白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「イセぶら」は死語となった。

2013-02-19 11:13:42 | インポート

二月十七日(日)晴れ。

 いつまで寝てんの。と家族に起こされる。「また飲みすぎたんじゃないの」とは子供たちの言葉。それに対して私は、旧約聖書の箴言を引用して、こう諭した。「酒を心の傷める者に与えよ。彼飲みて貧しきを忘れ、またその悩みを思わざるべし」と。

 

言い終わったときは、私の周りに誰もいなかった。家族といてもむなしさを覚えるのはこういう時だ。というのは嘘で、元気に遅めの朝食。愚妻は、サリーズバー主催のボウリング大会に出席するので、友人のタラコちゃんと一緒に私が送って行った。私は、下の子供と、イセぶら。最近は、この「イセぶら」が死語になった。伊勢佐木町をぶらぶらして買い物をすることの略である。

 

有隣堂で本を買って、旧松坂屋の後にできたスーパーで買い物してから、ケンタでお茶。寒いけれど天気が良いし、子供と歩くのもいいものだ。子供たちが小さい頃は、この時期にお雛様を飾ったものだが、いつの頃からか飾らなくなった。お雛様の一番上にいるのが「お内裏ひな」。これは天皇、皇后の形をした人形である。


恐らく、共産党など皇室の否定論者でも女の子のいる家は、桃の節句にお雛様を飾るに違いあるまい。皆、知らずに両陛下を飾り、敬っているのだ。これが日本の心と言うもの。

 

夜は、子供たちを相手に、軽く飲んで、早めに寝た。


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訃報に墓参。

2013-02-19 10:37:41 | インポート

二月十六日(土)晴れ。

 二月は「如月」と書いて、なぜ「きさらぎ」と読むかは知らないが、「きさらぎ」の語源は「着更衣」と書き、「更に衣を重ね着する」ほどの寒さを言うらしい。正にその通りで、今日も晴れているのだが、風が強くて寒かった。

 

昨日の新聞の死亡通知欄に、東條英機元首相のお孫さんで、保守の論客として活躍していた東條由布子さんが十三日に亡くなられたとあった。二月の寒さに加えて、こういう報道に接すると、哀しさで心まで冷え冷えとしてくる。東條由布子さんと初めてお会いしたのは、確かな年月日は忘れたが、確か七、八年前の終戦の日の靖国神社だった。いつもの茶店で買い物をしていたら偶然に由布子さんが入って来て、ご挨拶をさせて頂いた。

 

その後、先生のお墓のある伊勢原の浄発願寺にて行われた「群青忌」に出席して頂いたり、様々な会合でお会いしたりと、ご活躍を微力ながら応援していた。まだ七十三歳であり、これからもっとご活躍を期待していたのに残念でならない。ご冥福をお祈りいたします。

 

また同じ死亡欄には、大映の俳優として一世を風靡した本郷功次郎さんが七十四歳で、そして岩波ホールの総支配人の高野悦子さんの死亡記事が掲載されていた。はなはだ不勉強で申し訳なかったが、それほど映画通ではないので、高野悦子さんと聞いて一瞬頭に浮かんだのが、その昔「二十歳の原点」でベストセラーになった彼女のことかと・・・。しかし、たしか彼女は、自殺したのではなかったか、と思って調べてみたら、当然別人だった。私の世代では、失礼ながら高野悦子と聞くと、イコール「二十歳の原点」を思い浮かべるのではないだろうか。ともかく合掌。

 

今日は、私の中学の先輩で、私が陸上競技を行うきっかけとなり、その後も随分仲よくさせて頂いた山崎邦雄さんのご命日。山崎さんは平成十年の今日、五十歳と言う若さで亡くなられた。一時期、一緒に運動をしていたり、山崎さんの勤めていたお店に遊びに行ったりと、思い出は尽きない。その山崎さんと縁のある人たちが、毎年命日の日に集まって、お墓参りに行き、偲ぶ会を催している。

 

1※右が山崎さん。左は私。昭和三十八年、中学一年の時。私が着ているセーターのワッペンは、翌年の「東京オリンピック」の協賛のもの。

 

二時に、尼野保、山崎雅夫、水原広雅、N氏に迎えに来て頂き、山崎氏のお墓へ向かう。お墓には、すでにお花があった。ご家族の方が来たのだろう。私たちもお花を供して手を合わせた。

Dscf5401※山崎さんのお墓の前で。


その後は、尼野保氏の経営する地下鉄吉野町駅の上の小料理「一銭」にて直会。途中から、清和崇氏やカメちゃんらも合流。しばらく飲んでから、「やまと」に転戦したらしいが、全く記憶がない。


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民族派の最終兵器と飲む。

2013-02-18 18:08:12 | インポート

二月十五日(金)晴れ。

 民族派の最終兵器と呼ばれている、展転社の藤本隆之社長が横浜に来ると言うので、我が家では非常事態宣言を発令して、特別警戒態勢に入った。何と言っても藤本氏は「酒」に関する逸話の多い人で、その伝説的行動は、もはや神話に近い。


かつて「ゼンボウ」の原正寿氏も藤本氏に負けず劣らず逸話の多い人だったが、出版社関係の人には、こういった酒に関する武勇伝を持つ人が多いから不思議だ。まあ例外は私ぐらいなものだろう。私は、そのうちに「憂国奇人伝」を書くつもりでいるが、恐らくその大部分が、藤本氏などの酒に関する話で終わるに違いあるまい。


思えば、藤本氏とは長いお付き合いをさせて頂いている。彼が一水会にいる頃だから、もう三十年近くにもなる。彼が、展転社の社長になってからの活躍は、今更語るまでもないが、民族派系の出版社として常に運動をリードしている。


その藤本氏と五時に関内駅にて待ち合わせ。渋滞で十分ほど遅れてしまった。後でからまれないかとヒヤヒヤものだった。平身低頭して、機嫌を損ねぬうちに中華街へ。彼が一度行きたいと言っていた「安記」へ行く。いつもの紹興酒に「モツ皿」「レバ皿」「焼売」に「イカといんげん炒め」を肴に藤本氏のご高説に耳を傾ける。


紹興酒を一本空けた所で、私が指を二本出して、何本に見えますかと聞けば、彼曰く「二本」。まだ大丈夫と思い、次は、やはり定宿の「菜香新館」へ転戦。ここで、「チャーシュー・クレープ」「エビの巻き揚げ」「あさりと春雨の炒め物」をつまみつつ紹興酒をボルト、いやボトルを一本ペロリ。今度は、指を三本出して、「何本に見える」と聞くと、「三本」。まだ大丈夫。「サリーズバー」へ案内せぇ。とのリクエストで、関内へ転戦。


サリーズバーでは、めずらしく藤本氏がカラオケに興じる。なんと「ブルーライト・ヨコハマ」を歌うが、どうもメロディーが怪しい。サリーに手伝ってもらってやっと一曲終了。そろそろと思って、指を三本出して、「何本?」と聞けば、五本。これはもう限界と思って、大事にならないうちに、関内駅まで送って、解散。いい酒だった。こんなに紳士的な藤本氏をみたのは久しぶりのこと。次は、介護役に、がんちゃんを連れて来てね。もっと沢山飲んでいいから。

Photo※お土産に頂いたDVDと本。当然、転展社の刊行物である。

 

 

 

 


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野村先生の生誕祭。

2013-02-16 13:41:38 | インポート

二月十四日(木)晴れ。野村先生の生誕祭。

 朝起きると、普段は起こしても中々起きてこないバカ娘が、五時過ぎからキッチンで忙しそうにチョコレート作りにいそしんでいる。何がバレンタインデーだ、チョコレート会社の陰謀に踊らされて、このままでは日本人のほとんどが、虫歯か糖尿になるのに違いあるまい。

 

チョコレートを配る日があるのならば、三月の卒業シーズンには、お世話になった恩師や先生に、和菓子をプレゼントするのはどうだろう。これこそ本当の和菓子の恩。すなわち「我が師の恩」というものだ。


今日は、野村先生の「生誕祭」が川口市のマンモスプラザにて行われる。昨年までは、群馬県にある雷電神社にて執り行っていたが、なにせ平日でもあるし、遠距離とのことで、主催者の正田暢鍵氏が川口で経営するお店での開催となった。

 

朝九時に、志村馨、松本佳展両君に迎えに来て貰い、一路川口へ。途中、工事渋滞でギリギリに会場入り。野村先生の奥さんや犬塚議長にご挨拶。

 

一部は、生誕祭。厳粛なる神式で執り行われた。第二部は、犬塚議長による記念講演。正田暢鍵氏が群馬の雷電神社に建立、奉納した野村先生の句碑には、「わが生の須臾なる命如何にせむ」とある。その須臾(しゅゆ)とは、1000兆分の1であることを示す漢字文化圏における数の単位である。逡巡の1/10、瞬息の10倍に当たる。また、須臾という言葉には、「しばらくの間」などの意味があり、「しばらく」と訓まれることもある。

Dsc_0053※厳粛な生誕祭。

Dsc_0154※犬塚議長の講演。

Dsc_0098※講演を聞く参加者。


人類の長い営みから見れば、人の一生なんか、正に須臾の如しと野村先生は生前機会があることに語り、そして句に読み、文章にした。犬塚議長は、その「須臾」をもとにして、野村先生の「獄中日記・千葉編」の中に書かれている先生の言葉を引き合いに出しながら語られた。本当に感動した講演だった。いずれ、この記念講演は「燃えよ祖国」に掲載するつもりでいる。


第三部は直会。参集した同志や友人の皆さんとの楽しい語らいとなった。四時に終了。皆さんにご挨拶をして横浜に戻った。


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オリンピックの日本差別。

2013-02-15 10:41:52 | インポート

二月十三日(水)晴れ。

 午前中は事務所で片づけ。スクラップしようと思って切り抜いていた新聞や雑誌が段ボールに二杯ほどもある。さっと目を通して、旬の話題ではない物から廃棄。必要なものは、持ち帰ってスクラップブックを買って、資料にするつもり。

 

ニュースでは、日本のお家芸であるレスリングが、オリンピックの種目から除外されると言う。どういう根拠なのか良く分からないが、単に人気と言うことを言えば、テコンドーや近代五種なんかの方が余程人気がないうに思えるのだが。

 

穿った見方かもしれないが、以前からオリンピックには人種差別があるように思えてならない。特に、そのターゲットは日本と日本人に向けられているような気がする。本当かどうかは、定かではないが、水泳などは黒人や黄色人種と一緒にプールに入るのを嫌がる人たちが沢山いると聞く。アメリカの水泳選手に黒人の選手が少ないのは、そのせいかもしれない。

 

昔から、日本人が活躍すると、ルールが変更になったり、その種目がオリンピックから除外されると言うことがある。古い話だが、たとえば水泳の古橋広之進の「潜水泳法」や、「バサロキック」、バレーボールの九人制から六人、スキーのジャンプ、ソフトボールに野球・・・。そして今回のレスリング。日本バッシングと思われても仕方がないだろう。最も、近代のオリンピックは、アマチュア精神などと言うものからほど遠く、ほとんどプロ化しているのが実情なのだから、人気が優先、金とコネで決まるのも仕方がないのかもしれない。


夜は、酔狂亭で月下独酌。細くて新鮮なねぎを見るとつい買ってしまう。均等に揃えて切って、串に刺して、アンデスの塩をかけて軽く焼く。これが美味しいんだなぁー。たまには味噌をぬって田楽にすることもある。浪人にはぴったりの肴である。


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