「自分が幸福でいることが他人への
一番の礼儀なのだ」
アランの「幸福論」の冒頭に記してある言葉です。
「幸福の方程式」からこの本にたどり着き。
川崎殺傷事件、51歳のひきこもり男性が
起こした事件では、つくづく
冒頭の言葉が身に沁みます。
いつからからは不明ですが、
彼が「幸福」でなかったのは確か。
「一見シアワセそうな」人を羨み、妬み~~。
自分が幸福でいることは
他人への礼儀なのだ、
礼儀以上に義務とすら思えてきます。
「まんがで読破 幸福論」(アラン作)
「自分は不幸だと思っていませんか」とあります。
「不幸」というより現代は「不満」のほうが大きい、かも。
家族や友人、身近かな人の「不機嫌」や「不幸」は
伝染します。
特に感受性の強い人は、人の感情に
振り回されてしまいがちです。
誰かの「不機嫌」「不幸」は
周りを巻き込んでいき、
周りをも不愉快、不幸にしていく~~。
身近な人の不幸は
自分自身のそれ以上に強く感じることもあります。
ちょっと深呼吸~~。
この本にはいいことがいっぱい書いてあり、
役に立つ、と思います。
さすが古典。
たとえば、
強い不幸や苦痛の前では思考はまったく
力を持たない。
いや、本当にその通りです。
そういうときに「プラス思考しろ」だの
「それでも自分は運がいいだの」
と言い聞かせても、
というか、そんな言葉、
すっかり抜け落ちてしまう。
だから、そういうときには、
身体を動かす~~。
ワタクシもかつて大きな「落ち込み」を
経験していて、子供二人抱えてどうしよう、
もうダメだと思ったことがありましたよ。
そんなとき、
きつかったけど、ひたすら身体を動かしていました。
走ったり泳ぐ気力は出なかったので、
ひたすら歩いた。
歩いて歩いて、そのうち状況は変わり
瓢箪から駒が出た!
不幸の原因の多くは「自分の影」
「自分の影」とは「自分の妄想」
「自分の想像力」です。
この先どうなるんだろうと。
自分の影におびえる馬が例に挙げられています。
そういうときには、自分の影を見ないように
馬に目隠しをしますね。
人間も同じ。
影を見つめない~~。
自分が勝手に作りだしているのだから。
川崎の犯人も、そんな未来への恐怖に
おびえていたのではないか。
誰もが「幸福」を望みながら、
それを得る方法を知らなすぎる、とアラン。
それどころか、ワタクシなど、
「幸福? 何それ?」ってまともに考えた
こともない~~。
「不幸」とか「自己憐憫」のほうが
気持ちいいってこともあります。
でも、最近は、とにかく
周りの人に幸せになってもらいたい。
こんなこと、若い頃にはぜったい
口にできなかった。
ようやく、この年になって~~。
それだけでも「心理学」やってよかった!!
感情の強い波に襲われそうになったら、
とにかくウソでも「上機嫌」のふりをする。
ウソでも、です。
気分を変えるため、外に出る。
空を眺める~~。
本当は
受験勉強やお金儲けのより
「幸福になるためのレッスン」
「幸福になるための方法」を学んだほうが
ずっと役に立つんじゃないかな。
たぶんあまり人気出ないと思うけど。
修身と間違えるよね。
その上なら、
なんのために勉強し、お金を儲けるのか、
わかるから、よりパワーも出るかなあ。
こんなことを考えてしまいます。
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