カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

台風が通過していった

2022-09-19 10:48:50 | 熊本地震

 台風14号は現在関門海峡を越えたあたりにあるようだ。

 明け方から風の方向が変わって、西寄りの風になった。

 昨夜は雨戸のガタガタ音で、時々目が覚めた。

 

 (10時頃の西の空)

 台風の目の中に入ったような風の弱い時期が過ぎると、逆方法からの西風が強くなった。

 南から東にかけては九州脊梁山系、北は背振や耳納山系に遮られて風は弱くなる。

 西も島原半島や金峰山系で比較的風は弱められるが、唯一有明海の天草方向が開けていて、この方向の吹き返しが強くなる。

 

 (10時頃の北の空)

 概ね台風の中心がある方向の空は、まだ黒い雲に覆われたままである。

 庭の状況を窺うと、どうやら持ち堪えた様子である。

 

 (花壇兼菜園)

 花とゴーヤの蔓などが密生して、お互いに支え合っていたようだ。

 倒れているものもあるが、修復は可能のようだ。

 ゴーヤも時期は過ぎていて、この台風が過ぎるまで撤収を引き延ばしていた。

 風で落ちたのか、地上には熟した黄色いゴーヤの実からから真っ赤な種が飛び出していた。

 

 (ヘチマの蔓)

 かなり悲惨な状況にあるが、どうにか持ち堪えていた。

 

 (風に揺れるヘチマ)

 細い蔓でネットや車庫それに槙の木などに絡みついて、重たそうな実を風に揺らせていた。

 つごう7個のヘチマは無事な様子。

 今回の台風はほぼ直撃で真上を通過したが、このコースは我が家的には山系に守られる形になり易い。

 九州に住んでいるからには、台風の襲来は覚悟しているが、北上のコースと東への方向変換点は注視している。

 北上のコースと方向転換の位置が、暴風の影響を決定する。

 また近年は、線状降水帯の発生による豪雨災害が深刻である。

 いずれにしても、最近の台風は強烈になってきている印象がある。

 災害は忘れた頃ではなくて、記憶の上書き修正を常に求めてくるようになった。

 「危機管理想定外は威張れない」・・・しろ猫

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お盆とゴーヤの佃煮のお話

2022-07-15 12:52:20 | 熊本地震

 気象台は九州北部・南部に線状降水帯が発生する恐れがあると発表した。

 天気予報は午前中降雨確率は40%で午後から70%となっていた。

 雨の降らないうちにと歩きに出た。

 万が一に備えて折り畳み傘を携行。

 

 (小さな蓮池)

 秋津川沿いに小さな蓮池があるが、沢山の花を咲かせていた。

 

 (蓮の花)

 蓮の花は、やはりお盆によく似合う。

 当地では新暦のお盆と月遅れのお盆が半々で、我が家は実家の習い通り新暦の今日。

 カメラを向けようとしたら、雨がポツリポツリと・・。

 遠くまで行かないうちに引き返すことにした。

 帰ったら相方が何やら台所でフライパンで作業中。

 

 (ゴーヤの佃煮)

 ゴーヤを薄く切ったものに、チリメンジャコ、鰹節などを加えて作る佃煮。

 ゴーヤが沢山採れた際には、保存も効くというので相方の必殺技である。

 早速昼食に試食をしたが、なかなか旨かった。

 ホンノリ苦みも有って、いわゆる大人の味。

 

 (生前のゴーヤ)

 フェンスの直ぐ横にぶら下がっていたので、通る人が時々覗き込んでいた。

 今朝覗きに来たご婦人は、収穫されて無くなっているのでちょっと肩すかしを食わされた表情だった。

 肩すかしの犯人は相方で、戦利品は以下のとおり。

 

 (ゴーヤとミニトマト&ブルーベリー)

 あだ花ばかりで、馬鹿にしていたゴーヤがここに来て次々と実をつけはじめた。

 

 (ゴーヤの味噌炒め)

 先日作った味噌炒めも旨かったが、保存に難があった。

 少しの収穫で、貴重品のように食べていたゴーヤも段々収穫の間隔が狭まり野菜庫に増え始めた。

 一昨年だったか、沢山のゴーヤをカットした状態で冷凍保存して1年中食べさせられて往生したことがある。

 ゴーヤもまだ若くて柔らかい時期に、さっさと食べるのがベスト。

 今年も採れすぎに心配していたら、なんと今年は佃煮で逃げ切る計画だという。

 なるほど、これなら先行逃げ切りも可能かも知れない。

 「台所句材も切って味をつけ」・・・しろ猫

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去年より少し前進!

2022-07-07 09:54:33 | 熊本地震
 
不思議な場所のお供え物

 コイン精米に出かけた時のことである。 ちなみに玄米10Kgまでなら100円でOKである。 米も搗きたては、新米並みに美味しいので10Kgずつ毎回コイン精米へ。 ......
 

 一年前のブログに、コイン精米機の横のお地蔵さんへの供え物のことや、境界ブロックの上のお米の事をUPしている。

 あれから1年が過ぎ、周りの様相も随分変わった。

 コイン精米は撤去され、一帯は整地されて複数の店で構成された賑わい拠点が出来つつある。

 

 (復興賑わい拠点:BOX PARK)

 鋼製のボックスを組み合わせたような商業施設が出来た。

 我が町は地震による被災地の、区画整理や道路拡張に伴う移転や再建など、既存の商業の為のインフラ整備が進行中。

 そのため営業できない商店等のため、売り場や憩いの場を提供しようと建設された。

 まだ、100%の状態で営業は出来ていないが、可能な店から営業を開始している。

 そう言う事情で、境界ブロックの左側の地蔵さんは残ったが、右側のコイン精米機は無くなった。

 家から一番近い便利な精米機を求めて、ウロウロする1年間だったがついに精米機が帰ってきた。

 このBOXPARKなる施設の一角にコイン精米機を発見したのだ。

 誠に喜ばしい限り。

 昨日は、JAの野菜の「採れ立て市場」の帰りに、相方が小さなパン屋さんが開店しているのを発見。

 

 (新装のパン屋さん)

 さっそく立ち寄って、パンを購入した。

 我が家には珍しく、昼飯がパンになってしまった。

 JAの「採れ立て市場」のレジにもいた体験学習の中学生がパン屋にも居た。

 その後訪れた図書館にも居たので、彼方こちらに分散しての体験学習だったのだろう。

 町の構造を変えてしまうような区画整理や、道路拡張工事で仮設住宅住まいを続けざるを得ない人。

 どういう形にしろ、取り敢えず営業を続けたい商業に携わる人。

 さまざまな人達の、さまざまなニーズに応えながらの復旧・復興は、それなりに時間が掛かる。

 ただ前に進みつつあることは確かなようだ。

 私にとっては、コイン精米機が帰って来てくれてとても嬉しい。

 「あれやこれ四季にうつろう風の色」・・・しろ猫

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産山の扇田で牛とクララの物語

2022-05-17 15:18:19 | 熊本地震

 今日は五月晴れの良い天気。

 かねて予定していた阿蘇の「産山の扇田」と「波野のスズラン」を見に出掛けた。

 ただ、こうした状況下ではやたらとカメラのシャッターの回数が増える。

 似たようなショットは努めて消去することにした。

 そして、扇田とスズランは分けてアップすることにした。

 先ずは、阿蘇の瀬の本高原の東側に位置する産山村の「扇田」から。

 

 モウ~よく来たなあ、と牛が歓迎してくれた。

 ただ、ここの山道コースは何度訪れても道を間違う。

 今回もご多分に漏れず間違えた。

 山と沢を一本間違えると、かなり淋しいことになる。

 

 (産山村の扇田)

 田植えは既に終わっているが、山の上から撮影しているし苗が小さいので殆ど見えない。

 苗が見えるように撮すと棚田の意味がなくなる。

 前方に霞む山並みは、宮崎県の祖母・傾山系。

 豊富な湧水に恵まれているが、水は九州の分水嶺を越えているので大分県側に流れている。

 産山(うぶやま)と呼ぶ如く山並みばかりの地域である。

 

 (クララと牛と扇田)

 野焼きをされた後には、「クララ」の新芽が顔を出す。

 牛はこのクララは避けて食べない。

 ところが、「オオルリシジミ(チョウ目シジミチョウ科)」という綺麗な蝶の幼虫の大好物。

 オオルリシジミは、絶滅危惧1B類指定希少野生動植物で、阿蘇の原野と長野県の一部にしか棲息しない。

 クララの花に産み付けられた卵は、幼虫になりクララを食べて成虫になる。

 

 (のんびり休憩中の放牧牛)

 豊かな草原は1000年以上に亘る、野焼きのたまものでクララもいち早く芽を出す。

 牛は目の前のクララを食べない。

 で、アルプスの少女並に、「立った立ったクララが立った」というわけで、蝶が喜ぶシステムが成立。

 まったく、持続可能な社会のサンプルみたいな話。

 この草原で、弁当を食べて態勢を整え次の目的地「波野のスズラン」自生地へGO。

 

 (JR豊肥本線:波野駅)

 もう、とっくの昔に無人駅となっている。

 この駅の近くに「蕎麦畑」があって、花の時期には出掛けたこともある。

 

 (波野の表札)

 九州で一番高いところにある高原の駅とは、表札を見て知った。

 日本一とか九州一とか、とかく〇〇一に私は弱いのだ。

 扇田があった「産山」が山が生まれる里なら、ここ「波野」は原野が波のように広がる所。

 さてさて、古い記憶と標識を頼りにスズランの自生地へGO。

 という手筈なのだが、本日これまで。

 続きはまた、明日のこころだあ~。

 「幸せが手のひらサイズ食べやすい」・・・しろ猫 

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句会その他で暑い午後

2022-05-08 22:00:06 | 熊本地震

 今日はけっこう気ぜわしかった。

 定例の5月句会~ロアッソVs琉球のVTR観戦~鎌倉殿の13人~ウオーキングと盛り沢山。

 先ずは句会から・・。

 

 (花博:サクラマチ会場)

 

 お日様カンカン暑いの暑いの、花と緑の博覧会(桜町会場)をチラッと見る。

 なにしろこの会場の下が地下駐車場なので、いやでも会場を見ることになる。

 花は次々と替えられてなかなか綺麗。

 

 (清正公)

 花を飾られて、清正公も日頃と勝手が違うとオロオロ。

 回りに立てられた竹の筒は、夜間に灯りが入るとちょっと幻想的。

 

 (長堀沿いの灯り)

 灯りを点す竹や、竹製のぼんぼりのような物が沢山お堀に下げられていた。

 夜はよるの楽しみがあるのだろう。

 さて句会は当番で、もう一人の女性と句を集めたりホワイトボードに書き出したり、句会の進行を担当。

 作品の方はまあまあの出来といったところ。

 没句だけ掲載しよう。

 「行き着いた趣味の究めの石磨き」・・・しろ猫

 「喜びも悲哀も乗せた車椅子」・・・しろ猫

 まあまあ、没は仕方の無い句ではある。

 夕方帰宅して、食事をしながら「鎌倉殿の・・」を見る。

 本腰を入れて、ロアッソの試合のVTRを見たところでズッコケた。

 0:2で負けてしまった。

 気分直しに反射材を装着してウオーキング。

 早めに切り上げて、ブログ更新。

 何だか、最後の〆がイマイチな今日の一日。

 それにしても暑い、現在私の室内で27度。

 「人生はドラマでいつも道化役」・・・しろ猫

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風化はさせない熊本地震

2022-04-14 14:45:03 | 熊本地震

 熊本地震か6年が過ぎようとしている。

 昨夜は少し雨が降ったようで、西側の駐車場にも水溜まりが見えた。

 借用していた図書館の本を返しに、町の交流情報センターへ向かう。

 

 (霞んでしまっている里山)

 直ぐ近くの里山も霞んでしまっている。

 地震から6年が過ぎた我が町を象徴するような空模様。

 交流情報センターの玄関から入ったら、ラウンジに小さな献花台が設けられ黒い服の係りの男女や、報道機関とおぼしきテレビカメラや記者の姿が・・。

 取りあえず黙礼をして、図書館へ・・。

 本を返し、次に借りる本を時間をかけて探す。

 出てきた時はカメラの数も少し減っていた。

 別の部屋で催し物があるらしく、そちらに向かったようだ。

 地震以来、いろいろなインタビューを受けたが、出来れば避けたい人達になってしまった。

 

 (総合陸上競技場と情報交流センター・総合体育館など)

 あの当時の事を考えながら、ぐるりと一周してみた。

 向こうの体育館などの建物も避難所となり、このグラウンドも駐車場もすべて車中泊のため使用された。

 この他の公園も、スーパーなどの駐車場も避難所となり車中泊の会場となった。

 私も、震度7の前震では自宅で生活したが、流石に本震では玄関に「危険立ち入り禁止」の赤札を貼られて車中泊となった。

 

 (本震後の我が家の前の道路)

 

 (本震後の庭)

 境界に植えていたツツジは、隣家の瓦とブロックの崩壊で見えなくなってしまった。

 

 (再建された南側隣家と東側隣家)

 瓦やブロックを撤去したあと、1~2年後にはツツジも伸び始め今は元の姿に戻った。

 

 (元に戻った庭のツツジ)

 地震直後に歩いて撮した写真は多い。

 

 

 

 

 (倒壊家屋や擁壁などの倒壊で交通はままならなかった)

 昨日、あの当時の現場のうち二三箇所を同じ角度から撮してみた。

 

 (上の写真の今の状況)

 この辺りの家屋はほぼ全て全壊し、更地になったあと立て替えが進んでいる。

 道路は拡張工事中である。

 

 (キャンピングカーがかわいそうだった被災直後)

 

 (上の写真の再建後)

 南側道路が4車線化の工事が行われるため、元の位置よりかなり北側にさがって再建された。

 ただ、一番被害の大きかったこの地域の復興はまだまだ先になりそう。

 

 (町営の災害復興住宅)

 町の数カ所に、地域のコミュニティーを単位として建設されている。

 復興住宅については、ほぼ計画通り終了している。

 

 (町役場の臨時仮設庁舎)

 役場は町の外れの畑の中に、土地を借り上げプレハブの仮設庁舎となった。

 役場は、元の場所に昨年度から再建工事が始まった。

 完成はあと2年後くらい・・。

 

 (仮設住宅)

 町内に数カ所あった仮設住宅も、区画整理などの進捗により自宅再建等が進み縮小集約された。

 我が町と隣の村の2箇所になったが、隣村は8月迄に閉所となる予定なので、我が町だけになる。

 町の中心部の区画整理や、幹線道路の4車線化の工事によって、自宅の再建に待ったをかけられた人も多い。

 震災後6年を経過したが、震災後10年を経過しても仮設住宅がなくなる状況にはない。

 災害の風化が言われるところだが、地震であれ水害その他の災害であれ、当該地域では風化はない。

 もし有るとするなら、対岸の火事と油断した人や、日替わりメニュー式に関心の変わるマスコミ報道の風化くらいだろう。

 ささやかでも、現地の状況は時々UPしたいと思う今日この頃である。

 「車中泊やさしく照らす十三夜」・・・しろ猫

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熊本地震・前震の少し前

2022-04-13 15:17:15 | 熊本地震

 6年前の今日、夜中の9時半前に当地で震度7の地震(前震)があった。

 相方は、隣県に住む長女のお産の手伝いで3月末頃から出掛けていて留守。

  ブログの方も、当日はまだノンビリした内容をUPしている。

 花が咲いたとか、若葉の緑が綺麗だとか・・。

 まったく、今日の今と同じ状況である。

 さて、今の状況は・・。 

 

 (満開の君子蘭)

 地震の後は、靴箱の上の定位置から靴箱と共に玄関に転げ落ちた。

 

 (満開のニワセキショウ)

 地震の頃は、この場所は菊とチューリップの定位置だったが、全てこの花に駆逐されてしまった。

 

 (ツツジ)

 前震の時は、この状態だったが本震では隣家から崩落してきた瓦の下に埋もれてしまった。

 

 (若葉のモミジ)

 ここまでが、地震前からあった草木で、これ以降は地震後に植えたもの。

 

 (ボサクランボ)

 

 (満開のブルーベリー)

 一部草木の入れ替わりはあったものの、基本的には同じように芽吹き、同じように花が咲いている。

 夜の震度7の前震では、食器棚が倒れ本棚の本が散乱した他は、さほどの被害は無かった。

 停電も無く、電話は通じるしテレビも地震の情報を伝え続けていた。

 翌朝テレビのニュース番組の電話インタビューを受け、気丈なふりをして応答などしたものだった。

 ただ、余震が予想される状況であったので、電子レンジ・電気釜その他あらゆるものを床の上に水平展開して置いた。

 テレビやパソコンの前には布団や座布団を置いていた。

 結果的に本震では、テレビもPCも家具も予定通りクッションの上に倒れ込み被害は一つも無かった。

 が、しかし、停電や一ヶ月以上の断水・車中泊・家の補修等は、この後の生活の様相を一変させた。

 二度の震度7というが、最初の前震の震度7で我が町の震度計は壊れてしまい、二度目の本震は隣の熊本市の震度を参考にしている。

 個人的には、二度目の方が圧倒的に揺れが激しく、もし震度8というものがあるのなら前震と本震の差はそのくらいは有った。

 しかし、まあとにかく、6年前の今の時点では前震という言葉さえ知らず、後は余震に供えようというくらいの気分だった。

 今日のウオーキングは、久々に街中コースを当時に思いを馳せながら歩いてみた。

 その心は、本震の後の事とてまた明日のこころだァ~。

 「時々は家間違える震災後」・・・しろ猫

 震災後1ヶ月くらい後に詠んだ、思いでの句。

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去年と違う今年の春

2022-03-03 16:00:47 | 熊本地震
 
いきなり初夏が

 今日はとても暖かい、と言うより暑い。 室内でも暖房なしで25度だったから、歩いたら汗が出た。 陽気に誘われて、庭でもいろいろな花が咲きはじめた。  (さくらんぼ)......
 

  去年のブログ配信サービスをみると、季節の移り変わりの違いが如実に分る。

 サクランボが満開になっただの、庭梅が満開だのととにかく去年の方が圧倒的に早い。

 今日は、室温は暖房なしで19度あって、暖かくなったと喜んでいるが、去年は何と25度の夏日で暑いなどと言っていた。

 庭の花も、冬から咲き続けているパンジーなどや、イチゴの花が2~3輪咲いている他は花がない。

 今日も田んぼの畦を目を皿のようにして、ツクシを探したが見つからなかった。

 

 (体力増強中の鴨)

 鴨もまだ河原の土手で餌をあさったり、集団でバタバタと飛び上がっては隊列の組み方の訓練飛行を繰り返している。

 ウクライナ情勢など、北帰行には関係なさそうだが、なんだが帰りをグズグズしている。

 

 (畦の彼岸花の葉っぱと菜の花)

 ツクシが集団で出る場所があって、集中して探すがまだ顔を出さない。

 

 (オオイヌノフグリ)

 ただ、オオイヌノフグリなどは花の数が圧倒的に増えてきた。

 去年など、この花にあわせてレンゲが咲いていたとかスミレを見つけた等と書いているから、庭に限らず野の花も遅いのだ。

 やっと人に慣れて、バタバタと逃げたりしなくなった鳥が帰って行くのは寂しいが、花はあまり遅れて欲しくない。

 明日は車の点検もあるし、上江津湖の芭蕉園付近でも歩いてツクシを探してみよう。

 「春彼岸今は葉のみの曼珠沙華」・・・しろ猫

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災害の賞味期限

2022-02-18 15:34:19 | 熊本地震

 昨日は地上に断層が表出した震災遺構の場所を歩いたが、この他にも断層沿いには何カ所かある。

 ただ震災遺構のある地域は、どこも長閑な風景が広がっている。

 

 (堂園地区)

 クランク状に畦が曲がった断層は前方の田んぼの続きだが、見渡せば梅の花の咲くノンビリした風景が広がっている。

 前方の山の麓沿いに布田川断層は続いている。

 この辺りは地震直後は、各研究機関がボーリング調査などを頻繁に行った場所。

 

 (杉堂地区)

 山懐に抱かれたような集落があって、その最深部に潮井神社がある。

 神社に至る道路脇には芝桜の花が沢山咲いていた。

 地域の人達が、手入れをしているのだろう。

 

 (潮井神社の下の池)

 もっと沢山の湧水があって、池も深かったのだが地震の後水脈が絶たれて一時干上がってしまった。

 半年後くらいから水が湧くようになったが、元の状態よりかなり水量は少ない。

 時期的に水量の少ない時なのかも知れない。

 

 (布田川)

 神社の脇を流れていて、この上流は阿蘇の西原村に続いている。

 

 (徳富蘇峰の生家)

 明治・大正・昭和の言論人として活躍した徳富蘇峰は、母久子の生家(矢嶋家)で、生まれている。

 徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟の母親の実家である矢嶋家は、母を含めた四姉妹の生き方が異彩を放っている。

 いまも熊本の四賢婦人として顕彰され、記念館は地震で被災したため潮井神社の手前の広場に再建されている。

 山懐に抱かれたような長閑な集落にも、道路の復旧や新築の家々の建設の槌音が響く。

 それがなかったら、5年前の地震は嘘のように思えてしまう。

 本当の静けさは、もう少し後のことになりそうだ。

 「災害の賞味期限は直ぐ切れる」・・・しろ猫

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熊本地震あの時と今

2021-04-15 16:44:30 | 熊本地震

 熊本地震から、ちょうど5年が経過した。

 昨日(4月14日)の午後9時過ぎに「前震(震度7)」があって、明日(4月16日)と言っても今夜の続きの午前1時過ぎに「本震(震度7)」に襲われた。

 孫が誕生し、九州新幹線の開業セレモニーが行われる予定の前後だった。

 相方はお産の手伝いで隣県に行っており、私一人の時の大惨事だった。

 あれから5年が経ったが、町の復旧・復興の現状は如何に。

 

 (避難所となった体育館)

 天井が崩落し使えなかったが、瓦礫を除去した後、内部は避難所として、駐車場は車中泊として利用された。

 その後、基礎部分に問題が発見され、去年から建て替えられて、現在使用されている。

 

 (災害公営住宅)

 災害公営住宅が、町内の各所に建設され、仮設住宅等で生活を余儀なくされた人達が入居を開始した。

 町内各所にあった仮設住宅も、一箇所に集約されているが、まだ400名以上の方が仮設に入居中である。

 町中心部付近の、災害に強い町作りのための区画整理の進捗が遅れ、自宅再建を待たされている人も多い。

 

 (橋の架け替え工事)

 橋の架け替えはかなり進捗している。

 

 (役場の建設予定地の整地作業)

 元の位置に建設が決まって、現在基礎工事のための整地が行われている段階。

 これから、震災直後と現在の姿を対比させてみよう。

 

 (我が家に近い、惣領地区の震災直後)

 

 (復旧した県道と町並み)

 

 (地震直後の住宅街の道路)

 

 (擁壁等の工事が進められている現状)

 

 (一番被害の大きかった宮園地区の地震直後)

 

 (復旧工事と、町の新しい区画整理事業と道路拡幅等が同時に進められている)

 

(震災後の様子を象徴した建物と車)

 

 (道路拡幅に伴い、少し後退した位置で復興した建物と車)

 町の中心部で、被害の一番大きかった宮園地区は区画整理事業のため、取り壊し予定の建物がまだ残り、更地になった場所も雑草が多い。

 復旧も復興も目に見える状況にはない。

 

 (道路拡幅:4車線化工事中)

 道路側に両側から倒壊した家屋等が道路を塞ぎ、緊急車両の通行もままならない状況であった。

 道路の拡幅が急務とされ、一気に4車線化の工事が始まった。

 用地取得等が終わったところから、工事が進められている。

 ただ、虫食い状態の工事のため供用開始は予定通りになるかは、何とも言えない。

 私も5年前の今日、朝のTVニュースの電話インタビューを受けて、「大丈夫です」等と結構強気の発言をしていた。

 前震の震度7では、室内の物が倒れたり食器が割れたりしたが、ライフラインは通じていたし、テレビ等で情報も入手出来ていたのだ。

 ところが、深夜の1時過ぎの本震は、おなじ震度7でも桁が違った揺れ方で、個人的に震度8を新設したいくらいの揺れだった。

 町の交流情報会館のロビーの床に、地震の揺れ方の偏移図が掲示されているが、東西1.5m~2m・南北50cm~70cmくらいの幅で地面が動いた様子が描かれている。

 地表面に現れた断層は、震災遺構として保存され研究や教育等に活用される。

 

 (次々と同じ位置で屈折した田んぼの畦)

 直接目に見える形で、町内の数カ所に震災遺構として残されている。

 地震を引き起こした「布田川断層と日奈久断層」まだ歪みが開放されていない部分が残っている。

 地震前の確率では、むしろ残っている地域の方が確率的には高かったのだ。

 それら残りの断層の活動如何では、震度7クラスの地震がくることも想定しておく必要がある。

 コロナ騒ぎの陰で、震災5周年も霞んでしまいそうだが、ウイルスに負けず自然災害も時と場所を選ばない。

 列島の真下は、どこも断層ばかりなのだ。

 「車中泊やさしく照らす十三夜」・・・・しろ猫

 車中泊も飽きる頃の一句である。

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