九月七日(土)晴れ。
昨日は、クレーマーな国に対して少し書かせて頂いたが、肝心の「備忘録」にならなかった。昨夜は、お世話になっている方々と元町で待ち合わせて、寿司屋「藤松」へ。私は、この寿司屋が好きだ。最初は社友の斉藤義一さんに紹介された。もう二十年以上も前のことだ。その頃のお店は、横浜の伊勢町と言う所にあった。次は伊勢佐木町へ移転したが、かえって近くなって良く使わせて頂いた。
何の心境の変化か、いきなり六本木に移転。さすがに頻繁とは行かずに、不肖・宮嶋さんやお世話になっているO氏などと二度ほど伺った。その名店が、横浜は元町に戻ってきた。その藤松で寿司を堪能してから、狭斜の巷に繰り出して二軒転戦して帰宅。スペシャルサンクスな夜だった。
良い酒の時は目覚めも良い。私以外の家族はそれぞれ旅行や帰郷をしているので、寂しい朝食は、「フクイのカレー」にオムレツを添えてガッツリ食べた。昼は、麺少なめの「サンマー麺」。夜は、コンビニのおでん。がっかりだった。他は、筋子にロースハム。お供は「黒霧島」にて、本当の月下独酌。
昨日の私のブログに少し書かせて頂いたが、韓国は彼らの言う所の「戦犯企業」からどれだけ恩恵を受けているのだろうか。そんなことを恩着せがましく言うつりはない。やっていることが子供じみていると思うのだ。日本人から見れば、ほとんど嫌がらせに近いようなことをして溜飲を下げる。それも七十四年以上も前のことで。「戦犯企業」(こういう言葉を使うのは嫌だが)で働いている人達は、当然戦争など知らない。そしてその人たちの中には在日の人もいるかもしれない。彼らが指定した二百余の企業で働く人たちは、恐らく「嫌韓」の意識を高めて行くに違いあるまい。そのツケは必ず彼の国と国民に戻って行く。
昨日は、クレーマーな国に対して少し書かせて頂いたが、肝心の「備忘録」にならなかった。昨夜は、お世話になっている方々と元町で待ち合わせて、寿司屋「藤松」へ。私は、この寿司屋が好きだ。最初は社友の斉藤義一さんに紹介された。もう二十年以上も前のことだ。その頃のお店は、横浜の伊勢町と言う所にあった。次は伊勢佐木町へ移転したが、かえって近くなって良く使わせて頂いた。
何の心境の変化か、いきなり六本木に移転。さすがに頻繁とは行かずに、不肖・宮嶋さんやお世話になっているO氏などと二度ほど伺った。その名店が、横浜は元町に戻ってきた。その藤松で寿司を堪能してから、狭斜の巷に繰り出して二軒転戦して帰宅。スペシャルサンクスな夜だった。
良い酒の時は目覚めも良い。私以外の家族はそれぞれ旅行や帰郷をしているので、寂しい朝食は、「フクイのカレー」にオムレツを添えてガッツリ食べた。昼は、麺少なめの「サンマー麺」。夜は、コンビニのおでん。がっかりだった。他は、筋子にロースハム。お供は「黒霧島」にて、本当の月下独酌。
昨日の私のブログに少し書かせて頂いたが、韓国は彼らの言う所の「戦犯企業」からどれだけ恩恵を受けているのだろうか。そんなことを恩着せがましく言うつりはない。やっていることが子供じみていると思うのだ。日本人から見れば、ほとんど嫌がらせに近いようなことをして溜飲を下げる。それも七十四年以上も前のことで。「戦犯企業」(こういう言葉を使うのは嫌だが)で働いている人達は、当然戦争など知らない。そしてその人たちの中には在日の人もいるかもしれない。彼らが指定した二百余の企業で働く人たちは、恐らく「嫌韓」の意識を高めて行くに違いあるまい。そのツケは必ず彼の国と国民に戻って行く。