佐藤愛子女史の
「93歳、なにがめでたい」(小学館)を
本屋で立ち読み。
このところ聖路加の日野原先生などの
百歳バンザイ、長生きバンザイが提唱されているなか、
こういうタイトルは珍しいな、
何が書いてあるんだろうと
ペラパラとめくってみたわけです。

「~~年を取ると、耳はよく聞こえなくなる、
(免疫機能が低下して?)体のあちこちがかゆくなる~~」
など、加齢に伴う不便さがオンパレードに、
わたくしも、最近、痒くなること増えたので、
「うん、うん」と頷いたものです。
最後は「人間、年とってものんきにしていたらナマル」
最期までいろいろやろうという結論?に。
このところ、長生きとか、「死」とかに
興味があって、いろいろ研究、読んでいます。
書家の篠田桃紅さんの「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)
サブタイトルは「人生は一人でも面白い」。

独身で通してきた彼女の人生訓。
「生まれて死ぬことは考えても始まらない」
「日々違う、生きていることに同じ繰り返しはない」
「自然の一部として生まれてきただけ、
と思えば気負いがなくなる」
などなど、素直に耳を傾けたい言葉がいっぱい。
彼女が103歳だからこそ「なるほど」
と思えるのでしょうね。
そんなとき、NHKで昨日放送していた
「あなたもなれる健康長寿・徹底解明100歳の世界」
まあ、食べ物とか栄養とかの健康の秘訣を
日野原先生や
100歳以上で元気に暮らしている方々への取材で構成。
見ごたえのある番組でしたが、
ラストに言及した「老年的超越」が気になった。
100歳を超えると「今が一番幸せ」という
ランニング・ハイならぬ老年ハイ状態になるそうです。
しかし、その「超越」に達するのは100歳を超えてから。
これはランニング・ハイが、ある程度の
「クルシイ~~い」という時間を経ないと
得られないのを同じかも?
若輩?(喜!)60歳超えのワタクシなどが
もの申すのは気が引けまするが
確かに、若いときの
「何かをせねば」「将来への不安」「自意識」
などの苦しみを考えれば、
いま現在はとても楽。
「20代リベンジきもの」
これって早くも「老年的超越」状態?
しかし、人は生に限りがあるからこそ、
自分の人生を考え、大切にしようと思うもの。
若いときには「自分、あるいは自分の人生を
大切に思うあまり」の苦しみではなかったかと、
今になって思うことであります。
息子や娘、見ていると、とね。
「第二の性」で知られるボーボワールさまの
「人はすべて死す」(岩波書店刊)は、
何世紀も生き続ける「不死」の男と
「激しい自己顕示欲」に苦しむ女優のお話。

死なないことの苦しみ
激しい自己顕示の苦しみ、
どちらもつらく、苦しそうです。
若い時に、もっと力を抜いて、
「生きている」ことだけを喜び、
楽しめないものか。
おそらく、それも難しい~~ですね。
もがいてこその今がある??
しかし、「老年的超越」=百歳まで
生ききたいとは思わないので、
今くらいの超越?で十分、
加齢も結構、楽しい、
間違って百歳超えた場合には
より高いハイが待っているかも、と
思う、まだ若輩ものの紫苑でした。
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