山野氏の内定という言葉に嘘はなかった。僕はこれまで向き合ってきた患者たちの顔を、思い浮かべながら書き続け、そして最後に「この本を読んだ事は決してゼロになることはありません」とカウンセリング最終日に患者へかける言葉で結んだ。
タイトルは「すぐに使える認知行動療法」という案外、シンプルなものに決まった。新書サイズで初版5000部、9月に発売された。僕は白川さんの喫茶店に山野氏と有紗を招待し、ささやかな出版パーティーを催した。亜衣も3歳と1歳の子供たちを連れて、参加した。
「誠君も作家か。偉くなったねえ」
白川さんがからかうように言う。
「そんな大げさなもんじゃないですよ。売れてから言ってください」
僕は意外と冷静だった。出版まではこぎつけたが、読んでもらえるかどうかが大事で、それが難しいと思っていた。しかし、山野氏は言った。
「まだ発売まもないんで、はっきりした事は言えないんですが、感触はいいですよ。ネットでもリアル書店でも」
「山野さんはそう言ってくれるんですけどね」
こうした間にも、亜衣はカウンターに座る僕らの前に、料理やドリンクを次々と運んでいる。僕は山野氏のリップサービスと決め込んでいた。もう随分、アルコールも入っている。彼は続ける。
「坂木さん、本当ですよ。何の根拠もなく、期待させていたら売れなかった時、ショックでしょう」
白川さんが時計を気にしている。
「有紗ちゃん、遅いなあ」
「この喫茶店の場所、忘れちゃったんじゃないですか?あと樹々っていう店名も忘れてると思いますよ」
今度は僕が少し、からかってやった。
「いや、そんなはずはない。彼女にとってもこの場所は、青春の1ページとして残っているはずだ」
白川さんは真顔である。すでに9時を大きく過ぎていた。
「有紗さんに連絡してみましょうか?」
山野氏がようやく呂律をまわして言った。その時だった。入り口が開いた音がした。
「有紗ちゃん」
白川さんが満面の笑みを浮かべた。
「こんばんは。遅くなっちゃって」
有紗はこの場所を忘れてはいなかった。
タイトルは「すぐに使える認知行動療法」という案外、シンプルなものに決まった。新書サイズで初版5000部、9月に発売された。僕は白川さんの喫茶店に山野氏と有紗を招待し、ささやかな出版パーティーを催した。亜衣も3歳と1歳の子供たちを連れて、参加した。
「誠君も作家か。偉くなったねえ」
白川さんがからかうように言う。
「そんな大げさなもんじゃないですよ。売れてから言ってください」
僕は意外と冷静だった。出版まではこぎつけたが、読んでもらえるかどうかが大事で、それが難しいと思っていた。しかし、山野氏は言った。
「まだ発売まもないんで、はっきりした事は言えないんですが、感触はいいですよ。ネットでもリアル書店でも」
「山野さんはそう言ってくれるんですけどね」
こうした間にも、亜衣はカウンターに座る僕らの前に、料理やドリンクを次々と運んでいる。僕は山野氏のリップサービスと決め込んでいた。もう随分、アルコールも入っている。彼は続ける。
「坂木さん、本当ですよ。何の根拠もなく、期待させていたら売れなかった時、ショックでしょう」
白川さんが時計を気にしている。
「有紗ちゃん、遅いなあ」
「この喫茶店の場所、忘れちゃったんじゃないですか?あと樹々っていう店名も忘れてると思いますよ」
今度は僕が少し、からかってやった。
「いや、そんなはずはない。彼女にとってもこの場所は、青春の1ページとして残っているはずだ」
白川さんは真顔である。すでに9時を大きく過ぎていた。
「有紗さんに連絡してみましょうか?」
山野氏がようやく呂律をまわして言った。その時だった。入り口が開いた音がした。
「有紗ちゃん」
白川さんが満面の笑みを浮かべた。
「こんばんは。遅くなっちゃって」
有紗はこの場所を忘れてはいなかった。