三月三十日(木)晴れ。
キュウリのおしんこが好きである。糠漬けでも塩もみでもいい。気が向くと、キュウリの塩漬けを作るのだが、どうも塩加減が分からず、いい塩梅に漬かるのは五回に一回程度である。先日も、北海道の友人から上等の日高昆布を頂いたので、沖縄の塩と一緒にキュウリを漬けた。食卓で食べている時に、子供たちに、キュウリは、もともと女の子が食べるものだ。と言ったら、「何で」と聞くので、「キュリー夫人を知らないのか」と答えたら、いきなり二人とも不機嫌になった。最近は、憎らしいことに、こういう高尚なギャグもウケなくなった。仕方がないので、迫り来る我が家の貧困に絡めてキューリー夫人の話をしてあげた。ホントです。
キュリー夫人は、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、一九〇三年のノーベル物理学賞、一九一一年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。一九〇九年、アンリ・ド・ロチルドからキュリー研究所を与えられた。ちなみに放射能 という用語は彼女の発案によるものである。
『大人のための偉人伝』(木原武一著・新潮選書)という本に、キュリー夫人の若き日のエピソードが書かれている。彼女はフランスのソルボンヌ大学に学んだそうだが、その学生時代、屋根裏に下宿していた彼女は凍りつくような寒さのため眠る事もできず、ありったけの服をトランクから引っ張りだし、着られるだけ着込んでベッドにもぐりこみ、それでもまだ体が暖まらないので残りの服をフトンの上に掛け、さらに椅子までのせた・・・。椅子をフトンの上にのせるとは日本で思いもつかぬところだが、このキュリー夫人の苦学の話はフランスでは誰でも子供の頃に一度は聞かされる話であるそうだ。後年夫人は、その時代のことを思い出して、「この期間が私に与えてくれた幸福は筆にもつくせぬほど大きなものでした。私はあらゆる雑用から解放され、学問に全身全霊を打ちこむことが出来ました。友達もいないまま、パリという大都会の片隅にひっそりと暮らしていたわけですが、たよりにする人も援助してくれる人もないことを悲しく思った事はただの一度もありません。ときに孤独の思いにふけることはあっても、私の日常的気分は、安らかな安息、それに完全な道徳的満足のそれでした」。
だから、キュウリを見たら、この話を思い出しなさい。とガツンと言ったら、「お父さんが酔っている時の話は、ほとんど信用が出来ない」と軽くいなされた。頭に来たから、明日は茄子を食べながら那須与一の話をしてやる。と言い終わらないうちに、自分の部屋に逃げて行った。
今日の、カツオのタタキは、はずれだった。酔狂亭に沈黙の夜が訪れた。
キュウリのおしんこが好きである。糠漬けでも塩もみでもいい。気が向くと、キュウリの塩漬けを作るのだが、どうも塩加減が分からず、いい塩梅に漬かるのは五回に一回程度である。先日も、北海道の友人から上等の日高昆布を頂いたので、沖縄の塩と一緒にキュウリを漬けた。食卓で食べている時に、子供たちに、キュウリは、もともと女の子が食べるものだ。と言ったら、「何で」と聞くので、「キュリー夫人を知らないのか」と答えたら、いきなり二人とも不機嫌になった。最近は、憎らしいことに、こういう高尚なギャグもウケなくなった。仕方がないので、迫り来る我が家の貧困に絡めてキューリー夫人の話をしてあげた。ホントです。
キュリー夫人は、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、一九〇三年のノーベル物理学賞、一九一一年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。一九〇九年、アンリ・ド・ロチルドからキュリー研究所を与えられた。ちなみに放射能 という用語は彼女の発案によるものである。
『大人のための偉人伝』(木原武一著・新潮選書)という本に、キュリー夫人の若き日のエピソードが書かれている。彼女はフランスのソルボンヌ大学に学んだそうだが、その学生時代、屋根裏に下宿していた彼女は凍りつくような寒さのため眠る事もできず、ありったけの服をトランクから引っ張りだし、着られるだけ着込んでベッドにもぐりこみ、それでもまだ体が暖まらないので残りの服をフトンの上に掛け、さらに椅子までのせた・・・。椅子をフトンの上にのせるとは日本で思いもつかぬところだが、このキュリー夫人の苦学の話はフランスでは誰でも子供の頃に一度は聞かされる話であるそうだ。後年夫人は、その時代のことを思い出して、「この期間が私に与えてくれた幸福は筆にもつくせぬほど大きなものでした。私はあらゆる雑用から解放され、学問に全身全霊を打ちこむことが出来ました。友達もいないまま、パリという大都会の片隅にひっそりと暮らしていたわけですが、たよりにする人も援助してくれる人もないことを悲しく思った事はただの一度もありません。ときに孤独の思いにふけることはあっても、私の日常的気分は、安らかな安息、それに完全な道徳的満足のそれでした」。
だから、キュウリを見たら、この話を思い出しなさい。とガツンと言ったら、「お父さんが酔っている時の話は、ほとんど信用が出来ない」と軽くいなされた。頭に来たから、明日は茄子を食べながら那須与一の話をしてやる。と言い終わらないうちに、自分の部屋に逃げて行った。
今日の、カツオのタタキは、はずれだった。酔狂亭に沈黙の夜が訪れた。