白雲去来

蜷川正大の日々是口実

役員会議。

2017-11-20 13:10:22 | 日記
十一月十五日(水)晴れ。

昨夜、一杯飲むごとに「反省」を繰り返すこと十五、六回。反省の山を築いた。これで少しは真人間になると思ったが、天はその禊を許さず、二日酔いと言う罰を与えられた。嗚呼、無情なり。という訳で、胃にやさしい朝食は、白菜ときくらげのうま煮に豆腐の味噌汁。食後のヨーグルトで体調を整えた。

午後から、私が役員の末席を汚している大行社の役員会議があり東京行き。一言、ご挨拶をさせて頂いた。終了後に、六本木で直会。二時間ほどいてお暇した。バイトに行っている子供と一緒に帰ろうと保土ヶ谷駅の並びにある、居酒屋に行く。地元なのだが、ほとんどこの場所で飲んだことが無い。二軒いって暇をつぶしたが、値段なりのお店で、まあまあかな。子供に介護されて帰宅。

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人生五十年か・・・。

2017-11-20 12:35:42 | 日記
十一月十四日(火)雨。

今の季節にはそぐわないが、良寛さんの作と言われているのが、「半夜」という漢詩である。半夜と言うのは夜半と同じで、夜中と言う意味。窓を打つ雨音を聞いていると、その良寛さんの詩が浮かぶ。

首(こうべ)を回らせば五十有余年
人間(じんかん)の是非は一夢の中(うち)
山房五月黄梅の雨
半夜蕭蕭(しょうしょう)として虚窓(こそう)に灑(そそ)ぐ

振り返ってみれば、もう五十年余りもたってしまった。人の世の善いことや悪いことはまるで夢の中のことのようだ。五月を迎えた山の庵の梅雨。夜中に物寂しく飾り気のない窓に五月雨が降り注いでいる。(「漢詩歳時記」渡部英喜著・新潮選書)

江戸時代や明治まで、人は五十と言えば、もう晩年にさしかかっていた。黒龍会の内田良平先生の歌にも「五十年 国を憂ひて草莽(そうもう)野にさまよひて泣きになきたり」がある。「五十年」で最も有名なのが、信長の「敦盛」の一節だろう。「人間五十 下天の内を比ぶれば 夢、幻の如くなり 一度生を享け 滅せぬもののあるべきか」。

当たり前だが毎日、こんなことを考えている訳ではない。浪人暮らしに雨は侘しさが増す。そう思うのも、「人生五十年」をとうに過ぎ、あと何年かすれば古来稀な歳となる。何の建設的なこともせずに、ただ生きているだけの日々を、たまに反省するときもある。

夜は、酔狂亭で「伊佐美」を抱きて、寅さんではないが反省の酒。

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青年賛歌

2017-11-20 11:09:23 | 日記
十一月十三日(月)晴れ。

夜中か朝方に、尿意を催して目が覚める。私が寝ている隣のリビングの明るさで大体の時間が分かる。午前三時頃かな、と思って時計を見ると、当たっている。朝方でも、六時前かなと思うと、ビンゴである。起きなくてはいけないのに、「後五分」を二度ほど繰り返す習慣は、若い頃から変わらない。

朝は、レトルトのハンバーグ、目玉焼き、キャベツの千切りにトーフの味噌汁。昼は無し。夜はアスパラと牡蠣のオイスターソース炒め、「日本一」というお店の焼き鳥。お供は、珍しく「伊佐美」。

次号の『燃えよ祖国』には、野村先生が千葉刑務所時代に作詞した「青年賛歌」のDVDを読者プレゼントとして同封するつもりでいる。その「青年賛歌」は、岐阜の花房東洋先輩のご努力で、作曲家の平山忠純先生が曲をつけ、平成二年十一月三日に世田谷区民ホールにて開催された国士舘大学の創始者である柴田徳次郎先生生誕百年を記念した「青年日本の宴」にて披露された。

「青年日本の宴」からのカットであるが、いずれPCの音楽関係に詳しい方にお願いして、音源をクリーンにしてCDにして貰おうと思っている。どなたか、そう言うことに詳しい方を知っていたならば、ご紹介ください。お世話になっている方より、DVDのコピー機をご贈呈して頂いた。一度に十枚をコピーできるものなのだが、これがとても性能が良く助かっている。次号をお楽しみに。

青年讃歌 野村秋介作詞 平山忠純作曲
   
一・嗚呼、日本の青山河 起てば声なき白雲の 彼方に散りし人ありき 友よ大悲を知り給え

二・昭和維新のことならず 空しく消えた雄叫びが 渦巻く如し天の川 友よ哀歌を吟ずべし

三・短かき命逍遥と 行けば維新か牢獄か 銀河が蒼く澄む夜に 友よ涙をするなかれ

四・国のためには剣あり 友のためには涙あり 見よ雄渾の夏雲を 友よ悲憤を秘むるべし

五・思えば恋も酒もあり 思えば月も花もあり ああ混濁の世を生きて友よ未完の詩を愛せ

六・高楼天に傾けて 呑む盃に日の本の 銀の涙をなみなみと 友よ炎の如く呑め

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霜の夜を 思い切ったる門出かな。

2017-11-20 10:50:08 | 日記
十一月十二日(日)晴れ。

良い天気の日曜日だが、浪人の身としては、日曜日も平日もない。用事があるときや、原稿を書いたり機関誌の校正をしている時が平日で、そう言った用事の無い時が日曜日である。そう考えると、生活を無視して、何もしなければ、城山三郎さんの本ではないが、「毎日が日曜日」である。内情を知らない人は、気楽で良いと思うかもしれないが、実情は、青息吐息である。

昭和二十三年の今日、終戦の翌年の五月から始まった極東軍事裁判(東京裁判)の判決が出た日である。東条英機らの戦争指導者七人に死刑判決が出た。そしてこの年の十二月二十三日に七名の方に死刑が執行された。この日がどういう日なのか、言うまでもあるまい。いつの日か、この人たちの名誉が回復されることを願ってやまない。「霜の夜を 思い切ったる門出かな」は、武藤章の時世である。その方々が荼毘に伏されたのが久保山の火葬場。私が通った小学校のすぐ近くにある。当然ながら子供の頃は、そんな事を知らなかった。合掌。

機関誌の製作に追われている。使い勝手の良かった印刷機をリースしていた会社が倒産し、メンテナンスもしてくれないので、リース会社を換えた。以前の機種と同じにすると、以前の料金の二倍近くの、高い金額設定となっているので、仕方がないのでワンランク下の機種にしたのだが、これが印刷のスピードがとても遅くて、イライラする。騙し騙し機械を動かす、と言う状態で、印刷機にほとんどつきっきりでいなければならない。それでも我慢するしかない。

夜は、我が酔狂亭で月下独酌。湯豆腐と柳カレイの干物。お供は「黒霧島」。

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