白雲去来

蜷川正大の日々是口実

キュウリとナスのエピソード。

2017-04-01 18:38:00 | 日記
三月三十日(木)晴れ。

キュウリのおしんこが好きである。糠漬けでも塩もみでもいい。気が向くと、キュウリの塩漬けを作るのだが、どうも塩加減が分からず、いい塩梅に漬かるのは五回に一回程度である。先日も、北海道の友人から上等の日高昆布を頂いたので、沖縄の塩と一緒にキュウリを漬けた。食卓で食べている時に、子供たちに、キュウリは、もともと女の子が食べるものだ。と言ったら、「何で」と聞くので、「キュリー夫人を知らないのか」と答えたら、いきなり二人とも不機嫌になった。最近は、憎らしいことに、こういう高尚なギャグもウケなくなった。仕方がないので、迫り来る我が家の貧困に絡めてキューリー夫人の話をしてあげた。ホントです。

キュリー夫人は、ワルシャワ生まれ。放射線の研究で、一九〇三年のノーベル物理学賞、一九一一年のノーベル化学賞を受賞し、パリ大学初の女性教授職に就任した。一九〇九年、アンリ・ド・ロチルドからキュリー研究所を与えられた。ちなみに放射能 という用語は彼女の発案によるものである。

『大人のための偉人伝』(木原武一著・新潮選書)という本に、キュリー夫人の若き日のエピソードが書かれている。彼女はフランスのソルボンヌ大学に学んだそうだが、その学生時代、屋根裏に下宿していた彼女は凍りつくような寒さのため眠る事もできず、ありったけの服をトランクから引っ張りだし、着られるだけ着込んでベッドにもぐりこみ、それでもまだ体が暖まらないので残りの服をフトンの上に掛け、さらに椅子までのせた・・・。椅子をフトンの上にのせるとは日本で思いもつかぬところだが、このキュリー夫人の苦学の話はフランスでは誰でも子供の頃に一度は聞かされる話であるそうだ。後年夫人は、その時代のことを思い出して、「この期間が私に与えてくれた幸福は筆にもつくせぬほど大きなものでした。私はあらゆる雑用から解放され、学問に全身全霊を打ちこむことが出来ました。友達もいないまま、パリという大都会の片隅にひっそりと暮らしていたわけですが、たよりにする人も援助してくれる人もないことを悲しく思った事はただの一度もありません。ときに孤独の思いにふけることはあっても、私の日常的気分は、安らかな安息、それに完全な道徳的満足のそれでした」。

だから、キュウリを見たら、この話を思い出しなさい。とガツンと言ったら、「お父さんが酔っている時の話は、ほとんど信用が出来ない」と軽くいなされた。頭に来たから、明日は茄子を食べながら那須与一の話をしてやる。と言い終わらないうちに、自分の部屋に逃げて行った。

今日の、カツオのタタキは、はずれだった。酔狂亭に沈黙の夜が訪れた。

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『実話ドキュメント』の休刊に涙。

2017-04-01 18:21:19 | 日記
三月二十九日(水)晴れ。

長い間連載をさせて頂いた『実話ドキュメント』が、今月で休刊となった。どんな事情があったのかは分からないが、残念なことだ。この雑誌の連載のきっかけを作って頂いたのは、正気塾の故若島征四郎先生だ。平成六年に、当時六本木にあった正気塾の事務所に呼ばれ、「何か書いて見なさい」と紹介をされた。当時、若島先生は、同誌に「日本人の心」を連載していた。

最初の連載は、「網走刑務所はブルースで暮れる」。これを百回書いて、一区切りとし、「友を選ばば書を読みて」に題名変更して、「読書」に関することを中心としたエッセイを連載をさせて頂いた。最終回は、百七十六回、「貧困を読む」である。『実話ドキュメント』は年十二回の発行だから、「友を選ばば」は、実に十四年以上にわたって、私の拙い文章が紙面を汚してきたわけだ。その前の連載と合わせると、何と二十四年。私は、『実話ドキュメント』によって育てられたと言っても過言ではない。毎月、全国の民族派の運動がグラビアで紹介されていたり、獄中の人たちの便りなど、貴重な情報源であった。大手の出版社や新聞社が発行している週刊誌や月刊誌だけがオピニオン・リーダーではない。こういった雑誌が出版されない世の中に、危うさを感じるのは私だけではないだろう。それはともかく、オーナー編集長の篠田邦彦さんやスタッフの皆さんに、心から感謝申し上げる次第です。

かつて『実話ドキュメント』の連載と並行して、『実話時報』という月刊誌に、野村先生の思い出を書いた「回想は逆光の中にあり」を連載していた。残念ながらその雑誌も廃刊となってしまった。真綿で首を絞められるがごとくに、じわじわと生活が圧迫されてゆく。今更ながら、筆一本で生活することの厳しさを実感している。私が発行している『燃えよ祖国』。これだけは歯を食いしばっても続けて行きたいと思っている。

夜は、酔狂亭にて牛筋の煮物を肴に、からから辛い酒に酔う。

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