ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

「泣き虫しょったんの奇跡」感想

2018-08-09 09:02:23 | 
藤井聡太四段はデビュー以来勝ちまくっていた。連勝記録の更新が視界に入ってきたプロ26戦目の対戦相手は瀬川晶司五段。この人なら尋常ならざるカメラの閃光にも臆することはないだろうと僕は思った。将棋界の歴史をたどれば、藤井フィーバーの前に世間の大きな注目を集めた棋士は瀬川さんなのだから。

物語は主人公の瀬川さんがプロ編入試験第一局で、現在の名人である佐藤天彦三段に敗れ、打ちひしがれている場面から始まります。そんな時、小学校時代の恩師から手紙が届きます。

瀬川さんは小学校4年生までは勉強も運動もできるわけでなく、家庭ではボクシング好きの兄にいじめられ、ドラえもんだけが好きなおとなしい冴えない少年だったそうです。しかし、小学校5年生の担任、苅間澤先生との出会いが彼の運命を変えていきました。この40歳を過ぎたぐらいの女の先生は、とにかく生徒をほめるのです。瀬川少年も例外ではありませんでした。ある時は詩を褒められ、ある時は絵を褒められ。そしてなぜか、5年生の間で将棋が大ブームになります。瀬川さんは少し指せる程度でしたが、それでもクラスの中では強い方でした。先生は「なんでもいいから、それに熱中して、うまくなった人は必ず人の役に立ちます。君は君のままでいい」と少年に説きます。初めて自分を肯定され、瀬川少年は生まれ変わりました。

将棋ブームが去っても2人だけはその魅力に取りつかれていた。瀬川少年と渡辺健弥君。瀬川さんの棋士人生でたった一人のライバル。彼は瀬川少年を「しょったん」と呼んだ。この二人は自宅も近所で学校から帰れば、どちらかの家で、盤を挟み火花を散らしていました。やがて健弥君の父親に将棋道場へ連れて行ってもらい、そこで熱心な師匠との出会いもあり、2人ともめきめきと腕を上げていきます。

そして迎えた全国大会。健弥君は準々決勝で敗れ、しょったんは優勝しました。そして迎えたもう一つの全国大会。健弥君は親の反対もあり、優勝しなければ、奨励会には入らないと道場の師匠に告げました。準々決勝で、しょったんと健弥君は対戦し、健弥君が勝ちました。しょったんは悔しさのあまりトイレで泣いたそうです。健弥君の決勝の相手は丸山忠久君。未来の名人ですね。健弥君は敗れ、奨励会入りを断念しました。ここから二人の道は分かれていきます。

瀬川さんは奨励会入りし、三段リーグ入りしたのは22才。年に2度、プロ棋士になれるチャンスがあるので、何とかなると考えていた彼も、次第に年齢制限のプレッシャーを意識していきます。そのころ、かつてのライバルである健弥君は、仕事をしながらアマ名人にもなりしっかりと自分の道を歩んでいました。焦りの中、精神的にも追い詰められていた瀬川さんは最後のチャンスも逃しました。その日、彼は涙を流しながら街をさまよいました。

その後も、瀬川さんには様々な困難が押し寄せます。そんな中で、一度は指さないと決めた将棋を再開し、サラリーマンとして働きながら次々とプロを倒していき、様々な人の助けもあり、プロ編入試験までこぎつけました。そして見事にそのチャンスをものにしたのです。


僕も10年近く前、闘病を中心とした半生を出版したことがありますが、過去の自分と向き合いながら書き続ける作業は苦しさもあったと思います。それでも瀬川さんの少し勝負師には不似合いな優しい人柄と、素晴らしい文才で上質の青春小説を読んだ気分になりました。



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