白雲去来

蜷川正大の日々是口実

大角打ち。

2017-11-06 14:05:55 | 日記
十一月三日(金)雨後晴れ。明治節。

起床後に玄関に国旗を掲げ、明治神宮を遥拝。確か、海軍中将で、終戦時に部下を伴い特攻出撃した宇垣纏がラバウルで詠んだ句と言うものに、「菊を見ぬ 明治節なり 大東亜」と言うものがあった。宇垣中将の陣中日記『戦藻録』は、先の大戦の貴重な記録である。

朝食後、私の機関誌『燃えよ祖国』に掲載する社友や友人の方から寄せられた「野村秋介と私」の原稿の校正。お願いしていた十二名の方の様々な思いの込められた、とても良い原稿ばかりで、読んでいて目頭が熱くなった。本当は、もっと多くの方に原稿を依頼しようかと思ったが、頁の限りもあるし、中にはお忙しい方もいると思い、十二名の方となった。

二時過ぎに、横浜の藤棚商店街で行われているお祭り「へそ祭り」に出かけた。お神輿が商店街を練り歩き、とても活気のあるお祭りなのだが、私はお神輿よりも、仲良しさんたちとの酒席が楽しみでいつも出かける。先日、「マツコデラックス」の番組に出ていた、天狗会の鈴木会長やサリー夫妻など、ほとんどが知っている人ばかり。商店街にある酒屋さんを鈴木会長が貸し切っての大「角打ち」。そのうちに、高校の同級生の純三氏や地元の顔役、ミッチー橋本氏なども合流して昼間からの大宴会となった。その中で、やはり高校の同級生で、消防団に長年にわたり貢献したK氏が、叙勲の栄を賜ったとの情報。本当なら嬉しい話だ。いずれ皆でお祝いを、と言うことになった。

その後、京急の戸部と言う駅のすぐ隣にある居酒屋で二次会。下のライブハウスで演奏をすると言う元ジャガースの沖津久幸氏がわざわざ挨拶に来てくれた。もう古稀を過ぎていると言うのに、とても若い。その後、カメ&アコちゃんたちと藤棚に戻り、一軒転戦して終了。

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私のナポリタン。

2017-11-06 10:56:08 | 日記
十一月二日(木)晴れ。

テレビや雑誌などを見ていて、そこに出てきた料理を突然食べたくなる。という経験は誰にでもあるだろう。今日、好きなブログを見ていたら、「ナポリタン」の写真がアップされていた。それを見たら、どうしてもナポリタンが食べたくなった。ジャージ姿でコンビニに行くのも恥ずかしいし、家でスパゲティーを茹でるのも面倒だし、と思案すること三分。ストックの棚を見たらスバゲティーがあったので、お湯を沸かして待つこと八分。茹で上がった。

いつの頃からスパゲティーのことをパスタなどと言うようになったのだろうか。随分前だが、レストランに入ったら、スパゲティーのオーダーを受けたコックが、注文が入ってからスパゲティーを茹でて、それを具とからめてお皿に盛ったのを見て、とても驚いた。ラーメンじゃあるまいし、注文が入ってから茹でるとは・・・。今ならこんなことは常識なのだろうが、私が若い頃は、あらかじめ茹でておいたものを、くっ付かないようにサラダ油を少し垂らして冷蔵庫にしまっておく。それを炒めたものだ。メニューは、ケチャップ味の「ナポリタン」と「ミートソース」の二種類しかなかった。もちろんパスタの専門店などなく、スパゲティーと言えば喫茶店で食べるのが普通だった。

十代の頃、ガールフレンドと喫茶店に入って、二人でナポリタンを注文した。フォークが紙ナプキンに包まれて、タバスコ、粉チーズと一緒にテーブルにセットされた。ナポリタンが出来て、私は知ったかぶりをしてタバスコを、多めにかけて食べた所、ムハッとむせて、その途端にナポリタンが口から出てしまった。その時の情けなさと恥ずかしさ。横浜の福富町にあった「ロイヤル」というお店での出来事だ。タバスコの瓶を見ると、たまにその時のことを思い出し、赤面することがある。

私流のナポリタンと言えば、赤ウインナー、玉ねぎを炒めて、ケチャップでアジをつけたものだ。当然パスタ世代の家族からは顰蹙を買っている。最近は、レパートリーが増えて、スライスマッシュルームを沢山入れたニンニク味のペペロンチーノもたまにつくる。この時だけはさすがに、オリーブオイルを使う。

神奈川県の座間市のアパートで起きた猟奇的な事件。食事時に、そのニュースが流れると、気持ちが悪いのですぐ他の局に替える。この事件をきっかけに、会ったこともない独り暮らしの男の部屋に行くなどと言う行為が、いかに危険な事かと言うことを若い人たちは知った方が良い。

午前中に病院で検査。心電図にレントゲン、最近余り体調が良くないことを話す。いつもの薬を貰って帰宅。夜はおとなしく酔狂亭で月下独酌。

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