二月二十二日(金)晴れ。
午前中はのんびりして、午後から事務所へ。暖房が効くまでメチャクチャ寒い。やることは沢山あるのだが、何から手を付けて良いのやら・・・。まあ何でも頑張らなくては。
話は変わるが、私の周りには、俗に「奇人、変人」と呼ばれている人がかなりいる。わざと奇を衒っているわけではないのだろうが、特に、左右に限らず政治運動や芸術家、ミュージシャンや役者と言った「表現者」に奇人、変人が多いのでは無いだろうか。
幕末にも、有名な「寛政の三奇人」と呼ばれた人たちがいた。すなわち江戸時代の寛政期に活躍した、経世論家の林子平 、尊皇思想家の高山彦九郎 、儒学者であり海防論者として知られている蒲生君平の三人である。「奇人」は「畸人」とも書く。三省堂の「大辞林 」によれば、「性質や言動が常人と異なっている人。変人」とある。
戦前の愛国教育の中で、楠正成、二宮尊徳と共に教科書の中にも取り上げられたこともあり、その「三奇人」の中で最も知られているのが高山彦九郎であろう。京都は三条大橋東詰に御所を拝する姿の彦九郎の銅像はあまりにも有名である。また、その生き様は、「サノサ節」にも「人は武士 気概は高山彦九郎 京の三条の橋の上 遙か皇居を節拝み 落ちる涙は 鴨の水」と歌われた。
「奇人」という言葉の持つイメージからか、彦九郎は常人とはその行動を異にする激情家という像が浮びあがる。しかし、最近読了した吉村昭の「歴史の影絵」(文春文庫)の中で、高山彦九郎が「奇人」として評されることに対して、こう反論している。
「しかし、元来、奇人という言葉を変人と考えるのはあやまりである。非凡な人物、凡人では果しえないことを成しとげた、または成しとげようとした人物と解すべきである。その後、彦九郎について知るようになった私は、それまでいだいていた彦九郎観があやまっていたことに気づいた。一言にしていえば、彦九郎は、幕府に対して徹底的に抵抗した孤独な運動家であった。武断政治をとる幕府を倒すため、文治政治を行うと期待されている朝廷に政権を移譲させるべきだと考えた。その自説を世にひろめるため幕府の追及を避けながら全国を遊説した。」
ちなみに「奇人」とは、単に「変人」などではなく、「奇」は「優れた」という意味であり、「奇妙な人物」という意味ではない。という解釈もある。さて私はどうだろうか。
夜は、酔狂亭で月下独酌。酒だけはどうも避けられない。嗚呼!
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