10月28日(水)晴れ。
先日、好きなテレ東の「昭和は輝いていた」という番組で、ザ・ピーナツの3時間スペシャルをやっていた。その時に聞いた歌の中で一番心に残ったのは「ローマの雨」という歌だった。酒が入っていたせいもあったろう、ふと平成4年の初秋に野村先生のお供をしてローマ、ベネチア、シチリアを旅したことが、脳裏に浮かんだ。
ローマの表玄関であるレオナルド・ダビンチ空港に着いた時には、すでに夜の帳が下りた後で、仄かな空港の照明の中に、異邦人であるわれわれだけが取り残されているような錯覚に陥った。そして、夜の空港には何か固有の表情があるように感じられた。
以前読んだ本に書いてあったが、旅をしていて思うことは、初めての土地それも外国の空港に降りるときは絶対に夜の方がいい、ということを実感した。見知らぬ土地に来てしまったという期待と不安。それは―逃亡者がやっと追及の手から逃れ、ようやく自分のことなど誰も知らない外国に辿り着いた、という安堵に似ているからである。空港からホテルまで夜の街をドライブする間、擦れ違う車のナンバーや日本では見ることのないネオンを眺めつつ、この闇の下にどんな顔をした人や街が存在するのだろうといった想像に胸が高鳴る。そして、この闇の下では、当然のように私たちは無名の旅人でしかない。
私たちを乗せた車はスペイン広場の上にあるホテル「ハスラー」に到着した。旅装を解くのももどかしく、先生に誘われて夜の街に出た。(拙著『師・野村秋介ー回想は逆光の中にあり』より)その旅から28年が過ぎた。一度、先生と歩いたローマやシチリアを再び訪ねてみたいと思っているが、このコロナでは、いかんともしがたい。
夜は、酔狂亭にて、シイタケとアスパラのアヒージョ、豚肉とピーマン炒め、トントロを肴に月下独酌。お供は「佐藤」の黒。※写真は、ローマにて、野村先生。
先日、好きなテレ東の「昭和は輝いていた」という番組で、ザ・ピーナツの3時間スペシャルをやっていた。その時に聞いた歌の中で一番心に残ったのは「ローマの雨」という歌だった。酒が入っていたせいもあったろう、ふと平成4年の初秋に野村先生のお供をしてローマ、ベネチア、シチリアを旅したことが、脳裏に浮かんだ。
ローマの表玄関であるレオナルド・ダビンチ空港に着いた時には、すでに夜の帳が下りた後で、仄かな空港の照明の中に、異邦人であるわれわれだけが取り残されているような錯覚に陥った。そして、夜の空港には何か固有の表情があるように感じられた。
以前読んだ本に書いてあったが、旅をしていて思うことは、初めての土地それも外国の空港に降りるときは絶対に夜の方がいい、ということを実感した。見知らぬ土地に来てしまったという期待と不安。それは―逃亡者がやっと追及の手から逃れ、ようやく自分のことなど誰も知らない外国に辿り着いた、という安堵に似ているからである。空港からホテルまで夜の街をドライブする間、擦れ違う車のナンバーや日本では見ることのないネオンを眺めつつ、この闇の下にどんな顔をした人や街が存在するのだろうといった想像に胸が高鳴る。そして、この闇の下では、当然のように私たちは無名の旅人でしかない。
私たちを乗せた車はスペイン広場の上にあるホテル「ハスラー」に到着した。旅装を解くのももどかしく、先生に誘われて夜の街に出た。(拙著『師・野村秋介ー回想は逆光の中にあり』より)その旅から28年が過ぎた。一度、先生と歩いたローマやシチリアを再び訪ねてみたいと思っているが、このコロナでは、いかんともしがたい。
夜は、酔狂亭にて、シイタケとアスパラのアヒージョ、豚肉とピーマン炒め、トントロを肴に月下独酌。お供は「佐藤」の黒。※写真は、ローマにて、野村先生。