白雲去来

蜷川正大の日々是口実

蕗の薹のこと。

2016-02-09 12:16:02 | 日記
一月三十日(土)曇り。

若い頃は、蕗の薹やこごみ、タラの芽などが出てくると、「ケッ何でこんなものに金を出して食べるのか、考えられない」と思ったものだ。それが今では、「このエグミがいいねぇー」などと能書きを言うようになったのだから、分らないものである。

蕗の薹が、わあー!っと叫び声をあげそうになるほど自生しているのを見たことがある。まだいくらか雪の残る網走でのことだ。最初は名前もわからなかったが、担当が「今年は蕗の薹が早いな」と言ったことから、それが蕗の薹であるということを知った。当然、私有地であるので誰も採ったりする者がいない。私たちだって、それを採ってきて食べることも許されないので、一面に顔を出している蕗の薹も我が物顔で自生している。
しばらくして同じ場所に行くと、あれれれ、ちょこんと顔を出していた蕗の薹が揃って横浜の山下公園のマリンタワーのように伸びているではないか。なるほと「薹が立つ」とはこの事かと感心した。この時期に、スーパーなどで蕗の薹を見ると、その時の光景が目に浮かぶ。

横浜の桜木町駅の近く、野毛山公園に、横浜ゆかりの俳人、中村汀女の句碑がある。野毛山の早春を詠んだもので、
「蕗のたふ おもひおもひの 夕汽笛」。

野村先生が愛した、京急日ノ出町駅近くの天ぷら屋の「天作」が、同じく京急は戸部駅の近くに移転した。移転してから一度も行ったことがないが、親父さんは元気なのだろうか。野村先生のことを「秋ちゃん」と呼ぶ数少ない横浜の人だった。蕗の薹のてんぷらでも食べに行くか。
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