あれから1年が過ぎました。当日の読売新聞に大新聞社にしては珍しく、なかなかのことを書いていました。「絆という言葉を使うには相当の覚悟と図太い神経がいる。瓦礫の受け入れもせずに何が絆か」といった内容でした。
翌12日の大竹まことのラジオのリスナーのメールに「昨日、脱原発デモに参加しました。周りの人はみんな優しくて、警察の人も敬語でした。でも中には君たちも電気を使っているんだろという心無いおじさんもいて、凄く残念です」というのがありました。こういう「自分は清く正しい事をしているのに」みたいな人がいるんですよね。
TBSの「荒川強啓デイキャッチ」では地元の方が「せめて今日だけは静かにしていてほしい」と話していたそうです。デモをするのは自由だと思います。しかし3月11日という日は最もふさわしくなかったと個人的には思います。この日はまず1年前に亡くなられた方への哀悼というのが最も大事ではなかったのでしょうか。
テレビも主に民放ですけど、悲しみを滲ませながらイベントをしているようにしか見えませんでした。津波の映像も被災された方が見たらどう思うでしょうか。かえって心を騒がせてしまったような気がしてなりません。

にほんブログ村
翌12日の大竹まことのラジオのリスナーのメールに「昨日、脱原発デモに参加しました。周りの人はみんな優しくて、警察の人も敬語でした。でも中には君たちも電気を使っているんだろという心無いおじさんもいて、凄く残念です」というのがありました。こういう「自分は清く正しい事をしているのに」みたいな人がいるんですよね。
TBSの「荒川強啓デイキャッチ」では地元の方が「せめて今日だけは静かにしていてほしい」と話していたそうです。デモをするのは自由だと思います。しかし3月11日という日は最もふさわしくなかったと個人的には思います。この日はまず1年前に亡くなられた方への哀悼というのが最も大事ではなかったのでしょうか。
テレビも主に民放ですけど、悲しみを滲ませながらイベントをしているようにしか見えませんでした。津波の映像も被災された方が見たらどう思うでしょうか。かえって心を騒がせてしまったような気がしてなりません。

にほんブログ村