閃き

変化も気付く事も無い平凡な毎日の中にきっと閃きがあるはず。閃きを求めた記憶

付かず離れず

2018-12-18 07:48:15 | 閃き
最近同居を始めた三女夫婦と夜遅くに食事をしていた時の会話である

臨月になった三女のお腹は、はち切れんばかりの風船のようになっていて素直に産まれてくれれば良いがと心配する程である

4人の子供たちが戦争のように食事をしていた数時間前とは違ってゆっくり食事ができるこの時間は、爺婆の時間であるが、帰宅が遅い三女夫婦も時折同じになる

慌ただしく食事をした後は直ぐに寝させねばならないのでテーブルの上は十分に片付いていないから、時々色んなハプニングが起きる

昨夜も空になっていると思ったヤクルトの容器に残っていたのがテーブルに置いてあった三女のスマホの上に零れてしまった

臨月であるという精神的な不安定さもあって「早くこの家を出たい」と不満を口にした

私もそれは理解しているが、三女夫婦もそれを承知して同居を始めたのでお互い様という気持ちで暮らさないといけない

つい口を滑らせて「付かず離れずが出来なければ出産後は付かず離れるだな」と言ってしまった

娘も「どうせ私は嫁に行った身だから」と切り返したので、無言で自室に引きこもった


同居をすると人が沢山居るだけの苦労が伴うが、それだけの喜びもある

最近はそれを嫌って別居して静かに暮らす事を選択する方もいるが、私はそうは思わない

一緒に暮らすから家族でも気を遣い合い互いを思い遣る環境ができるのであって、そこから逃げることはその環境から逃げることになる

この距離感を養う事が社会で役立つのである


「修身斉家治国平天下」という言葉通り、自分を修めれば家庭も斉(ととのう)い、それにより国が治まり平和な世ができるから、先ずは修身と斉家を目指すべきだと思う

子育ての大変さも、爺婆との距離が遠のくほど増してくるから、少子化対策は爺婆にあると言っても過言ではない

肝心の爺婆は老々介護でそれどころではないという方もいるだろうが、すべてではない筈である

嫁に行っていても付かず離れずの距離感を保つ事が、安心感と個の両立の要である
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