではない。彼らは、殺されても殺されても、殺されても殺されても、独立をあきらめることはなかった。そういう意味だ。
いい映画だ。機会があったら観て欲しい。
僕らは、大地という名の父と、大地という名の母から生まれた、大地の子供なんだ。・・・そんな映画だ。
当時、東ティモールを弾圧し続けたインドネシアに、日本という国は援助をし続けた。莫大な税金をつぎ込んでいたという。東ティモールという小さな国の悲痛な叫びには耳を傾けなかった。傾けなかっただけではなく、弾圧をする側に回っていた。
僕らは、そんなこと、全然知らなかった。僕らの税金が人を殺すために使われているなんて、夢にも思わなかった。
無知は罪なのかもしれないが、その時にそれを知る術と、知った時にそれを止める方法を、僕らは持たなければいけないのではないか。
あまりの無力さに、心は泣くが、僕らは大地の子供だから、手を繋いで歌うしかないのだろう?
アニーのライブの前日の夜更け。
僕は歌を書いた。曲はカンタ!ティモールで東ティモールの青年が歌っていた曲だ。だから、歌詞を書いた。
明日のライブで歌おうと想った。みほにコーラスを頼もう・・・そう想った。
「祈りの花」
オーマルシラ ヘイウルシラ
大地の子供だ僕たちは
オーマルシラ ヘイウルシラ
涙の雨が降り 花が咲いた
風が吹いて 時が流れた
月が綺麗だ 手を繋ごう
嵐が去って 種を蒔いて
夕陽が綺麗だ さぁ手を繋ごう
もしも僕らがすべてをなくして
自由も安らぎも愛も失って
それでも大地がここにあるならば
僕らの明日は消えはしないだろう
オーマルシラ ヘイウルシラ
大地の子供だ僕たちは
オーマルシラ ヘイウルシラ
祈りの雨が降り 花が咲いた
星降る夜に唄を歌おう
すべてを流して唄を歌おう
あなたのもとへ たどり着くまで
今を生きてく唄を歌おう
もしも僕らがすべてをなくして
友も恋人も家族も失って
それでも大地がここにあるならば
僕らの希望は消えはしないだろう
オーマルシラ ヘイウルシラ
大地の子供だ僕たちは
オーマルシラ ヘイウルシラ
願いの雨が降り 花が咲いた