中2国語では教科書最後の読み物単元「走れメロス」を学習しています。
信頼・友情・正義というような、いかにもな道徳心を刺激しようという作品、
ザ・課題図書的な存在、と思いがちですが
イマドキの生徒には、あんまり伝わっていない感じがしています。
文のリズムが良いので、読んで楽しいというのはあるみたい。
音読させると、本来笑うところじゃないのに笑い出す生徒が必ずいます。
まあ、箸が転んでもおかしい年頃ですからね。
あと、メロスのバカ正直さというか単純さが滑稽に思える、というのもあるみたい。
これは読み方として間違っていないと思います。
問題なのは、知らない言葉が多くて物語の流れが把握できない生徒がけっこういること。
本筋とは関係ない言葉でも、わからないと、そこで集中力が切れちゃうみたい。
ちなみに、今日聞かれた質問は
「『南無三』てナニ?名前?単位?
」(本文「南無三、寝過ごしたか」)
「『ゼウス』ってダレ?突然出てきたけどメロスの友達?
」(本文「ゼウスに手を上げて哀願した」)
テキスト1ページ読むだけで「?」をいっぱいにした生徒がいましたが
これじゃあ確かに頭に入ってこないわね。
太宰治もそうだし、宮沢賢治もそうだけど
このあたりの時代の作品は、もう中学生にとっては古文と同じ。
スンナリ読むための言葉と知識を持ってない。
それは、だいたいどの出版社の教科書にも載っている
「少年の日の思い出」「故郷」も同じ。
これはどちらも外国の作品だから、その国の文化がわからないことも
ハードルを高くする一因になっていると思います。
でも、教科書に載っていなかったら
そんな言葉が、作品があることも知らずに大人になるかもしれないわけで
やっぱり教科書に載せる意味はあるのか…。
面白い文章を読んだら、もっと読みたくなる
そのきっかけが教科書でもいいじゃないか、と思うけど難しそうだなあ。
ヘタすると、彼らが目にする活字って教科書だけかもしれないのに。
信頼・友情・正義というような、いかにもな道徳心を刺激しようという作品、
ザ・課題図書的な存在、と思いがちですが
イマドキの生徒には、あんまり伝わっていない感じがしています。

文のリズムが良いので、読んで楽しいというのはあるみたい。
音読させると、本来笑うところじゃないのに笑い出す生徒が必ずいます。
まあ、箸が転んでもおかしい年頃ですからね。

あと、メロスのバカ正直さというか単純さが滑稽に思える、というのもあるみたい。
これは読み方として間違っていないと思います。
問題なのは、知らない言葉が多くて物語の流れが把握できない生徒がけっこういること。
本筋とは関係ない言葉でも、わからないと、そこで集中力が切れちゃうみたい。
ちなみに、今日聞かれた質問は
「『南無三』てナニ?名前?単位?

「『ゼウス』ってダレ?突然出てきたけどメロスの友達?

テキスト1ページ読むだけで「?」をいっぱいにした生徒がいましたが
これじゃあ確かに頭に入ってこないわね。

太宰治もそうだし、宮沢賢治もそうだけど
このあたりの時代の作品は、もう中学生にとっては古文と同じ。
スンナリ読むための言葉と知識を持ってない。
それは、だいたいどの出版社の教科書にも載っている
「少年の日の思い出」「故郷」も同じ。
これはどちらも外国の作品だから、その国の文化がわからないことも
ハードルを高くする一因になっていると思います。
でも、教科書に載っていなかったら
そんな言葉が、作品があることも知らずに大人になるかもしれないわけで
やっぱり教科書に載せる意味はあるのか…。
面白い文章を読んだら、もっと読みたくなる
そのきっかけが教科書でもいいじゃないか、と思うけど難しそうだなあ。
ヘタすると、彼らが目にする活字って教科書だけかもしれないのに。
