白雲去来

蜷川正大の日々是口実

不倫は「心の華やぎ」?

2020-11-20 10:52:56 | 日記

11月4日(水)晴れ。

あーあもう11月か。あれもしなければ、これも片付けなければ・・・。と思いつつ結局は無為な日々をおくり、暗くなるまで待って、酒に酔う。という非生産的なぐーたら生活をしている。テレビではお医者さんや、お偉いさんが「コロナをなめんなよ!」と声高に言うが、「ナメテなんかいませんから、勘弁してくださいよ」と怯えつつ、恐る恐る狭斜の巷に繰り出すのです。

そういえば、またアイドル?が「文春砲」の餌食になった。堂々と居直るかと思ったら、直ぐに白旗を挙げてしまった。つまらない世の中になったものだ。そりゃあ糟糠の妻には申し訳ないが、芸人(芸能人・役者)を含めて家庭を大事にしつつ、女の一人や二人大目に見てやらなければ、スケールのでかい役者が育たないような気がする。もちろん金をケチって多目的トイレなどで女を道具のようにもて遊ぶようなゲスの極みのような者は別だ。

引き合いに出しては非常に申し訳ないが、現在読んでいる沢木耕太郎さんの『旅のつばくろ』(新潮社)というエッセイをまとめた本の中に、檀一雄氏のことに触れた「心の華やぎ」という一文がある。失礼を顧みず、ちょっと引用させて頂く。

「作家には、たとえそれが『不倫』であれ、誰かに惹かれているという心の華やぎが精神を若返らせ、作品に艶を与えることがある。たとえば、あの吉行淳之介が死ぬまで『不倫」』相手の宮城まり子に誠意を示しつづけたのは、あるとき自分の作品に生気を吹き込んでくれた人への感謝の念を持ちつづけたからではないかという気がする。そして、それは、単に作家だけのことでもないような気る。かりにその結果、家庭が『劫火』に焼かれることになろうと、心の華やぎは生きていることの確かな証しであるかもしれないからだ。」

檀一雄氏には、「家庭が『劫火』に焼かれること」をテーマにしたベストセラー『火宅の人』がある。妻のほか、障害を持つ息子のほか4人の子を持ちながら、女優を愛人として、通俗小説を量産しながら、自宅をよそに放浪を続けている。「火宅」とは仏語で、「燃え盛る家のように危うさと苦悩に包まれつつも、少しも気づかずに遊びにのめりこんでいる状態」を指す。沢木耕太郎さんには、その檀一雄のことを書いた『檀』がある。この時期に是非、その2冊を読んでみて下さい。

私は、子供のころは名前の「まさひろ」から「マー坊」もしくは「マーチン」と呼ばれていた。一人だけ小学校の同級生のTというやつが「マッチ」と呼んでいた。ファンには申し訳ないが、私だって子供のころはマッチと呼ばれていたんだ。マッチで本当に火がついちゃったか。

 

 

 


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