白雲去来

蜷川正大の日々是口実

昨日の白昼夢。

2017-06-06 12:58:00 | 日記
六月一日(木)雨のち曇り。

昨日のことである。午前中、といっても昼近くに、憂国の企業家、松本洋三氏から電話が入り、「どうですか飯でも」との誘い。仕事もひとまず一段落したので、迷わず、諾。いそいそと伊勢佐木町へ。正午過ぎに、有隣堂(伊勢佐木町にある書店)前にて待ち合わせ。昼食のお店は、天麩羅の名店の「登良屋」。昼にも関わらず、席に着けば、まずビール。このお店は、天麩羅はもちろんだが、刺し身や煮魚がとても美味しい。恐らく、そこいらの小料理屋でも、この店ほどの刺身や煮魚は出ないと思う。特に、この時期は、メジマグロとカツオが絶品である。ただし、刺身類は、時価なのでご注意。

最初は、焼酎を一杯づつ頼んでいたのだが、面倒になりボトルを頼んだ。隣の席に座ったのが、八十代とおぼしきご老体の四人。聞けば、何と中学の同級生とのこと。他の同級生は、ほとんど鬼籍に入ってしまい、仲良し四人が月に一度集まって食事を共にしている、とのこと。まあお元気だし、記憶力も抜群で、我々は子供扱いとなった。皆さん浜っ子で、横浜では有名な窯業の会長や元横浜医大の先生、貿易会社の代表とエリートばかり。楽しい酒席となった。

思わず長居してしまい、二時間以上居座ってしまった。もう一軒、と福富町へ転戦。二十四時間営業の「ヤンさんの台所」へ。もつ鍋をチャミスルで。このお店は、横浜では有名で夜はかなり混み合うそうだ、マッサージへ行こう。と、松本社長。そう言うことになって、伊勢佐木町では、評判の良いと言うタイ式のマッサージ屋へ。二時間やって貰ったが、飲んでいたので、ほとんど寝ていた。良い酔い覚ましとなった。終わって時計を見れば、何と七時半。ジェジエジェ(古いか)慌てて帰宅。お陰様で、夜はぐっすりと眠ることが出来た。

今朝は、アスパラの牡蠣ソース炒め、メカジキのバター炒め、モズクの味噌汁。この時期のアスパラは、いわゆる露地物で、一番おいしい。天ぷら、フライ、炒め物。毎日食べても飽きない。昨日食べ過ぎたので、昼食は抜いた。夜は、家族は、鳥鍋、私は、そごうで買った、カツオにボタン海老。昨日の反省で、一日事務所にて仕事。

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『日本人と右翼』が刊行された。

2017-06-06 11:03:56 | 日記
五月三十一日(水)晴れ後曇り。

私が、インタビューを受けた宝島社の『日本人と右翼』(千二百円+税)が完成し、送られてきた。個人インタビューは、田母神閣下、西部邁氏と私の三人のみ。一瞬、エッ、と言う感じだった。私だけが民族派として意見を述べるなどと言うのは、誠に持って僭越至極。恐縮する。もっと他の人たちも登場するのかと思った。表題のように、「日本人と右翼」を良く解説しているが、まあ紙面の限りもあるのだろうが、私としては、福田素顕先生、中村武彦先生や毛呂清輝先生、浅沼美智雄、荒原牧水先生など、もう少し、民族派の重鎮の諸先生を取り上げて貰いたかった、という思いがある。

それでも、津久井龍雄先生などが取り上げられるのは珍しいことで、民族派のもう一つの潮流、いわゆる「国家社会主義」の流れを解説して頂いたことには敬意を表する。また圧巻だったのは、「激動の右翼史(前・後)」である。ライターは、夏原武さん。夏原さんと初めてお会いしたのは、『実話ナックルズ』と言う雑誌で野村先生を取り上げて頂いた時に、取材を受けた。もう十年以上も前のことだ。以来、ご指導を賜っている。夏原さんは、漫画『クロサギ』の原作者としても有名である。民族派に関する著書がないにもかかわらず、民族派運動の、過去と現在に関して、とても良く書いており、あらためて勉強になった。

私のフェイスブックで紹介し「シェア」をお願いした所、一二七名方が、『日本人と右翼』の宣伝を「シェア」してくれた。改めて感謝申し上げる次第です。

以前、弊社から、『右翼民族派総覧』、『右翼民族派名鑑』の二冊を出版したことがある。当時はパソコンが無く、すべてカードにデーターを書きこんで手作業で処理した。いずれ、後世に残るような、右翼・民族派の資料をまとめてみたいと思っている。

夜は、いや、昼から、ずっーと飲んで、久しぶりの大破・轟沈。

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