白雲去来

蜷川正大の日々是口実

文学忌

2016-06-13 15:53:21 | 日記
六月九日(木)曇り。

歳時記を開いたら、今月の十九日は太宰治の入水死体が、玉川上水で見つかった日。毎年、この日を記念して、太宰治のお墓のある三鷹の禅寺、下連雀禅林寺で、その忌が修される。(修する=仏事などを執り行う)太宰忌は、「桜桃忌」として有名である。その由来は、彼の晩年の作品に「桜桃」があり、彼の死が、丁度、桜桃の熟する頃にあたるからである。

何年か前に、愚妻の里に帰った折に、ちょっと足を延ばして太宰の生家を訪れたことがあった。たいそうな家で、こんな家の子供に生まれて何の不足があるのか・・・。と思った。古い友人の岡崎一郎こと野呂道則氏が、かつて合同歌集『国風』に、「故郷津軽を行く」と題して詠んだ歌の中に、「西行けば深浦町ぞ北させば太宰の里の金木町なり」がある。その深浦町は愚妻の里である。

文学忌とは、作家の命日をその雅号やペンネーム、代表作などにちなんで、その文学的な業績を偲ぶ日としたものである。文学碑ではないが、民族派では、五・一五事件の三上卓先生の大夢祭、山口二矢の二矢(おとや)忌、三島由紀夫の憂国忌、森田必勝の野分祭、野村先生の群青忌などがある。

機関誌『燃えよ祖国』の第二二二号をようやく発送。ホッとする。夜は自分へのご褒美と、酔狂亭で独酌。
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