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5月8日(月)雨。
朝食は、エビ沢山の「エビチャーハン」、きくらとタマゴの炒め物、大根の味噌汁。昼は、小カップ麺と朝の残りのエビチャーハン。夜は、子供が残業、愚妻は青森と言うことで、一人飯。ミスジ肉にたっぷりのニンニクのスライスとスライス・マッシュルームを乗せたものと、こんにゃくの炒め物、さっと湯がいたレタスに、紹興酒、ごま油、醤油で味付けた温サラダ。盟友のO氏より以前いただいた「森伊蔵」の4合瓶を開けた。一週間分録画しておいた朝ドラを見ながら、ふふふと不敵な笑いの中で、酔狂亭にて独酌。
広島でG7とやらの会合があるらしい。「蜷川さん。何か取り組みはしますか」とはオマワリサン。小島よしおのギャグが浮かんだ。「岸田さんに、皆さんと仲良くやるようにと伝えて」と言ったら苦笑いをされた。岸田さんが、「核なき世界」を皆さんに言うそうだ。その「核なき世界」という言葉を聞くと、自然に、ピーターとゴードンの「愛なき世界」という歌が浮かぶ。当然両者に関連性などある訳もない。
その歌が流行ったのは昭和39(1964)年。私は中学の二年生だった。中学生になった頃から、洋楽に興味を持つようになって、随分とレコードを買った。当時のヒット曲は、ビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」「抱きしめたい」やヴィレッジ・ストンパーズの「ワシントン広場の夜は更けて」、アストロノウツの「太陽の彼方に」、キングストン・トリオの「花はどこへ行ったの」など。リフレーンばかりの歌詞が続く「花はどこへ行ったの」は、英語で歌える唯一のものだった。ああG7とは何も小島よしおか。とにかく、岸田さんの「核なき世界」と聞くと「愛なき世界」の曲が頭の中に流れてくる不謹慎な私です。そうそう、その歌の作詞・作曲は、ビートルズの、ポール・マッカトニーです。まあ皆さん、とりあえずはロシア包囲網で仲良くやって下さい。