ただ湯をわかし茶をたてて
のむばかりなる事と知るべし」
日を追うごとに地震の怖さが実感として
感じられてきます。
現地にいらっしゃる方々はどんなに
不安と不自由な思いでいらっしゃることでしょう。
東大地震が起きた5年前のその日、
お茶席での出来事でした。
地震といえどもたいしたことはないでしょうと、
たかをくくって「平常心・平常心」と冗談半分に
呟きながら、先生の家を出てびっくり。
大勢の人が駅に向かって歩いています。
バスも電車も動いていないと知り、
着なれないきもので家まで歩いて帰ったものです。
このところ強い風で窓が揺れたり、
気温も暑くなったり寒くなったりの不穏な天候。
落ち着かないときには、お茶に行きます。
グレー濃淡作家もの板締め絞り小紋
これに袋帯を合わせるつもりでしたが、
なんだか重いので赤の入った更紗塩瀬。
水色の道明に
漢方染め群青色帯揚げです。
襦袢からきもの、帯に帯締め、
いつもは超特急の着付けですが、
こんなときこそ鈍行でゆっくりと
一つ一つを丁寧に。
お稽古はいつもながらギクシャクの紫苑です。
いつもながら思うことは、
いっぱいのお茶を飲むためだけにこれら
「不自然」とも思える一連の流れを追っているだけで、
音、匂い、畳の感触などなど、いつも以上に自然を
感じる不思議さ~~。
お茶から帰った日は、いつもより言葉も動きも
緩やかになっています。
それが自然になればいいのだけれど~~。
早く地震がおさまりますように~~。
つくづく普段の生活の大切さが思われます。
気が付いたら、風炉。
毎年のことながら、いつも戸惑い、いつまでも上達はなし~~。
それでもお茶の時間は無心に過ごせる貴重なひと時。
小満(しょうまん) 初侯 蚕起食桑(かいこおきてくわをくう)。
まさに、絹の月、きものの月。
万筋小紋に白い帯。
少し下に結び過ぎた。
これが後姿を年を感じさせる原因?
いや、もう実際~~。
墨蹟~~。心外無法。
心の外に法(決まり)は無し。
同じものを見ても、見る人の心のあり方によって、その対象から受け取る意味も違ってくる。
つまり、私たちの心こそがその対象の内容を決定している。
これをしてはいけないと決めるのは自分の心。
法(のり・決まり、ルール)を決めるのは心。
好かれてる、嫌われてる、ああ思われている、こうに違いないーーすべてこちらの心こそが相手の気持ちを決めてしまう~~。
「いや実際、嫌いなんですけど」と仰る方も(汗)。
あるいは、こうしなければいけない、こうすればいいー法を決めるのは自分の心。
心の外には法はなし。
うーん、なんか、きものにも通じる?と思うのも自分の心。
心に留め置くだけでもいいと思い、また下手なお茶を点てる。
膨れおりに季節の花が控えめに咲いた帯
浅葱と白の道明。
若草色帯揚げ。
新緑の季節。もうすぐ梅雨~~。
気持ちのいい季節はすぐに過ぎる。
暑かった~~。
同じきもの
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3月は利休忌。お茶もいつものお稽古とはお呼ばれ、他流試合でした。
先日まで蕾だった桜が次の日には開花。
温かくなりました。
紫や山吹、青、ピーコックグリーンなどの桜模様がちりばめられています。
「青ざめた桜」とネーミングしています。
これも初期に購入、一度着用したものの、あまり華やかで気恥ずかしくて箪笥の奥に。
それをひっぱりだしての着用です。
年を取ると逆に華やかさもちょうどよくなることがあるようです。
帯は緑の花織り。
クリスマスに使おうと思いながら、いつも時期を逸していました。
帯は白の相良刺繍かベージュを考えていたのですが、白はフォーマル過ぎて、ベージュはおとなしすぎて、この帯をチョイス。
強い日差しにも負けない強さが出たように思います。
帯揚げに色を使ってピンクの桜の絞り。
帯締めはクリーム色の道明。
襦袢はピンク。
墨蹟は「守りつくして破るとも、離るるとても、本(もと)を忘るな」
利休の名言のひとつだそうで、
「その道の基本を徹底して学び、次に自分の色を出し、最後に師匠とは別の自分の世界を作る。しかし基本は忘れてはいけない」
どんな道にも通じることばですが、「師から離るる」、自分の色を出すのが一番難しいように思います。
墨蹟が好き。
お茶席は大切な心を集中させる場所。
外の世界のことすべてを頭から追い出します。
利休が最期に目にした花は菜の花だそうです。
お茶席にも菜の花が。
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お茶に行きました。
京都の町屋。こういう家に住みたい~~。
先に着用した紅花紬、コーディに失敗して全く似合わなかったので、「こういう色って似合わないのかな」と心配になってリベンジしてみました。
迷いの日は曇天、写真的には曇天のほうがきれいに写るんですよね。
で、今回は室内撮影。
右は前の写真(なぜか後ろ姿からも似合っていないのがわかる)
右横からの光は後光、ではもちろんなくて、老化の光がガラスを通して縞になっています。いいお天気でしたが、試しにやってみました。
帯・緑の型染め。
帯揚げ。濃い緑と白の絞り。
帯締め・薄い橙、緑・ベージュの染めわけ道明。
光がいいせいか、パーソナルカラーNGではなく、似合っています
紅花の色は薄い橙に白緑。
前のコーディと同じ緑の帯ですが、着方がきれいなせいなのか、似合っている、と感じられるのです。
だからね、パーソナルカラーって、着方やその日の天候によって微妙に変わるんだってば。
色はホント、生き物なんですね。
運命の色だって、天候や着付け!、配色によってNGになったり、NGカラーが「今日は似合わせてあげる」なんて囁いたり~~、気難しいんだから。
でも、得した得した。
あんまり似合わなければ、もったいないけど破棄、と思っていたから。
今度はほかの色で試してみます。
もうすぐ利休忌。
利休が秀吉に命により自害した日は、2月28日。旧暦では3月に行うそうです。
※ 先の「時間を味方にする~」では「釈迦に説法」を「馬の耳に念仏」と書いてしまいました。
済みません。にもかかわらず応援ポチありがとうございました。
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お茶に行きました。
平日にあるため、洋服で行くことも多いのですが、その日はあとに何もなくてきものを着用。
やはりきものを着てのお稽古は、気持ちの張りが違います。
着用したのは、クリーム系の梅小紋に花織の袋帯。
帯揚げは若草色
帯締めは若草&橙&ベージュの染め分け道明。
薄いクリーム色は梅に魅かれてフリマでゲットしたものの、あまり似合わない、はず。
なのに、今回は自然な感じです。
着付けがうまくなると、なぜかパーソナルカラーの幅まで広がる不思議。
全通花織、袋帯なので、締めにくいのですが、頑張って締めました。
花織帯はオークションでゲットしたものの、色がイメージと違うなあと思っていたものの、いまになると結構いいお品だと満足。
こういう正当も、心落ち着きます。
お稽古の時間は、作法に集中して心を鎮めるためのもの。
こういう静かな、というか目にうるさくないコーディがぴったりなのですね。
静かなコーディも好きになってきた紫苑です。
というか、いろいろバラエティあったほうが楽しいなあ~~。
先の「老けないポイント」じゃないけど、この小紋だって帯をかえてキュートにも着こなせるわけでしょ。
きものって応用きくのよね。
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このところ娘のお気に入り、歌うというより声を張り上げているのは、
「ありのままの自分になるの~~、私は自由よ~~、少しも寒くないわ~♪」(アナと雪の女王、ありのままで」
そのあと、すかさず母は続けます~~
「そうよ、暑いくらいよ~~」、「暑すぎるくらいよ~~」
「少しも寒くないわ~~」(娘)
「そうよ、暑いくらいよ~~」(母)
と、歌にあふれた(?)わが家、一見いかにも仲良さげではありますが~~。
喧嘩する気力もないくらいな暑さのなか、「心頭滅却すれば、火もまた涼し」というわけで、きっちり絽の小紋を着て、お茶のお稽古に行ってきました。
ただし、さすがに暑く、車を使用。
お茶のときには、仕事や用事と重なることが多く、着物着用はなかなかできないのですが、今回は気持ちを引き締めるため、しっかり着用。
きちんと紐を締めて、きちんと襟合わせもしてと、丁寧に着ると、これがまた気持ちいい~~。
と思ったのもつかの間、外に出るや否や、照つける日差し~~。
車までの道のりさえ遠く思える。
しかし、これもわずかのあいだと我慢して、美味しいお菓子と抹茶をいただけば、生き返るような気持ちです。
そう、わたくしは作法より、美味しい和菓子と抹茶をいただくためにお稽古に通っているのです。
それでも、茶杓の銘を考えるのは楽しい。
「蝉しぐれ」にしようか、「空蝉」にしようか。
あまり凝ったものにせず、わかりやすいものを考えます。
帯の垂れにシワが寄っていますが~~。
黒地に鴇色や白のドットが散らばった小紋。
初期に購入したものの、夏に小紋などちゃんと着られるはずもなく、箪笥の肥やしと化していました。
鴇色の紗献上の夏帯。
それに珊瑚色・絽の帯揚げ。
ブルーに少しピンクの入った
夏用の帯締め。
それでも、やはりたまにきちんと順を追ってきものを着ると、気持ちだけはシャン。
樹木の緑は、強い太陽にも負けず、美しい。
暑いときは、逆にいろんなこときちんとやったほうが暑さ負けしないかも。
お茶用の着物、着付けが下手で苦手だったのですが、ようやく少しは着られるようになって、お茶のお稽古もまた楽しくなってきました。
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久しぶりにお茶の席に行きました。
昨年の秋ごろから膝を痛めていて、正座ができなくてお休みしたり、洋服で行ったり、お稽古はしないでお茶だけいただいたりしていました。
久しぶりに、ゆっくりしたくて、お稽古というより、先生やお茶仲間の顔を見て、お茶とお菓子をいただいてきました。
もう一つの目論見は、初めて自分で結った束髪風ヘアを見てもらいたかったのです。
外に出るには少し勇気がいるような気がして~~、でも気心の知れた先生なら、率直な意見聞かせてもらえるかなあと思いました。
帰ってからの写したので、ヘア乱れています。セピアで(汗)
帰ってから、乱れたところに簪をさしました。
お茶席では簪挿せないので、その分ボロ隠しできません。
今回は、後ろにもすき毛をいれました。
その際、おなじみの「きもの美人になるヘアスタイル」(アシェット婦人画報社)での、琉球風ヘアを参考にしました。
丁寧な説明なので、意外に簡単にできました。
後ろのヘアを二つのパートに分けて、一つずつ丁寧に上にあげていきます。
この方法だと、一度にあげるより髪の乱れも少ないです。
前の膨らましは、前髪の後ろに、Uピンを挿しくぼみを作る、とあります。
こうすると、前髪の膨らみが安定するようです。
前からは、こんな感じ。
帰ってからの写しで少し疲れが~(ええ、ええ、いつものことですが)
写真だといつものようにあまり膨らんで見えませんが、結構膨らんでいます。
帯締めなど一本になっていないですね。
漢方染め、作家もの色無地です。
漢方なんて、ものすごく体に良さそうですね。
このきもの、光によって、表情がいろいろ変わります。
名物裂名古屋帯です。
浅葱色の道明帯締め。
ブルーグレーの帯揚げ。
お茶仲間は、久しぶりだったせいか「まあ、違う人みたい」
実は違う人なんです(笑)
それはともかく出かけるときには、もう少しスプレーで固めたようがいいかもしれません。
少し前までは、髪にスプレーするのは嫌いでしたが、乱れないようにするにはやはりスプレーで固めるのが安全です。
というわけで、一度お出かけしたので、このヘアでお出かけできるかもしれません。
今年は、もう少し柔らかものを着る回数を増やしたいと思っています。
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忙しくて落ち着かない日々が続いています。
そんなときにはお茶席が一番、と午前中お茶に行きました。
その帰り、お茶仲間と映画「利休にたずねよ」を観てきました。
原作「利休にたずねよ」(山本兼一・PHP文庫 )
映画素晴らしかったです。
セリフも少なく、流れるような所作も、またどの画面を切り取っても美しく、もう筋を追うより、一画面一画面に見惚れているうちに、利休は切腹してしまって~~。
どんな状態に置かれても「平常心」「平常心」のお茶の心は、ラスト近く、利休が切腹した後始末をする妻宋恩(中谷美紀)の、一糸も乱れぬ所作に現れています。
美しい中谷さま~。
「わたしが額(ぬか)づくのは美しいものだけでございます」と言って死んでいった利休。
利休の「利」とは「スルドイ刃物」のことですが、その「鋭さを休める」という名前とは裏腹に、どんどんスルドクなっていく利休。
その結果、秀吉をはじめ周囲との確執が強くなり、切腹を申しつけられる~。
海老蔵、適役だと思います。
もちろん妻の中谷美紀さんも役にぴったり。
そして、若い時に利休が愛して、一生忘れえぬ女性となった高麗の女性はクララという韓国女優。
ことばが通じないがゆえに想いは深まるものでございますね。
最近の女性はしゃべり過ぎるかも~~、いえ、私とて例外ではございません。
彼女もぴったり。
「竹の節という醜いものを美に変えてしまう」という利休の美の革命。
これってシャネルと似ていますね。
それまでは美から遠かったものを美に転換してしまう。
「わたくしが美しいと思うものだけが美なのでございます」
こんなこと言ってみたいと思うけど、考えてみれば、それって当たり前ですよね。
多くの人が認めるかどうかはまた別にして~~。
というわけで、久しぶりの「利休」ならぬ「お茶コーディ」でございます。
鴇色附下に鹿の模様の有栖川の帯
鹿をクリスマスにちなんで。
ピンク絞りの帯揚げ。
衣食住から所作、朝から晩まで気を抜けなくて利休家、大変だなと思いましたが、私は私なりの美を~~。
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とても素敵なお庭を作っている方が、
「お庭作りと茶道は無心になれるところが好きです」と仰っていました。
「無心」っていいですよね。自分が透明になったような気が、確かにします。
と書きながら、「無心」ってどんな意味だろうと気になりました。
「無心」とは「無邪気なこと」「いっさいの妄念を離れた心」とあります。
私の場合「親に無心する」の「無心」かもしれません
「無心したいときに親はなし」
初釜でした。
この着物、漢方染めといいます。
初おろしです。きものだけ見ると、とても地味に思えたので、なかなか着る気になれなかったのです。
最初考えていたのはこちら。
しっくりこないので「少し地味そうだけど、まあお茶だし」と思って着用すると、天気のせいか明るい鴇色という、いい感じです。
光によっていろんな色に変わります。
オレンジの混ざった茶、にも
帯・名物裂間道袋帯
帯揚げ・オレンジと緑
帯締め・山吹とベージュの竹編み(っていうんだって)
やはりきものは実際に着てみないと、色も似合うかどうかもわかりません。生きているんですね
禅にも通じる「無心」ということば~~。
先に挙げた「利休の風景」(山本兼一著・淡交社)のなかに、無心に通じる素敵なことばを見つけました。
利休が禅に取り組んで学んだことは、
「常になにごとも本気であること、ではなかろうか」
うーん、いいですよね。
「無心」って、自分の心を目の前のことに移して」、夢中で取り組むことかもしれません。
なにごとも本気、着物にも本気
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