ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

菅野の才能は枯渇したか

2011-02-06 23:11:12 | 人物
菅野美穂主演の映画「ジーンワルツ」が公開されたようですね。個人的にはこの映画に関して菅野さんの演技には期待していません。主人公はいわゆるクールビューティーの天才医師。同世代の女優に比べて顔や表情、そして声にも少女性を菅野さんは残しています。そのことが裏目に出る役柄のような気がします。

菅野ファンにもいろいろな人がいるでしょう。年々上手くなっているというファンもいらっしゃると思います。しかし僕から見ると菅野さんの全盛期は18才から22,3才まで、長く見積もっても「愛し君へ」「あいのうた」あたりまでだったと思います。「わたしたちの教科書」や「働きマン」は見ていて痛々しささえありました。

かつて菅野さんのような全盛期が早くおとずれる早熟な天才タイプは様々な分野にいました。尾崎豊、谷川浩司、清原和博。

尾崎さんは18歳の時にリリースしたファーストアルバム「十七歳の地図」を超えることが出来ないことに苦悩していたそうです。薬に溺れ、残念な結末になりました。

谷川さんは史上2人目の中学生棋士になり、21歳の若さで最年少名人になりました。間違いなく谷川の時代になる。将棋ファンの多くはそのことを疑いもしませんでした。しかし数年後、羽生善治を中心とした世代が急速に押し寄せ、苦戦を強いられることになるのです。後日、谷川さんは「羽生さんたちはいずれは強くなるだろうと予測はしていたが、まさかこんなに速く・・・」と語っています。

清原和博は高校時代から天才スラッガーの名をほしいままにし、プロ入り後も数々の最年少記録を塗り替えました。しかし、しだいに彼自身の打撃に陰りが見え、やがて7歳年下の松井秀喜に日本の4番の座を奪われてしまうことになるのです。

菅野さんは「エコエコアザラク」で女優としての才能を開花させ、「イグアナの娘」で人気を不動のものとしました。その後も「君の手がささやいている」で聴覚障害者役を熱演。高い評価を受けました。その後、「富江」「催眠」などでホラークィーンの異名をとり、そして僕が彼女は天才だと完全に確信したのは99年のドラマ「恋の奇跡」でした。

この頃の菅野さんは精神的に安定している状態とはいえなかったと思います。むしろ今の方が、旅行やヨガなどで上手く精神のバランスが取れているような気がします。それはファンとしてはもちろんうれしいことなのですが、果たして女優としてプラスになっているのかは疑問です。

かつて野坂昭如氏は三島由紀夫を評して「ボディービルで自らのコンプレックスを解消してから彼の小説は駄目になった」と言いました。それが本当かどうかは分かりませんが、ただコンプレックスや思うがままにいかないことを心に抱えながら、その怒りをエネルギーに変えるという意味なのでしょう。

こうしてみていくと天才というのは悲しいものなのかもしれませんね。過去の光り輝いている自分が最大の敵なのです。これから菅野美穂がどこへ向かっていくのかは予想がつきません。元来、非常にクレバーな人ですから様々な難題を乗り越えて人気、実力を兼ね備えた真の大女優になってほしい。これが僕の心からの願いです。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ パニック障害へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする