カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

一面の青田をめざして廃土の除去を

2021-01-15 17:00:26 | 熊本地震
 地震の後の町の復旧は、優先順位に従って進められている。

 例えば崩落した堤防などは、優先順位的には極めて高い。

 ただ大きな河川の場合は優先順位が高くなるが、小さな川は応急土嚢のままの場合がある。

 そうした小さな河川も、合流部辺りでは工事が進捗しているらしく、堤防工事に伴う大型土嚢の撤収がなされていた。

 
 (土嚢の撤収作業)

 応急の土嚢を撤収しないと、堤防が設置できない。

 撤収した後は、梅雨などの大雨が降る前に堤防工事を終わらせなければならない。

 いろいろと手順がありそうで、難しそうである。

 
 (撤収した土嚢の集積)

 撤収した土嚢は、取りあえず一時保管場所に集積される。

 工事の途中でも、あるいは別な場所での出水の非常時対応のためには、直ぐさま使える状態で備えておく必要があるのだろう。

 
 (小型の土嚢集積場所)

 中小の河川が合流する地域なので、あらゆる場所の非常時に即応するため、河川の近傍に数カ所こうしたの土嚢集積場所がある。

 被害が軽微な内に迅速に対応するための、小型の土嚢が常設されブルーシートで覆われ所要の表示がしてある。

 この他、田んぼ道などを歩いていると、彼方こちらに盛り土が見られる。

 
 
 (廃土の山)

 地震直後の崩れた部分や、建物の擁壁の工事などに伴う廃土が多量に発生した。

 その土を置く場所として田んぼが活用され、その結果田んぼの彼方こちらに小山が出来上がった。

 ただし、田んぼは個人の所有地なので有償で借り受けるという形になる。

 地震からもうすぐ5年がやってくる、田んぼは本来の目的に現状復帰する必要にせまられている。

 
 
 (現状復帰のための廃土の除去作業)

 この廃土を除去して現状に復旧させるため、重機が投入され運搬のダンプが列をなす。

 一箇所が終われば、次の箇所と次々と現場は移動する。

 
 (廃土撤収が終わった田んぼ)

 廃土を運搬以前に、元々田んぼにあった肥沃な土壌の部分は一箇所にまとめられている。

 運んだ後の、凹んだ部分にはもう水が溜まり始めていた。

 この辺りは地下水位が高いのだ。

 この窪みを含めて、水平を取り均一に元の土を均す作業が行われる筈である。

 こうして、一つ一つ山が崩れ元の田んぼに帰っていく。

 出来れば震災後5年を迎える今年の夏には、青田が一面を覆って欲しいものだ。

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益城町の今を歩いて見る

2020-12-25 11:45:57 | 熊本地震
 年賀状・柳誌の校正・機関紙の編集・大掃除・買い物PAT-1等がトントン拍子に進捗して、自分で驚いている。

 例年より早く、頭の髪の毛でも手入れしようと散髪へ。

 と、言うのも散髪屋さんの方から電話があって、年末は早く店を閉めたいとのこと・・。

 

 早速誘いに乗って、散髪に出かけた。

 随分昔の話になるが、暮れの散髪屋さんは大忙しで、除夜の鐘が鳴り終ってもまだお客の髪を切っていたものだ。

 何でそんなに押し迫って散髪にくるのかと、子供こころにも不思議だった。

 コロナや自然災害に見舞われて、気持の上でもパッとしない一年だった。

 行動を阻害する事象が次々と発生すると、復旧・復興作業にも影響を及ぼすが、それでも復興は続いている。

 
 (完成した体育館)
 
 地震直後から、多くの避難者でごったがえした体育館も、建て替えられた。

 
 (橋梁の架け替え)

 町の橋梁の半分以上が壊れて、現在はあと2~3箇所を残して掛け替えが進んでいる。


 
 (道路拡幅工事)

 両側の民家や商店が道路に崩落し通行を阻害し、緊急車両の通行もままならなかった狭隘道路は拡幅工事実施中。

 あと5~6年で4車線化工事完了予定だが・・さて。

 
 (解体撤収される仮設住宅と復興住宅の一つ)

 復興公営住宅の建設が終わり、町内にあった仮設住宅団地は現在1箇所に縮小・集約されている。

 残った仮設団地の住民の中には、中心部の復興のための再開発事業の進捗待ちで自宅再建が出来ない人達も多い。

 
 (活断層:横ずれ断層)

 活断層の横ずれが、地表面に現れた貴重な場所として残されている。

 隣の畑も、その隣もという具合に畑の畦が同じ位置で屈曲している。

 町内にはこうした断層が地表面に現れた場所が数カ所ある。

 これらは震災遺産として後世に伝える計画である。

 次々と目の前で災害が発生し、コロナまで追い打ちをかけているので話題も霞がち。

 時々は、復興の現状を見つめながら明日を考えてみたいものである。

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菜園の去年今年

2020-12-05 11:47:12 | 熊本地震
 去年のブログを見ていてると、毎年同じ事を繰り返しているなと思う。

 退屈しないのかというと、これが不思議と退屈しない。

 花壇だったところに野菜を植えたり、花の間に野菜を植えたりするので、通りがかりの人が珍しげに覗き込む。

 花談義だったり、野菜談義だったりが始まったり、だったりまったりで、面白いといえば面白い。

 去年は猫対策で面白かった。

😹とネット作戦

 朝から庭の小松菜の発芽の様子を見に行った相方が、ぶつぶつ言いながら家に入ってきた。 「隣の猫が菜園の小松菜付近の土をほじくっている」と言うのだが、現場を目撃したわけではないか......


 今年もちょっとした、トラブルもあったが取りあえず穏便に解決出来た。

 
 (菜園の現況)

 相変わらず1本のトマトが、圧倒的に存在感を誇示している。

 現在まで10個ほど食べたが、相方の目測によるとあと100個くらいはぶら下がっているらしい。

 今でも花が咲き続け、実も増えているので正確な数は分らない。

 野菜の間に、ひょろひょろと背の高い葉牡丹と、手前には頂き物の「ネモフィラ」なるものを植えた。

 ネモフィラなど、猫の一掻きで根っこから抜けそうなので、周りにスダレをカットしたものや枯れた小判笹などを敷いた。

 
 (小ねぎ)

 ネギは種と苗の両方を植えたが、直ぐに猫が活躍し始めたのでネットを張った。

 防鳥ネット等と言うが、我が家の場合は防猫ネット。

 苗で植えた小さなネギは、ネットの編み目から顔を出して伸び始めている。

 除草もままならず、と言うか、さぼっているのでネギと同じくらい成長している。

 このくらい成長すれば、猫も入らないのでネットを除去して収穫や草取りを楽にした方が良さそう。

 
 (サトウキビ)

 頂いた2節×2本を、教えられた保存法のとおり土に埋めて越冬させたら、忘れてしまってそのまま春先に1本発芽した。

 その段階で、保存していたことを思い出したありさまで・・。

 台風で倒れたり、いろいろあったが現在は3本が大きくなりつつあり、更に脇から2本くらい芽を出している。

 沖縄などでは冬になると、収穫が始まり製糖工場が忙しくなったりするが、我が家ではいったい何時収穫になるのだろう。

 子供の頃は、サトウキビを畑に植えてあるのを見たが、先端から穂が出て色づいて暫くすると切り倒していたものだ。

 30センチくらいにカットしたものを、怪我をしないように気をつけながら皮を剥いてガリガリと囓っていた。

 絞って飴や砂糖を作る家庭もあったが、もう遙か昔の話だ。

 庭に出てゴソゴソやっていると、やがて件の猫が何やってんのとやってくる。

 

 直ぐ横は、隣家の駐車場で猫の監視活動の拠点になっている。

 地震の後、境界のブロックをお互いに低くしようと話がついて、もっぱら猫の散歩道として使われている。

 温暖化も困るが、やたら寒い冬も御免被りたいのが正直なところ。

 昨日誕生日を迎えて、また一回り大きく成長した私と、冬に向かって大いに食べた猫は、パンダのように成長しつつある。

 お互い、厳しい冬を楽しく乗り切りたいものである。

 「身長の測定時には胸を張る」・・・・しろ猫

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足の裏が鋭敏に

2020-11-30 17:12:49 | 熊本地震
 昨日サッカーの試合前に、スタジアムの周辺を歩いて気がついたことがある。

 補助競技場のフイルドの外側の歩いていると、靴底に伝わる地面の凹凸が感じられたのだ。

 
 (補助競技場)

 芝が密生して長目の所は感じないが、少し密生度が薄く短めにカットしてある部分にそれを感じる。

 微妙な凹凸感で、例えは適切ではないが、ブツブツと直径5~10センチくらいの泡だったものがそのまま固まった感じ。

 丸い敷石が一面に敷き詰められた上を、運動靴で歩くときの足の裏の触感という表現が近いかも。

 平らな芝の上を歩く感じとは違うのである。

 この感じは、秋津川の河川公園の芝生の上を歩くときも感じた。

 
 (河川公園の芝の遊歩道)

 雑草の根が張って、株の部分が盛り上がってそう感じるのかとも思った。

 こうした感じは以前は無くて、地震後に歩けるようになって以降のことである。

 広い芝生なら直ぐ傍の、総合グラウンドはどうかと試してみた。

 
 (総合グラウンド)

 少し傾斜をつけてある観覧席スペースの芝生は感じないが、平坦な部分になると同じように凹凸が感じられた。

 何故凹凸に敏感になっているのかと言えば、我が家の庭がそうだからである。

 庭の南側はほぼ全面に芝を張っている。

 自分で地ならしをして芝を植えたものである。

 庭は良く歩くし、芝刈りもやっかいだが続けていたので感触は分っている。

 ところが、地震の後は足の裏に凹凸感を覚えるようになった。

 相方に言うと、毎日洗濯物を干しに行く彼女も足の裏にぼこぼこ感じると言い始めた。

 前後左右の地震動で、地面が波打ったのかも知れない。

 地震の後、家の基礎部分にある犬走りと言われる部分より、庭の土の方が上になるほどだった。

 その時点では、家が基礎部分から真下方向に沈下したと思っていた。

 しかし、今では揺れによって、地面の方が波打ち盛り上がったと思うようになった。

 無意識に歩いていても、ちょっとした足の裏の違和感が地震後の感触と対比させてしまう。

 誰に言っても真剣には聞いて貰えそうもない、足の裏の地震の副作用なのである。

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「刻のかけはし」展を見る

2020-11-26 10:27:39 | 熊本地震
 益城町交流情報センター(ミナテラス)では、正面の展示スペースで「刻のかけはし」展が催されている。

 益城町教育委員会の主催で、大分県立歴史博物館交流展「いにしえのおおいた」も併せて展示されている。

 震災からの文化財の修復・保護等において大分県立歴史博物館から専門職員の派遣を受け震災直後から協力を得ている縁である。

 
 (刻のかけはし展)

 震災に当たっては、沢山の文化財が被災した。

 反面、復旧・復興の過程で建物内から発見されたもの、あるいは復興工事前の事前土地調査等の過程で多くの遺構が発見された。

 その遺構から新たに埋葬・副葬品や生活土器等が発見されている。

 
 (古代の土器・副葬品等の展示コーナー)
 
 (古文書等やいにしえのおおいた展示コーナー)

 展示品の一つ一つを見ると、縄文時代からつづく人々の暮らしが垣間見えてくる。

 
 (人形土器)

 ちょっと可愛い表情の土器で、土偶などとも異なって中が空洞で酒などの液体を入れることが出来る構造らしい。

 様式から弥生時代のものと推定されているが、使用法等についてはハッキリしていないとか。

 
 (鉄剣)

 痛みがひどかったため、大分県立歴史博物館の協力で、防錆・保存処理を施して貰った直刀型の鉄剣。

 
 (発掘された副葬品)

 古墳時代の石棺から、男女の人骨と共に勾玉や銅鏡などの副葬品も発見されている。

 このほか、町の各所から遺構が発見されている。

 
 (豊臣秀次の朱印状)

 400年の長きにわたり、水野家に代々伝わった古文書が教育委員会に引き継がれ一部が公開された。

 その中には、豊臣秀吉・秀次の知行(領地)の授与などに関する貴重な資料も含まれる。

 
 (いにしえのおおいた展示ブース)

 三角縁神獣鏡や銅剣、その他歴史資料が展示されている。

 この他、神社などの崩壊に伴う解体作業の過程で、多くの貴重なものが屋根裏などから発見されている。

 道路の建設、復興の区画整理、役場や復興公営住宅等の建設前には、遺構の調査が行われた後に建設が始められる。

 震災からの復旧・復興を通じて救われた文化財があり、或いは新たに発見された文化財もある。

 こうした先人からのメッセージを、「刻のかけはし」として後世に残していくことが重要だろう。

 どうやら遺構などの多い地域のようだから、民間の建設業者にも施工に当たっては、ある程度の意識が必要だろう。

 「工事音止めば聞こえる昼チャイム」・・・・しろ猫

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秋には灯りがよく似合う

2020-10-21 11:23:32 | 熊本地震
 昨夕ウオーキングに出たら、三日月が出ていた。

 2日前の夕べの月は、とても細くていわゆる眉月というものだったのだろう。

 帰ったら写そうと思っていたら、帰り着いた頃はもう地面に隠れていた。

 昨夜の三日月は綺麗だった。

 
 (月齢3.3の月)

 南の空には、木星も出ていた。

 この頃、目立つ明るさである。

 
 (木星)

 火星も、東の空のかなり高い位置に見られるようになった。

 先日までは、ウオーキングが終わる頃、やっと東の空に出始めていたのだが。

 
 (ナイターで野球の練習)

 刈り残した田んぼも、あと僅かになったがナイターの光が刈り取られた田んぼを明るく照らしていた。

 ついつい、灯りのある堤防沿いの道から田んぼの道に降りて歩きたくなってしまう。

 光は、特に秋の季節のよい夜は、光のイベントが各地で催されるが、今年はコロナで中止が多い。

 去年の今頃に催された、水灯りのイベントをブログでアップしていたものがメールで送られてきた。
「満月」と「熊本城・光のイベント」と「ラグビーワールドカップ」と盛り沢山の夜は更けて・・・。

 お城まつりと「水あかり」のイベント当日は、熊本城で空を見上げてはじめて満月だと分かった。 光のお祭りに協力して空からも月が応援してくれていた。   地上の光と、空から......

 コロナの無かった去年と、今年の違いを如実に実感させられる。

 こうした楽しいイベントも、コロナによって中止せざるを得ないのだから残念しごく。

 コロナが仕掛けた、世界規模の生き方を変えるイベントに否応も無く参加させられている。

 コロナ後がいつ来るのか、見通せない世の中になってしまった。

 「やり直す時間はあるか聞いてみる」・・・・しろ猫

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収穫の秋

2020-10-10 12:31:42 | 熊本地震
 やや雲が多いものの、陽が射すこともある。

 やや冷えていた朝の空気も、だんだん蒸してくるようになっている。

 田んぼでは稲刈りが始まった。

 緒に就いたばかりで、全体の1割にも満たないが、これからどんどん作業は進むのだろう。

 

 一面に広がる黄金の波といった感じで、人影は殆ど見えなかった地帯に突然コンバインや動く人影が見えるようになった。

 遠くからでも、白い物が見えたりするが、あれはきっと白いサギだろう。

 機械に追い立てられた昆虫などの餌を求めて、コンバインについて回る野鳥は今の時期の風物詩。

 雀などの、落ち穂などが目当ての鳥はまだ来ていない。

 稲刈りが終わる頃に、見逃された落ち穂をついばみに群れを成してやってくる。

 

 なだらかな里山の麓には、そうめん滝と名付けられた湧水池がある。

 滝と言うにはあまりに小さいもので、高さは1mにも満たない。

 横に広がる地層の、同じ高さの部分から水が湧き出して流れ池を作っている。

 その水は生活用水となり、田んぼを潤す水ともなる。

 この地域の農家から、穫りいれが終わると新米が届けられる。

 銘柄など聞いたこともないが、とても美味い。

 子供達がいた頃は、30Kg入りを5袋くらい届けて貰っていたが、二人だけになって4袋に減らした。

 年に数回子供達が遊びに来るので、その都度精米して持たせてやっていた。

 今年はコロナで、お互いを訪ねないことにしているので、米の減りが少なく現在でも1袋半くらい余っている。

 これに、新米を同量届けられると当分古い米を食べることになりそう。

 今年は3袋くらいで事前連絡しておこうかと思っている。

 

 車庫の屋根の下のピラカンサスの実も色づき始めた。

 冬に真っ赤になって、鳥たちを誘うピラカンサスの実は秋の深まりを思わせる。

 本日の気温は、30度近くになっている。

 秋真っ盛りの稲刈りと、初冬へ向かって色づき始めたピラカンサス、そして現実の30度。

 どうやら日本の四季も、再構成が必要なのかも知れない。

 「控えめに飯が炊けたと炊飯器」・・・・しろ猫

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江津湖畔の句(歌)碑めぐり(その2)

2020-09-17 10:46:54 | 熊本地震
 今日は朝から雨模様の天気だし、昨日に引き続き江津湖畔の句(歌)碑めぐりの記を。

 マップに従って、動物園側(下江津)から上江津湖の方に遊歩道を歩く。

 江津湖を跨ぐ2本の橋の内の、植物園側の江津橋の下をくぐって水辺沿いの遊歩道は続く。

 
 (江津湖で一番狭い箇所)

 この2本の橋(斉藤橋と江津橋)の間に、句(歌)碑が4基比較的まとまって建っている。

 
 (安永蕗子の歌碑)

 「はなびらを 幾重かさねて夜桜の あはれましろき 花のくらやみ」・・・・安永蕗子

 数々の賞に輝く、現代日本歌壇の大御所の歌。

 
 (藤崎久をの句碑)

 「蜻蛉に空あり 人に汀あり」・・・・藤崎久を

 で、汀を眺めてみると・・・。

 
 (湖畔の彼岸花)

 白い彼岸花が沢山咲いていた。

 直射日光の強い日だったが、適度に植栽がなされた遊歩道は日陰を求めて歩くことも出来る。

 日常的に歩いて運動しているらしい人達とも時々出会う。

 
 (有働木母寺の句碑)

 「流れゆく 水葱に照り添い 江津の月」・・・・有働木母寺(もっぽじ)

 水葱という字が読めなかった。

 帰って辞書で調べたら「なぎ」と読み、ミズアオイの古名とあって季語は夏。

 月が主役の句のようだから、季節は秋か。

 
 (綴敏子の歌碑)

 「天霧らひ 雪降る湖に寂かなる 光はありて 鴨ら相寄る」・・・・綴敏子

 季節は冬、天霧(あまぎり)に包まれたように曇って見える日。

 確かに冬の江津湖は、湧水のため凍ることがなく渡り鳥の天国。

 
 (富永兆吉の句碑)

 「音のよさ まいっ時櫓で 漕いでくれ」・・・・富永兆吉

 東バイパスに架かる橋の直ぐ西側の遊歩道沿いにある句碑。

 ただし、遊歩道が一部二股に別れているので湖畔沿いの遊歩道を進む。

 肥後狂句の一句で、櫓で船を漕いでいた頃の古い和船で、多分櫓べそといわれる部分の、ぎ~っぎ~っという音だろう。

 
 (中村汀女の句碑)

 「つゝじ咲く 母の暮らしに 加はりし」・・・・中村汀女(ていじょ)

 石の文字は、苔むして殆ど読めない。

 中村汀女の生家の庭にあった碑を、ここに移設したものらしい。

 日本を代表する俳人で、江津湖が作句活動の拠点。

 実は、二股に別れた遊歩道のもう一方を歩いてしまい、帰りにやっと出会ったのが、中村汀女と富永兆吉の句碑。

 句碑はまだ江津湖の上流部へと続くが、本日これまで。

 また、明日の心なのだァ。

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雑草に水やりの愚行

2020-08-09 13:36:42 | 熊本地震
 暑い日が続いて、庭の水やりも本格的になりつつある。

 水を撒きながらふと考えた。

 なんで、雑草にも水をやらねばならないのか・・と。

 
 (草ぼうぼうの東側花壇)

 キンカンだの、ブルーベリーだの山椒だのと、小さな木が多いが隙間には花も植えている。

 ギボウシとかベゴニアなどは地植えしているが、その他の花は時期が終って殆ど地面の下で根っこだけが生きている。

 目に見える緑の大部分は雑草で、それも茎の部分から次々に根っこを張って増殖する質の悪さで1~2を争う種類の雑草。

 雑草に水をやる愚かさにやっと気が付いた。

 確かに草花というが、花は終わって草ばかり、草に水をやる義理はないので、除草することに。

 
 (除草後の花壇)

 草が大部分だったので、除草するとスッカラカンに。

 本当はここら辺りには、花があった筈だが雑草に圧倒されて無くなってしまっている。

 この初夏に目を出したサトウキビの付近を除草していたら、もう一本のサトウキビが出て来た。

 
 (サトウキビ2号)

 去年の暮れに、謡曲仲間から2本頂いて、土に埋めて保管し春先になったらちゃんと植えると芽が出ると教わった。

 そのまま保存していることすら忘れてしまっていた。

 初夏にやけに大きな雑草が芽を出したと思ったら、それが忘れていたサトウキビだった。

 確か2本埋めていたはずだが、芽は1本しか出ていなかった。

 今度のは、その残りのもう1本のサトウキビらしい。

 よく見ると、出てきて間がない小さな芽らしきものが見える。

 そうなると発芽率100%というわけだ。

 
 (サトウキビ1号)

 慌てて、雑草の根と一緒に掘り起こしたサトウキビに土をかけてやった。

 元々が植えようと思っていた場所ではなく、保存場所として庭の隅に浅く植えたので、今の場所が適切な場所とは言えない。

 しかし、ここまで大きくなってしまうと、移植は躊躇する。

 大きな背丈の葉っぱの先端は、隣の塀を越えて風に揺れている。

 まさか、サトウキビの葉っぱの処置を考えることになるとは・・・。

 盛りを過ぎた、キュウリと朝顔と共に何とかせねばが、また一つ増えた。

 サトウキビの葉っぱは、「ザワワ・ザワワ」とは言わぬ程度に揺れている。

 それにしても、・・・・・・あつい!

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熊本城、久々の登城

2020-06-02 17:14:07 | 熊本地震
 句会参加のため街に出かけた。

 おりから、熊本城の特別公開が始まったので、半分はそちらに期待を込めていた。

 吟社の句会も、熊本城の特別公開も、新型コロナウイルスにしてやられて、中止や延期になっていたのだ。

 当初は、県内だけの公開ということで、逐次全国公開への移行するらしい。

 少し早めに家を出て、熊本城を周った後に句会の会場に向かうことにした。

 
 (新緑の熊本城)

 城彩苑に回って、二の丸広場の方に歩いた。

 多分、特別公開のための特設通路は、二の丸の方から伸びていると勝手に思い込んでいたのだ。

 確かに二の丸広場の一角に受付ブースがあって、所用の申込用紙に記入し500円也を払うとチケットを貰える。

 ところが、入り口は行幸坂の中腹位に設置されていているとかで、登って来た道を下ることになった。

 
 (特設のゲート)

 このゲートにくるまでに、かなりの数の誘導員に誘導された。

 いきなり昇り階段になるが、エレベーターも設置されている。

 
 (特設の通路)

 見学コースは特設の通路が出来ている。

 横断歩道橋の親方みたいな、とても大きな架設橋で空中回廊といった風情がある。

 
 (武者返しの石垣と天守閣)

 今までは、下の方の地面を歩きながら石垣を見上げ、やがて天守を見上げという順序だったが、一挙に眼前に展開する。

 石垣と、本丸御殿と天守閣が一緒に見えるアングルは、通常ならドローンなどにお世話になる必要がある。

 見慣れない角度から城内を見ることが出来るので、とても新鮮である。

 
 (本丸御殿の地下通路)

 通常は、この地下通路の先の方の光の射す方向から入場していたが、特設のコースはこれを横切ることになる。

 大銀杏の直ぐ脇に上がると、天守閣前の広場に出るが、ほぼ工事用資材で埋め尽くされている。

 
 (熊本城天守閣)

 お城の修復の優先順位は知らないが、取り敢えず大天守と小天守が急がれているようだ。

 本丸の周りの櫓は、殆ど崩落していたり取り壊されていたりして、石垣の端の向こうには直ぐ熊本の市街が見える。

 架設のコースから見下ろすと、彼方こちらに石垣や建物の崩落が見られ、かなり先の長い修復作業であることがわかる。

 てなことを、考えながら歩いていたら、電話がきた。

 句会の会場の、副主幹からで、「今どこ?」という電話。

 「熊本城です。すぐ行きます」と言いつつ、会場に急いだ。

 まだ時間は十分ある筈だが、久々なので皆さん集合が早いようだ。

 マスクをかけての、28度の炎天下の急ぎ足は暑かった。

 城内の他の様子や、句会の様子などはまた明日のことにしよう。

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