2月14日(日)曇り後晴れ。
毎年、この日に群青の会の大熊雄次氏が主催する「野村先生の生誕祭」を執り行っているが、今年は、コロナ禍で中止。そういえば何年か前の生誕祭の日に大雪が降り、帰るのに難儀したことがあった。ご存命ならば先生は今日で八十六歳か。想像もつかん。
バレンタインデーには忘れられない思い出がある。色っぽい話でなくて恐縮だが、昭和六十二年の一月に私たちが起こした事件で、荻窪警察に留置された。接見禁止が取れた二月十四日に先生が面会に来てくれた。当時は、拘留者との面会も規則が緩く、取調室でお茶を飲みながら面会させてくれた。帰り際に先生が「今日はバレンタインだから女房が蜷川にチョコレートを渡してくれと言われたので持って来た。食べさせてあげて下さい」と頂いたのが、何と「ウイスキーボンボン」だった。
先生が帰って留置所に戻る時に、担当さんが「アレ、蜷川、酒臭いぞ」。「イャー、ウイスキーボンボンみたいでした」。「このままじゃ留置所に戻せないので、警備課の部屋で少し休んで行け」。大らかな時代だった。
その後、大野康孝さんと犬塚博英先輩が面会に来た折に「赤福」を持ってきてくれた。三人とも、言葉もなく「赤福」を前にして、何も語らずにお互いの顔を見ながらただ泣いていた。後日、犬塚先輩から、その時の話を聞いた。面会を終えて帰る道すがら、大の男が二人、ポロポロと涙を流しながら歩いている姿に、すれ違う人が怪訝な顔をして通り過ぎて行った。と。
私にとってバレンタインデーは、「ウイスキーボンボン」と「赤福」、当然ながら野村先生と大野康孝さんの思い出につながる。