白雲去来

蜷川正大の日々是口実

竹馬の友に感謝。

2013-04-23 10:44:01 | インポート

四月二十二日(月)晴れ。

高々二三人の閣僚が靖国神社へ参拝したからと言って、また韓国が文句を言って来た。いつまでこんなことを繰り返すのだろうか。北朝鮮の瀬戸際外交で譲歩を続けてきたアメリカ。その結果が、今回の核の恫喝につながった。だからこそアメリカは、今回は甘い顔をせずに、断固拒否(今のところは)している。これとまったく一緒で、首相や閣僚の靖国参拝が報道されるたびに韓国、中国が難癖をつけて来て、それに対して譲歩を続けてきた。

今度こそ、そんな難癖に対しては断固NOと言うべきで、今時「靖国参拝」のことなど外交のカードに使わせない、という態度を表明すべきではないか。靖国神社は、先の大戦のみならず、明治維新、日清、日露の戦争で散華された人たちが祀られている。国家の発展のための礎となった方々の霊をお祀りする神社に、国家の指導者が哀悼の誠を捧げることは当たり前のことである。それに文句を言うなどとは、全く大人げないし、人としての矜持、国としての誇りがないということを内外に表明しているということに、気が付かない所に、あの国の欠点がある。

今度、文句を言ってきたら、形だけでも「パチンコ廃止法案」を出す。驚いて、靖国問題なんか、無かったことのようになることは目に見えている。

夜は、文字通りの竹馬の友からの誘いで、今年最後の「ふぐ」のご相伴にあずかった。何でも、毎月、持ち回りで食事会を行い、その都度ゲストを招待しているとのこと。私などがゲストで申し訳ないが、初対面の方お二人と一緒に、「ふぐ」のコースを堪能した。その後は、その中の年長者の方のお声がかりで関内の「D」へ転戦。このお店も関内では老舗の一つになった。三四年ぶりに行ったが、古株の女性、二三人が私のことを覚えていた。お客さんの中に、知人と似ている方がいたので挨拶に行ったら、別人で、ひぇーっと言う感じ。しかし、世の中には良く似た人がいるものだ。

帰る、いやまだまだ、と議論の結果(もちろん私はその議論には加わっていません)、天王町へ遠征。マルコスとイメルダさんと言うような名前の人たちがいるお店で仕上げ。お土産まで頂き、かつ自宅まで送って貰って帰宅。いい夜だった。竹馬の友に感謝。


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西郷さんが羽織袴姿に。

2013-04-22 16:15:20 | インポート

四月二十一日(日)雨のち曇り。

 枕もとで目覚ましが鳴っている。酒の抜けていない頭で、「こんな時間に誰が、うるさいなあ」と思って目覚ましを止めた。ん。なぜ目覚ましが・・・。そうか今日は十一時から上野公園にある西郷隆盛像の清洗式がある。ふらふらになって風呂を入れて酒を抜いた。

 随分と寒い。ヒートテックの上下を着こもうかとも思ったが、いくらなんでも四月の後半、背広の上に防寒のジャンパーで大丈夫と思って家を出た。これが大失敗。寒いのなんのって、まるで冬に逆戻りしたような陽気である。加えて雨が降っている。「ホカロン」を配っていたので頂いてシャツの上に貼った。

 それにしても感心するのは、朝早くから銅像の足場を組んだり、テントや様々な設営をしている大行社の若い人たちである。本当に頭が下がる。十一時に、西郷南洲会が主催する清洗式が開始。厳粛な神事、代表である早瀬内海氏や来賓の挨拶の後に、西郷さんが、着付けの女性の手によって紋付き袴姿が着せられる。大西郷の精神を思い手を合わせる。

Dsc_0468※羽織はかま姿の大西郷。

終了後は、アメ横で「スカジャン」の専門店を経営している大熊雄次氏や連日一緒のカメちゃん、ヒデちゃんと友人らを加えた六人で「新東洋」へ。ここで打ち上げ。紹興酒を七本も飲んでしまった。途中で大行社の小針、小沢の両君が合流。〆は評判の「ローメン」。その後、ガード下の立ち飲み屋に転戦。

しばらく飲んでから大熊氏のスカジャン屋に顔を出すと、偶然にも松本佳展君と遭遇。何でも「モモイロクローバーゼット」という女の子とお揃いのスカジャンを買いに来たとか。うーん良く分からん。小針、小沢の両氏や壊れかかった友人氏らとここで別れてから、まだ飲みたりないと言うカメちゃんの言葉で勢いついて、御徒町の駅の近くにある「登亭」で今年初「うなぎ」。日本酒を少し飲んで解散。松本君に送って頂き帰宅。そのまま布団に入った。時計を見ればまだ七時半だった。


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久しぶりに県内の同志の会合へ。

2013-04-22 15:45:10 | インポート

四月二十日(土)雨。

久しぶりに神奈川県維新協議会(神維協)の定例会議に出席。この神維協は、県単位では全国で初めての民族派の協議体である。結成は、昭和五十二年である。この年、野村先生らの「経団連事件」があり、神維協の結成に対して獄中の野村先生より「連帯のアピール」を頂いた。

初代の議長は、菊水国防隊(現菊水国防連合)の小早川久之先生だった。私は、第五期、昭和六十年から二年間議長を務めた。当時私は二十六歳で大悲会の会長をしていた。私が議長の時に政治集会を行い、大日本生産党の北上清五郎先生に記念講演をして頂いたことも懐かしい思い出である。

Scan0021

※政治集会のポスター。事務局は板垣哲雄君の事務所に置いた。

この十年ほどは、運動の第一線から距離を置いていたので、なるべく会議にも出席せずにいた。この度、神維協の役員の変更などがあったこともあり、現在、大行社の副会長となっている周本昌山氏の誘いで久しぶりに会議に出席をした。ほとんどの人たちのことは分かるが、それでも名前の分からない若い人たちが二割ほどいて、ご無沙汰していた時間の長さを感じた次第。

皆さんにご挨拶をして、周本氏や大日本一誠会の仲程通也氏などと、黄金町の焼き鳥屋「じえもん」へ。しばらく飲んだ後に、お暇して「やまと」へ。カメちゃん、ヒデちゃんと合流。一時間ほどで撤収した。


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酒なくて何の人生か。

2013-04-22 11:49:25 | インポート

四月十九日(金)晴れ。

午前中に、自宅で雑用をこなしていたら歯医者の予約をしていたのを忘れた。慌てて午後にしてもらい早めに出かけた。

ランドマークタワーの一階にあるスタバで、原稿の校正を行った。何とか今月中に仕上げたと思っている。

夜は、愚妻が会社の同僚との飲み会があるとかで遅くなるので、子供たちに夕食を作ってから、カメちゃん、ヒデちゃんと待ち合わせて西横浜の「颯」へ。しばらく飲んでから藤棚の「一休」に転戦。十時前に帰宅。


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事務所で片づけ。

2013-04-22 11:37:25 | インポート

四月十八日(木)晴れ。

 暖かい日が続いている。朝食の後に事務所へ。私の事務所は、様々な資料がそろっているが、整理が悪いせいで、系統立てて手にすることが出来ない。早い話が雑然として置いてあるだけなのである。

 例えば、過去に行った群青忌の案内状や式次第のパンフ、ポスターなどは、第一回を除いてほとんどあるが、ただ「ある」と言うだけで、整理されていない。従って、例えば第八回の群青忌の資料を取り出そうとしても、何がどれほどあるのか分からないのだ。

 そう思ったら、居ても立ってもいられなくなり、事務所でとりあえず群青忌関係の物だけでも整理しようと思って、午前中から四時過ぎまで事務所で片づけをした。とりあえず仕分けだけは済んだ。

松原商店街で夜の肴を買おうとも思ったが、時間的に無理なので、事務所の近くの横浜橋商店街に行った。魚屋を覘いたらカツオがあった。産地は宮崎。FBで宮崎産のカツオが美味しいと聞いていたので、早速買ってたっぷりのネギとニンニクで食べた。


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