白雲去来

蜷川正大の日々是口実

シュールな出会い。

2014-01-09 11:50:21 | インポート

一月八日(水)曇り後雨。

 

ずっーと晴天が続いていたので、たまにの雨もいいかと思う。冬の雨。少々感傷的になるのは歳のせいか、それとも貧乏人ゆえか。まあどうでもいいことだ。

 

正午前から歯医者。終了後は伊勢佐木町の安価なソバ屋「富士そば」へ。最近はここの「紅生姜天そば」に凝っている。もちろんダイエットを兼ねてなるべく昼は日本そばにしている。しかしながら、欲を言えばもう少し汁が多いと嬉しいのだが。天ぷらを入れると、汁を吸ってしまい品が悪くなるのが難点だ。まあ安いので文句は言えないが。そば屋の前にある有隣堂へ行く用事もあったので好物の「紅生姜天そば」を食べた。

 

珍しいことに、妙齢の女性が一人で食べている。女性が一人で、早い話、立ち食いと変わらないそば屋に一人で入ってくるのも勇気がいるものと思っていたら、何と、その女性は。三十五年前ぐらいに、良く遊んだ(変な意味ではなく)人だった。まったくシュールな出会いで、少々戸惑ってしまった。まあ彼女の方もそうだったと思うが、もう少し、他の場所でも良かったと思ったが雨のせいにしよう。近くのサンマルクでお茶をしたが、息子さんが受験で大変だということ。それはお互い様。失礼ながら幾つになったかと聞けば、五十六歳とのこと。お互いに歳を取ったものだ。しばらく共通の友人の安否などを話してから別れた。

有隣堂で暇を潰してから事務所へ。片づけをしてから、夕食の買い物をして帰宅。子供のリクエストで「牛丼」を作った。今年はまだ「やまと」に顔を出していないので、カメちゃんを誘って「やまと」へ。一時間ほど飲んで愚妻に迎えに来てもらい帰宅。


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お祝いと、偲ぶ会。鄭さん有難う。

2014-01-09 11:25:04 | インポート

一月七日(火)晴れ。

午後一時の湘南新宿ラインに乗って東京行き。今日は、大行社の三本菅会長の古稀のお祝いが、大行社の執行部や幹部、そして役員の人たちで行われた。俗に「人生七十古来稀なれ」と言うが、現在の日本の長寿社会では、「七十歳」ぐらいでは、決して「古来稀れ」などではない。

しかしながら、亜細亜やアフリカでは、平均寿命が四十代なんていう国はいくらでもある。日本だって、戦前は、「人生五十年」という時代があった。私も還暦を過ぎて、いつまでもダラダラとした日々を過ごしているわけには行かない。とにかく、親しい人たちと、三本菅会長の古稀をお祝いして、楽しい酒席となった。しかし、今日は、夜の六時から、お世話になった元ランドマークタワーにある中華、皇苑の総料理長だった鄭恵淋さんの偲ぶ会が、ロイヤルパークの宴会場で行われるので、余り酔って行っては失礼になるので、ほとんどシラフで向かった。

六本木から日比谷線で中目黒。同じホームで東急線に乗り「みなとみらい」へ。駅を出て少し歩けばホテルに着く。便利になったものだ。会場に着けば、支配人であった山崎雅夫氏が受付で待っていて、親しい仲間のテーブルに案内された。鄭さんの遺影に花を手向けた。

P1000076※鄭さんの遺影が飾られた祭壇。

Dscf4684※平成24年五月、大雄山のお祭りの途中で鄭さんと、小田原駅にて。

Dscf5029※平成二十四年十一月、関内ハイカラ祭りにて。サリーや友人たちと。この二か月後に亡くなられた。左端が鄭さん。

鄭さんは、山下町の「ラッーキの店」で、山崎雅夫さんからご紹介された。本当に最晩年の友人として親しくさせて頂いた。私は、鄭さんほどおおらかで、人が良く、友情を大事にする人を知らない。わずか三年ほどのお付き合いだったが、人の付き合いとは「長さではなく、濃さ」であることをしみじみ感じた。

「偲ぶ会」には、ホテルオークラの総料理長など、斯界の錚々たる人たちが、鄭さんの不在を惜しんでいた。鄭さんのご子息が、挨拶の中で、「父の名に『淋しい』という字が使われているのが、若い頃は不思議だったが、人に様々な恵を与えて決して淋しい人ではなかった」。うろ覚えで恐縮だが、胸に染みた。

壇上には、鄭さんが「横浜マイスター」に選ばれた時の祝賀会の様子が映し出されていた。中華街の「同発」、麻布の「香港ガーデン」、赤坂の「離宮」といった一流のお店で総料理長を経験した鄭さん。お付き合いに心から感謝いたします。

終了後は、出席していたサリーファミリーたちと「サリーズバー」へ。しばらく飲んでから帰路に着いた。


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長谷川三千子先生の論文には瞠目させられた。

2014-01-09 10:34:04 | インポート

一月六日(月)晴れ。

お付き合いはなかったが、やしきたかじん氏やポニーキャニオンのプロデューサーの方が亡くなられた。私と同世代の六十四歳だと言う。岐阜の細川先生からメールが入って、「お互い飲み過ぎには気をつけましょう」と。

もちろん毎晩酒を飲むことが身体によくないことは分かっているが、飲まないからといって長生きするとは限らない。この歳になるまで、ひたすらだらしない日々の繰り返しだっただけに、「やっぱりな」と言われないようにしなければ。

 

そう言えば、正月の靖国神社で田母神閣下と偶然にお会いした。どうやら「桜チャンネル」の撮影中だったようで、そこは場面を考えて、「お久しぶりです」と簡単なご挨拶をしただけで、その場を離れた。その田母神閣下、どうやら都知事選に出るらしい。失礼ながら、都知事選では厳しいかもしれない。本当は、維新の会からでも、参議院に出て欲しいと思っているのだが、この先、参議院選挙まで待っていられないということかもしれない。神奈川県民なので、都知事選挙には関係がないが、ろくな候補者がいない中で、せめて保守本流の理論を展開してもらいたいと思っている。

 

世間は、すでに動き始めていると言うのに、私の体と思考は、まだギリギリ正月ムードに浸っている。こんなことではいけないと思っていても、都合の悪い事は、皆歳のせいに出来るから有難い。雑然としたまま整理のつかない、新聞の切り抜きや、週刊誌の切り抜きなどを、テーブルに一杯並べて整理をした。自身の言い訳のようだ。

今日の産経新聞の「正論」に尊敬する長谷川三千子先生の論文が掲載されていた。アホな私は、こんなに狭い日本に、国民が一億二千万もいなくても良いではないかと、常々思っていた。日露戦争の折は、約四千万人。大東亜戦争の時は、約八千万人。この日本の狭い国土では、八千万人ぐらいの方が、衣食住にもう少しゆとりのある生活ができるのではないかと思っていたのである。しかし、今日の長谷川先生の「『当たり前』を以て人口減を制す」という論文には瞠目をさせられた。長谷川先生の論文では、

「今の日本の人口減少は飢餓や疫病の流行などでもたらされたものではありません。出生率の低下により、生まれてくる子供の数が減ることによって生じている現象です。子供の数が減れば、出産可能な若い女性の数も減ってゆく。ちょうどネズミ算の逆で、出生率の低下による減少は、ひとたび始まると急カーブを描いて進んでゆくのです。学者たちの計算によると、百年後の日本の人口は現在の3分の1の4000万人になるといいます。そして西暦2900年には千人となり、3000年にはゼロになるというのです。千年後というと遠い話のようですが、もし現在の日本の1・41という出生率がこのまま続いてゆくならば、これは確実に到来する未来なのです」。

インターネットで、「【正論】長谷川三千子氏 年頭にあたり 「あたり前」を以て人口減を制す」と検索しますと、全文を読むことが出来ますので、是非ご一読をお願い致します。

夜は、おとなしく酔狂亭で月下独酌。気障なようだが、最近の酒の肴は、友人から借りた「漢詩紀行」。これがいい。欲しいけれど高くて手が出ない。


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