5月17日(火)曇りのち雨。
菜の花の盛りは過ぎてしまったが、この時期の雨を見ると、野村先生の『銀河蒼茫』に「八下独居は如何にも古めかしい造りなり、一句」と前置きして「菜種梅雨 寒し便器は桶である」を思い出す。その古めかしい独房で、作業のない日の雨の夕暮れ時なのだろうか、先生は、コンクリートの壁に寄りかかり「五月雨(さみだれ)て背の壁つたふ無常観」という句を詠んでいる。その「背の壁つたふ無常観」は、同じ体験をしたことのある人には実にリアルな思いをほうふつとさせるものだ。先生とは比べようもないが、わずかでも「背の壁つたふ無常観」を体験できたことに感謝をしている。
私の散歩コース、近頃桜並木で有名になった大岡川沿いに志村馨君親子がかつて通った小学校がある。いつの頃かは失念したが、音楽の時間だろうか開け放たれた窓から『朧月夜』が聞こえてきてしばし聞き入ってしまった。私の出た小学校は、横浜の南区の高台、三春台と言う所にあった。晴れた日には富士山がはっきりと見えた。根岸湾の海、伊勢佐木町方向にはアドバルーン。聞こえてきた歌に、そんな情景が重なった。その『朧月夜』と『故郷の人々(スワニー河)』を聞くと、必ずと言って良いほど小学校の思い出がよみがえる。
菜の花畠に、入日薄れ、見わたす山の端、霞ふかし。春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ淡し。良い歌だ・