白雲去来

蜷川正大の日々是口実

田町、青山、六本木、銀座。歌の文句のようだ。

2013-04-20 14:26:01 | インポート

四月十七日(水)晴れ。

朝食は、「サバの文化干し」と、もやし揚げに北海道の「山わさび」を添えた。最近は「しじみ」が安いので大量に買ってきて、砂出しをしてから、一回分ずつ冷凍にしてある。まあ肝臓のための気休めでもある。

午後から東京行き。大行社の幹部会議に出席。途中で退席して、お世話になっている方へ今年の群青忌の報告をするために青山へ。原宿の駅で藤巻強、竜馬親子と待ち合わせ。原宿などを歩いていると、今の若い人たちの文化が、私の想像の域からはるかにかけ離れていることを痛感する。最も、その文化に馴染もうとも思わないが。

お世話になった方の事務所を出て、竹下通りを歩いて駅に向かったが、ひょっとすると歩いている人の中で私が一番年上かもしれなかった。子供がもう少し小さかったら、何か買って帰ろうかとも思ったが、ささっと逃げるようにして通り抜けた。

その後、六本木へ。五時半から六本木にあるお店で、大行社の皆さんとの懇親会に出席。二時間ほど飲んで解散。そのまま帰ろうかと思ったら、西澤多賀男先生に誘われて銀座へ。銀座は人と車で溢れていた。西澤先生の馴染みの某クラブへ。人のよさそうなオーナーがカウンターにいて、ホステスさんも皆感じが良かったが、考えてみると店の名前も女の子の名前も、聞かずじまい。そう言えば名刺も頂かなかった。最も、聞いたとしても、個人的に行くこともなく、正に一期一会のお店だった。その方が気楽で良い。十一時半に新橋から東海道線に乗って帰宅。

事情を知らない人が、青山で用足しをして、六本木、銀座と飲んだと聞いたなら、随分リッチなことよ、と思われるかもしれない・・・。地名で得をしたり、損をしたり、そしてリッチに思われたり、貧乏に思われたり。難しいものだ。


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我が家にオスプレイが来た。

2013-04-18 11:49:09 | インポート

四月十六日(火)晴れ。

 ようやく花粉も落ち着いたようだ。あまりクシュクシュしなくなった。そんな訳で、朝食後に、細々とした用事を済ませた後に久しぶりにウォーキングに出た。アマチュアのランナーでも東京マラソンなどでは四十二・一九五キロを約四時間ぐらいで走る。まあタイムはともかく、四時間以上も走りっぱなしなのだ。今の私にはそこまでの体力はまずない。今更、いい歳をしてフルマラソンに挑戦する気もないが、健康のためにせめてウォーキングぐらいは続けようと思っている。

 一時に、我が家を出発。京急の井土ヶ谷駅までは緩い下り坂が続くので楽だ。ついこの間までは桜に見とれたが、桜が散って、ハナミズキの白が映え、そして躑躅がほころんでいる。井土ヶ谷から伊勢佐木町の九丁目まで約一時間。伊勢佐木モールを関内駅方面に向かって歩く。歩いていて気が付いたことは、伊勢佐木町の街並みが少しずつ変わっていることだ。まず、伊勢佐木町からなくなってしまったのが「おもちゃや」。確か「まりや」という名前だったか。そして靴屋。時計屋さんも少なくなってしまった。そんなことを考えて歩いているうちに有隣堂に着いた。ここまで一時間半。週刊文春の書評にあった「呑めば、都ー居酒屋の東京」(マイク・モラスキー著・筑摩書房)を買おうと思ったが置いてなかった。残念。

 何か読みやすい本をと思って文庫のコーナーに目をやったら、浅田次郎氏の「五郎治殿御始末」(新潮文庫)を買った。サンマルクで休憩がてら読んだら面白くてあっという間に半分近くを読み終えてしまった。中国物を書かせても、時代劇も、もちろん現代劇を書かせても今、日本の作家で一番だと思うのだが。私は、村上春樹よりも浅田次郎のファンである。ちなみに浅田氏と私は同い年である。もちろん才能は天と地であることは言うまでもない。

 夜、我が家に松本佳展君が来訪。社友で模型作りの名人、通称「ライト隊長」にお願いしておいた「オスプレイ」が完成して届けてくれた。市販されている物では最も大きいとのこと。ライト隊長は新婚さんである。仕事と子作りで忙しい合間に、作ってくれた。感謝、感謝である。

 そのオスプレイを見ながら、一杯やった。別段他意はありません。オスプレイで竹島に上陸しようとか、沖縄の皆さんにご迷惑をかけるつもりはさらさらありません。ただいい歳をしたおっさんが潜水艦と飛行機のプラモファンなだけです。

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Dscf5527※うううう、嬉しい。ライト隊長にスペシャル・サンクス。


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酔別。

2013-04-18 10:27:37 | インポート

四月十五日(月)晴れ。

 午前中は、家の雑用を済ませて、おとなしくしていた。と書くと少し変だ・・・。普段は家で暴れている訳でも、大声を出して騒いでいる訳でもない。「おとなしくしていた」とは、何かをする気もなかったので、コーヒーを飲みながら好きな本をパラパラと読んでいると言う、初歩の老人性無気力状態に身を任せていたと言うのが真実。

 スケジュールを見ると、二時から病院の予約をしてあった。ナニ常備薬を貰いに行くだけのこと。車で信号待ちをしてると、随分と長く感じる時がある。助手席に読みかけの本など置いておき、信号待ちの間に読むが、まず一頁を読むことが出来ぬうちに信号が変わってしまう。気が付かずにいると後ろの車から、「早く行け」と言わんばかりにクラクションで追い立てられることがある。そう考えると、イライラせずに信号待ちをする心の余裕を持たなければならないとしみじみ思う。

 もう長いこと車の中に文庫本を置いてある。病院や床屋、レストランに行った時の待ち時間に、自宅から本を持ってくるのを忘れた時など、車に置いてある本を読む。もう何年も同じ本を読んでいるので、随分と傷んできた。岩波文庫から出ている「李白詩選」(松浦友久訳)である。好きな本で、同じ本を自宅と事務所にもそれぞれ置いてあるので合計三冊持っている。

 李白の詩で一番最初に暗誦したのは「朝発白帝城」(早「つと」に白帝城を発す)である。杜甫と並んで教科書の常連である李白だが、若い頃は、漢字ばかりの詩なんて理解の外だった。漢詩が好きになったのは三十の半ばを過ぎてからである。

朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にして還る 両岸の猿声啼いて尽きざるに 軽舟すでに過ぐ万重の山

 朝焼け雲に染まる白帝城に、朝早く別れを告げた私の舟は、千里も離れた江陵にたった一日で着いてしまった。両岸から聞こえる猿の啼き声がまだ耳に残っている間に、軽やかな舟は重なり合う山々の間を通り過ぎていたのだった。白帝城は前漢末に公孫述が築いたもので、蜀の劉備がここで没したという『三国誌』の故事でも有名だ。江陵は湖北省にある揚子江沿いの町。白帝城からは三百キロほどの距離にある。

 ここの景観は有名な観光地で、山崎豊子さんの「大地の子」にもこの場所の描写がある。

「翌朝は早くから、長江三峡の入り口にある瞿塘峡にさしかかるとあって、観光客は騒がしかった。松本と一心も甲板に出ると、川幅が急に狭まり、安全航行のための旗を立てた浮標(ブイ)が目だち、北岸の小高い山の頂に甍(いらか)が大きくはねた白い廟のような建物がかすかに見えた。『三国志』の劉備、諸葛孔明と縁(ゆかり)のある有名な白帝城(ぱイテイチョン)であった。また李白、杜甫をはじめ多くの文人墨客が訪れて詩を詠み、『詩城』とも呼ばれている。一心は朝靄(もや)の中にほの白く見える廟を見上げ、李白の詩が口をついた。」というもの。

うっかりと酒の肴の買い物をわすれ、冷蔵庫を漁って寂しい夕餉となった。今日は、盟友だった国防青年隊の初代会長、渡邉康司君の命日。君と酔別していらい十七年が過ぎた。

Photo

 


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「青い山脈」の中で「卵」が10円だった。

2013-04-15 11:07:26 | インポート

四月十四日(日)晴れ。強風。

 風の強い日が多い。それに地震か・・・。眼前に迫る朝鮮半島危機や尖閣を狙う中国の挑発。こんな時に大地震に襲われたらと思うと、いささか心配になる。休肝日にした土曜日。寝ようと思ってテレビのリモコンをいじったら「ノツティングヒルの恋人」の画面が。随分前にDVDで見たが、酒切れの体は正直で眠れず、そまま見てしまった。『ノッティングヒルの恋人』(原題: Notting Hill)は、1999年製作のアメリカ映画。ロンドン西部のノッティング・ヒルを舞台に、冴えない書店主とハリウッド女優の恋愛を描いたものだが、なんとなく「ローマの休日」が浮かぶ。でもこういった映画を見ていると優しい気持ちになれるのではないだろうか。殺伐とした昨今。ありえない夢を「映画」の中に見ることは一服の清涼剤。ラストの記者会見の場面。ここで終わった方が余韻が残って良かったような気がした。ジュリア・ロバーツがとても可愛かった。彼氏が本屋の店主と言う設定がいい。ほのぼのとして幸せな睡眠導入剤となった。

 そのせいか、目を覚ましたのは十時近かった。遅い朝食を家族でとる。メニューは様々な具入りのオムレツ。そう言えば、過日、BSで「青い山脈」を見た。放映されたのは1963年版の吉永小百合と浜田光夫主演の物。この映画も中学生の頃に見たことがある。日活の青春映画の全盛期の頃の映画だった。その中で吉永小百合が演じる寺沢新子が卵を売りに行くシーンがあるのだが、その値段が一個十円。卵が優良物価と言われるゆえんだ。現在でも安いものは十個のパックで百五十円程度。五十年が過ぎても卵の値段はほとんど変わらないのだ。でもそこには鶏卵業者の血のにじむような忍耐と努力があるに違いない。そう思って、今日の朝食は卵料理にした。

 夕方から東京行き。打ち合わせの後に軽く飲んで八時過ぎに帰宅。録画しておいた「八重の桜」を見ながら寝酒。

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※「青い山脈」のポスター。1963年版。

 


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「無慈悲な作戦」とは怖そうだなぁー。

2013-04-14 23:01:43 | インポート

四月十三日(土)晴れ。

十日か十五日なのか、北の「無慈悲な作戦」が行われるのは。まさか振り上げたこぶしで自分の頭を叩くようなマネはしないだろうが、「無慈悲、無慈悲」と繰り返していると、何か「寿限無、寿限無」と続けてしまいたくなる。日本には在日の同胞が沢山いるのに、その国にも「無慈悲な作戦」を行うと脅かすのだから、三代目にも困ったのだ。

そんな朝鮮半島危機を尻目に、東京ディズニーランドは連日の大入り。巨人戦も大入り。平和だよなぁー。寿限無なではなかった無慈悲な作戦が行われようとしているのに。そう言う私も、矢でも鉄砲でも持って来いと毎日酒飲んでいるのだから、我が家の家計も無慈悲なことになっている。

家族揃って朝食。私と下の子供は「サバの文化干し」ファンで、愚妻と上の子供は洋食派。洋食と言ってもハムエッグ程度だが。朝食後は、原稿を書かなければならないのだが、最近覚えた「ビデオ編集」をホンの少しだけと思って始めたら、何と三時過ぎまでやってしまった。

夜は、さすがに休肝日とした。こういう日は、好きなブログ「酔って候へど」を見ないようにしている。夜に、後輩から誘いの電話が入って、引かれるほどの後ろ髪もないけれど、意志を強く持ってBSで吉永小百合の「青い山脈」を見ながら、子供の頃を思い出していた。

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※「無音潜航」の次は、この本が待っている。嬉しいなぁー。


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