十一月十一日(土)晴れ。
現在制作中の機関誌『燃えよ祖国』の特集は、「野村秋介と私」である。弊社の社友や野村先生の友人など十三名の方から玉稿を頂いた。その中で多くの方が、「邂逅」という言葉を使っている。広辞苑では「思いがけなく出あうこと。めぐりあうこと」とある。野村先生が、文章の中で、その「邂逅」の言葉を使ったのは、昭和五十年発行の、政治結社・紘友会の会報で、会報のタイトルに使用している。
発行が昭和五十年の八月。野村先生が河野邸焼き討ち事件にて十二年の刑を終えて戦線復帰したのが同年の夏であるから、恐らく、先生の文章が活字になった最初のものであると思う。河野邸の事件で未決にいる折に、先輩の発行している機関誌に、手紙形式で掲載されたり、横浜の先輩の『天照』と言う機関誌に獄中から時折『俳句日記』を投稿していたが、パンフレットであっても、一冊にまとまったものは、前述の『会報』が初めてである。その冒頭には、こうある。
「いまは鬼籍に入ったが、亀井勝一郎の晩年の言葉に、『人の一生は邂逅の一言に尽きる』というものがある。最近、齢のせいか、この『出合い』とか『邂逅』という言葉に、少なからぬ人生の真理が秘められていることを識らされている。辞書を引くと、邂逅とは、まったく思いもかけずにめぐり会うことだと記してあるが、この思いもかけぬ人と人との出合いが、人生の大半を決してしまう例は屡々で、それを大胆に『人の一生は邂逅の一言に尽さる』といい切った亀井勝一郎の炯眼に、只事ならぬ人間的な深さを見せられる思いがする。たしかに、人の一生にとって、人と人とのめぐり会いほど大切なものはない。よき師を得るのも、よき友を得る事も、それは邂逅にまつよりない。よき師もよき友も得られず、一生を無為に流されてしまう人たちの夥しい世の中にあって『人の一生は邂逅の一語に尽きる』という言葉は、まさに至言である」。
この文章の中で、先生は「最近、歳のせいか」と書いているが、この時先生は、四十歳である。それに比べたら私なんぞ・・・。と赤面の思いのする今日この頃である。この先生の文章は、最新号に全文掲載する。
夜は、近所のスーパーで、久しぶりにカツオを見つけた。狂喜して買い、酔狂亭で月下独酌。
現在制作中の機関誌『燃えよ祖国』の特集は、「野村秋介と私」である。弊社の社友や野村先生の友人など十三名の方から玉稿を頂いた。その中で多くの方が、「邂逅」という言葉を使っている。広辞苑では「思いがけなく出あうこと。めぐりあうこと」とある。野村先生が、文章の中で、その「邂逅」の言葉を使ったのは、昭和五十年発行の、政治結社・紘友会の会報で、会報のタイトルに使用している。
発行が昭和五十年の八月。野村先生が河野邸焼き討ち事件にて十二年の刑を終えて戦線復帰したのが同年の夏であるから、恐らく、先生の文章が活字になった最初のものであると思う。河野邸の事件で未決にいる折に、先輩の発行している機関誌に、手紙形式で掲載されたり、横浜の先輩の『天照』と言う機関誌に獄中から時折『俳句日記』を投稿していたが、パンフレットであっても、一冊にまとまったものは、前述の『会報』が初めてである。その冒頭には、こうある。
「いまは鬼籍に入ったが、亀井勝一郎の晩年の言葉に、『人の一生は邂逅の一言に尽きる』というものがある。最近、齢のせいか、この『出合い』とか『邂逅』という言葉に、少なからぬ人生の真理が秘められていることを識らされている。辞書を引くと、邂逅とは、まったく思いもかけずにめぐり会うことだと記してあるが、この思いもかけぬ人と人との出合いが、人生の大半を決してしまう例は屡々で、それを大胆に『人の一生は邂逅の一言に尽さる』といい切った亀井勝一郎の炯眼に、只事ならぬ人間的な深さを見せられる思いがする。たしかに、人の一生にとって、人と人とのめぐり会いほど大切なものはない。よき師を得るのも、よき友を得る事も、それは邂逅にまつよりない。よき師もよき友も得られず、一生を無為に流されてしまう人たちの夥しい世の中にあって『人の一生は邂逅の一語に尽きる』という言葉は、まさに至言である」。
この文章の中で、先生は「最近、歳のせいか」と書いているが、この時先生は、四十歳である。それに比べたら私なんぞ・・・。と赤面の思いのする今日この頃である。この先生の文章は、最新号に全文掲載する。
夜は、近所のスーパーで、久しぶりにカツオを見つけた。狂喜して買い、酔狂亭で月下独酌。