白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お隣は、どんどん左にブレて行く。

2019-09-07 11:15:10 | 日記
九月四日(水)曇り。

下の子供が今日から大阪へ旅行、愚妻は里帰り。朝、横浜駅まで下の子供を送って行った。愚妻の飛行機が午後なので、少し遅めの朝食。サンマの干物、大根おろし添え、なすのおしんこ。愚妻を送った後は、FBFから頂いた千葉のカップ麺の「竹岡式ラーメン」。初めてだが美味しかった。夜は、カツオのたたき、ポークソテーにスライスマッシュルーム添え。上の子供を相手に日韓論を一席ぶったが、「早く寝なさい」と怒られた。

自分では正義や改革を主張し、善人の仮面をかぶっている。しかしその実、女房は権力を利用しつつ蓄財に精を出す。娘には、その人生に箔をつけるために、虚偽の学歴や成績を不正に操作する。一億円に近いお金をファンドに投資しておきながら、「家族のしたことであり、私は知らない」とシラを切る。どのツラ下げて正義や改革を言うのか玉ねぎ男さん。最後の手段は、また反日を口にするに違いあるまい。日本と仲良くして何か損なことがあるのか教えて欲しいものだ。

韓国がまだ朴政権の頃、日本のマスコミが北朝鮮の独裁を批判せずに、韓国を「軍事独裁」と批判していたのに違和感を感じていた。韓国とは多少の摩擦があろうとも「反共」という目的のために共に戦うと言う、ある種の連帯感があったように思う。昭和四十九年頃、私が主宰していた勉強会「横浜青年政治研究会」の名前で、「日・華・韓友好促進ーマスコミは韓国に対する偏向報道を中止せよ!日華国交恢復せよ!」と言うスローガンのポスターを作って貼った。かつて「反共」の同盟国であった韓国が、いつしか「反日」の国となって、日本を敵視しだした。北朝鮮は強大な軍事力を持ち、虎視眈々と南進の時を窺っていると言うのに変われば変わるものだ。我が国はブレないのに、お隣は、どんどん左にブレて行く。困ったものだ。※写真は昭和49年当時のポスター。まだ一誠と名乗っていた頃です

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停電で我が家はキャンプ状態。

2019-09-07 10:23:43 | 日記
九月三日(火)雨。

先日、社友から青森は十三湖のシジミをご恵送頂いた。たっぷりな水で「砂抜き」をして下さい。とあったので大き目の器に水を入れてシジミの砂抜きをしたのだが、酔っぱらってつい寝てしまった。夜中の三時、寝ていたらフト何か忘れていると思い出して目が覚めた。そうだシジミがそのままだ。暑い季節なの余り長時間水に浸けていると傷んでしまう。慌ててシジミを水から出して、軽く洗ってから小分けにした。シジミは冷凍する方が栄養素が増すと言う。朝は、当然シジミの味噌汁。

夜、横浜にゲリラ豪雨。我が家から少し離れたところでは、雨が滝のように降って道路が冠水したり、マンホールから雨水が吹きあげているニュースを見た。我が家の周辺は大したことが無かったが雷で何度か停電した。しばらくすると電源が戻ったが、三度目の雷で停電したまま電源が戻らない。何、すぐに戻るだろうと思い、子供たちと家にある電池式のランタンを総動員して、各部屋や洗面所、玄関に吊るした。ちょっとしたキャンプモードである。しかし、電気がないと当然ながら家のすべての家電が動かない。心配なのは冷蔵庫である。

しばらくして愚妻が帰宅。家のキャンプ状態を見て一言。「隣近所の家は皆電気が点いているのに、何で家だけ暗いの」。「停電だよ」。「ブレイカーが落ちてるんじゃないの」。さっそく電源盤を見ると、ブレイカーが落ちていた。戻すと一瞬で家が明るくなった。面子が丸つぶれである。しかし良かった。メデタシ、メデタシ。

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