ブログの通算アクセス数が80万に近づきつつあります。この機能は私がブログを始めた頃には存在しなかったものなので、実際にはのべ100万人以上の方にお越しいただきました。何ヵ月も更新しない時期もありましたが、ほぼ20年このブログを続けてこられたのも、訪問者の方々がおられたからです。感謝申し上げます。
さて、そろそろほぼ20年企画に入ります。
1980年は時代の変わり目でした。野球では王貞治がバットを置き、その年のドラフトでは原辰徳が巨人に入団しました。音楽でも節目の年になりました。松田聖子がデビューして山口百恵が引退したのです。
1980年9月の月間オリコンランキングでは松田聖子の「青い珊瑚礁」が2位。山口百恵の「さよならの向こう側」は9位でした。ちなみに1位は長渕剛「順子」。
「青い珊瑚礁」は松田聖子2枚目のシングル。1980年7月1日発売。週間最高位は2位。年間15位。山口百恵31枚目のラストシングル「さよならの向こう側」は1980年8月21日発売。週間最高位は4位。年間41位。確かに「さよならの向こう側」は名曲に違いありません。しかし数字で見る限り、聖子さんが百恵さんを上回っています。
青い珊瑚礁で人気を不動のものにした聖子さんは3枚目の両A面シングル「風は秋色/Eighteen」から20曲以上連続1位という金字塔を打ち立てることになります。
70年代の山口百恵、80年代の松田聖子。年齢は意外にも3つしか違いません。聖子さんと中森明菜が3才差なので、同時期に並び立っても不思議ではありません。しかし、百恵さんの完成された容姿に比べ、聖子さんはベビーフェイス。若者から私のような子供までが関心を持ちました。
百恵さんはそれとは違い、幅広い層の支持があったのだと思います。その差がどこにあったのかと言えば、「お茶の間」の存在ではないでしょうか?
1970年代まではお茶の間があった。親、子、孫の三世代が揃って同じテレビを観ている光景が浮かびます。それが80年代以降、核家族の世帯が急速に増え、世代の分断、嗜好の多様化が進みました。象徴的なのは紅白で、70年代までは視聴率70%台が当たり前の時代。大晦日は家族揃ってこたつで暖まり、みかんを食べながら紅白を観るものだという国民的合意があったのだと思います。
しかし、80年代の途中から紅白の視聴率は大幅に下落し始めました。それは「お茶の間」が急激に消えていったことを意味します。例えば南沙織は子供からおじいさん、おばあさんまで幅広く知られていたと想像するのですが、80年代後半のトップアイドルだった浅香唯といっても知っているのは若者で、中年以降の人はほとんど知らなかったのではないでしょうか?この辺はリアルタイムだったのて肌感覚で分かります。世代の分断が進んでいたのです。
ましてや1980年末にテレビからベストテン番組が消え、90年代はテレビと音楽が切り離されました。音楽に飢えた若者たちは自室にこもってCDを聴くようになり、ミリオンセラーが続出したのです。その反面、ビジュアルと歌を組み合わせて価値が生まれるアイドルは不必要になってしまったのです。また、誰もが知っているヒット曲も消えていきました。
その後、21世紀に入って20年以上が立ちますが、嗜好の多様化や世代の分断はさらに進んだと言えます。1980年、山口百恵と松田聖子という二人の歌姫が、引退とデビューという形で入れ替わったことは、時代の変わり目の象徴的な出来事でした。
さて、そろそろほぼ20年企画に入ります。
1980年は時代の変わり目でした。野球では王貞治がバットを置き、その年のドラフトでは原辰徳が巨人に入団しました。音楽でも節目の年になりました。松田聖子がデビューして山口百恵が引退したのです。
1980年9月の月間オリコンランキングでは松田聖子の「青い珊瑚礁」が2位。山口百恵の「さよならの向こう側」は9位でした。ちなみに1位は長渕剛「順子」。
「青い珊瑚礁」は松田聖子2枚目のシングル。1980年7月1日発売。週間最高位は2位。年間15位。山口百恵31枚目のラストシングル「さよならの向こう側」は1980年8月21日発売。週間最高位は4位。年間41位。確かに「さよならの向こう側」は名曲に違いありません。しかし数字で見る限り、聖子さんが百恵さんを上回っています。
青い珊瑚礁で人気を不動のものにした聖子さんは3枚目の両A面シングル「風は秋色/Eighteen」から20曲以上連続1位という金字塔を打ち立てることになります。
70年代の山口百恵、80年代の松田聖子。年齢は意外にも3つしか違いません。聖子さんと中森明菜が3才差なので、同時期に並び立っても不思議ではありません。しかし、百恵さんの完成された容姿に比べ、聖子さんはベビーフェイス。若者から私のような子供までが関心を持ちました。
百恵さんはそれとは違い、幅広い層の支持があったのだと思います。その差がどこにあったのかと言えば、「お茶の間」の存在ではないでしょうか?
1970年代まではお茶の間があった。親、子、孫の三世代が揃って同じテレビを観ている光景が浮かびます。それが80年代以降、核家族の世帯が急速に増え、世代の分断、嗜好の多様化が進みました。象徴的なのは紅白で、70年代までは視聴率70%台が当たり前の時代。大晦日は家族揃ってこたつで暖まり、みかんを食べながら紅白を観るものだという国民的合意があったのだと思います。
しかし、80年代の途中から紅白の視聴率は大幅に下落し始めました。それは「お茶の間」が急激に消えていったことを意味します。例えば南沙織は子供からおじいさん、おばあさんまで幅広く知られていたと想像するのですが、80年代後半のトップアイドルだった浅香唯といっても知っているのは若者で、中年以降の人はほとんど知らなかったのではないでしょうか?この辺はリアルタイムだったのて肌感覚で分かります。世代の分断が進んでいたのです。
ましてや1980年末にテレビからベストテン番組が消え、90年代はテレビと音楽が切り離されました。音楽に飢えた若者たちは自室にこもってCDを聴くようになり、ミリオンセラーが続出したのです。その反面、ビジュアルと歌を組み合わせて価値が生まれるアイドルは不必要になってしまったのです。また、誰もが知っているヒット曲も消えていきました。
その後、21世紀に入って20年以上が立ちますが、嗜好の多様化や世代の分断はさらに進んだと言えます。1980年、山口百恵と松田聖子という二人の歌姫が、引退とデビューという形で入れ替わったことは、時代の変わり目の象徴的な出来事でした。
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