又吉直樹さんの「夜を乗り越える」(小学館)を
読んでみました。
書店でみつけ、
「なぜ本を読むのか」というあまりに直接的な
帯に逆にひかれた。
芥川賞を獲った「火花」も面白かったので、
これは図書館で借りて読む本ではないなと購入。
いや、もうぐいぐいと読んでしまいましたよ。
「なぜ本って読むのか」って、
小さな子供に聞かれて、
こんな風にまっすぐに、本気で応えられる
大人がどんだけいるのか。
たとえば、
「暗くてキモくて、怖い」と言われ続けた彼が
それを肯定できたのは本あればこそ。
「本には自分と同じように言われたり
考えている人がいる」と又吉さん。
実は、ワタシも暗かった。
15.16.17とワタシの人生暗かったと歌ったのは
宇多田の母藤圭子(古いね)だけど、
思春期、暗いが当たり前。
暗くないケースのほうがアブナイよ。
自慢じゃないけど、このころのワタシ
道を歩くときいつもうつむいてた。
人の顔がまともに見られなかった。
歩いているときにはたいてい
向こうがよけてくれるけど、たまに
そのままぶつかることあって、仕方なく顔あげると
電信柱だったりしたもんだ。
自転車にもよくぶつかって、
「ばかやろう、気を付けろ。むち打ち症か!」と
怒鳴られたりしたもんだ。
まっ、そんな風に暗くてそれこそ
「生きててすみません」とばかりに
太宰の本をよく読んだ。
「夏までいきていようか」→太宰ときもの・過去ブログ
そんなこんなで太宰好きの又吉さん、
どんな風に太宰を読んでいるのかの興味もあって。
どんなときにもカッコつけている!!
太宰。三鷹の自宅で。
(晩年・角川文庫より)
「~~周りの人たちの顔色を読み、答え合わせするのも
ときには必要かもしれないけど、自分が「面白い!」と
思うもの、自分だけでも信じること大事ヤン」と又吉。
これで思い出すのは、高校カーストを描いた
「桐島~~」
「好き嫌いの法則と嫌われる勇気」
この小説の最後に14歳の少女が、
仲間外れにされたくないばかりに、
自分の「好きなもの」から
だんだん離れていくプロセスを描いてます。
読んだ直後は「ふーん」と思うだけだったけど、
又吉さんのあと読むと、その怖さがクッキリ。
今は好きなものさえ好きと言えない時代なのかも??
一冊の本のおかげで、もしかしたら「死」を選んだかも
しれないつらい夜を乗り越えられることもあったと
又吉さん。
そんな一冊が~~。
中村文則さんの一連の作品。
「何もかも憂鬱な夜に」(集英社文庫)は、
死刑囚、刑務官、捨てられた子供といった
重い、暗いキーワードのオンパレード。
タイトル自体がもうクライ。
気にはなっていたけど、落ち込みそうで読めなかった。
でもページを開いてみると~~、もう止まらない。
明日刑が実行されるかもしれない死刑囚に、
一人の男がいう。
「~~何億年も前、お前はアメーバだったんだ。
そのアメーバとお前をつなぐ何億年もの線、
その線の先にお前とお前の今がある。
これは奇跡なんだ」
「~~生きて、バッハやピカソや
シェークスピアやら、この世にある素晴らしいもの、
美しいものすべてを見ろ。
それだけで生きる意味はある」と。
いや、又吉さんと同じように、
ワタクも不覚にも涙出ましたよ。
人は皆、死刑囚みたいなものと、
誰かが言ってたよね。
でも、今の時代、明るそうで実は暗いよね。
みな、電車のなかでも歩いてても
ずっとうつむいている。
戦争中か~~??
いや、チガッタ。
あれはスマホのせいか。
やはりクライ。
久しぶりに直球の
気持ちいい本を読んだ。
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