義兄が脳梗塞になり久しい
私よりも1、2年前だったと記憶している
彼は以後、失語症で悩んでいる
右側が不自由となり好きなギターが弾けなくなった
言葉が出ないので歌えなくなった
彼から言葉とギターを奪った病気による試練は今も彼を苦しめている
義兄は失語日記を綴ったブログを始めた
言えなかった事も文字なら自由に表現できる
文章は彼の気持ちを表していた
言葉から文字に替えると簡単にいうが実に難しい
彼の文中に、世の中のせっかちな人の多さについて触れてる部分があるが、失語症でなければそう気付かない事だ
人間の終末にまで神様は何を諭すためにそんな試練を与えるのか
それとも今まで積み重ねてきた罪の罰を背負わそうとしているのか
産まれてきた子は動けずに親の手を借りないと生きて行けない
段々と自由に行動できるようになるが、やがて行動が狭まり動けなくなり、再び手を借りないと生きて行けなくなる
言葉も同じなのだろうか
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