白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ソースが好きで困っている。

2014-07-11 23:58:16 | インポート

七月七日(月)曇り。

朝目を覚まして天気が悪いと、それだけでイライラする。反対に陽射しが眩しい朝だと、何か良いことがありそうだと嬉しくなる。

爺むさいと思われるかもしれないが、朝食前に、まず両親の位牌のある仏壇の花の水を換えて、新しい水を供えて手を合わせる。願うことは、もちろん家族の無病息災だ。次に野村先生の写真と今上両陛下のご真影に加えて佐渡から連れて帰ってきた石のお地蔵さんの前にある花の水とお水を換えて野村一門の安泰と皇国の弥栄を祈念する。

七夕か・・・。若い人は知らないけれど、七夕の今日は、昭和十二年(一九三七年)七月七日に北京西南方向の盧溝橋(ろこうきょう)で起きた発砲事件で日中戦争(支那事変、日華事変)の発端となった日でもある。この事件をきっかけに、日本軍と中国国民党政府(現在の中華人民共和国ではない)は戦争状態に突入、その後戦線を拡大していった。日本ではなにやらロマンチックな日であるかもしれないが、お隣さんは反日のプロパガンダの日として盛り上がっているそうだ。アホクサ。

朝食は、家族が見向きもしない「マルシンのハンバーグ」と「赤ウインナー」とキャベツの千切り。後は気休めの「シジミのスープ」だ。野村先生は、ソース嫌いで困っていたが、私は大日本ソース党である。関西の同志や社友の福井英史さんからソースを送って頂くが、こんなに様々なご当地ソースがあることを知ってカルチャーショックを受けた。週に二回はどうしても「ソース」を使う料理が食べたくなる。

 一日原稿書き。何と言っても随分な量の原稿を書かなければならないので、資料集めや校正に時間がかかる。しかし脳みそは百グラム程度しかないのだから。夕方までかかって三分の一ほど書いた。徹夜でもすれば終わるのだが、一応五時に筆を置いて(パソコンですが)慌てて「みなとみらい」のスーパーにカツオを探しに行き、ゲット。ふふな気分で我が酔狂亭で月下独酌。


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矢でも鉄砲でも持って来い。

2014-07-11 23:29:29 | インポート

七月六日(日)晴れ。

やっと晴れたかと言う感じの朝。朝から家族を総動員して家の掃除と洗濯。自宅のすぐ裏で住宅建設を行っているので、平日は雨戸を開けることも洗濯物を干すことさえできない。まあお互い様だとは思ってるが、建てる方は営利で、近隣の私たちは何か月も忍耐を強いられる。不条理だと思うが、狭い日本では仕方がないかとイライラしながら耐えている。建売の住宅が出来たならば陽当たりは極端に悪くなり、住宅環境も悪くなる。

どうしても十日の締め切りの原稿があってヒーコラ言っている。何たって脳軟化症プラスに四六時中酒浸りの頭では良い物が書ける訳ではないが、これも生活の為と頑張っている。

二時過ぎに、K君とガールフレンドがお中元を持って挨拶に来てくれた。お互い浪人の身でお中元など心苦しいが、甘えて頂いた。感謝しています。仕事途中だったが「仕方がないか」と自分に言い訳して、普段ならば「猫マタギ」の「バーミヤン」へ行く。何故か・・・。私の自宅の近所の店は二時から五時まで休憩の店がほとんどで開いている店は「バーミヤン」ぐらいしかない。中華料理と思うと頭に来るが「バーミヤン」の料理と思い、その値段では文句も言えない。それに愛飲している「黒霧島」があるのだ。したたか飲んで、仕事も子供たちのことも、集団的自衛権のことも、懐具合もすべて忘れて安酒に酔った。

その後、蕎麦屋に転戦してベロベロになって帰宅。子供たちの冷たい視線を無視して、あっという間に寝てしまった。最近は山頭火ではないが「どうしょうもない私」におののいている。文句あるか藤本隆之。いつになったら印税で接待するんだ。矢でも鉄砲でも持って来い。


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