10月20日(火)曇りのち晴れ。
先生の27回目の御命日である。本来なら今日が群青忌なのだが、地方からの参列者や仕事をしている方のことを考えて20日の御命日に近い日曜日を追悼祭の日として毎年開催している。先生が自決なされた翌年の平成6年から毎年、会場を借りてかなり大掛かりに行っていたが、平成15年の第10回以降から五年おきに会場での追悼祭を行うこととした。その理由は、先生の遺志を伝えるという本来の目的から、単に群青忌を開催することのみが目的となってしまうことを危惧したためである。5年ごとの間は、菩提寺の浄発願寺にて墓前祭を行い、野村先生を慕う人はもとより、弊社の社友との年に一度の交流の場となっている。
起床後に先生の遺影に手を合わせた。いまは亡き悲願の人の悲願を継ぐ。という先生の句が胸にしみる群青忌の日である。
朝は、サバの文化干し、茶碗どん兵衛、キュウリのおしんこ。昼は、無おにぎり一つに、茶碗ヌードル。夜は、ポークソテー、スライスマッシュルームのせ、豆腐のステーキ。お供は「黒霧島」。※写真は平成4年9月、ローマにて。
先生の27回目の御命日である。本来なら今日が群青忌なのだが、地方からの参列者や仕事をしている方のことを考えて20日の御命日に近い日曜日を追悼祭の日として毎年開催している。先生が自決なされた翌年の平成6年から毎年、会場を借りてかなり大掛かりに行っていたが、平成15年の第10回以降から五年おきに会場での追悼祭を行うこととした。その理由は、先生の遺志を伝えるという本来の目的から、単に群青忌を開催することのみが目的となってしまうことを危惧したためである。5年ごとの間は、菩提寺の浄発願寺にて墓前祭を行い、野村先生を慕う人はもとより、弊社の社友との年に一度の交流の場となっている。
起床後に先生の遺影に手を合わせた。いまは亡き悲願の人の悲願を継ぐ。という先生の句が胸にしみる群青忌の日である。
朝は、サバの文化干し、茶碗どん兵衛、キュウリのおしんこ。昼は、無おにぎり一つに、茶碗ヌードル。夜は、ポークソテー、スライスマッシュルームのせ、豆腐のステーキ。お供は「黒霧島」。※写真は平成4年9月、ローマにて。